立憲的改憲って何ですか?護憲派の限界(下) 倉持麟太郎(弁護士)×古谷経衡(文筆家)

倉持麟太郎氏と古谷経衡

*この対談は、前編「平成最後に保守とは何かを考える。」の後編です。

古谷:'前回の対談の最後で、倉持さんから立憲民主党への強い批判がありました。今回はそのあたりを更に深掘りしていきたいと思います。要するに、野党側でも最早護憲は受けなくなった、という事なのですか。

倉持:うん。護憲というのは、要は、憲法を変えること自体をただ反対している、と思われてしまいますよね。これは、最近取り上げられることの増えてきたいわゆる「比較憲法学」や「憲法工学」なんかでも指摘されていますが、一文字も変えない、というのが自己目的化すれば、聖書と一緒ですよね。

 その法典やテキストは変わらないし変えることはできないから、あとは解釈でどうにかするしかありません。書いてあるものはどうにも動かせないわけですから。

古谷:そうなんですね(笑)。それ面白いです。

倉持:そんなこと言うと、怒る人がたくさんいるけれども。

古谷:いや、いいです。全然いいですよ。それは面白いですよ。

倉持:結局、教典ですよ。もう文言は全然変えられないから。とにかく一文字だけでも変えたい改憲派もそうです。そういう原理的な護憲と原理的な改憲の二項対立が憲法論議を人々から遠ざけてきたんです。

 どちらも極端な断片を虫眼鏡で拡大して言っているようなところがあって、最近出された『憲法と世論』という本では、戦後の世論調査を体系的にまとめて紹介しており、憲法改正に反対していない国民が常に約半数存在し続けた、というファクトが示されています。

 つまり、国民が皆憲法を大切に守ってきたというような言説は、誤導的です。その間にどれだけ現行憲法の実践がスカスカにされてきたか。

古谷:確かに。宗教論争ですよね。

倉持:そうそう。聖書や教典だってあれだけ分派が出て、解釈が発展するわけですよね。日本の憲法は全くそうじゃないですか。文言が変わらないから、法律家ですら理解が難しい解釈を取り続けてきた。逆に、憲法をめぐる解釈論争が、純司法的な領域を越えて、政治化した、ともいえるのではないでしょうか。アメリカの憲法も、憲法改正が困難ゆえに、その政治的決着として、違憲立法審査権を有する連邦最高裁判事の任命が高度に政治家した、という指摘もあります。

古谷:やっぱり宗教論争なんですね。

倉持:そう。しかし、この何でも反対、一文字でも変えないという戦略が、大衆に訴求しなくなってきたという感覚が、左派のある程度理性的な人たちの中には、間違いなくあります。

古谷:でもそれは共産党が、ずっと護憲と言ってきた。それは護憲だけじゃなくて、例えば、ちょっと前のプロレタリアート文学『蟹工船』がヒットしましたという時期は、護憲は言っていたんだけれども、ブラック企業に焦点を当てて、吉良よし子さんみたいなのがその後、出てくるわけですけれども、確かに護憲は効かないなというのは、多分分かったはずなんですよね。

倉持:そうそう。それで、その時にちょうど、安保法制のこととかもあって、立憲主義って、よく勉強してなかったけれども、いい言葉だな、みたいな。イデオロギーを超えた、右でも左でもない立憲みたいな。改憲でも護憲でもない立憲。

古谷:改憲でも護憲でも、加憲でもない護憲。でも私ちょっと、よく分かんないんですけれども、「立憲」って何なんですか。

倉持:基本的には、個人の自由を確保するために、権力を縛って、公と私にラインを引いて、その防御線を憲法という権利のカタログで線を引きましょうという発想だと思いますよ。

 権力を確立し、それを統制する。立憲主義というと権力は常に悪者のようですが、それも偏っています。権力は暴走しがちで警戒すべきものだ、という傾向や教訓はもちろん深く共有しつつ、国家権力を創設したのは我々国民だということも忘れてはならないことです。

 我々の権利義務をより良く運営するために、国家権力を確立して、それをコントロールする、これはセットです。そして、何より、そのパワーの源泉は我々であることを忘れてはいけませんね。

古谷:それは要するに、改憲派と大して変わらないじゃないですか。

倉持:改憲論とは両立します、当然。

古谷:そうでしょう(笑)。

倉持:そう。だから、より立憲主義的に憲法を考えるんだったら、今の憲法は全く立憲主義的に機能していないわけだから、権力を確立し、統制するために、まず9条を変えて、あるものをあると言って、立憲主義の要である、権力の正当化と統制をすべきなのです。軍隊を正当化してちゃんと統制しましょうと。今、こちらを無力化しているから、統制もできませんという話なので。

古谷:では、立憲主義の本流みたいなものがあったとして、その考え方というのは、憲法の中に自衛隊を書き込んで、9条については交戦権を認めるというふうになっているわけですか。

倉持:自衛隊を明記するというのはちょっとよくわかりません。大事なのは自衛隊という組織ではなく、「自衛権」という作用なので。日本は、世界的に珍しく、自衛権の行使も憲法上の統制マターとしてきました。ですので、これは引き続き憲法上統制すべきというのが私の立場です。もちろん、自衛隊を戦力と認めるべきだし、交戦権という概念は現在国際法上認められていないから、扱いに困りますが、2項自体を改変すべきだと考えます。もちろん、政治的に広くコンセンサスを得るための条文の作りこみは可能ですが、本来的には2項そのものを改正すべきでしょう。

古谷:そうしたら自称改憲派の櫻井よしこ氏などとあまり変わらないんではないでしょうかね。

倉持:櫻井さんも本来はこんな考え方なんじゃないんですか、あのへんの連中は自説が安倍政権にあわせてコロコロ変わるからようわかりまへん(笑)

古谷:同じになるんですか。

倉持:今や櫻井よしこ氏は、結局、自衛隊明記だけでしょう。

古谷:そう。それで、日和っているんです。もともとは2項を変えるという話ですので。

倉持:でしょう。2項を変えるのでも、2項を変えて、国会とか内閣の規定とか、もちろん司法の規定とか財政の規定で、やっぱり統制していくという、フルパッケージの改正になるはずなんですよ。それが自衛隊明記だけって、まったくのインチキ改憲です。主権を取り戻すこともまったくできない。これに賛同している自称保守や改憲派は、売国保守・売国改憲派ですね。私はこういう人たちのことを”Japan Seller”と呼んでますが。

古谷:なかなか良い命名ですね。

倉持:で、とにかくもう、日本人の頭の中で、1章天皇、2章で平和主義でしょう。戦争の放棄でしょう。その次に人権がくるから、人権より前のポエムみたいな、9条は。あれは統治の規定なんですよ本来は。国家権力の組織上もっとも危ない軍隊を操る規定なんだから。

古谷:はい。

倉持:だから本当は、日本国憲法って、前半に人権、後半に統治ですけれども、後半のところに、多分、自衛隊の規定はちゃんと入っていて、国会とか他の統治の規定で、全てで統制していくというふうになってなきゃおかしかったんだけれども、敗戦の影響ですね、天皇条項とともに。9条は当初1条でしたからね。

古谷:それは占領期の関係でしょうがないというのはありますけれどもね。

倉持:そうそう。

古谷:疑問なんですけれども、立憲主義といわゆる石破茂さん的9条2項に、廃止なり手を加えるなりというのと、どこが違うのかというと、包括的に変えるのが立憲主義的なスタンスという理解でよろしいでしょうか。

倉持:だから、石破さんのやつは「二項削除」というだけで全貌がよくわからないのでコメントしづらいですが、、石破さんは自衛権は憲法で統制せずに、多分法律で、法律事項だという話なんですよね。2項を削除すれば、国際法の世界に出るわけだから。

古谷:そうです。

倉持:集団的自衛権までもちろんOKで。

古谷:多分小沢さんとかもそうでしょう?

倉持:そう。

古谷:そうですよね。何が違うんでしょうか。

倉持:より、権力を統制するということを考えれば、恐らく憲法規範に書き込んだほういいと、私は思っているということですね。法律事項だと、やっぱり時の多数派によって変えられるわけだから。あとは、国会の承認や司法・財政等の統治の規定を総動員して、権力統制規範を憲法に盛り込む、という点を私は重視していますので、そこも違うと思います。

古谷:確かに。

倉持:だから、自衛権を行使できるとか、そういうことに関しては別に、憲法で定める必要は本来ないはずなんです。これは民主主義が決めることで、時の政府が、ここは行くべきだといって判断すべきなんだけれども、憲法上の規範にするということは、手続的にも3分の2以上取って、国民投票にかける、硬性憲法で、時の政府でもいじれないという、、憲法上の厳格な統制をすべきなんじゃないかという。

古谷:なるほど。安倍さんはご存知のとおり、最初にそこ(96条)をいじろうとして、迂遠なルートだったとは思いますけれども、右からも大反対に遭いましたよね。だからそれは私も、硬性憲法でいいとは思うんですけれども。

 私は一つ、いわゆる日本国憲法改正、もっと言うと、ネット右翼は、日本国憲法なんていうのは幻であって、今も生きている大日本帝国憲法、と言うんですけれども。それは論外としても、とても興味があるのが、9条と前文なんですよ。これだけを、とにかくものすごい試案を右の人はみんな作るんですけれども、いわゆる生存権とかそういうところ、環境権とかいろいろ出てきましたけれども、そういう話は一切しないんですよね。そこがちょっとだけ、色合いとしては違うのかなという気がしますけれども。

倉持:左派と?

古谷:そう。左派とも言えないんだけれども、立憲的な考え方というか。

倉持:でも、左派も含めてみんなそうだと思いますよ。憲法の条文なんて、みんな死文化しているんですよ。本当に。

古谷:死文化していますか。

倉持:だって、13条、個人の尊厳とか14条法の下の平等と言っているのに、生産性がないと、という人が出てきたりとか。

古谷:S田水脈(Sたみお)先生とかね(笑)。

倉持:そうそう(笑)。どの条文だってそうですよ。9条はもちろんですが、41条は各界は「国権の最高機関」であり「唯一の立法機関」と書いてあります。しかし、政府が法律の大枠だけ通して内容は政令や省令にほぼすべて委任します、という形をとれば、これは法律の中身を実質的に決めているのは政府、つまり行政です。

 国会は質問・答弁含め機能不全を起こしていて、もはや41条は国会とともに瀕死の状態でしょう。裁判所の違憲立法審査権だってそうです。81条には「~一切の・・・審査する権能を有する」としながら、有名な砂川判決で裁判所が使用したような統治行為論で判断回避しちゃいますよね。これも、裁判所が自身で81条を死文化させるようなものです。

 象徴天皇制だってそうでしょう。このまま男系を維持すれば、確実に途絶えてしまいます。他にも例をあげればきりがありません。

古谷:確かに。

倉持:そういう空文化している条文というのは、本当にあると思う。

古谷:確かに憲法に書いていますよね。不断の努力によってこれを保持する。

倉持:そうそう。

古谷:民衆は不断の努力をやっぱりしていないんでしょうか。

倉持:実は一番空文化しているのは12条の国民の「不断の努力」かもしれませんね。この憲法を守りたい人々も変えたい人々も、不都合な真実を見てこなかった。それは、やっぱり、私はキーワードだと思いますけれども、あらゆる意味で愚民思想と対米追従が根幹にあると思いますね。

(撮影:上月茶奈/一社)日本政策学校)