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子どもたちが飢餓に直面しても国際社会は手をこまねく ミャンマー、雨季のジャングルに広がる人道危機

舟越美夏ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表
避難したジャングルで、神に祈りを捧げるカトリック教徒の少年。(現地からの提供)

 国軍がクーデターを起こし5カ月が過ぎたミャンマー。国際社会が手をこまねいている間に、軍事政権は「合法的な政府」として国際社会から承認を得ようと躍起だ。しかし国内の状況は悪化の一途をたどり、7月初旬には、民主派がつくる「挙国一致政府」(NUG)の部隊「人民防衛隊」(PDF)と国軍との戦闘が中部で激化。都市部では新型コロナウイルスの拡大と警察や軍の施設を狙った爆発が頻発している。中でも人道危機に直面しているのは、戦闘の影響でジャングルに逃げ込んでいる約10万人の地方住民だ。雨季のジャングルでの避難生活で、人々は飢餓と病気の蔓延に直面しているが、各地の市民や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などからの支援物資は国軍に搬入を阻まれ、届かない。ジャングルに生育する植物を食べて何とか凌いでいるが、危機は日に日に深刻化している。

外務省のホームページより
外務省のホームページより

国軍は支援物資搬入を阻止

 ミャンマー東部のシャン州モービェー。「このままでは、避難民の食糧が尽きる日は遠くない」。住民有志が結成した支援物資供給委員会のヌェー・ウー・ティン(35)は訴える。

 この町では5月23日、地元の人民防衛隊(PDF)が警察官らに対し、「(民主派の)市民不服従運動(CDM)に参加しなければ攻撃する」と宣言し、戦闘が始まった。

 警官は人民防衛隊の若者たちの要求に応じなかったため、防衛隊は警察署を攻撃した。この戦闘で20人の警察官や兵士らが死亡し、防衛隊側の2人も犠牲になった。この後、軍事政権は軍部隊を町に派遣し、6月7日と8日に砲弾や空爆を使って大規模攻撃を実行した。住民数千人が子どもたちを連れてジャングルに逃げ込んだが、防衛隊員を含む約70人の住民が死亡したという。

 人民防衛隊は今や、ラカイン州を除く全国各地で結成されている。カレン民族同盟(KNU)など少数民族武装勢力から軍事訓練を受けた若者たちが各地に戻ったのだ。シャン州や隣接するカヤー州では、若者たちはカレニー民族進歩党(KNPP)軍事部門から訓練を受けたとみられる。

 国軍は「人民防衛隊への支援を阻止する」ことを目的に、カヤー州へつながる主要な道路の検問を強化し、車やバスを厳重にチェックし始めた。11日には、車に積まれていたコメなどの支援物資を焼却。「食量、資金、情報、勧誘の4つを断つ」とした、1970年代から続く少数民族武装勢力に対する弾圧を彷彿とさせた。

 雨季のジャングルは、逃げ込む場としても食糧を確保する場としても厳しい。ジャングルで採取した植物や、秘密のルートで届いた支援米を分け合い、防水シートや布で作ったテントで雨を避け、その日をどうにか過ごしている。

テント作りを手伝う少女(ミャンマー東部シャン州のジャングル、現地からの提供写真)
テント作りを手伝う少女(ミャンマー東部シャン州のジャングル、現地からの提供写真)

地面に座りコメを食べる少年(ミャンマー東部カヤー州、現地からの提供写真)
地面に座りコメを食べる少年(ミャンマー東部カヤー州、現地からの提供写真)

 民主派の挙国一致政府の呼びかけで、数千万円相当の人道支援物資や資金が国内外から集まり、6月半ばに国軍と人民防衛隊の間で停戦合意し、支援物資を積んだ車がカヤー州へ向かった。しかし、コメや雨露をしのぐレインコートや長靴、薬や迷彩柄の衣類など半分以上が国軍に押収された。

 「人民防衛隊の支援につながるから、というのが押収の理由だ」と20歳のボランティアの男性は言う。支援供給委員会の関係者によると、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は防水シートなどの物資を委員会に届けたが、国軍は国際団体のロゴが入った物資の配布を許可せず、避難民に届かないままだという。

 モービェーから16キロほど離れたカヤー州ディモウソーでも、国軍と人民防衛隊の間で起きた激しい戦闘で、住民がジャングルに避難している。この戦闘では少数民族武装勢力、カレニー民族進歩党(KNPP)の中佐も死亡した。

手製の伝統銃を携えたカレンニー族の女性。人民防衛隊もこの種の手製銃で国軍と戦っている(ミャンマー東部カヤー州、現地からの提供写真)
手製の伝統銃を携えたカレンニー族の女性。人民防衛隊もこの種の手製銃で国軍と戦っている(ミャンマー東部カヤー州、現地からの提供写真)

 6月中旬に一時停戦で合意し、住民が約20日ぶりにジャングルから自宅に戻ると、学校などに腐乱した遺体が散乱していたという。遺体は、町の僧侶と住民により埋葬された。

 住民は食糧などを持って再びジャングルに避難した。日中は畑を耕し、夜にはジャグルに戻る生活を続けている人もいるという。国軍と人民防衛隊の戦闘は再開し、住民はジャングルに止まったままだ。7月3日には、国軍が住民が隠れているジャングルに近づいたために、住民は別のジャングルに移動せざるを得なかった。

避難先のジャングルで、国軍に抗議し民主化を求める3本指のサインをする子どもたち(現地からの芸鏡写真)
避難先のジャングルで、国軍に抗議し民主化を求める3本指のサインをする子どもたち(現地からの芸鏡写真)

 モービェーとディモウソーでは、新型コロナウイルス感染はまだ報告されていないというが、厳しい避難生活で下痢と風邪が住民の体力を奪っている。支援物資供給委員会は、国軍の目をかいくぐる秘密のルートで支援物資を細々と届けているが、状況は危機的だという。

 「ジャングルで生きるか死ぬかという状況で、コロナのことなどかまっていられない」とヌェー・ウー・ティンは語った。同様の人道危機は、戒厳令が一時発令された西部チン州でも高まっている。

簡易テントの中で、コメを食べる少年(ミャンマー東部のジャングルで、現地からの提供写真)
簡易テントの中で、コメを食べる少年(ミャンマー東部のジャングルで、現地からの提供写真)

D-dayを待つ人々

 一方、ヤンゴンなど都市部では、新型コロナの感染が拡大しつつある。大規模な抗議デモは影を潜めたが、警察官や兵士を狙った爆発が起きている。市民の多くが密かに待ち望んでいるのは、民主派の挙国一致政府が決戦の合図を出し、人民防衛隊が本格的に都市部でのゲリラ闘争を始める「D-day」だ。その日に向けて可能な限り食糧を備蓄したり、安全な場所に移動している人たちは少なくないという。国軍は地方で実行したように、都市部でも建物を焼き払うのではないか。そんな不安もある。

 だが、ヤンゴンに住む35歳の母親は覚悟を語る。「兵士が家の中に入ってきたら、台所の包丁で抵抗するわ」。

(了)

ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表

元共同通信社記者。2000年代にプノンペン、ハノイ、マニラの各支局長を歴任し、その期間に西はアフガニスタン、東は米領グアムまでの各地で戦争、災害、枯葉剤問題、性的マイノリティーなどを取材。東京本社帰任後、ロシア、アフリカ、欧米に取材範囲を広げ、チェルノブイリ、エボラ出血熱、女性問題なども取材。著書「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派語る」(毎日新聞社)、「愛を知ったのは処刑に駆り立てられる日々の後だった」(河出書房新社)、トルコ南東部クルド人虐殺「その虐殺は皆で見なかったことにした」(同)。朝日新聞withPlanetに参加中https://www.asahi.com/withplanet/

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