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繰り返された山口達也さんの飲酒事件 責めるほうも擁護するほうもそれぞれに問題がある

原田隆之筑波大学教授
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

繰り返された事件

 人気グループTOKIOのメンバーだった山口達也さんが酒気帯び運転容疑で逮捕された。

 山口さんは、これまでも飲酒の上での事件やトラブルを何度も起こしている。2018年には、やはり飲酒がもとで起こした事件によって、TOKIOを脱退する事態にまでなってしまった。

 そのときも大騒ぎになり、本人だけでなくTOKIOの他のメンバーが涙ながらに記者会見したことは、多くの人々の記憶に残っている。

 それなのになぜ、またこのようなことになってしまったのだろうか。

数々の批判と擁護

 今回の事件を受けて、お笑い芸人の星田英利さんは、「びっくりした。あの時の会見、見たやろ。メンバーの悲痛な姿、あの松岡くんの涙ながらの心の叫びは刺さらんかったんか。ほんま、しょうもないわ」と切り捨てている。

 さらに「依存症は病気です。でもそれが理由で飲酒運転することをもちろん、正当化するわけにはいきませんよね?」とも語っている。

 一方、擁護する声もたくさん寄せられている。乙武洋匡さんは、「もし山口容疑者が依存症であるなら、『反省していない』とか『自分に甘い人間では』との声は違う」と述べている。

 まず、現時点で山口さんがアルコール依存症かどうかはわからない。断片的でしかない情報をもとに、軽々しく人の病気を判断してしまうのは控えるべきであるが、たしかにそう思われても仕方のない状況ではある。

 仮にアルコール依存症であるとすると、繰り返し問題を起こしてしまったことは、反省していないのとは違う。それは乙武さんの言うとおりだ。また、山口さんを擁護する人も、誰も依存症であるからといって、犯罪を犯しても仕方ないなどとは言っていない。このことははっきり理解しておく必要がある。

 まず依存症についてであるが、どれだけ反省をしても、もう二度と酒の上で問題を起こさないと固く誓っても、また繰り返してしまう。それが依存症という病気である。

 反省して固く誓うのは、主に脳の前頭前野と呼ばれる部位の仕事である。そして、依存症になるともっと本能的な部分、大脳辺縁系というところが乗っ取られてコントロール不能になってしまう。

 反省する部分と、飲酒をしてしまう部分がそれぞれ違うのであり、理性の部分で強く誓っても、本能的な部分に負けてしまうのが依存症なのである。

 したがって、反省していないわけではなく、反省が効かなくなってしまっているのだ。何より自分を責めて情けなく思っているのは、本人自身であろうし、他のメンバーに対しても心の底から申し訳なく思っているはずである。

依存症者の責任

 ただ、これまであまり議論されることがなかったが、依存症であるからと擁護する人たちは、「依存症だから反省していないわけではない」というところで止まってしまい、繰り返し事件を起こしてしまったことを含め、山口さんの他の責任もあいまいにしてしまっているところに問題があるように思う。

 私は山口さんが前回事件を起こしたとき、「現代ビジネス」の記事で以下のように述べた。

 それは今回もまったく同じようにあてはまる。

 飲酒問題を放置していたことで、未成年を傷つけ、多くの人に多大な迷惑をかけ、大きすぎる代償を払ってしまったわけであるが、彼に今後立ち直る道があるとすれば、まずは自分の問題と向き合うことである。

 (中略)もし依存症なのであれば、依存症に打ち勝つための最初の一歩は、「負けを認める」ことである。「自分の手には負えない」と負けを認めてはじめて、アルコールに勝つための戦いの長い道のりのスタート地点に立つことができる。

 そして、その次には誰かに頼ることである。それは依存症治療の専門家だったり、「断酒会」など、すでに長い時間をかけてアルコールと戦ってきた「先輩」だったりする。そして何より、許してもらえるかどうかわからないが、すばらしい仲間もいる。

 彼は前回の事件の際の記者会見で「アルコール依存症であるとは思わない」「今は飲まないと決めているが、先のことはわからない」などと述べ、問題を先送りにしてばかりだった。そして、自分と向き合うことから逃げる一方だったのである。問題から逃げるためにアルコールを利用していたのだとも言える。

 つまり、彼の本当の問題はアルコールなのではない。アルコールによって問題から逃げてきたことが問題なのである。

 これはやはり彼自身の責任である。自分が今後どのように生きるべきか、償いのために何をすべきか。真剣に考えていたとは思えない。

 星田さんが、「心に刺さらなかったのではないか」と批判するのは、アルコール依存症を軽視しているというよりは、ここの部分に対する批判なのではないだろうか。

 このように、依存症者の立場に寄り添うあまり、本人の責任をあいまいにしたり、矮小化してしまうこともまた重大な問題をはらんでいる。それは、一人の人間としての主体性や責任をないがしろにして、一人前の人間として見ていないことにつながってしまうからである。

 アルコール依存症という病気は、飲酒行動や飲酒に関連することにコントロールが効かなくなる病気である。自分の問題性を否認したり、過小評価してしまう面もたしかにある。

 しかし、アルコール精神病などのような重篤なケースを除いて、ほとんどの場合、全人的に判断力が阻害されたり、責任能力までなくなってしまうわけではない。

今後求められること

 したがって、今後山口さんに求められることは、再度自分の問題と勇気をもって向き合うことである。

 依存症に対する無理解から、批判ばかりが集中してしまうと、本人がますます治療を受けづらくなったり、偏見が強くなったりする負の影響が非常に大きいこともまた事実である。これは乙武さんも強調している。

 社会の無理解を正していくことが重要であることは間違いないが、その一方で、自分の問題とどう向き合うか、治療を受けるのかどうかを決めるのは、結局は本人にしかできないことであり、紛れもなく本人の責任である。

 自らも薬物使用などで逮捕された経験のある俳優の高知東生さんは、このようにツィートしている。

「山口さん今度こそ俺達の自助グループにつながってほしい。山口さんの辛さや孤独を一番理解できると思う」「依存症は甘くない。一人では回復できない病気なんです」

 まったくその通りだと思う。そして自助グループもよいが、それだけでなく医療機関で専門的な治療を受けることも考えてほしい。

 どんな過ちを犯した者であっても、立ち直れないことは絶対にない。ただ、その方向や方法を決めるのは本人自身の責任である。そして、そのためにはまず、自分の弱さを認める強さをもつことだ。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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