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日本はこのまま滅亡するのか? 倉持麟太郎(弁護士)×古谷経衡(文筆家)新春対談

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
倉持麟太郎と古谷経衡

・対談者紹介

倉持麟太郎 弁護士】

1983年東京都生まれ。慶応義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録 (第2東京弁護士会)。日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事。2015年衆議院平和安全法制特。別委員会公聴会で参考人として意見陳述、同年World forum for Democracy (欧州評議会主催)にてSpeakerとして参加。2017年度アメリカ国務省International Visitor Leadership Program(IVLP)招聘、朝日新聞言論サイトWEBRONZAレギュラー執筆等、幅広く活動中。

古谷経衡 文筆家】

1982年北海道生まれ。立命館大学文学部史学科(日本史学専攻)卒業。一社)日本ペンクラブ正会員。著書に『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『日本を滅ぼす極論の正体』『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『愛国奴』(駒草出版)、『道徳自警団がニッポンを滅ぼす』(イーストプレス)など多数。テレビコメンテーター、ラジオコメンテーターなどメディアでも活躍中。

-米中貿易戦争と株価の乱高下。消費税増税と夏の参院選挙。辺野古移設を巡る芸能人の発言の是非と終わらない対米追従。それに一向に衰微することの無いネット等でのデマ・フェイクニュース。1月7日、大手出版社の宝島社が、この鬱々とした2019年頭の状況に挑戦状をたたきつけるかの如く「敵は、嘘。」と全国紙に意見広告を出したことが大きな話題になったのは周知の通りである。

 この混沌とした2019年の新春を記して、ふたたび倉持麟太郎氏(弁護士)と閉塞感漂う昨今の国内外情勢について対談した。

1】あらゆる意味で愚民思想と対米追従が根幹にある

古谷:前回対談の最後に、倉持さんは「あらゆる意味で愚民思想と対米追従が(日本社会の)根幹にある」とおっしゃっていますが。これは大いに気になりますね。まず愚民思想というのはなんですか。

倉持:私は、どちらかというと、リベラル(左翼?)界隈の知識人と話をすることが多いですけれども、特に憲法なんかについては、憲法学者はなるべく憲法について国民が語らない国が幸せな国だと。つまり、法律家共同体の解釈で決まるんだと。国民は憲法なんか語らなくていいよという発想が、やっぱりすごく根強い。法律家の中でも。

古谷:それは憲法論議みたいなものは、はっきり言ってしまえば、学会とか専門家の中で自閉しておればいいということですか。

倉持:うん。

古谷:素人にやらせては危ないということですね。

倉持:そう。でも、五日市憲法もそうだけれども、憲法こそ一人一人が語るべきだし語ることのできるものです。

古谷:そうですよ民間で。

倉持:私疑憲法がたくさんできたわけじゃないですか。

古谷:明治だって、戦後だって沢山出てきたわけですから。

倉持:本来はそういう在り方が、私はあるべき姿だと思うんですよ。

古谷:全く仰るとおりで、本来は「草の民」から出てくるものです。

倉持:だから、そういう意味での愚民思想と。あとは、多分保守の人たちというのは、私も人間の理性は全く信じていないし、この歴史で得たのは、人は間違え得るということだけだと思うんですよね。

古谷:本当ですよ。間違えまくり(人間の無謬性を疑う)ですよ。

倉持:そう。でも、取り返しのつかない間違いもするんだけれども、しょうがないんですよ、そういうものだから。

古谷:馬鹿だから。

倉持:それを包摂して、引きずりながら歩いていくのが民主主義だし。

古谷:そのとおりですよ。

倉持:それでもそれをドラスティックに改変できるしするんだ!というのではないアプローチが保守だと思うんですよね。

古谷:そのとおりです。全く同感ですな。

倉持:その時に、やっぱり保守の人たちは、自分たちもそうだと、嗤ってほしい。そこに、保守のなんていうか、寛容さがあるんじゃないかんと思っています。

古谷:そうですよ。大体、おまえ不倫している分際で不倫を叩くなと思うよね。おまえ、子どもは親の手で育てるもんだと公言しておいて、隠し子いるじゃないかと、某自民党国会議員さんよ、と俺は思うんですけれどもね。個人名はともかくとして。そんなやつらばかりですからね。

倉持:そうそう。だから、人間なんて馬鹿だからねと言いながら。

古谷:馬鹿ですよ。

倉持:”エクセプト(除く)、自分”なんですよ、みんな。人間は間違いうる“自分以外は”ですね。これまた自戒を込めて言うわけですが。

古谷:そうなんですよね。私も間違いまくりですわ、人生。

2】保革の両側にある選民思想

倉持:知識人は特にそう。これはある種の根底的な愚民思想。自分以外は馬鹿だし、本当は自由とか人権って、人間の本性とは相性が悪いのに、無理やりフィクションで「こういうことにしとこうね」という最小公倍数の規範としてひねり出したわけですよ。

 そうしないと「万人の万人に対する闘争」になっちゃうから。その限りで、本来はこの文脈においてはここにいる2人(倉持・古谷)の自由とか人権だって、全く同一線上にあるのに、自分が語っている自由とか人権とかって、他人の自由とか人権と切り離されている。これは、リベラル知識人の陥る落とし穴ですわ。本当は人権とかって概念は他者(同胞)をより想像するための装置として機能すべきフィクションなんですけどね。

古谷:なるほどね。

倉持:例えば、生産性がある人とない人がいる。共謀罪の対象となる人とならない人がいる。皇族の方々に対しても、いやならやめればいいじゃんとか言うわけですよ。自衛官に対しても同じ、結構パラレルだと思っているんですけれども、自分でなったんでしょう。嫌ならやめればいいじゃんという。別に同胞だし、みんな同じ権利を本来享受しているけれども、生まれながらに全然違う立場に立っているということを認識しない。

古谷:まさに、日本が嫌だったら出ていけばいいという、まさにネット右翼の発想ですよね。

倉持:そうそう。これと同時に、みんながどこかに愚民思想を抱えていて、これらは根深いなと思います。

古谷:やっぱり愚民思想と対になるのは選民思想で、ネット右翼の話で言うのであれば、インターネットを見て、ネットで真実に気付いた私たちは、他の愚民よりは違った、本当の日本の歴史と真実を知っているんだ、というところにあると思いますし、一方で、ちょっと左掛かった人は、インテリ的、特有の大衆や無産階級への見下しというのがあると思うんですよね。

倉持:そう。だからそうすると、どんどんエコーチェンバー的な、自分たちの耳障りの良い意見や思想・価値だけで満たされて、そこの中だけで決めたほうがいいという発想になりますよね。まさに。

古谷:他が愚民だから。というのは―それは不健全ですよね。

倉持:うん。だからリベラルだって本来は、すごく今、リベラルって語っている人たちは、革新の人たちだからしょうがないんだけれども、一つの価値観で統制しようとしますよね。そうじゃない人たちを。

古谷:だから異様に革新的ですよ。設計的だし、計画的だから、本当に左翼だなと思いますよ。だから、左翼でいいと思うし、革新でいいと思うんです。

倉持:ねえ。

古谷:変にリベラル(自由主義)という言葉を用いれば、リベラルなんてみんなリベラルなんだから。

倉持:リベラルだったら、表現や価値観は多様であればあるほどたくましくなり得るという規範に接してなかったらリベラルじゃないはずなんですけれども、そういう価値観が実は希薄です。それと同時に、さっき2つ目に言った対米追従。

古谷:それは重要ですね。

倉持:アメリカがいるからという極楽とんぼぶりですよ。結局自称保守、ネトウヨだってそうでしょう。

古谷:ネット右翼はまさにそのかたまり、土台です。

倉持:ねえ。左派もそうですよ。

古谷:左はどうなんですか。

倉持:もう、アメリカ出ていけなんて言う人は、本当に多分、ごく一部だと思いますよ。

古谷:一応、日本共産党は、安保破棄ということは言っていますよね。

倉持:でも、だから、ただアメリカに関しては、自衛隊もそうだけれども、本当に必要でなくなるまではという言い方ですよね。

古谷:まあ、そうですね。

倉持:そんな日は永遠に来ないでしょ、ということですよね。

3】「過ちは繰り返しませんから」広島原爆碑文の自虐

古谷:広島原爆の日にはほぼ毎年、旧産業奨励館(原爆ドーム)の前の元安川で、灯籠流しというのをやっていて。私もよく、広島には行ったり、被爆体験を直接聞いたりするんですけれども。

 あそこに私は、戦後民主主義的な何か疑問を感じて、灯籠流しの、子どもさんだからあんまり強く言うのは失礼なんですけれども、灯籠流しの時に灯籠に文字書きますね。世界平和、平和は尊い、命の大切さってみんな書くんですけれども、誰一人、アメリカ謝れとか、これはアメリカの戦争犯罪だとか、「アメリカに二度、過ちを繰り返えさせませんから」という、誓いの灯籠、私は見たことがないんです。

 それって戦後民主主義的な、アメリカに対する怒りを去勢して、漠然とした、まさに広島の「過ちは繰り返しません」碑文がそうであるように、漠然とした、非常に多幸的なまさにアメリカに対する怒りを除去するしぐさではないか。これは右もそうなんですよ。右もそうなんですけれども、そういう部分がすごくあるなと思っているんですけれども、どう思います?

倉持:灯籠に書くかはおいてといて、私もそう思いますし、やっぱり戦後教育の中でも多分そういうのは意図的に落とされていたり、アメリカ的なものが善きものとして刷り込まれていたと思います。そういうアメリカに対する、ある種の、少なくとも、親米、脱米じゃなくてもいいから「警米」ぐらい、警戒するぐらい、持つぐらいの教育とかというのは、つまり国家として自立するんだとか、律するのほうの自律的に物事を考えるんだという発想は、法律の世界でも、多分なかったと思いますね。『あたらしい憲法のはなし』という戦後すぐの本がありますよね。

古谷:あの有名なね。

倉持:あれとかでも、立憲主義は出てくるんですけれども、それは権力を統制するんだとか、国家としての自立みたいな話というのは、全く落ちているんですよ。だから、法律家ですらも立憲主義とか言われて、権力統制という話は、安保法制くらいで共有したという感覚はあるんじゃないでしょうか。

 立憲主義の中にはそれこそ、日米地位協定であるとか、ああいうものをちゃんと改定して、われわれの主権で自分たちの領土をコントロールするんだとかというのは、もちろん入るわけですよ。自衛隊を軍隊であると認めないのは当然問題ですが、その軍隊未満の自衛隊が朝鮮有事の際に交戦主体に自動的に巻き込まれ拒否する権利がないとか、いくら国内の立憲主義論じたってアメリカがその上位にいるのなら、我々の個人の自律だって主権だって、まったく絵に描いた餅です。

古谷:当然そうですね。

倉持:しかし、そういう発想が抜け落ちている、法律家に。安保法制は、憲法適合性はもちろんのこと、主権をさらに脆弱化したんです、その点も強く言ってかなきゃいけない。

古谷:それってやっぱり、ある種のもちろん対米コンプレックスというか、敗戦コンプレックスがあるわけです。でも、戦後すぐの、要するに戦争を経験して、実際に戦地に行った人、それから空襲や原爆で身内を殺された人というのは、心の中にすごく憎悪を持っているんですよ。当時の話を聞いても。

 でも憎悪を持っているんだけれども、それは言わないのが武士の情けというところはもちろんあったんだけれども、そういう第1世代の人が引退をしていく。私、よく被爆者の方に聞くんですよ。

 私はすごく平和の尊さが分かったんですけれども、それでもやっぱりアメリカ許せないんですよね、どう思いますか、と率直に言ってください、と言ったら、「(アメリカが許せないのは)みんなそうですよ、古谷さん。被爆者みんなそう思っていますよ。でも、それは今、子どもたちに、平和教育の時にアメリカ憎いよ、と言ってもしょうがないでしょう。だからそれは私たち、ほとんどの人が思っていますし、例えば被団協の坪井直(つぼいすなお)さんが、オバマと握手したの、あれは半分はしょうがないけれども、半分は坪井さんやり過ぎだ、と思っている人も実はいるんですよ」という話を私は聞いて、「そうですよね」って思った。

 だって、無辜の日本国民を虐殺したのはアメリカなんだから。加害者はあくまでアメリカ。被害者は日本。これが厳然たる事実です。でも、その怒りというのが、どんどん去勢されてきて、平和、環境、人権平等みたいな感じで。それがアメリカへの懲罰や報復という方向に行かなくて、単なる空疎なかけ声なんですよね。

倉持:これは別に保守に限った問題ではないと思いますよ。憲法学や法曹界、左派リベラルと称している人々の中でも、アメリカがいれば9条の議論、真面目にする必要ないという感覚が少なくとも無意識にあったはずです。

古谷:確かに。

倉持:9条の改憲の議論、真面目にする必要ない。まじめに国防の議論をする必要がないと考えているのは、結局そこを、代わってやってくれているのはアメリカだったからです。今も恐らくそうなので(笑)。

古谷:現在もそうですね(笑)。

倉持:なので、そこの改憲という議論に入らなくて済むとかそういう意味で、その一線を守れるなら結果的に従米にコミットしたとしてもOKという、歪んだ発想が意識的・無意識的にあると思います。

古谷:でも、それを、いわゆる自分のこととして置き換えて、民族的屈辱だとなんで思わないんでしょう。フィリピンだって米軍を追い出したし。

倉持:なんでなんだろうな。ね。

4】フィリピンに出来て日本には出来ない対米脱却の情けなさ

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在比米軍クラークフィールド基地の跡地(現・クラーク経済特区)にはショッピングモール、ホテル、カジノ、日系企業のショールーム等も立ち並ぶ。(SMシティ・クラーク/2016年筆者撮影)

古谷:フィリピンは私、基地の跡に行きました。米軍クラークフィールド空軍基地の跡です。全部、フィリピンの主権が取り戻されていまして特区に指定されて経済発展していましたけど。他の国だってそうですよね。

倉持:今の日米地位協定なんか、イラクとかアフガニスタンの地位協定以下ですからね。

古谷:あんなの最低ですよ。だからまさに、基地の問題だけじゃなくて、横田管制区域、岩国管制空域の問題。日本の空だって戦後いまだに支配されているわけだし。

倉持:そう。

古谷:石原(元知事)がちょっとだけ横田空域を取り戻していましたけれども、六本木にだって米軍のヘリポートあるし。でも、そういうところを全く見ないで、中国の脅威に対抗するために、沖縄には基地がもっと必要なんですよ、とか言うんですね。

倉持:うん。

古谷:在日米軍は、日本の安全に貢献しているんですと彼らネット右翼は決まってそういいます。在日米軍が出ていくというのは、中国、韓国の工作員のせいで、米軍が出て行ったら沖縄は中国に占領されるんですって。でも片方で自衛隊素晴らしいというんですよ。要するにいざとなったら自衛隊が機能しない、中国軍に負けるという、とても弱いということ言っているわけでしょう。ものすごいアンビバレントな状況なんです。これは自衛隊員に失礼であり、なおかつまた新たな自虐史観のようにも思えます。

 だって自衛隊を称揚しておきながら、片方では沖縄有事の際には役に立たないと白状しているのと同じですから。ただ、それはもう全員にあると思うんですよ。右、左関係なく。日本人ほとんどにあると思うんですけれども、この体たらくというか、異常な感じって何なんでしょうね。

倉持:この積極的に従属していく感覚というのは何なんですかね。国民性というか、自分も含めて何か日本人独特の習性みたいなものがあるのかな、と最近考察してます。2016年に(小林よしのり氏主宰の)『ゴー宣道場』に参加し、2017年の陛下の退位に関する特例法の議論を通じて、日本の古代史から近現代にいたる歴史及びその過程での制度設計の学びを通じて、改めて自己と日本人ということの関係を強く意識しました。皇室制度は、おそらく日本という国を形成している核心を教えてくれます。

古谷:なるほど。

倉持:だからよく、古き良き日本みたいな、日本はこういう良さがあったのに、みたいなことを言うけれども、本当に何が日本の良さだったのかということを真剣に私たちの世代の目で改めて見直すことは重要だなあと。

古谷:いや、史学的に言って無いですよ、そんなの。

5】もはや絶望しか無い

倉持:戦後の自称保守(特に近時のネトウヨ及び安倍政権太鼓持ちの人々)とか、左派リベラルが、そういうのがあったということを一応想定して、今はなくなったから取り戻そうと言うための戦略的な概念になっていないか、よくよく見極めなければいけないと思っています。

 今までいろんな人の善意や「あ、うん」の呼吸でうまく回っていたけれども、とうとうやっぱり、今ここにきて、ああいうS田水脈(Sたみお)に象徴される非常に狭矮な考えを露悪的に標ぼうする政治家もそうだし、お友達優遇も、日報問題も公文書改ざんも、より根源的にはグローバリズムに毒された国内経済秩序も、知らない間にどんどんそうなってきてしまって。

 これは、私ももっと意識的に抗わねばと思っています。公文書改ざんや偽造なんていうのは、ずっと多かれ少なかれやってきたと考えてもおかしくないと思います。たとえそうでなかったとしても、裁判官や行政官僚という公務員は、無形の「国民の信頼」がその存立の重大要素なわけでして、それが毀損されたことはとても大きいことだと思います。

古谷:恐らくそうでしょうね。

倉持:だから、アメリカとの関係もそうです。我々の世代から主権の確立と自主独立を論じないと。

古谷:なんでしょうね。もし、歴史がこうだったら、という話じゃないですけれども、日本が本格的に対外戦争でボロ負けましたというのは、古代に於ける百済救援の折の白村江ぐらいしかなくて。それすらも対外遠征での敗北ですよ。多分、もし中世の時代とかに、信長が死んでなくて、それこそ明を征服して、その後逆襲されたりしたりして、あるいはスペインとかが攻めてきて、植民地になる。そうするとスペイン人を簡単にありがたやといって、カトリック教国になっていたんじゃないですかね。私はそういう気がしてならないのです。

倉持:わかりませんが、なっていた可能性もあるかもしれませんね(笑)。

古谷:それは悲しいです(笑)。

倉持:日本人は外部からのエッセンスを取り入れる能力は高い。

古谷:悲しくないですか。

倉持:隷従はもちろん悲しいし絶対に死んでも抵抗しなければいけませんけれども、取り入れる能力は高い。これはね、別に直ちに悪いことではないんですよ、隷従しなければ。

古谷:私も、昔はそうだったんじゃなくて、昔からこういう感じなんじゃないのかなという感じがして。それがたまたま宿主がアメリカなだけで、ポルトガルやスペインだったら、そうなっていたかもしれない。同じようになっていたでしょうし、案外インドネシアみたいに、400年ぐらいずっと植民地で。世界的な潮流があれば反対は起こるんでしょうけれども、そういう感じだったんじゃないかと。

倉持:それはやはり戦争に負けるということはそういうことですからね。

古谷:と言えば、非常にアジア的といえばアジア的ですし。何か特別の背景はあったんじゃないんじゃないかなとも思うんですけれども、どうなんですかね。

倉持:さっきも話した通り、私たちの世代できちんとこれらの点を見つめて発信していかないといけないですよ、自主独立やら主権の確立を。でもなかなかこういう議論がまともにできませんよね。だから結構、絶望的になるときがある。

古谷:私もそうなんです。デマは広がるわ、嘘の歴史が「国紀」とか大仰な名前を冠して売れに売れるわ・・・希望がないです。もはや絶望しか無い。

倉持:・・・猫でしょう、だから。

古谷:そうそう(笑)。だって、人間より猫は、歴史的に信頼はできますから(笑)。猫は間違えませんから。猫が間違うことは無いですよ。

倉持:いや、よくわかんないけど(笑)

古谷:猫は間違えませんからね。ただ可愛い。それだけが救いです。

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(撮影:上月茶奈/一社)日本政策学校)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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