Yahoo!ニュース

清原和博は必ず立ち直る:言動からうかがえる期待と3つの不安

原田隆之筑波大学教授
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

執行猶予が明けて

 清原和博さんが覚せい剤取締法で逮捕されたのは、2016年2月のことだった。その後、懲役2年6月執行猶予4年の判決を受け、今月15日に無事執行猶予期間が終了した。そして同時期に、自らの体験や心情を赤裸々に綴った書籍「薬物依存症」(文藝春秋)を上梓している。

 書籍の中で、清原さんは一貫してとても真摯に率直に自身のことを語っている。なかでも、これまで球界の大スター、球界の番長として、豪快なタフガイのイメージに彩られてきた彼が、自分の弱さを認め、それと率直に向き合って、不安な心情を素直に吐露している様子は特に印象的である。

 薬物依存症の治療は、自分が薬物に負けたことを認めることから始まると言っても過言ではない。「いつでもやめられる」と言っているうちは駄目で、逆説的ではあるが「自分は薬物にはかなわない」と認めて初めて、薬物に打ち克つことができるのだ。

 この点、清原さんは率直に自分の「負け」を認めている。これは大変勇気のあることだと思う。

依存症とネズミの話

 清原さんは、薬物を使い始めたきっかけとして、引退後の空虚感や不安を挙げている。

 「死んでもいい」と思うほど、命を賭けて野球一筋であったこと、何度ものケガや手術を乗り越えてきたこと、そして引退をしたときに、それらがすべて過去のものとなり、底なし沼のような虚脱感、不安、孤独に襲われたこと――。

 こうした気持ちから逃れるために覚せい剤に手を出したということであるが、実は薬物依存症になる人の大半は、同じような心理的メカニズムを有している。

 依存症について、有名なラットの実験がある。

 水が入った2本のボトルを備え付けた檻の中に、ラットを1匹入れる。一方のボトルは普通の水であるが、もう1本にはヘロインを溶かしてある。最初ラットは、どちらのボトルからも水を飲むが、すぐにヘロイン入りの水を選んで飲むようになり、たちまちヘロイン依存症になってしまう。

 今度は同じ2種類のボトルをもっと大きな檻に取り付ける。そして、檻の中にはほかにたくさんの遊具を用意し、ここに20匹のラットを入れる。すると何が起こったか。

 ラットはヘロインには見向きもせず、餌を食べたり、遊んだり、メスのラットをめぐって喧嘩をしたり、交尾をしたり、こうした仲間との活動に勤しんだ。もちろん、中にはヘロイン入りの水を飲んだラットもいる。

 しかし、ヘロイン依存症にはならなかった。驚くべきことに、ヘロイン依存症になったラットをこの檻に入れると、このラットも仲間との活動や遊びなどに熱中し、ヘロインに見向きもしなくなった。

孤独な檻と依存症

 この実験で何がわかったか。ヘロインはそれ自体で強力な依存性を持つ薬物であるが、ラットが依存症になってしまうのは、ヘロイン単独の作用だけではなく、そこに孤独や退屈という要因が加わっていたということだ。

 これは人間にも当てはまる。周りの人とのつながりを持ち、意味のある活動をしている人は、薬物の誘惑があっても、そもそも見向きもしないし、依存症にもなりにくい。

 つまり、「依存症(アディクション)」の反対語は、「断薬」でも「強い意志」でもなく、「つながり(コネクション)」だということなのだ。

 薬物依存症のみならず、酒、ギャンブル、買い物、ネットゲーム、こうした「依存症」に陥るのは、コミュニケーションが下手で、人とうまくつながることができないうえ、孤独や不安などのネガティブ感情にとても弱い人が多い。しかも、彼らはそうした感情に対処するための方法のレパートリーが極端に少ない。

 誰だって落ち込んだり、不安になったりするが、そうしたときには「コネクション」が救ってくれるし、無意識のうちにいろいろな対処(これをコーピングという)をしているものである。誰かに相談をする、美味しいものを食べる、カラオケに行く、風呂にゆっくり入って早目に寝るなど、対処はいくらでもある。

 おそらく、清原さんの場合、かつては野球でのストレスを野球で晴らすという、ストイックな彼ゆえのネガティブ感情の晴らし方をしていたのであろう。

 しかし、引退をしてぽっかりと大きな穴が開いてしまったとき、もはや野球は救いにはならない。その奈落のような深くて黒い底なしの穴を前にして、「孤独の檻」の中で救いを求めたものが、覚せい剤しかなかったとしたら、それはあまりに悲しいことである。

依存症克服のヒント

 ここから、依存症治療への道が見えてくる。1つはコネクションを増やすことである。治療者とのコネクション、家族や友人とのコネクション、さらに同じように薬物依存を克服しようとしている仲間とのコネクションだ。これも逆説的に聞こえるかもしれないが、依存症を克服するためには、多くの「依存先」を増やすことが必要なのだ。

 清原さんの著書の中で、希望の持てるエピソードは別れた妻や息子とのつながりだ。別れたとはいっても、「家族」が彼のことを大切に思っていることがよくわかる。その「コネクション」を大事にして、それに「依存」することは、とても重要なことだ。さらに、彼を真摯に支えてくれる多くの仲間もいる。

 そして、薬物に頼らずに、ネガティブ感情に対処するためのコーピング・スキルを身に付けることも重要である。さらに、薬物への欲求が頭をもたげたときに、我慢するのではなく、それに効果的に対処するための数々のコーピング・スキルも覚えることだ。

 たとえば、あらかじめ手首に輪ゴムをつけておき、薬物のことを考え始めたら、「輪ゴムパッチン」をして、15分間何かに集中する。電話をかける、風呂に入る、食事をするなど、それらをあらかじめ考えておいて実践する。なぜ15分かというと、生理学的に薬物渇望は15分経つと消え去るからだ。

 ほかにも、薬物使用の「引き金」となるものをリストアップして、それを生活の中から排除したり、別のものに置き換えたりする作業も重要だ。

 覚せい剤の引き金は、薬物仲間やネガティブ感情が最大のものであるが、依存が進むにつれ、特定の場所、時間、物が薬物使用と結び付いて、引き金になりやすくなる。

 いつも夜一人の時間に、ホテルの一室で、飲酒しながら薬物を使用していたのなら、夜、一人の時間、ホテル、飲酒、これらはいずれも避けなければならない危険な「引き金」である。これらをどう排除し、どう対処するかを治療の中で学習していく。

3つの不安

 こうした治療を地道に続けていけば、コネクションは広がり、断薬を続けることができるだろう。しかし、もちろん不安材料がないわけではない。

 まず、言うまでもなく人間とラットは違う。「孤独な檻」に入れられても、人間はネズミと違って、誰もが依存症になるわけではない。それは、人間の行動は「認知」に左右される場面が大きいからだ。

 認知とは、判断、解釈、理解など、「物事のとらえ方」をいう。同じ孤独という状況でも、それを苦役のように認知する人もいれば、孤独を楽しむ認知の人もいる。また、覚せい剤についても、それに「興味がある」「1回くらい試してみたい」という認知の人もいれば、「絶対ダメ」「恐い」「怖ろしい」という認知の人もいる。

 薬物使用に関しては、言うまでもなく、薬物に対する認知がその人の行動を左右する。大多数の人は、いくら孤独で不安であっても、覚せい剤に救いを求めない。そのような認知を有しないからだ。

 しかし、違法薬物を「良し」とするような「反社会的な認知」があれば、心理的抵抗なく手を出してしまうだろう。

 「反社会的認知」には、ほかにも多様なものがある。

 暴力を容認する認知、ルールや法律違反を許容する認知、反社会的な人々との交際を求める認知、入れ墨など裏社会の「文化」に憧れる認知、これらはみな反社会的認知であるが、こうした認知を清原さんは有していなかっただろうか。

 そして、彼がそれをまだ持ち続けている限り、時間がたてばまた反社会的な「コネクション」を求め、再度薬物に手を出すリスクも高まってくるかもしれない。

 先に薬物に手を出す人の心理的メカニズムとして、孤独や不安などのネガティブ感情の役割を述べたが、それと並んで大きな要因は、このような反社会的認知と反社会的な人々とのつながりである。これらを修正し、反社会的な交際などは一切断ち切らなければならない。それができるだろうか。これらの認知を変えることは容易ではないが、やはり専門家の援助を受けながら徐々に変えていくしかない。

新しい「枠組み」を作る

 2つ目の懸念材料は、治療はいつまでも続かないということである。現在は病院に通っていても、治療は早晩終わる。実は、そこから本当の戦いが始まる。執行猶予というものも、1つの歯止めにはなっていたはずだ。清原さんは、「執行猶予が明けるのが怖い」と述べていたという。執行猶予や治療という外から与えられた「枠組み」がなくなるとき、不安になることはよく理解できる。

 だとすると、自分で新たな「枠組み」を作っていくしかない。

 一番望ましいのは、自助グループに参加することだ。幸い、日本にはダルクをはじめ、薬物依存者のための自助グループが活発に活動している。

 有名人であれば敷居は高いかもしれないが、こうしたグループに参加して、薬物をやめるために努力を積み重ねている仲間との「コネクション」を作ることは大きな治療的意義がある。最近はオンラインでのミーティングも開催されている。

 また、毎日の生活の「ルーティーン」を作り、薬物の誘惑が忍び込まないような生活のパターンを確立することもあらたな「枠組み」となるはずだ。私は病院で薬物依存症の患者さんには、毎日の生活スケジュールを欠かさずに書いてもらって、スケジュールという「枠組み」通りに生活できたかどうかをチェックしている。この「枠組み」こそが、彼らを誘惑や不安から守るものだからだ。

アルコール

 3つ目の懸念材料は、これが実は最大のものであるが、アルコールである。著書の中で、悪夢を見たり将来への不安にかられたりしたとき、アルコールに逃げてしまっていると告白している。うつ状態もひどいため、心身のバランスを取ることが難しいのだという。

 しかし、それでアルコールに頼っているのでは、かつて不安から逃避するために覚せい剤に頼っていたときの心理とまったく変わらないではないか。依存先がアルコールに変わっただけの話で、このままだとアルコール依存症になる恐れが非常に大きい。

 実は、薬物依存症者にアルコールはご法度である。依存症というのは、つまるところ脳の病気であるため、そこから脳の機能が回復する際に、アルコールはそれを阻害してしまうからだ。アルコールをやめられない人の薬物再使用率は、やめた人より8倍高いと言われている。 また、うつ症状も脳が回復の過程で陥る一過性のものである可能性が強いが、アルコールを飲み続けているのであれば、うつ症状はいつまで経ってもよくならないだろうし、寝酒は悪夢を誘発してしまうこともある。抗うつ剤を飲んでいるのであれば、なおさらアルコールはやめないといけない。

 とはいえ、これはなかなか難しい課題である。私も患者さんから一番抵抗を受けるのが、断酒を勧めたときである。「アルコールは合法的なのになぜいけないのか」「クスリをやめたのだからアルコールまで取り上げないでくれ」「酒をやめたら何を楽しみにすればいいんだ」。どれも依存症に陥った脳が、別の「薬物」としてのアルコールを求めている声だ。

 この場合もやはり解決策は同じである。健康なコネクションを増やすしかない。そして、不安になったときの新たなコーピングを身に付けるしかない。いずれも地道な方法ではあるが、確実に回復へとつながる道である。

その先にある未来

 逮捕されたり、生活が破綻したりすると、それを契機にして薬とはきっぱりと手を切ろうと思うのは自然なことである。しかし、言うまでもなく、難しいのはそのモチベーションを維持し、断薬を継続することだ。

 ヘビースモーカーだったマーク・トゥエインは、「禁煙なんて簡単だ。これまで100回以上禁煙した」と言ったというが、まさにこのことが「禁煙の難しさ」を端的に表している。やめることは簡単だが、やめ続けることはものすごく難しいということである。清原さんは、まだその入り口に立ったばかりである。

 治療の先の未来を確かなものにするために、何かアドバイスできるとしたら、私はさらに次の2つを提案したい。

 1つは、何か「自信を高められること」を見つけて、継続してほしいということだ。覚せい剤乱用、離婚、逮捕など一連の出来事の中で、おそらく自分自身やこれまで自分が築き上げてきたものへの自信が大きく損なわれているだろう。

 もう一度誇れる自分を取り戻していってほしい。そのために、小さなことでもいいので、毎日継続することによって、自信につながるようなことを見つけて実践してほしい。実際、野球への取り組みも始めているし、薬物依存症の啓発活動も熱心に行っている。こうしたことの1つ1つが新しい自信となるはずだ。 

 2つ目は、「人生の目標」の再設定にとりかかってほしい。1か月後、半年後、1年後、5年後、そして10年後にどのような自分になっていたいかという「人生の目標」をできるだけ具体的に設定し、書き留めてほしい。

 具体的な目標があると、それに向けて具体的な行動が取れるようになる。覚せい剤をやめることは、その手段の1つでしかない。大事なことは、薬をやめてどんな人生を送りたいかということである。

 清原さんは、自分が良くなっている実感がないと嘆いている。たしかに、ケガや身体の病気とは違って目に見える変化はないし、何かの数値が良くなるというものでもない。

 しかし、何か目標を立てて、地道な努力を継続する中で、その小さな目標が1つ、また1つ達成できたならば、それは確実に良くなっている証拠である。数値目標を立ててそれを実践していくとなおよいだろう。重要なことは、頭の中だけでなく、これらを目に見える形で書き留めていくことである。

 

画像

 ほかに、回復を実感するために、私が病院で用いている方法がある。毎晩寝る前にカレンダーに「青」「黄」「赤」のシールを貼るという簡単な作業である。1日を振り返って、何事もなく平和な日であれば「青」シールを貼る。薬物への欲求が少し出てきたり、心身の状態が不安定であれば「黄」のシールを貼る。そして、再使用の一歩手前くらいまでいってしまえば「赤」を貼る。しかし、「赤」になる前には必ず「黄」になっているはずなので、「黄」の状態に早めに気づいて、次の日は「青」になるように対処をする。

 たったこれだけのことで、自分が良くなっていることを実感することができるようになる。なぜならば、最初は「黄」や「赤」が続いても、半年、1年とたってコネクションが増え、コーピングがマスターできるようになると、「青」が増えていく。つまり、これは回復を可視化する方法なのだ。もちろん、それに伴って脳の機能も徐々に回復しているだろう。

 私はこれまで数多くの薬物依存症者と会ってきたし、今も彼らの治療を続けている。その中で、常に心に留めていることは、「どんな人でも必ず立ち直る」という信念である。いや、ただの信念ではなく、これは事実だ。

 だから、私は信じている。清原和博は必ず立ち直る。

(おことわり)

3年前清原さんが雑誌のインタビュー記事で久しぶりにメディアに登場した際、私はその記事を読んだ感想をまとめて、オンラインメディアで発表した(現代ビジネス「薬物依存症治療のプロは清原和博のいまをこう見ている」2017年7月19日)。今回はその時の記事を振り返りつつ、今回清原さんが発表した書籍の内容も織り込みながら、大幅に加筆修正して、改めて清原さんにエールを送りたいと思い、この記事を新たに寄稿した。

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

原田隆之の最近の記事