・「負けたけど勝ったんだ論」とは何か

 8月15日。72年目の敗戦の日である。戦後の右派、保守派を「支える」あの戦争に対する戦争観の主流に「負けたけど勝ったんだ論」というのがある。これは私が勝手に名付けたものだが、要するにこの「論」とは次のようなものだ。

「太平洋戦争(右派は大東亜戦争と呼ぶ)は、軍事的にはアメリカに敗北した。が、アジア解放という戦争大義は正しいものであり、実際に戦後、欧米の植民地であったアジア各国の独立の切っ掛けを作ったのは日本だったのである。よって日本は戦争には敗れたが、結果的には戦争目的を達成したのだから、これは戦争に勝利したと同じなのである」

 というものである。繰り返すように私はこれを「負けたけど勝ったんだ論」と呼ぶ。この理屈は、90年代後半に大ベストセラーになった小林よしのり氏の『戦争論』にも通底して色濃く反映され、その後のネット右翼の世界観にも大きな影響を与えているものだ。

・日本は敗戦国ではない??

「アジア解放の戦争大義は正しく、結果として戦後それが達成されたのだから、日本は負けたけど勝ったのだ」というのは、完膚なきまでにアメリカに叩きのめされた戦後の日本人にとって、なるほど自尊心をくすぐる得心のいくものだったといえ、心の防御装置として機能したことは評価できる。

 だが時代が進むと、この「負けたけど勝ったんだ論」は、現在、保守論壇のみならずそれを妄信するネット右翼の中に、あの戦争への「普遍的評価」として、前述のように様々な媒体を通じて定着している。

 しかし、この敗北を認めぬ「屁理屈」ともいうべきこの手前勝手な理屈こそ、最も罪深い戦争観である。「負けたけど勝ったんだ論」の世界観の中では、日本は敗戦国ではないということになる。だからあの戦争への反省も行われないどころか、あの戦争での日本軍の行いは手放しで肯定、美化される。

・「敗戦国」の帳消し

 そして結果として勝ったのだから、軍事的な勝者の存在も希釈化される。つまり、勝者としてのアメリカの存在を希釈化し、まるで自分たちと同等の存在として考える素地が生まれる。

 所謂「親米保守」と呼ばれる戦後の右派、保守派が、片方で「あの戦争におけるアジア解放の大義は正しかった(対米決戦の正当性)」と言いながら、片方では「日米同盟の強力な紐帯」と叫ぶ根底には、この「負けたけど勝ったんだ論」が浸透しているのだ。

 なにしろこの理屈では日本は勝ったのだから、戦勝国アメリカと気分的には同等である。勝ったのだから、敗戦の屈辱という感情も、原爆や大空襲によるアメリカへの報復感情というのも薄れる。

「負けたけど勝ったんだ論」は、日本の軍事的敗北を希釈化する一方で、戦勝国アメリカの圧倒的存在感、勝者としての振る舞いをも希釈化させる。なにせ「負けたけど勝った」のだから、あの戦争を反省する必要も無いし、アメリカへの敵愾心というものも必要以上に持つ必要はない。「親米保守」にとって、「負けたけど勝ったんだ論」ほど便利な世界観はないのだ。

・「負けたけど勝ったんだ論」のウソ

 あの戦争を始めるにあたり、日本が「アジア解放」「東亜新秩序建設」「大東亜共栄圏」のスローガンを戦争大義に掲げたことは事実である。そして真珠湾と時を同じくして開始された「南方作戦」により、英仏蘭の植民地であった東南アジアに日本軍が侵攻すると、現地住民から「解放軍」として歓迎された事実があることもまた事実である。

 ところが、すべての戦争には戦争大義の美名が存在するのと同じように、「アジア解放」の掛け声も、また美辞麗句に過ぎなかった。1934年、アメリカ議会は米西戦争(1898年)でスペインから割譲したフィリピンを1946年に独立させることを約した。

 そこへ日本軍がだしぬけに1941年の対米開戦とともにやってきたのだから、フィリピンの独立はご破算となる。日本軍政の不手際も目立ち、フィリピンの対日感情はあの戦争中、アジアの中で最も悪化した。日本軍が来る前に、フィリピンの独立はアメリカ議会によって承認されていた。こうした「負けたけど勝ったんだ論」に都合の悪い事実は無視される。

・「アジア解放」のお寒い実態

 確かに日本は、南方作戦によって占領した米英仏蘭の植民地を独立させた。ビルマ、フィリピン、仏領インドシナを次々に独立させ書類上の「アジア解放」を演出して見せたが、実際には傀儡政権であった。そして肝心の蘭印(現インドネシア)の独立は、敗戦に至る最後まで検討こそされ、ついぞ行われなかった。

 ビルマやフィリピンは独立させたのに、なぜ蘭印(インドネシア)は独立させなかったのか。政府・大本営は、パレンバン、バリクパパン等の良質の油田やボーキサイトなどの天然資源が豊富な蘭印は、最後まで軍による直轄地とした。これは、「アジア解放」の掛け声が美辞麗句に過ぎなかったことを意味する。

 重要資源を産出する蘭印は、日本の戦争遂行上、直轄地とする必要があったためである。蘭印から産出され資源を日本に海上輸送し、工業力を増強する。そうして増強させた工業力を軍需に投入し、対米持久戦を展開させる。これが、政府・大本営の目的だったのだから、蘭印を独立させることなど無理な相談であった。こうした「負けたけど勝ったんだ論」に都合の悪い事実は常に無視される。

・「アジア解放」に都合の悪い事実は黙殺

 戦後、アジアの植民地が次々と宗主国から独立したが、そこにあの戦争における日本の戦争大義が関与した、という要素はゼロではないものの、無理筋である。確かに、インドネシア独立戦争には残留日本兵が協力した。ベトナム、ビルマにもその部分はある。

 しかし、それならば日本軍が一切侵攻していない中東やアフリカ諸国が、なぜ次々と英仏等から独立したのか、説明することはできない。植民地独立は、世界史的潮流であり、日本の戦争大義が正しかったからではない。

 アルジェリアはフランスに併合されたが、戦後独立戦争を戦い独立を勝ち取った。アンゴラはポルトガルに抗してアンゴラ独立戦争を展開し勝利した。

「大英帝国の至宝」インドにおける独立運動は、言わずもがなM・ガンジーによる無血抵抗運動から始まった。ガンジーとその支持者によるイギリスインド支配の象徴・製塩専売への抵抗は、日本軍の「アジア解放」のはるか前、1930年から始まる。「アジア解放」の胎動は、日本が来るよりも早く、アジアの人々の手によって開始されていたのだ。

・都合が悪くなるとトンデモ陰謀論に逃避

 そして「負けたけど勝ったんだ論」を信奉する人々は、同じアジア人の中国に対する満州事変以降の行動に対しての矛盾について、途端に寡黙になる。「アジア解放」の大義を正しいものとしているのに、同じアジア人である中国への攻撃については、当然矛盾になるから沈黙する。

 片方で「アジア解放」を叫びつつ、片方で中国大陸で無思慮な戦線拡大を続けていた事実は、どう考えても「負けたけど勝ったんだ論」の世界観には都合が悪い。

 よってここで登場するのが、「日中戦争はコミンテルンの陰謀で、日本は被害者である。日中戦争は侵略ではない」というトンデモ歴史観である。「負けたけど勝ったんだ論」を支持するネット右翼に、この陰謀論は大変都合がよいので支持されている(詳細は拙記事”アパホテル問題の核心~保守に蔓延する陰謀史観~”を参照のこと2017年1月24日付)。

・「負けたけど勝ったんだ論」から生まれるもの~「敗戦責任」の不問~

 「負けたけど勝ったんだ論」は、あの戦争の歴史的事実を遮蔽し、都合の悪い事実を黙殺し、良い部分のみを取得する歴史修正主義の一種である。

 「負けたけど勝ったんだ論」から生まれるものは、あの戦争への無反省、無批判と、盲目的肯定と賞賛である。アメリカの戦争が正しかったというつもりは一切ないが、少なくとも日本が掲げた「アジア解放」は美辞麗句に過ぎず、戦後における植民地独立の源泉が「アジア解放」とか「大東亜共栄圏」にある、というご都合主義からは、なぜあの戦争で日本が敗北したのか、なぜ勝てなかったのか、という「敗戦責任」への考察は生まれない。

 岡本喜八監督が1967年に映画化した『日本のいちばん長い日』。ポツダム宣言受諾決定を受けて、陸軍大臣・阿南惟幾が割腹する直前に、部下に述べる決別の台詞。

生き残った人々が、二度とこのような惨めな日(8月15日)を迎えないような日本に、何としてでもそのような日本に再建してもらいたい

出典:岡本喜八監督・映画『日本のいちばん長い日』(カッコ内筆者)

 「負けたけど勝ったんだ論」は、8月15日を日本が戦争に敗北した日という厳然たる事実を忘却せしめ、この日が日本人にとって「屈辱の日」「惨めな日」であるという感覚をも忘却せしめ、至って「あの戦争は正しかったのだ」という、先の戦争から何も学ばない、何の反省もない、先の戦争の美化・賞賛だけで「なぜ負けたのか」の失敗の本質を追求しない歴史観を増殖させている。

「二度と悲劇は繰り返しません」とか「戦争は絶対によくない」というのは結構なことだが、静かに跋扈する「負けたけど勝ったんだ論」を何とかしないと、二度・三度の間違いは繰り返されるのではないか。