「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”(その2)~検察の在り方と「日本版司法取引」

(写真:西村尚己/アフロ)

「平成の30年」に、検察をめぐって起きたこと

 そのような「不透明な状況」を招いている根本的な理由は、西川社長ら日産現経営陣が、それまでの経営トップであったゴーン氏を解職すべき理由として西川氏が指摘した(1)~(3)の不正について、社内調査の結果を検察に持ち込み、ゴーン氏に対する捜査を要請し、検察が、それに応じて、日本への帰国直後のゴーン氏・ケリー氏を、いきなり逮捕したからだ。

 そこで問題になるのが、西川氏らの行動を是認し、ゴーン氏らを逮捕するという判断を行った検察という組織の問題だ。

 特捜部という捜査機関を抱える検察は、戦後の日本において、政治・経済を動かし、時代を変える大きな影響力を持つ存在であった。その検察をめぐって「平成の30年」にどのようなことが起きたかを振り返ってみる必要がある。

 平成の時代に入ったばかりの平成元年2月、東京地検特捜部は、江副浩正リクルート会長を逮捕した。このリクルート事件の捜査展開を受けて、竹下登首相は退陣、内閣総辞職に追い込まれた。リクルート事件は、平成に入った直後の日本の政治に重大な影響を与えた。

 そして、その後、90年代を通して、東京佐川急便事件、自民党金丸副総裁の脱税事件、ゼネコン汚職事件と、東京地検特捜部の捜査は、日本社会に大きな影響を与え続けた。

 こうした中、検察は「正義」を実現する組織だと国民のほとんどが信じる一方で、その組織の内実は、ベールに包まれていた。

 その検察の内実が露呈する重大な危機に直面したのが、平成14年(2002年)のことだった。当時、大阪高検公安部長だった現職検察官の三井環氏が、「検察庁が国民の血税である年間5億円を越える調査活動費の予算を、すべて私的な飲食代、ゴルフ代等の『裏金』にしていることを、現職検察官として実名で告発する・・・」として証言するビデオ収録当日の朝に、競売で取得した神戸市のマンションに居住の実態がないのに登録免許税を軽減させた「詐欺」の容疑で任意同行を求められそのまま逮捕された。マスコミからは「検察による口封じ」と批判された。

 そして、平成22年(2010年)、大阪地検特捜部が、厚生労働省の現職局長だった村木厚子氏を逮捕・起訴した郵便不正事件で、検察官による不当な取調べが問題とされて検察官調書の大半の証拠請求が却下され、無罪判決が言い渡され、その直後、主任検察官が、証拠のフロッピーディスクを改ざんしていたことが発覚、検察を揺るがす大不祥事となった。一方、東京地検特捜部では、陸山会事件での小沢一郎氏に対する捜査の過程で、同氏の秘書だった石川知裕氏の取調べでの供述内容について虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、小沢氏に対する起訴議決に誘導しようとしていた事実が発覚。虚偽公文書作成罪での関係者の告発が行われた。

 検察は、大阪地検特捜部の事件で主任検察官を証拠隠滅、特捜部長・副部長を犯人隠避で逮捕・起訴し、特異な主任検察官と特捜部幹部による「特異な事件」として決着させる一方、東京地検特捜部の問題については「捜査報告書の虚偽」は「記憶違い」だとして関係者全員を不起訴とし、主任検察官だけが辞職することで、事件を決着させた。

 大阪地検の不祥事を受けて、法務省には「検察の在り方検討会議」が設けられた(筆者も委員として加わった)。不祥事の反省を踏まえた「検察改革」の一環として、「検察の理念」も制定・公表された。検察改革は、その後、村木氏も加わった法制審議会特別部会で議論され、検察官の取調べの録音・録画を義務化する一方、新たな捜査手法として「日本版司法取引」を導入する刑事訴訟法改正が行われた。

 一連の不祥事で信頼を失ったことの影響で、その後、検察捜査が社会の耳目を集めることはほとんどなく、特捜部は「鳴かず飛ばす」の状況が続いていたが、東京地検特捜部は、2018年3月に大手ゼネコン元幹部を逮捕・起訴した「リニア談合事件」に続いて、日産・ルノー・三菱自動車のゴーン会長を逮捕した今回の事件で、国内のみならず、海外からも大きな注目を集めることになった。

 一方、大阪地検特捜部が、不祥事以降初めての本格的な検察独自捜査に着手したのが、2014年11月に、大阪国立循環器病研究センターの医療情報部長を逮捕した「国循官製談合事件」だった。

 このように、検察が、日本社会に大きな影響を与える一方で、検察組織としての重大な問題が表面化し、組織そのものの信頼が揺らいだのが「平成の30年」であった。

検察は、不祥事を反省し、「健全な組織」になったのか

 「国循官製談合事件」については、検察に起訴された桑田成規氏は無罪を主張したが、2018年3月に大阪地裁で有罪判決が言い渡された。私は、控訴審から桑田氏の弁護人を受任し、控訴趣意書を大阪高裁に提出した。この事件で、検察が行ったことの不当性、社会を害する程度が、「村木事件」にも匹敵するものであることは、【“国循事件の不正義”が社会に及ぼす重大な悪影響 ~不祥事の反省・教訓を捨て去ろうとしている検察】で詳述している。

 では、東京地検特捜部が行った今回のゴーン氏の事件の捜査と、それに関する検察組織の対応はどう評価されるのか。

 「平成の30年」の終わりを迎え、検察が「検察の理念」を実現できる健全な組織になったと言えるのだろうか。

 第1に、今回の事件の中身の問題である。

 刑事立件された事件は、(1)2015年3月までの5年間の有価証券報告書の虚偽記載、(2)2018年3月期まで3年間の有価証券報告書の虚偽記載、(3)ゴーン氏のデリバティブの評価損の日産への付け替えの特別背任、(4)サウジアラビア人の会社への支出の特別背任、このうち、(1)が既に起訴されており、それに続く再逮捕事実とされた(2)については、裁判所が勾留延長請求を却下し、現在も処分未了であり、(3)と(4)は、(2)での勾留延長請求を受けて急遽、ゴーン氏を再逮捕した事実であり、1月11日に勾留延長満期を迎える。

 このうち、(1)、(2)は、「退任後の報酬支払の約束」についての不記載を問題にするものだが、退任後のコンサル、競業避止等による報酬を受ける「希望」ないし「計画」に過ぎず、役員報酬として有価証券報告書に記載義務はないのではないか、役員報酬の記載が虚偽記載の問題とされたことは過去に例がなく、しかも、退任後の報酬の問題であり、罰則の対象となる「重要事項」には当たらないのではないか、との重大な疑問がある(【ゴーン氏事件についての“衝撃の事実” ~“隠蔽役員報酬”は支払われていなかった】)。

 また、(2)については、直近2年分については西川社長がCEOであり、有価証券報告書の作成・提出義務者で、しかもゴーン氏の退任後の報酬についての合意書に署名していたとされる西川社長の刑事責任の問題は避けては通れない。西川氏中心の日産経営陣側と連携して虚偽記載でゴーン氏、ケリー氏のみの刑事責任を追及しようとしている検察捜査には重大な疑問がある(【ゴーン氏「直近3年分再逮捕」なら“西川社長逮捕”は避けられない ~検察捜査「崩壊」の可能性も】)。

 (3)は、単に「評価損」を一時的に、日産という企業の信用下に置いただけで、損失が現実化した時にはすべてゴーン氏が負担しており、「損失の発生」が考えられないのに、背任罪の構成要件の「損害を発生させた」と言えるか重大な疑問があり、少なくとも、過去に、現実の損害が発生していない事例で背任罪が適用された事例は全くない。

 (4)については、支払先のサウジアラビア人という直接の当事者本人から、支払を受けた理由についての供述を確認しなければ、レバノン国籍を持つゴーン氏自身の人脈の中東における日産の販路拡大への活用などとの関係で、支払が日産会長としての任務に背くものかどうかが明らかにならない。日産社内の担当者の証言等から、ゴーン氏の裁量で支出できるとされていた「CEO直轄費」の創設や支出自体が不正なものであったと認定できるとすれば、そのような不正な支出が、なぜ、日産の内部統制や監査法人の会計監査で指摘されなかったのかに疑問が生じる。また、「不正の支出」であれば、日産がゴーン氏に関して行った社内調査でなぜ明らかにならなかったのかも疑問だ(【ゴーン氏「特別背任」での司法取引に関する “重大な疑問”】)。

 結局、(1)~(4)のいずれも、経済犯罪に対する常識的な見方に照らして、刑事事件としてまともなものは何一つない。無理筋の事件を強引に立件したと言わざるを得ない事件ばかりだ。

 第2に、このような事件で、国際的な経営者であるゴーン氏をいきなり逮捕するという、常識では考えられない行動をとったことに関する、検察組織の姿勢だ。上記(2)の事実について、東京地裁が勾留延長請求を却下したことへの検察幹部の反応について、それまで「従軍記者」のような立ち位置で、検察の捜査現場や検察幹部を「密着取材」してきた朝日新聞の記事【検察幹部「はしご外された」 ゴーン前会長今後の動きは】(11月21日)で、以下のように書かれている。

「裁判所は、検察と心中するつもりはないということだ。はしごを外された」

検察幹部は東京地裁の決定に対し、こう漏らした。日本の刑事司法における「長期勾留」を海外メディアが批判していたこともあり、ある程度は警戒していた。「国際世論に配慮して早期釈放すれば、『日本の裁判所は検察と違う』と英雄視されるから」

 日本の刑事司法においては、検察が起訴した事件について有罪率は99.9%にも達する。まさに検察が「正義」を独占し、裁判所は、その検察の正義を追認するだけの構図だったことは確かであり、特に、特捜事件については、裁判所が検察の主張を否定することはほとんどなかった。それが当然だという検察側の認識が、上記の記事の「はしごを外された」という検察幹部の発言に表れている、無理筋の上に無理筋を重ね、それに対して裁判所がくだした「当然の判断」に反発するというのは、検察の驕りを端的に表している。

 第3に、検察の「説明責任」に対する姿勢である(【検察は説明責任を果たすのか ~ゴーン氏事件、最大の注目点は「西川社長の刑事責任」】)。

 一般的に言えば、刑事事件については、「捜査の秘密」や「公判立証への影響」が重視される関係で、事件の内容に関する情報開示に大きな制約がある。刑事事件の関係者は、捜査機関側から、捜査の対象となっている事件の内容を公にしないことを強く求められる。

 一般的には、刑事司法の対象としての「犯罪」は、殺人・強盗・窃盗などのように、社会、経済の中で一般的に生じる事象とは異質な「犯罪行為」そのものであり、処罰すべきか否かを判断する余地はない。犯罪があれば、犯人を処罰するのが当然であり、その犯人が誰なのか、その証拠があるのか、そして、その犯罪の情状つまり、「犯罪に至った事情」を考慮して、「処罰の程度」を判断するのが刑事司法の役割だ。そのような「伝統的犯罪」の領域であれば一切の情報を開示せず、説明責任を果たさないという対応も致し方ないのかもしれない。

 しかし、特に、特捜部が扱う事件は、そのような「伝統的犯罪」とは異なり、一般の社会や経済で起きる事象について、政治家・官僚・企業人など、社会の中心部で活動する人間が摘発の対象とされ、社会生活や経済活動に対しても重大な影響を与える。しかも、殺人事件のように「発生した事件の犯人を検挙する」というのではなく、検察独自の判断で、刑事事件としての立件を判断する。そのため、同種の事象が世の中に多数存在している中で、なぜそれだけを刑事事件として取り上げたのか、他の同種の行為とどう違うのかについて疑問が生じることになる。

 例えば、2006年のライブドア事件で東京地検特捜部が行った「突然の強制捜査」は、翌日、東証が1日システムダウンするほどの重大な経済的影響を与えた。2009年の陸山会事件で、当時の野党第一党であった小沢一郎民主党代表の秘書3人を政治資金規正法違反で逮捕した事件は、その後の日本の政治にも重大な影響を与えた。

 これらの事件については、他の同種の事象との比較で、なぜ、それらの事件だけを刑事事件として取り上げたのかについて検察の「説明責任」が問題とされたが、検察は説明責任を一切果たしてこなかった。

 特捜検察と「利益共同体」とも言える司法メディアは、検察に公式の説明責任を求めようとせず、取材源である「検察幹部」が非公式に述べた意見や考え方をそのまま、匿名で無批判に伝えるというのが従来のやり方だった。 そのようなマスコミの姿勢もあって、「検察の正義」の象徴とも言える特捜事件についても、社会への説明責任を一切果たさない検察の姿勢が容認されてきた。

 ゴーン氏の事件については、国際的にも注目を集めていることに配慮したのか、東京地検次席検事が、外国メディアの参加も認める「記者会見」を何回か行ってきた。しかし、撮影・録音は一切禁止、しかも、事件の内容に関すること、検察の対応や処分の理由に関することについては、すべて「答えを差し控える」として説明を拒絶するなど、単に、「記者を集めて質問を受ける場」を作ったに過ぎず、凡そ「記者会見」と呼べるようなものではない。

日本版司法取引と「日産・ゴーン氏事件」

 そして、第4に、「日本版司法取引」との関係である。

 「日本版司法取引」は、従来の検察捜査が、取調べと供述調書中心で、それが、大阪地検不祥事のような大きな問題を引き起こした反省を踏まえて、従来の捜査手法に頼らない、新たな捜査手法として導入が図られたものだ。その本来の目的からすると、捜査を透明にし、公正さを確保する方向に働くはずだった。

 昨年(2018年)6月の施行以降、適用例は、三菱日立パワーシステムズに対する1件だったが、今回のゴーン氏の事件では、逮捕直後から、日産側と検察との司法取引が、大きな成果を挙げた事件であるかのようにマスコミで取り上げられた。どう考えても無理筋と思える上記(1)の事件で検察がゴーン氏を逮捕したことの背景に、日本版司法取引を世の中にアピールしたい検察の思惑があったという可能性もある。

 しかし、今回の事件を見る限り、「日本版司法取引」は、検察捜査の透明性を確保するどころか、捜査を一層不透明にする方向に作用しているとしか思えない。

 それは、米国では一般的な「自己負罪型司法取引」(被疑者・被告人本人が自らの罪の一部を認める代わりに他の罪の処罰をしない旨の検察官との合意)を導入せず、「他人負罪型」(他人の犯罪についての捜査公判についての協力の見返りに、自己の犯罪の処罰を軽減する合意)のみ導入した「日本版司法取引」の構造的な問題だと言える。

 アメリカの「自己負罪型」であれば、司法取引が成立すれば、有罪答弁によって、裁判も経ることなく事件は決着するので、それはただちに表に出ることになる。しかし「他人負罪型」は、その「他人」の刑事事件の捜査の結果、その他人が起訴され、公判が開かれなければ、どのような司法取引が行われたのかが明らかにならない。そういう意味で、日本版司法取引は、米国の制度と比較すると、非常に不透明な制度だと言える。

 司法取引の中身が、世の中に明らかにならず、社員に司法取引に応じるよう働きかけたはずの日産側にも、刑事事件として立件されるのがどの範囲になるのかが見通しが立たず、司法取引を仲介した弁護士の判断などに依存せざるを得ないというのは、「日本版司法取引」の不透明性によるものと言える(【ゴーン氏事件、日産「大誤算」の原因は“司法取引仲介弁護士”か】)。

 結局、今回の事件を見る限り、特捜捜査で刑事事件として立件すべきかどうかについて、検察組織に適正な判断が行えているとは到底考えられないし、不祥事への反省から「検察の理念」を策定したにもかかわらず、独善的な考え方は、何一つ変わっておらず、説明責任を果たすことへの消極姿勢も変わっていない。

 それに加え、旧来の捜査手法に代わるものとして導入された「日本版司法取引」によって検察捜査は一層不透明なものになっていると言わざるを得ない。

「日産・ゴーン氏事件」に表れた“平成日本の病理”(その3)~マスコミの「犯人視・有罪視報道」と総括に続きます。