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すべての色が集まった黒はダイバーシティの象徴?――「幻の五輪エンブレム」が忘却される前に

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
エンブレムの使用中止が発表された当日の9月1日、成田空港で撮影されたもの(写真:アフロ)

ダイバーシティ(多様性)を重視する多文化主義の歴史に逆行

9月1日に白紙撤回が決まった、アートディレクター佐野研二郎さんのデザインによる東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の公式エンブレム。ここにいたる一連の騒動については様々な論点から議論されており、そこは専門家に譲りたいが、このエンブレムの図柄が忘却されてしまう前に、私の立場から指摘しておきたいことがある。

7月24日、エンブレムが華々しく発表された際、「このエンブレムがユニークなのは、大胆に黒を使った点。黒はすべての色が集まった色ということで、人々のダイバーシティーを意味している」(7月24日、http://casabrutus.com/design/9478)と説明されていたが、これを見て私は驚いた。なぜなら、ダイバーシティ(多様性)を重視する立場である多文化主義の歴史に逆行しているようにしか見えなかったからだ。

もはや成り立たない「メルティングポット(人種のるつぼ)」論

多文化主義の歩みを象徴するものとして、移民社会アメリカでの社会統合のモデルにおける、「メルティングポットからサラダボウルへ」というレトリックの変遷がある。「メルティングポット」とは、「人種のるつぼ」という言い回しの「るつぼ」。金属を溶かすのに使う耐熱容器のことである。様々な人種が混じり合ってひとつの均質なアメリカ人になるというイメージで、20世紀初頭に生まれた。

だが、結局はマジョリティであるWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)に塗りつぶされてしまう同化主義にすぎないと批判され、1960年代以降、これに対して広まったのが「サラダボウル」だ。ひとつのサラダとしてのまとまり、調和はあるけれど、個々の野菜の味はきちんと残っているというイメージである。リベラルな立場から支持されたものの、このような議論ですらその後、マイノリティに「本質的な文化」を押しつけ、差別による格差の温存につながりかねないという批判にさらされた。

そして現在、多文化主義の具体的な中身についてのコンセンサスがあるわけではないが、少なくとも「るつぼ」的なイメージがもはや成り立たないのは、ほぼ自明のことになっていると言えよう。

人種差別がいけないというコンセンサス=法整備もない国で

エンブレムのコンセプトが、この辺のことを踏まえているとは考えにくい。それだけではない。戦後の日本が、国の政策として多文化主義を導入したことはない。それどころか、現在ようやく国会で「人種差別撤廃施策推進法案」が審議中だが、(人種)差別はいけないというコンセンサス=法整備もない(たとえばアメリカでは1964年に公民権法)。そのような国の、世界的な一大国家イベントのエンブレムである。ダイバーシティを意味していると説明されても、すぐに納得できるだろうか。後づけの、とってつけたような説明なのだとしたら、浅はかで視野が狭すぎやしないか。

いかなる表現もおかれた社会的文脈から自由ではない。

(『週刊金曜日』2015年9月18日号「メディアウォッチング」)

追記:記事中、国会審議中だとした「人種差別撤廃施策推進法案」は27日で会期を終えた今国会での成立はかなわなかったが、継続審議となった。

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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