Yahoo!ニュース

膨大な負傷者が予想される南海トラフ地震、災害医療は大丈夫か?

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:ロイター/アフロ)

膨大な死者と負傷者への対応

 先週1週間、NHKスペシャル・パラレル東京「体感 首都直下地震ウイーク」が放送され、首都直下地震での悲惨な状況を描き出していました。ですが、広域かつ甚大な被害が発生する南海トラフ地震では、さらに酷い様相となります。人的被害については、最悪、死者32万3千人(直接死)、負傷者62万3千人と予想されています。この膨大な死者や負傷者に対して、検死や応急処置を行う必要がありますが、医師の数は全国約30万人で対応にも限界があります。医療の力を最大限に活用し、より多くの命を救わなければなりません。何よりも大切なことは、事前対策で負傷者を減らすとともに、日常の医療をできるだけ持続することです。

 医療活動を継続するには、病院の施設・設備が健全で、医療関係者が通常通りにいて、医療に必要となる様々なものを入手でき、患者が病院に来ることができ、さらに、患者の数に比べ医療資源が十分にあることが前提になります。しかし、災害時にこれを実現することは容易ではありません。無理であれば、治療の優先順位をつけなければなりません。

病院の立地

 何より大切なのは、病院が健全で、病院に勤務する職員と入院患者、外来患者を守ることです。そのためには、まず、立地場所のハザードが小さいことが大切です。予想されるハザードが大きければ、適切な対策をしておく必要があります。

 例えば、海や河川の周辺など津波浸水危険度の高い地域では、浸水しない上階で医療継続できるように準備する必要があります。設備・機器などが浸水しないようにする対策が必要です。とくに海抜下に立地する場合には、長期間湛水する可能性があるため、ライフライン途絶や、道路途絶による物資供給停止を念頭に、入院患者と共に相当期間を籠城できる準備が必要になります。

 また、地盤が軟弱な地域では、液状化によって地中埋設管が損傷しやすく、上下水道やガスの供給が難しくなる可能性があります。道路の通行も支障をきたすかもしれません。山間部では、土砂崩れなどで道路が閉塞すると、病院も含め地域ごと孤立することになります。

 例えば、私が生活する名古屋市では、約半数の災害拠点病院が津波浸水や液状化の危険度の高い場所に立地しています。医療継続が難しい病院では、病院の患者の移送や医療関係者の活用の方策など考えておく必要があります。

病院の耐震性の確保

 病院職員や患者の命を守る基本は、病院の建物の耐震性確保です。厚生労働省によると、2017年時点での病院の耐震化率は72.9%(2005年調査では36.4%)、うち災害拠点病院及び救命救急センターの耐震化率は89.4%(同43.3%)となっており、以前に比べ耐震性は相当に改善しました。ですが、天井落下や2次部材脱落などの対策、病院内の什器や医療機器の耐震固定はまだ十分ではないようです。負傷者を減らし、医療継続をするためにも、建物の耐震化に加え、天井、棚、MRI・CTなどの重量機器、ベッド、キャスターに乗った医療用ワゴンや点滴台など、落下・転倒・移動などの危険防止を進めたいものです。

 なお、南海トラフ地震は、想定される震源と被災地とが離れているため、地震発生後、地震動が到達するまでに数十秒の時間を稼げます。この時間を利用した緊急地震速報は、手術など施術中の緊急対応や、キャスターの緊急ロック、エレベーターの閉じ込め防止などに有効に使えます。

ライフラインなどの途絶に備える

 医療の継続には、電気と水と酸素が不可欠です。これらに加え、非常用の発電機には燃料やガスも必要になります。最近の病院では、電子カルテが使われているので、情報・通信の確保も大切です。揺れや津波による直接的被害が無くても、これらが途絶えると全てが止まってしまいます。

 たとえば、電気が無ければ医療機器や情報システムは使えません。エレベーターが止まれば、患者の上下階の移動は困難になります。また、電子カルテが使えなければ検査結果の閲覧もできません。水のポンプアップにも電気が必要です。

 まずは、施設内の受電設備、配線、ガス内管、水道管、医療ガス配管などの安全性を確実にしておく必要があります。さらに、インターネットの多重化、停電対策、サーバーの耐震固定なども進める必要があります。できれば、エレベーター停止時に備え緊急階段避難車なども準備しておくとよいでしょう。

 これらに加え、非常用発電設備、太陽光発電、燃料電池、蓄電池、燃料タンク、井戸、貯水槽、排水貯槽、液化ガス貯槽、衛星電話などの準備もしておきたいものです。

医療関係者の参集

 医療は、医師、看護師、薬剤師・理学療法士・作業療法士などのコメディカル、事務職員が支えています。ある名古屋市内の災害拠点病院は、病床数800強に対し、医師は約300人、うち外科医は約50人、看護師は約1000人、検査技師等は約200人、薬剤師は約50人、事務職員が250人弱、計1800人強の職員が勤務しています。この体制で、年間45万人の外来患者、約4万人の救急患者、1万台強の救急車を受け入れています。名古屋市全体の5%の病床・医師数で、救急搬送の10%を担っている勘定になります。

 最大クラスの地震が発生した場合の名古屋市の重傷者数は約3千人、軽傷者数は約1万2千人と予測されています。市内の災害拠点病院の半数は、津波浸水地域や液状化地域に立地していますから、相当に困難を極めるそうです。このため、病院の職員全員が確実に出勤することが大前提になります。

 すなわち、医療関係者は、自宅の耐震対策が万全で、家族を置いて出勤できる備えをし、交通機関が途絶しても出勤できる場所に居住していることが望まれます。しかし、大都市では、実現が困難です。さらに、共働き世帯では、保育園や介護サービスが停止すると、出勤が困難になります。過酷な災害医療業務の中、一人でも多くの職員を確保するため、休眠、食事、保育・介護などの備えも整えておきたいものです。

病院への医薬品や医療材料などの供給

 病院には、日々、大量の医薬品、医療器具・材料、酸素、入院患者用の食事やリネンが運搬されてきます。大規模災害時には、生産工場の被災、卸売・物流センターの被災、物流の途絶、ライフライン途絶などによって、これらの供給が滞ります。このため、十分な備蓄が必要です。とくに、海抜ゼロメートル地帯や中山間地域では、孤立に備えた対応が大切になります。

 近年は、医薬分業で、病院には十分な量の医薬品がありません。大規模災害時には町中の調剤薬局も業務継続が難しいと思われます。また、注射器やカテーテルなど、日々使う医療材料の在庫も心配です。医薬品や医療材料の調達・搬入のほとんどは、医薬品商社や医療材料商社に頼っています。ですが、これらの商社の対策も十分とは言えません。物流センターの立地、ライフライン途絶の対策、仕分けの従業員の出勤、道路の途絶、配送の車両と人手確保など、課題山積です。

その時のために

 災害時には、自治体や厚生労働省が、医療支援や薬品供給など調整を担いますが、担当部局は日常業務に追われていますので、現時点、南海トラフ地震に対する準備が十分に行われているかどうか、多少不安に感じます。

 通常の災害では、被災地での医療資源が不足すれば、全国からDMATなどの災害派遣医療チームが被災地へ支援に、医薬品などの救援物資も送られてきますが、その数は限られており、南海トラフ地震では焼け石に水です。このため、一人でも多くの命を救うためにトリアージとよぶ優先的な医療行為が行われます。ですが、トリアージで救える人数にも限りがあり、被災地外の医療機関への患者の広域搬送にも限界があります。国民の半数が被災する地震ではなにもかも不足します。救われた命を大切にすることも重要で、避難所の回診なども欠かせません。

 限られた医療資源をどのように配分・活用するか、全体最適化の議論が望まれますが、それよりも大切なのは、負傷者を一人でも減らす耐震化や家具固定などの事前対策の推進です。そして、南海トラフ地震臨時情報や緊急地震速報などを活用し、少しでも被害を減らす工夫をすることです。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

福和伸夫の最近の記事