コンプライアンスは、「法令遵守」ではなく、「組織が社会の要請に応えること」である。

桐蔭横浜大学特任教授・コンプライアンス研究センター長として、本格的にコンプライアンスに関する活動を始めた2004年以降、私が、常に世の中に訴え続けてきたことである。そのようなコンプライアンスの視点から、組織をめぐる様々な問題の解決、コンプライアンス体制の構築・運用等に関わってきた。

「社会の要請に応える」という観点が特に重要なのが地方自治体である。

民間企業の「社会的要請」が、需要に反映された社会の要請に応えることがベースとなり、それが、組織の存続・成長にもつながるのに対して、地方自治体の場合、住民のニーズに応えることが最も重要な社会の要請であることは間違いないが、その時点での直接的なニーズに応えることだけで地方自治体の役割が果たせるものではない。自治体には、住民にとっての短期的利益、長期的利益のほか、その時々の国家的、社会的利益も含めて様々な社会の要請が交錯する。地方自治体の日々の業務や実施する事業に関して、「社会的要請に応えること」は、複雑かつ困難な問題となる。

そのようなコンプライアンスの視点を、自治体の行政に活用することに関して、多くの自治体の制度や仕組みの構築や不祥事対応等に関わってきたが、その中で最も深く関わりを持ってきたのが横浜市だ。桐蔭横浜大学教授コンプライアンスセンター長を務めていた2007年からコンプライアンス外部委員、2017年9月からはコンプライアンス顧問として、各部局、各区で生起する様々な不祥事、コンプライアンス問題について対応の助言を行うほか、各部局、各区の幹部に対するコンプライアンス研修も実施してきた。

その中で関わった具体的な問題について、これまでにも、日経グローカルの巻頭「直言」で取り上げた(2019年4月「社会の要請に応え信頼される自治体に」)ほか、今年6月10日には、当欄の記事【生活保護への対応と地方自治体のコンプライアンス】で、今年2月に起きた神奈川区生活支援課での生活保護の申込への対応をめぐる問題についても書いた。

コンプライアンス、ガバナンスという観点から、現在の横浜市にとっての最大の問題は、統合型リゾート(IR)推進の是非をめぐる問題だ。

横浜港・山下ふ頭にカジノを含むIRを整備する計画について、開発・運営する事業者の公募を行っていた横浜市は、5月31日、海外のIR事業者等による2グループが応募のための資格審査を通過したことを公表した。今後、事業計画の提案を受け、今夏頃に事業予定者が選定される予定とされている。

一方、IR(統合型リゾート)誘致に反対の立場を取る横浜港運協会の藤木幸夫前会長が中心となって設立した一般社団法人横浜港ハーバーリゾート協会は、IRとは異なる山下ふ頭の再開発をめざす活動を展開しており、IRに反対する立憲民主党、共産党などの野党も加わり、IR反対派の動きが強まっている。

山下ふ頭という、横浜港の中心にある広大な土地を、どのように開発し、活用していくのか、そこに、カジノを含む大規模リゾートを誘致すべきなのか否か、その判断は、横浜市の将来、地域社会の在り方にも重大な影響を及ぼすものとなる。財政的、文化的、教育的、環境的な社会の要請が複雑に絡み合い、その意思決定に関して、自治体のガバナンスの在り方が正面から問われる問題であり、まさに、最も複雑かつ困難な地方自治体のコンプライアンス問題だと言える。

 この問題についての私の見解を述べておくこととしたい。

IR推進をめぐる議論の整理

まず、横浜市のIR事業に関する議論を整理してみたい。

IR(統合型リゾート)とは、民間事業者が、展示施設・国際会議場、ホテル、レストラン・ショッピングモール、エンターテインメント施設などの施設と、これを収益面で支えるカジノ施設を一体的に整備して運営するものであり、これにより観光の振興、地域経済の振興、財政の改善を図ろうとするものである。

横浜市において、IR整備計画を推進すべきとする財政上の理由として、次のようなものが挙げられる。

(1)今後、横浜市でも生産年齢人口の減少等による、消費や税収の減少、社会保障費の増加など、経済活力の低下や厳しい財政状況が見込まれており、そうした状況であっても都市の活力を維持するための財源確保が必要である。

(2)横浜市は上場企業数が少なく、法人市民税収入が少ない。

(3)今後、小中学校の建て替えなど、公共施設の保全・更新に膨大な予算が必要となる。

  そして、観光の特性に関して指摘されるのが

(4)横浜市への観光客は日帰りが多く、観光消費額が少なく、その伸びも小さい。

  ということである。

要するに、(1)~(3)のような事情から、横浜市の財政が将来悪化すると予想されるので、IRから市に入る収入によって財源を確保しようというものである。

そして、(4)の日帰り中心の観光を、IRの整備による内外の宿泊客の増加で観光消費額を増大させ、経済の活性化を図ろうというものである。

これに対して、IR反対派の主たる論拠は、カジノ賭博によるギャンブル依存症、治安悪化等のカジノの負の側面の指摘だ。

実際に、韓国などでは、カジノを含む総合リゾート施設がカジノによる巨額の収益を上げる一方で、自国民の多くがギャンブル依存症で生活破綻に追い込まれ、深刻な社会問題となった。

このようなギャンブル依存症に対しては、IR整備法による対策として、「日本人等への7日間で3回迄、28日間で10回迄の入場制限」、「広告・勧誘の制限」や「カジノ内ATM設置禁止」など施設内制限、「本人・家族の申告による入場制限」、「日本人等への24時間毎に6,000円の入場料の徴収」等の措置がとられるほか、顔認証やAI等による入場制限など事業者独自の依存症対策も行われ、市としても独自の取組みを行うので対策として万全だというのが、IR推進の立場からの説明だ。

確かに、日本人の入場規制等の対策は、一応のギャンブル依存症対策にはなっているといえるだろう。少なくとも、連日カジノに通い詰めるような極度の依存症は防止できそうだ。

しかし、日本人が「28日間で10回」(休日はすべてカジノ)というような頻度でカジノに入り浸ること自体、立派な「ギャンブル中毒」といえる。そのようなレベルでの入場が可能であるのに、依存症を防止する「十分な対策」と言えるのだろうか。

ギャンブル依存症対策をこの程度にとどめざるを得ないのは、もともと、この事業が、カジノだけを目的に入場する日本人が失う「賭け金」による収入を相当程度見込んでいるからであるようにも思える。

IR推進派は、「カジノの面積は、施設全体の面積の3%以内」とされていることを強調し、カジノは施設のごく一部に過ぎず、「IRは、アトラクション、散策を楽しむ市民の憩いの場」であることをアピールしているが、それは、ギャンブルの収益によって成り立つ事業という「本質」を覆い隠すもののように思える。

IRは、確かに、魅力的なアトラクション、憩いの場を含むリゾート施設である。しかし、それらの施設の整備・運営がカジノの収益によって行われるものである。そうである以上、外国客だけでなく、日本人、とりわけ、横浜市民がカジノで失う賭け金による収入も相当な額に上ることが想定されているのは「厳然たる事実」だといえよう。

IRをめぐる議論は、結局のところ、上記(1)~(3)の横浜市の財政事情や(4)の観光収入の実情などから、IRによって「横浜市を豊かにすること」への期待を重視するか、横浜市の未来が「ギャンブルによって支えられる」、そこには「横浜市民がカジノで失う賭け金も含まれている」という負の側面を重視するか、ということに帰着するように思われる。

少なくとも、上記(1)~(3)の横浜市の財政事情に対しては、IRによる収入増加を図ることだけが解決策ではない。

市民が健康で文化的で安心して暮らせる横浜市のために、何が必要なのかという観点から、政策の優先順位を検討し、市の財政支出の抑制を図り「静かでコンパクトな横浜」をめざすのも一つの方向である。そこには、「超大型テーマパーク」開発に伴う相鉄線瀬谷駅付近と跡地を結ぶ新交通システムの建設、文化芸術の創造・発信の拠点となる新たな劇場の整備などを、従来の横浜市の方針どおり実施すべきなのかという問題も密接に関連する。

地方自治体のガバナンス

 上記のような議論の整理を踏まえて、IR事業の是非を考えることになるのであるが、その前提として、地方自治体にとって、地域社会にとって、重要な問題についての意思決定がどのような手続・プロセスで行われるべきかという、地方自治体のガバナンスについて、民間企業等などとの比較も踏まえて、整理しておきたい。

日本の地方自治体では、首長と議会議員を、ともに住民が直接選挙で選ぶという二元代表制がとられており、自治体の運営と意思決定は、首長と議会に委ねられている。

予算・条例の提出権が首長側にしかなく、議会は、それを議決する権限しかないなど、首長に権限が集中しているところに特色がある。

(大統領制に近いが、予算・法律の提出権限がなく、議会に対しては拒否権しかないアメリカの大統領と比較しても、日本の自治体の首長の権限は強い。)

首長に権限が集中し、その権限行使を議会でチェックする二元代表制の枠組みの下では、議会で議案が否決されない限り、首長の判断がそのまま自治体の決定となる。

例外として、「直接民主制」の方法である住民投票が行われる場合もあるが、地方自治法第 12 条、74条に規定される「住民による条例制定又は改廃の直接請求権」に基づく「住民投票」は、首長、議員の解職請求(リコール)のような二元代表制の構成要素の変更に関わるものや、市町村合併の是非のような自治体の存立自体に関わるものに限られる。

自治体運営に関する個別の事項について住民投票が行われるのは、自治体執行部の提案する住民投票条例が議会で可決成立した場合だけだ。法定数を超える署名によって住民投票条例制定を求める直接請求を行うことも可能だが、この場合も、執行部から議会に提出される住民投票条例が可決されなければ、住民投票は実施されない。しかも、住民投票の結果は、自治体の決定を法的に拘束するものではない。

そういう意味では、法令上は、直接民主制としての住民投票は、あくまで、二元代表制の枠内で、それを補完する機能を果たすに過ぎない。つまり、二元代表制の下では、首長と議会議員は、選挙で選ばれることによって、それぞれ住民から、その任期中「白紙委任」を受けているので(「選挙公約」には法的拘束力はないので、候補者が特定の事項について選挙公約で約束したとしても、法律的には「白紙委任」となる)、議会の了承が得られる限り、首長は、自治体の運営に関していかなる判断をも行うことができる。

もっとも、そのような首長の地位は選挙で住民に選ばれたことによるものなので、任期が満了し、選挙で首長が交代した場合は、新たな首長によって、前任の首長の判断が覆されることもある。

民間企業のガバナンスとの比較

このような地方自治体のガバナンスを、民間企業のガバナンスと比較してみよう。

株式会社の場合、株主総会で選任された取締役で構成される取締役会において、代表取締役を選任する。会社の業務執行は、重要事項については取締役会決議が必要となるものの、基本的に代表取締役の裁量に委ねられる。

一方、地方自治体の首長は、住民から直接選挙で選ばれる点において、株式会社の代表取締役が、株主総会で株主が選任した取締役によって選任されるのとは異なるが、一旦選任されれば、任期中、業務執行について広範な裁量権があること、任期満了によってその地位を失うことにおいては、会社の代表取締役と基本的な相違はない。

しかし、「地方自治体の首長と住民の関係」と、「株式会社の代表取締役と株主の関係」との間では、大きく異なる点がある。

株主が会社に求めるのは配当金の支払や株価の上昇などの経済的利益であり、基本的にはそれに尽きるのに対して、当該自治体の区域内で生活し、住民サービスを受ける立場の自治体の住民は、自治体の運営によって居住環境や生活に関しても大きな影響を受ける。

首長が担う自治体の運営は、経済的利益のみならず、住民サービスを通して、住民の日常生活に深く関わる。そういう意味で、株主と住民との間には、ステークホルダーとしての立場に大きな違いがある。

株主にとっては、株価の変動要因となり配当の多寡にも影響する会社の財務内容・業績が最大の関心事であるが、住民にとっては、自治体の財政状況や収支の状況が、将来にわたって行政サービスのレベルに影響を与える重要な要素ではあっても、その時点での自治体行政の評価に関する一要素に過ぎず、むしろ、日常的に受ける住民サービスの内容の方が大きな関心事となる。

すなわち、会社にとっての株主の意向は、基本的に、期待どおりの配当金が得られ、株価を上昇させることに尽きるが、自治体の住民の意向は、そのように単純なものではない。

既に述べたように、自治体の首長は、任期中、自治体の運営について住民から「白紙委任」を受けているが、その判断に当たって、住民の意向や意見は十分に考慮する必要があるという面で、会社の代表取締役と株主との関係とは異なるのである。

もし、首長の自治体運営や決定が、住民の意向と大きく乖離したものとなった場合、最終的には、選挙で住民の意思が示され、首長が交代することになる場合もある。しかし、自治体が行う大規模な事業等について一度決定したことが、選挙で首長が交代して覆された場合、当該自治体に大きな混乱と損失が生じることとなる(【「事業の検証と責任追及」についての小池知事と五十嵐市長の決定的な違い】)https://nobuogohara.com/2017/04/21/。

そのため、地方自治体の首長は、当該自治体やその住民に重大な影響を生じさせるような施策や事業の遂行については、二元代表制に基づき「首長の判断について、議会の承認を受けた」というだけでなく、その自治体の住民の民意を確かめ、考慮しつつ進めていくことが必要であり、その点は、地方自治体のガバナンスにおいて特に重要な点だと言える。

地方自治体にとって「社会の要請に応えること」

 このことは、地方自治体という組織にとっての「社会の要請に応える」という意味のコンプライアンスの特質にも関連する。

地方自治体にとっての「社会の要請」が、第一次的には「当該自治体の行政区域の住民からなる社会(地域社会)の要請」であることは異論のないところであろう。

ただし、それは、その地域の利益のみを図り、国全体の利益を損なうものであってはならない。「地域社会の要請」は、「国家社会の要請」と調和したものでなければならない。

また、「地域社会の要請」には、短期的なものと長期的なものがある。現在の住民の利益ばかりを図ることが、将来にわたる地域社会の利益を損なうものであってはならない。

そういう意味で、「自治体の運営・事業の遂行が民意に沿うものであるべき」ということにも、一定の限界があることは否定できない。事柄の性格によって、「民意に沿った政策決定」が求められる程度は異なる。そのために、首長と議会による「二元代表制」による「熟議」を通して、その地方自治体が、様々な社会的要請に応えられるような意思決定を行うことが求められているのである。

横浜市におけるIRをめぐる議論と自治体ガバナンス

これらの地方自治体のガバナンス、コンプライアンスの一般論を前提に、横浜市のIRをめぐる議論の経過について、改めて考えてみよう。

横浜市におけるIRの推進に関して、林文子市長は、当初、「市の将来の経済成長に有効な手段で、導入に非常に前向き」との見解を示してきたが、2017年7月の市長選の半年前に「白紙」と立場を変えて選挙に臨み、三選を果たした。

この際、選挙公約で「統合リゾートの導入検討」を掲げていたともされているが、膨大な「選挙公約詳細版」の中に小さく書かれているに過ぎず、実際に、IRの推進が、市長選挙の実質的な争点にはならなかった。

ところが、2018年7月に、統合型リゾート施設(IR)整備法が成立した後の2019年8月、横浜市は、山下ふ頭でのIR整備に取り組んでいく方針を公表した。

これに対して、IRに反対する市民運動が活発化し、住民投票を求める署名が法定数を超える19万筆も集まり、市に提出された。しかし、住民投票条例案は、市の反対意見が付されて、市議会に提出され、市議会は条例案を否決した。

林市長は、「二元代表制で、市長が提案し、議会が承認の議決をした」と強調する。確かに、IR推進の横浜市の方針は、市議会が、関連予算を可決するなどして承認しており、二元代表制という面で言えば、意思決定のプロセスに問題はない。

一方で、カジノを含むリゾート施設を、市の中心部である山下ふ頭に整備する計画は、横浜市の財政状況に重大な影響を生じるだけでなく、ギャンブル中毒症、治安の悪化のおそれが指摘されるなど、横浜市民の生活にも重大な影響を及ぼし得るものであるだけに、IR推進の是非については、「二元代表制」によるプロセスを経るだけではなく、横浜市民の民意の確認も必要だと考えられるが、横浜市のIR推進については、これまで民意の確認は殆ど行われていない。19万筆を超える反対署名が集まったことや世論調査の結果等から、現状において、多くの横浜市民がIRに否定的な意見を有していることは否定できない。

このような経緯から、IRの推進の是非については、「民意を問う」というプロセスが欠落しており、今年8月に実施予定の横浜市長選挙において重要な争点となり、選挙結果によって民意が反映されることになるのは、ある意味では必然と言える。

重要施策について首長選挙で「民意」を問うことの限界

しかし、地方自治体の重要施策について、首長選挙で賛成・反対両方の意見の候補者による選挙戦の結果、当選した候補者の意見を「民意」とみなし、それだけで、施策の是非について一刀両断的に結論を出すことが適切と言えるだろうか。

首長選挙は、その後の4年間の任期中の市の運営や事業遂行について、市民が基本的に白紙委任する対象となる市長を選ぶためのものだ。4年間の市政を全面的に委ねるに相応しい能力・資質を持った市長を選ぶことが、まず重要であることは言うまでもない。

しかも、首長選挙において民意を問うべき事項は、決して単一ではない。4年間の任期において実施の是非の判断を求められる重要施策、事業には様々なものがある。それら全体について適切な判断を行う首長を選ぶのが首長選挙であり、一つの大規模事業の是非だけが問われるのではない(横浜市において、現在計画中の大規模な事業として、米軍上瀬谷通信施設跡地で進められていた「超大型テーマパーク」開発に伴う相鉄線瀬谷駅付近と跡地を結ぶ新交通システムの建設の是非、文化芸術の創造・発信の拠点となる新たな劇場の整備などがある。)

また、首長選挙は、多数の候補から1名の首長を選ぶ手続きであり、その結果は、必ずしも、当該施策の是非についての民意の多数を反映するものではない。例えば、当該施策に反対の候補者が3名、賛成の候補者が1名で選挙戦を行った結果、賛成の候補が僅差で当選した場合、「賛成」の候補が市長に就任するが、民意の多数は「反対」ということになる。

 そして、もう一つ、決定的に重要なことは、首長選挙の結果を「民意」とみなして、重要施策の是非について一刀両断的に結論を出すことは、「二元代表制」のもう一方の要素である「議会」におけるプロセスを無視することになる、ということだ。

 前述したように、地方自治体の運営や事業の遂行は、基本的に、「二元代表制」に基づいて意思決定が行われる。重要施策の是非について、首長と議会との間の「熟議」を経て、判断が形成されていくのであるが、仮に、その判断が「民意」と異なっている場合に、首長選挙において、その施策に反対の民意が示されるということもあり得る。しかし、その場合も、その首長選挙において示された民意を、地方自治体の決定にどのように反映させるべきかは、当該施策の性格や実施の段階によって異なる。

 その重要施策が、大型事業である場合、それがまだ計画段階なのであれば、首長選挙で示された民意は、事業の中止の方向に向かうことになろう。しかし、既に、首長の判断と議会の承認の下で事業実施が決定され、契約も締結され、事業の一部が既に実施されているような場合、当該事業を白紙撤回することが、自治体に大きな損失や負担を生じさせることもあり得る。

そのような場合に、仮に、事業の白紙撤回の方向に大きく舵を切るとすれば、それを首長が議会に提案し、議会で審議をした上で、白紙撤回を模索していくことになるだろう。場合によっては、白紙撤回のために大きな財政上の負担が生じ、その予算を議会が承認する必要が生じることも考えられる。

それだけに、「民意」を確認する方法も、首長選挙で事業への反対の意見の候補者への投票が、他の候補者より相対的に多数を占めたというだけでなく、首長と議会という「二元代表制」のプロセス全体に向けられた「重い民意」であるべきである。それは、住民投票のような「直接民主主義」の方法によるほかないのではなかろうか。

横浜IRについて「民意」を反映させる方法

 横浜市のIR事業に関しては、事業者からの企画提案を受け、事業者を選定する段階であり、まだ事業の実施が決定されたわけではないので、現時点での「白紙撤回」が、事業者からの損害賠償等の法的な問題を生じさせることはないだろう。しかし、事業実施を前提として行われてきたこれまでの様々な施策を見直し、現実に白紙撤回を実行していくためには、予算の見直しなど議会の承認が必要となることも多々あり、まさに「二元代表制」に基づいて市長と市議会が十分な議論を経て協力して行っていくことが必要となる。

これまでの決定のプロセスでは、民意の確認が不十分であり、反対署名の数、世論調査の結果等によれば、むしろ民意に反しているようにも思える。そのような「民意の反映」の欠落を補完する重要な機会が、市長選挙であることは間違いない。しかし、その「民意の反映」を、市長選挙において、賛成派・反対派のいずれが勝利を収めるかということだけで、一刀両断的に行い、IR問題にすべて決着を付けることができるかと言えば、決してそうではない。そのような方法は、今後の市政に大きな混乱を生じさせることになりかねない。では、市長選挙でのIR推進について「民意」を問うとすれば、その選択肢は、どう設定すべきか。それは、現職の林市長が議会の支持を得て進めてきたIRを従前どおり推進するのか、それとも、改めて住民投票で民意を問うのかのいずれかである。

横浜市のIR事業については、住民投票を求める署名が法定数を超えたことに基づいて市議会に提出された住民投票条例が否決されている。しかし、この時点では、まだ、事業の内容すら固まっておらず、その時点で住民投票を行っても、単に「カジノ賛成・反対」だけを問うものにしかならず、横浜市の将来にも重大な影響を及ぼすIR事業推進の是非についての「本当の民意」を示すものにはならなかったであろう。

 現時点では、既に事業者からの提案も出揃っているのであり、事業の内容を具体的に示し、その目的、それが横浜市の将来にもたらすメリット・デメリット等を示し、市民に判断材料を提供した上で、住民投票を行うことも可能である。

市長選で、「住民投票で改めて民意を問うこと」を公約に掲げた候補者が当選し、その点についての民意が確認された場合、市長が市議会に、IRについて「真の民意」を問うための上記の実施方法も含む住民投票条例案を提出することになるだろう。市議会では、「住民投票を実施すべき」との民意が市長選挙で示されたことを踏まえ、住民投票条例案の可否を審議・議決することになる。市議会で住民投票条例が可決され、住民投票が実施された場合には、その結果示された「民意」に従うことになる、IR事業「白紙撤回」が多数であれば、市長と市議会と協力し、全力で民意を実現していくべきことは言うまでもない。

冒頭でも述べたように、「IR事業推進の是非」は、横浜市の将来、地域社会の在り方にも重大な影響を及ぼす、最も複雑かつ困難な地方自治体のコンプライアンス問題である。その判断が、横浜市の未来に禍根を残さないようにするためには、自治体組織としての健全なガバナンスによって、意思決定が行われることが不可欠である。

私が横浜市のコンプライアンス顧問に就任したのは、2017年、3期目に入った直後の林文子市長が、重点施策として「コンプライアンスへの取組み」を掲げたことに伴うものだった。それから4年、「社会の要請に応える」コンプライアンスは、市の組織全体に着実に浸透しつつあると実感している。林市長の任期満了に先立ち、私自身は、7月6日のコンプライアンス委員会をもって顧問を退任する。しかし、立場は変わっても、IR事業を含む今後の横浜市の行政には、引き続き注目していきたい思う。