Yahoo!ニュース

7月16日に何が? 実は宇宙と地球の活動にとって大切な日

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(提供:NASA/Shutterstock/アフロ)

再着陸に成功したはやぶさ2

 先週、はやぶさ2が見事にリュウグウに再着陸し、資料の採取に成功したようです。リュウグウは地球に接近する軌道をもった、コマのような形をした直径700m程度の小惑星で、有機物や水が含まれているようです。このため、生命誕生の謎を解明することが期待されています。はやぶさ2では、はやぶさと同様、タッチダウン方式が採用され、インパクターで惑星内部の資料を採取できるなど、様々なアイデアが満載されています。地球そのものの理解にも繋がるだろうと思います。子供のころに感じた宇宙へのワクワク感を久々に感じ、来年末の帰還が待ち遠しく感じられます。さて、はやぶさ2着陸の50年前、人類が初めて月に降り立ち、月の石や砂を地球に持ち帰りました。ちょっと当時を振り返ってみたいと思います。

50年前の7月16日に打ち上げられたアポロ11号

 半世紀前の今日、1969年7月16日に、アポロ11号を乗せたサターンロケットV型がケネディ宇宙センターから打ち上げられました。ニール・アームストロング、バズ・オルドリン、マイケル・コリンズが手を振って乗り込むようすを覚えています。4日後の7月20日にアポロ月着陸船「イーグル」号が「静かの海」に着陸、21日にアームストロングとオルドリンが月面に降り立ちました。

 アームストロングとオルドリンは月の物質を持って、司令船「コロンビア」で待つコリンズと合流、7月24日に太平洋上に着水し、地球に帰還しました。月には、月震計が残され、月の構造を探る試みも行われました。アームストロングの「 ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。」はとても有名な言葉です。

 当時、私は中学1年生で、学校から急いで家に帰って、テレビにかじりついて中継映像を見ました。不鮮明な映像ながらも同時通訳と共に実況中継される月面の様子と宇宙センターでの興奮の様子は、映画を見るようで、科学の魅力を強く感じたことを覚えています。

アポロ計画の時代に急進展した地球科学

 アポロ計画は、1961年5月にアメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが、1960年代中に人間を月に到達させると声明を発表したことに遡ります。アポロ計画と同時期に進められたのがプレートテクトニクス理論の構築と地震予知です。

 1912年にアルフレッド・ウェゲナーが南アメリカ大陸の東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線が似ていることに気づき「大陸移動説」を唱えましたが、当時は受け入れられませんでした。ですが、その後、潜水艦への備えから、音響測深機による海底地形探査で海溝や海嶺が発見され、地震観測により、地震活動が集中する場所と重なることが分かりました。また、古地磁気研究から地磁気の磁極が周期的に反転することなども発見されました。

 そして、1960年代になって、海嶺から岩盤が生み出されて両側に海底が拡大するという「海洋底拡大説」の提唱、海底の地磁気反転の縞模様を用いた海洋底拡大説の証明などが行われ、「プレートテクトニクス」理論が確立されました。

 海嶺などでプレートが放出され、十数枚に分かれた地球表面を覆うプレートが年間数cmの速度で水平に移動し、プレートが接する場所で、地震や火山、造山運動などの地殻変動が起こることが説明されました。まさに、地球の営みを解き明かす大発見です。

プレートテクトニクス理論の構築と同時進行だった地震予知

 1960年5月の地震学会での和達清夫の呼びかけで発足した「地震予知計画研究グループ」(代表:坪井忠二、和達清夫、萩原尊礼)が、1962年に「地震予知―現状とその推進計画」(通称・ブループリント)をまとめました。これを受けて、1963年に文部省の測地学審議会に地震予知部会が設置され、同年11月8日には日本学術会議が内閣総理大臣宛に「地震予知研究の推進について」という勧告を出しました。

 そして、1964年6月16日に液状化で有名な新潟地震が発生し、翌月の7月18日に測地学審議会が「地震予知研究計画の実施について」という建議を提出しました。これが第1次地震予知計画(1965年~68年)です。1965年には5年にわたる松城群発地震が始まり、1966年に地震予知連絡会の前身ともいえる「北信地域地殻活動情報連絡会」が設置されました。

51年前の7月16日に設置が決まり、打ち上げ直前に最初の会合があった地震予知連絡会

 アポロ11号の打ち上げのちょうど1年前、51年前の今日1968年7月16日に、測地学審議会が「地震予知計画に関する計画の実施について(建議)」(第2次地震予知計画)をまとめました。ここで、計画の総合的推進のため、地震予知連絡会の設置が決まりました。地震予知連絡会は、地震と地殻変動に関する情報を交換して、地震予知に関する専門的な検討と研究を行う組織です。

 地震予知連絡会が設置され、第一回の会合を開催したのは、アポロ11号打ち上げ直前の1969年4月24日です。こういった動きが、想定東海地震を対象に、直前予知を前提に地震対策を行うことを謳った大規模地震対策特別措置法(1978年)の制定へとつながっていきました。

 しかし、阪神・淡路大震災や東日本大震災を経験する中、予知の難しさが明らかとなり、今年5月31日の中央防災会議で、南海トラフ地震防災対策推進計画が見直され、予知を前提とする大規模地震対策特別措置法は事実上凍結されました。

12年前の7月16日に起きたその後を予言する新潟県中越沖地震

 2007年7月16日には、M6.8の新潟県中越沖地震が起きました。この地震では、柏崎刈羽原子力発電所での火災や、自動車部品工場の被災による全国各地での自動車生産の停止、水道や都市ガスの停止などが話題になりました。福島原発事故、サプライチェーン途絶による産業停止、電気・ガス・水道などのライフラインの供給停止など、その後の地震で問題となることが数多く現れました。この地震の教訓をもっと活かしていれば、東日本大震災などでの被害を低減できたかもしれません。

 新潟県中越沖地震の震源域を含む日本海東縁ひずみ集中帯では、1964年に前述の新潟地震、1983年に釣り客や小学生が津波で犠牲になった日本海中部地震、1993年に奥尻島などを津波が襲った北海道南西沖地震、2004年に新潟県中越地震、2007年3月には能登半島地震が発生しています。中越沖地震は第一次安倍内閣で、7月29日投票の参議院選挙の選挙運動中でした。今年も6月18日に山形県沖の地震が発生し、参議院選挙中で、よく似た状況です。

 7月16日は、宇宙や地球にとって大切な日のように感じます。とくに日本では、地震予知や地震との関りの大きな日のようです。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

福和伸夫の最近の記事