【熊本地震】発生から1ヶ月、見えてきたこと、今後の課題

別府-島原地溝帯での地震

 今回の地震のあと、良く聞くようになりました。別府から阿蘇山、島原に続く帯状の標高の低い地域です。南北に引っ張られることで、溝状に落ち込んでいます。引っ張られることでマグマの通り道ができやすくなって、九重山、阿蘇山、雲仙など、多くの火山があるのでしょうか? 地殻変動、地震、火山など、改めて地表近くの地球の営みを学ぶことの大切さを感じます。

布田川・日奈久断層帯の一部が動いた

 地溝帯の南を境する断層帯です。14日夜の地震では日奈久断層の東(高野-白旗区間)が、16日未明の地震では布田川断層の東(布田川区間)が活動しました。その後、別府-島原地溝帯全体にわたって地震活動が活発になりました。ちなみに、地震調査委員会の地震の長期評価によると、日奈久断層の西側に位置する日奈久区間と八代海区間の今後30年間の地震発生確率は、それぞれ、マグニチュード(M)7.5程度がほぼ0%-6%、M7.3程度がほぼ0%-16%となっており、比較的地震活動度の高い場所にあたります。また、大分周辺には別府-万年山断層が存在しています。さらにその東には中央構造線が続きます。今後の地震の誘発や火山活動の活発化を懸念している人たちも多いようです。

地滑り、地盤変状、液状化が発生した

 阿蘇山周辺は豊富な地下水を含んだ火山灰質の地盤だったため、南阿蘇村を中心に緩やかな斜面も含め、大規模な地滑りが発生しました。また、活断層の活動に伴う地盤変状や、盛り土被害が顕著でした。熊本市内では旧河道を中心に液状化も発生しました。余震が続くため、亀裂などが徐々に広がるような傾向も認められました。地盤の変状が大きい場所では、耐震性のある建物も大きな被害を受けることが明らかになりました。

古い木造家屋やピロティRC建築の被害が目立つ

 震度7の揺れを受けた益城町や西原村を中心に、古い木造家屋が甚大な被害を受けました。また、熊本市内などで1階が駐車場や店舗の鉄筋コンクリート造の建物被害も散見されました。これらの多くは1981年以前の旧耐震基準の建物で、被害の様相は21年前の阪神淡路大震災と共通します。まずは、耐震シェルターや一室補強など安価な耐震工法、分譲マンションなどの区分所有建物の耐震化の促進などが望まれます。例えば、ピロティの柱だけは合意が無くても行政の支援で補強ができるような制度設計も必要だと思われます。

 一方で、2000年以降の新しい住宅や、枠組み壁工法(ツーバーフォー)の住宅、耐震補強をした建物などにも被害を生じました。設計想定以上の強い揺れが2度も襲ったことも関係するのかもしれません。今後は、現行耐震基準を満足しない既存不適格建物の耐震化に加え、最低基準としての耐震基準の在り方も再検討が必要かもしれません。

地震の連続は家屋被害を増やしたが命を救った?

 熊本地震と、阪神淡路大震災は、マグニチュードが同じ7.3、夜寝ているときの地震、震度7と、共通する点は多くありますが、熊本地震の犠牲者は、阪神淡路大震災の1/100程度でした。これには3つの理由がありそうです。一般に死亡率が極端に高くなるのは震度7の揺れを受けた時です。1つ目の理由は震度7エリアの人口が約1/10だったことです。2つ目は耐震化の進捗です。新耐震基準導入後14年後の阪神淡路大震災と35年後の熊本地震では、旧基準で設計された既存不適格建物の比率は半減しています。そして3つ目は、連続地震です。東日本大震災での激甚被災地、東灘区での全壊家屋当たりの死者は0.11人、熊本地震での益城町のそれは前震・本震合わせて(前震で8人、本震で12人)も0.007人です。避難所や車中で夜を過ごした住民が多かったおかげで犠牲者が少なくなったと思われます。前震、本震と大きな地震が立て続けに起きたことは、建物被害を増やした一方で、人的被害を減らしたという見方もできそうです。

防災拠点、庁舎や病院の機能停止

 連続地震を始め活発な余震活動のため、庁舎の機能を失った基礎自治体が5つもありました。また、患者の受け入れができなくなった病院もあります。現行の耐震基準は、地震の続発を考えておらず、大きな地震動では構造的な損傷があっても人命を守ればよいという考え方に基づいています。このため、強度よりも靱性を重視した耐震設計をした場合には、連続地震で損壊が拡大します。防災拠点に関しては、強度重視の設計が好ましいと思います。さらに、防災拠点は、重要度係数を乗じた設計がされることが望まれます。

熊本地震では、活断層直近で大きな地動変位が観測されています。こういった大振幅の揺れでは、十分なクリアランスのない免震建物では擁壁にぶつかってしまいます。防災拠点に良く採用される免震構造も余裕がなければ要注意です。また、天井が落下して避難所として使えない体育館もありました。避難施設では、構造的な補強に留まらず、天井や非構造部材の損傷対策も必要です。

遅れる罹災証明手続き

 地震発生後、家屋の危険性を「危険(赤)」「要注意(黄)」「調査済(緑)」と区分する応急危険度判定や、家屋の経済的価値の滅失を「全壊」「大規模半壊」「半壊」などと判断する被害認定調査が行われます。前者は、人命を守るために家屋内に入ることを制限するもので、家屋を補修すれば危険でも継続使用可能な場合もあります。一方で、後者は家屋の価値を判断するもので、これに基づいて罹災証明書が発行されます。罹災証明書は、様々な行政の支援の根拠となります。

 応急危険度判定は、建築を専門とする応急危険度判定士が実施し、被害認定調査は内閣府の定めた「災害の被害認定基準」に基づいて自治体などの職員が実施します。熊本地震では、被害認定調査や罹災証明書発行の遅滞が指摘されています。残念ながら、自治体職員や建築士の人数は減少しています。より大規模な地震では、応急危険度判定と被害認定調査をうまく融合させなければ早期の判定はできません。地震が連続する中、即時に危険度判定する安価なセンサーの開発が必要かもしれません。

震度7情報の遅滞

 本震の震度7の情報が発表されたのは、20日でした。残念ながら、益城町や西原村に設置されていた計測震度計の情報が伝わらなかったためです。実は、2004年新潟県中越沖地震のときに震度7だった川口町の情報も遅滞しました。震度7の揺れを受けると大きな被害を生じることが、過去の例でもわかっています。もっとも重要な災害情報である震度7の情報が確実に伝わるように、電源、通信、設置条件など、総合的に改善されることを望みます。

甚大な被害を受けた小さな町や村

 震度7の揺れに見舞われた益城町や西原村は、2つの町村を合わせても4万数千人の小さな基礎自治体です。こういった小さな基礎自治体では、役場の職員も十分ではなく、事前の防災対策を進めたり、災害時の対応をするには、限界があります。このため、被災情報の発信や災害対応が遅滞したりします。県や隣接する市町村などの日頃の連携・協力が不可欠ですし、様々な情報の共有や顔が見える関係作りが大切です。

早期に復旧したライフライン

 ライフラインの復旧は、阪神淡路大震災に比べ遥かに速かったように思います。スマートフォンやインターネットなどを利用した早期の情報伝達、電気、ガス、水道などの地域を超えた連携体制の充実、事業継続計画を実施していた企業の早期操業開始など、事前準備を進めてきた組織は早期に回復しました。地道な耐震化のおかげで行政機関や学校施設の被害も微少にとどめることができました。プッシュ型の食料支援も新しい取り組みでした。また、今回の震災ではで、都会に比べ、農村社会の力強さも感じることができました。

 被災地の方々の早期の復旧・復興を祈念すると共に、熊本地震での学びを通して、私たちの防災対策の現状を点検し、さらに災害に強い社会へと進化させ、今後の災害を少しでも減らしたいと思います。