萩野公介×平井伯昌「棄権という英断」

数々の修羅場を乗り越えてきた萩野公介、平井伯昌(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

苦しい幕開け

 リオデジャネイロ五輪400m個人メドレー金メダリストの萩野公介(ブリヂストン)が、苦しい日本選手権を迎えている。

 昨日の男子400m自由形で2位。派遣標準記録突破もならなかった。レース後は「少し整理するのに時間がかかる。話にならないタイム。まだ初日なので頑張っていきたい。」と肩を落とした。

 そして大会2日目の今日、男子200m自由形予選。エントリーしていた萩野がスタート台に姿を見せなかった・・・。

厳しい勝負の世界

 今大会、4種目にエントリーしている萩野。これまで複数種目チャレンジし、結果を残してきた彼の強さを知っているだけに、試合前は萩野の4冠だろうと予想する人は多かったはずだ。私もその中の一人だった。しかしレースが始まってみると、「勝負の世界、何が起こるか分からない」とあらためて痛感した。

 金メダリストであっても、絶対はない。それが厳しい勝負の世界だ。

様々な苦難を乗り越えて

 不安材料があったのも確かだ。2015年に右ひじを骨折。2度の手術を乗り越え、世界のトップで戦い続けてきた。しかし泳ぎの感覚に狂いが生じた。年末年始には、体調不良にも陥った。疲労が蓄積していたことから3週間の休養。泳ぎ始めたのは、今年の1月。冬場の大事な泳ぎ込みをすることができなかった。

 その後は順調に高地トレーニングを積み、今大会前には「(肘が)やっと自分の体の一部みたいになってきた。」と復調を口にしていたが、昨日のレースでは力を発揮することが難しかった。

 

休む勇気

 大会2日目の朝、男子200m自由形予選でミックスゾーンがざわついた。「萩野が棄権だ!」と記者が声を上げたのだ。私も電光掲示板を見て心配になった。日本選手権5連覇中であり、日本記録を保持している種目での出場回避。そこには、萩野を指導する平井伯昌コーチの考えがあった。

 「気持ちも体もしんどいところがある」と萩野の言葉を代弁しつつ、「ここで悪い流れを切って。まずは200m個人メドレーのことだけ考えなさいと話しました。」と覚悟を決め、萩野を止めた。

 私はこの事実を聞いたとき、涙が出た。これは、平井コーチの英断だ。日本のエースとして戦い続けてきた萩野を棄権させることは勇気のいる決断だったはずだ。この決断は、今後、萩野のキャリアや東京五輪へ向けても、大きなターニングポイントになるだろう。

 平井コーチが示した「休む勇気」。そしてそれを受け入れた萩野の素直さ。二人の信頼関係があってこその決断。五輪の金メダリストであっても、指導者の存在は、とてつもなく大きい。

水泳人生を左右する決断

 萩野とは状況は違うが、私も現役時代に国際大会で体調不良に陥り、翌日のレースを棄権するか否か迷ったことがある。当時、私は「レースで戦わなければ意味がない」「タフにならなくてはいけない」と自分で自分を追い込み、周囲の声に耳を傾けることなく、意地を張って、強行出場した。結果、レース直前に倒れ、1ヵ月の入院。1年間、戦いの舞台から遠ざかる最悪の事態を経験した。

 「あのとき棄権を選択していたら・・・」と考えることもある。「たられば」を言い出したらキリがない。しかしあの決断は私の水泳人生を大きく揺るがしたことは確かだ。

勝負はここから

 今年のアジア大会、パンパシフィック水泳競技大会の日本代表選考会も兼ねて行われている今大会。派遣標準記録を突破して、2位までに入ることが条件だ。厳しい一発選考。萩野にとって、明日から始まる男子200m個人メドレー予選が正念場となる。今まで何度も大きな修羅場を乗り越えてきた「2人」の勝負を見届けたい。