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沖縄県民大会にみる「健全なナショナリズム」のカタチ

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
6月19日県民大会のパノラマ風景(筆者撮影)

6月19日に沖縄県那覇市で開催された「オール沖縄」主催による県民大会(正式名称『元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会』)に本土から参加した。

6月23日の沖縄慰霊の日(第32軍司令部玉砕)を前に、例年より早く梅雨が明けた沖縄は、炎天下の酷暑だった。参加者の中には、熱中症で救急搬送される高齢者もいた。それをしてでもなお、6万以上の県民が詰めかけたのである。

5月、元海兵隊員で米軍属ののシンザト・ケネフ・フランクリン容疑者による同県うるま市での女性強姦殺害・死体遺棄事件を受けて行われた今回の県民大会は、一向にやまない米軍や米軍属による犯罪、そして対米批判を躊躇する日本政府への県民の怒りが爆発したものだ。

・ほとんどの参加者が地元民~イデオロギーを持ち込まず、持ち込ませず~

いわゆる「革新の動員」は少数ながら存在したものの、マイノリティであった(筆者撮影)
いわゆる「革新の動員」は少数ながら存在したものの、マイノリティであった(筆者撮影)

主催者発表で6万5千人となった今回の大会は、1995年の米兵3名による少女暴行事件を受けての県民総決起大会(参加人数8万5千)、2012年のオスプレイ配備反対集会(同10万人)に匹敵する規模となった。会場となった奥武山公園陸上競技場は、那覇市中心部からほど近い。

当初、「3万~5万人来れば成功」(オール沖縄幹部)との目算は、実際には大きく上方修正された。会場の外にも溢れんばかりの参加者の姿があった。6万5千の数字は誇張などではなく実数であることは間違いはない。

午後2時の開演を1時間前に控え、昼過ぎから続々と奥武山公園を目指す市民の姿があった。このような光景は、必ず日本本土の保守派、ネット保守から「本土からの左翼・革新勢力の組織動員」であると揶揄され続けてきた。

確かに、堂々と「中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)」のタスキをつけた中年男性が同団体の機関紙『前進』を配り、同じく「革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)」の機関紙『解放』を配布する者の姿もあった(ただし、それぞれ1名)。

私は革新・左派が中心とする決起集会を少なくない数、見学してきたが、例えば「○○県教委」「○○労組」等のむしろ旗が所狭しと翻る光景は日常である。そのような人々が、19日の県民大会に存在しなかったのかといえば、嘘になる。

しかし、彼らは著しく高齢化し、その資金力・動員力は時を経るごとに衰微している。首都圏ならいざ知らず、長躯本土から沖縄まで大量動員することができるほどの力は、すでに彼らにはない。

この大会を、「左翼、革新のイベント」であると喝破するのは、お門違いもよいところで、それは単なる反左翼、革新揶揄のイデオロギーに過ぎない。そういう人間は、現地を見ていない。

・怒りに左右なし

6月19日の県民大会参加のほとんどが地元民であった証左は、同公園併設の大型駐車場に所狭しと並んだ「わ」ナンバーではない、沖縄ナンバーの乗用車の存在である。そして大会最後に海瀬頭豊氏作詞・作曲による『月桃』が、参加者の大合唱で終わったことである。『月桃』は本土ではなじみが薄いが、沖縄では6月23日の慰霊の日にちなんで、学童その他多くの人々に親しまれている平和の祈りの歌である。

恥かしながら、私は『月桃』をこの時初めて、全編を聞いた。素晴らしい曲だと思ったが、慣れていないので斉唱できなかった。しかし私の周りの人々は、みな「六月二十三日待たず 月桃の花 散りました」と歌っていた。月桃の花は沖縄地方土着の白色花である。これは地元の人々による集会なのだと痛感した。

そしてこの県民大会には、イデオロギーは本来関係がない。うら若き女性が、米軍属に殺害されたことに対する怒りに、左翼も右翼もないのである。主催者はイデオロギーの発露に極端に気を遣っていた。少ないとはいえ、「本土から来た革新系活動家」のかかげるむしろ旗を、何度も降ろすようにとアナウンスがあった。殊勝なことに、彼らはそれに従った。追悼の場にイデオロギーを持ち込むな、というのである。この姿勢は終始、大会中、徹底されていた。

「オール沖縄」は、単なる左翼や革新による団体、集会などではない。

この手の集会につきものの、「アベ政治を許さない」の横断幕も物販も無かった。主催者はできるだけ喪に服すようにと、黒い服の着用を事前にアナウンスしていた。流石にそれを忠実に守る人は少なかったが、本当に喪服でやってこられた在沖のご婦人の姿を何度も見かけた。彼女らにイデオロギーは存在しない。怒りは、左右を超克する。

筆者撮影(6/19)
筆者撮影(6/19)

・本来右派、保守派が参加するべき県民集会

私はこの県民大会に、右派、保守の立場として参加した。かけがえのない日本人同胞が外国軍属の手にかかるなど、民族的義侠心に火が付くのが自然のはずである。本来、この手の事件に最も憤怒するのは愛国者、タカ派、保守派でないか。しかし、この県民大会には表向きには保守系の人々の出足は鈍かった。県議会で中間派とみられる公明党も公の参加を見送っている。

日ごろから「日本人の誇り」「日本人の尊厳」を声高に主張する右派、保守派は、こと沖縄の米軍問題になるとそのトーンを数段弱くするばかりか、攻守逆転し「むしろ沖縄が悪い」と沖縄を日米同盟の障壁であるかのごとくふるまう言説が目立つ。

このような主に本土の「親米保守」の倒錯した理屈を目の当たりにし、「アメリカ・日本(本土)VS沖縄」という構図が出来上がるのは、悲しいかな仕方がない側面もある。本来「アメリカVS日本=沖縄」であるはずが、本土の「親米保守」が沖縄の怒りを代弁しないどころか、沖縄を敵視する姿勢こそが、沖縄の怒りにますます火をつけている。

「オール沖縄会議」共同代表の一人、玉城愛さん(21歳)に、大会閉会直後に話を聞くことができた。「私は、右派・保守の立場としてこの大会に参加したのですが、本来、右翼がもっとも怒らなければならないのに、それがまったく弱いのはなぜでしょう」という私の質問に対して、玉城さんは明瞭な答えを出さなかったが、「はい、本土の保守派が、アメリカの旗を振って、あれは、どうも…」と返して言葉に詰まった。「…」の部分は、「情けない」とも「醜い」とも解釈できよう。

・「私は反米ではない」

黙とうをささげる人々(パノラマ左)
黙とうをささげる人々(パノラマ左)
黙とうをささげる人々(パノラマ右)
黙とうをささげる人々(パノラマ右)

私は続けて、玉城さんに質問をした。「今回のこの大会は、反米ナショナリズムの発露と解釈してよろしいか」と。玉城さんは、即座に「私は反米ではない」と返した。「アメリカ人の知人もいるし、周りにはアメリカへ留学した友人もいる。ただ分かって欲しい、沖縄が怒っているということを」。この言葉は重い。玉城さんに「私は反米ではない」と言われて、確かに私も感じる心があった。

私も正確には、明瞭な反米主義者ではない。アメリカ文化、アメリカの合理主義に見習うべき点はあまりにも多い。アメリカ文化の洗練性と彼らの親しみやすい性格には大きな好感を持つ。しかし、それ以上に私をいらだたせるのは、どんな国に対してであれ、不道理にはNOと言い、非道には激憤する、そのある種動物的な「怒り」の感情を忘れた卑小な日本人に対する苛立ちである。

同胞を強姦され殺され、その遺体を雑木林に埋められても、へらへらと笑いながら星条旗を振り回す、その同じ日本人の卑小さへの怒りが、玉城さんからは感じられた。そしてそれは、県民大会全体を包み込むある種の空気観であった。

「オール沖縄会議」の共同代表らは、登壇上で口々に「沖縄はまるでアメリカの植民地…」と言った。米軍基地が過度に集中する沖縄を「植民地」に例えるのは、悪く言えば陳腐化した表現だ。しかし、沖縄は本当にアメリカの植民地なのだろうか。アメリカ軍、軍属の不法に、素直に怒りのこぶしを上げる彼ら沖縄県人は、少なくとも精神の意味において植民地の奴隷人ではない。

真の植民地人とは、米軍基地や在日米軍から最も遠い、安全で快適な本土の、東京や神奈川の閑静な住宅街の自室で、稚拙なネット動画や「親米保守」言論人の言い分に寄生し、怒りの感情を忘れただヘラヘラと笑いながら星条旗を振りかざす本土の日本人ではないのか。彼らこそが真の意味での「植民地」に住まう人々なのではないか。隷属、という言葉は、彼ら本土の「親米保守」にこそふさわしい形容である。

排外でも、差別でもない。アメリカ人を全部叩き出せと言っているわけではない。ただただ不条理に対する怒りとNOの表明は、「健全なナショナリズム」の発露であると感じた。

・6月23日からの戦後

嘉数高台公園に残る日本軍の壕(宜野湾市)
嘉数高台公園に残る日本軍の壕(宜野湾市)

午後3時半に県民大会が終わると、雲の子を散らすように6万の参加者は自宅に戻っていった。閉会1時間と経たぬうちに奥武山公園は平時に戻った。「右翼」の抗議や襲撃を警戒したのか、会場周辺に配置された沖縄県警の巡査たちも、出番らしい出番はなかったようだ。

那覇にはめぼしい米軍基地はない。那覇の街を歩くと、「まるでアメリカの植民地…」と「オール沖縄」が自虐する沖縄の被差別、被支配の構造は見えにくい。外出禁止令発令中の那覇の街では、昼も夜も米兵の姿は一人も見えなかった。そして少なくとも那覇は、本土の並みの地方都市よりはるかに発展しているし、嘉手納や普天間といった主要な米軍基地とも地理的に遠い。県内でも在沖米軍に対する感情には温度差があることは間違いはない。

海兵隊の全面撤退と、基地撤去を求めながら、「私は反米ではない」と言い放った玉城さんの言葉を胸に、私は沖縄県宜野湾市にある嘉数高台公園へと向かった。この嘉数は、沖縄戦で首里に総司令部を置いた第32軍隷下の第62師団等が、本島南部に侵攻する米軍に対し、地形を生かして肉弾戦法を挑み、米軍に大損害を与えた数少ない激戦地のひとつである。

現在の嘉数は、往時の激戦の爪痕は若干のトーチカ、銃弾跡と、この地を守備した京都府出身兵の御霊を顕彰する「京都の塔」などがわずかに建立するだけで、周辺は閑静な住宅地に様変わりしている。地元の子供たちが虫取り網を持ち、蝉取りに興じている。碑文がなければ、ここが激戦地であったことなど分かりようもない。

嘉数高地から望む普天間基地(筆者撮影)
嘉数高地から望む普天間基地(筆者撮影)

嘉数高台公園の中央部にある展望台に上った。ここからは、米軍普天間基地が一望できる。滑走路の脇には数十機のオスプレイが駐機しているのが遠目でも見えた。嘉数で戦傷した日本軍将兵6万名以上。私には、戦死した日本軍将兵が普天間米軍基地を睨み付けているような気さえした。

沖縄の戦後は、8月15日ではなく、6月23日から始まる。

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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