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沖縄の基地問題を考えるためのヒント 樋口耕太郎×藤井誠二 (6)

藤井誠二ノンフィクションライター

■「ゆいまーる」精神とはなんだろうか疑問に思った事件

■自分が沖縄に住み続ける理由

■若い人たちが夢を持てる沖縄に

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■「ゆいまーる」精神とはなんだろうか疑問に思った事件■

藤井:

まったく私事の一つの「経験」をお話します。ぼくは沖縄が好きが高じて、10年前ぐらいに那覇の中心部に中古マンションを購入して「半移住」のような生活をしていますが、マンションの所有者の理事会が紛糾した事件がありました。30数世帯が入っています。あるとき、管理人として20代前半の男の子が雇われたのですが、積み立て金の管理費の800万を騙して銀行から引き出して持って逃げたのです。その管理人が雇われた理由は、理事長のバツイチの娘の彼氏だったからなのです。深夜はスーパーで働いていたから、昼間の管理人の仕事は寝ていることが多くてできるはずもない。その雇い入れ方もどうかと言う話になるのですが、800万を持って逃げて、名護で仲間と強制わいせつ事件を起こした。被害者は中学生の女子です。行方不明になった時から、ぼくは警察に強く言わなきゃだめだと理事会で主張して、個人的に告発状を出したりしました。

しかし、理事会では事件が起きるまでは、そのうち返せばいい、それがユイマール精神という人までいて驚きました。聞けば、そういう事件は過去に二度あって、そうやって返させてきたと。元管理人の青年は重大な刑事事件を起こしたから、裁判員裁判になった。ぼくが各世帯に裁判傍聴に誘っても誰も来ない。ぼくは集中審理に通い、公判を報告する手作り新聞をつくり、全ポストに毎日入れました。法廷レポートを書いて、記者クラブの友達から資料を貰って、かなり詳細な事件を伝えました。管理費が盗まれて、強制わいせつ事件が起き、裁判で実刑が確定するまで2~3年かかったのですが、ぼくは事件担当理事になりました。その過程で2~3世帯は協力してくれるようになったのですが、ヘンなナイチャーが騒いでいるぐらいにしか思われてなかったと思います。そもそもマンションの理事会は声のデカい男性前の方に陣取ってワーワーと文句を言うだけだったのですが、その事件が起きて、ぼくが理事会の危機感のなさや、理事会の記録開示やいろいろな手続きの問題を指摘し始めたら、そういう人たちはぼくを嫌ってだんだん来なくなり、女性が発言できるような雰囲気にはなりました。夜になると声のデカい人からぼくに電話が掛かってきて、懐柔しようとするわけです。そういう出来事はうちのマンションだけかち思っていたら、同じような「解決」の方法をあちこちで耳にしました。共同体性の強い地域では、だいたいそうかもしれませんが、何か裏で手をまわして物事を進めていく空気をあらわしているように思い、それまでに僕が勝手に思い描いていた「沖縄イメージ」が少し変わりました。まあ、月に一度しか沖縄に来ない外来者の勝手な言い分ですが。(笑)

樋口:

ありとあらゆる所に浸み込んでいます。沖縄って誰もクラクションを鳴らさないじゃないですか。本土だったら、不用意に右折をしようとする車がいたら、パーッと鳴らして、周りの人間は「いいぞ、ふざけた運転をするな。もっと鳴らせ」となると思うのです。ところが沖縄でクラクションを鳴らすと、違法運転をした人を誰も責めないのですね。逆に鳴らした人間をパッと見るわけです。「誰、こんな(クラクションを鳴らすような)怖い事をしているのは」と。社会的に制裁を加えられるのは、声を上げた人間のほうなんです。正しい事であれ、社会的にプラスの事であれ、ともかく良い悪いではないのです。声を上げた人間からは、人がどんどん離れていき、やがて間に周りに誰もいなくなる。

ぼくがもし商売をしていたら、お客さんがひとりまたひとりといなくなり、生活が成り立たなくなる。そんなぼくに関わる人も、ぼくと同類に見られるから、その人の生活も成り立たなくなる。新しい事をする、あるいは正しい事をする、ものを変えるというのが沖縄の最大のタブーの一つではないですかね。例えば、上司と部下の関係で、部下がダラダラ働いているのを見て、「お前、これはこうじゃないか」と上司が指摘をすると、「上司さん怖いね」となる。

藤井:

「クラクション」の今のお話は、僕は感じたことがなくて、むしろクラクションを鳴らすタクシーとか多いなあと印象なんですが。(笑)

沖縄のさまざまな社会の仕組みの中に、利害関係のない人が外から人がどんどん入ってくる事が重要なんじゃないかと思うことが多いです。たとえば、さきほどのように、利権がもろに絡むようなところには、樋口さんが政策アドバイサーで入るみたいな。大学は県外からも教員がかなり来ていますが、市議会も県議会も、全部沖縄の人です。それでは利権構造や地縁血縁に縛られてしまう。

樋口:

「これが正しいのだよ」と指摘する人間を、ゆるやかに、しかし強力に排除する仕組みが社会の中に組み込まれている。声をあげた人がいると、言われた人は「責められた」というふうに振る舞って「被害者」になる。声をあげた人が「加害者」になる。事情に関係なく、事の善し悪しに関係なく、声を上げた加害者が悪いということになります。そして最終的には人間関係の「制裁」が加わる。沖縄のルールとして、ともかく声をあげて目立った瞬間に社会から浮くわけです。排除される。このルールは本土には分からないですね。本土ってどちらかと言うと、出来ない人が苛められるけれど、沖縄は逆で、出来る人が苛められるのです。「なんで、お前だけ働くの」、「どうして良い格好しているの」、「やめておけよ」、という声なき声です。

藤井:

観光客などで流行っている街に行くと、この辺で儲けているのはヤマトの人だけで皆お金儲けが上手いねーという陰口みたいなのを聞きます。たしかに大資本が吸い上げていく構造は問題かもしれないけれど、カネもうけはあたかもヤマトからきた人の特権で、それは良くないことで、沖縄の人は被害者的な文脈になっちゃう。このトーンで皆に話が伝わる。樋口さんがおっしゃる同調圧力がしみついている構造もあるし、ヤマト嫌いという空気もそれに複雑に絡んできますね。さきほどのマンションの問題ふくめて、ぼくはいろいろなところで、揉め事に関わったことがあるけれど、ふた言目には「だからヤマトは信用できん」ということになることが多かった。それまでの話はぜんぶ吹っ飛んでしまって唖然とするしかないことが何度もありました。さすがに「くされナイチャー」とは言われないけど。

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■自分が沖縄に住み続ける理由■

藤井:

ところで、樋口さんはどうして沖縄にいらっしゃるのですか。もちろん仕事があるということだろうけれど、沖縄をなんとかしたいという気持ちがあるのですか。通いではなく、居を構えたという事も含めて。

樋口:

ぼくは一生沖縄にいる事を10年前に決めています。すべてはその覚悟から始まっているのですけれど、なぜかと言われれば、直観によるものです。あまり論理的に説明できません。それでもあえて言葉で説明を試みれば、一つの例としては、東京で何か社会のイノベーションが起こって、「これは上手く社会の問題を解決出来る」というものが生まれたとしても、それを沖縄に持って来ても全然上手くいかないわけです。だけれど沖縄でこの社会の問題を根本的に解決出来る仕組みが生まれたら、ずっと幅広い人たちの役にたつことが可能だと思うのです。これからの社会の問題は基本的に地方の問題です。中央はこれに答えを出せないのです。地方が潰れたら、どうせ日本も潰れるから、日本を再生するイノベーションというか、何か新しいものを創ろうと思ったら、地方で考えて実践するしかない。いろいろな問題が山積している沖縄だけれど、じつは同じ問題が日本の地方の至る所にある。その問題が超デフォルメされているこの沖縄社会だったら、その本質を見つけやすいかもしれない。

藤井:

福島や沖縄は、日本の周縁化されて基地と原発を押しつけられて、それなしでは生きていけなくさせられてしまったという意味ではとよく似ていると言われますけれど、それが復興というものを通じて変えられるかもしれなくて移住した人も居ます。そういう様な、ある種実験的なもので、自分自身の経済専門家として、何かモデルが創れるのではないかとそういう様な形ですか。

樋口:

そんなイメージはありますね。沖縄はすごく発信力がある地域なのです。ここで起こったものは宣伝をしなくてもあっという間に全国に広がる訳です。僕は岩手県の出身だけれど、岩手で起こったことが日本全体に影響を与えるとは考え辛い。

あとは増田寛也さんの『地方消滅』が売れていますが、高齢者が増えているという時代がもう終わりかけていて、高齢者そのものが減りはじめている。医療や介護関係の雇用、あるいは年金による消費など、高齢者がいるから地方はもっていたわけで、地方経済のかなりの部分は、実は高齢者がいないと成り立たない。彼らがいなくなると、地方の生活が保たれなくなって、一気に若い世代が都市に流れる。

そうなると、ぼくの想像ですけれど、どれだけいい商品を開発しても、どれだけ売り上げがあっても、どれだけサービスが良くても、人がいないから黒字倒産する会社が生まれてくると思う。それこそライカムじゃないけれど、給料を倍にしたからって、それだけでは人を惹きつけることが困難になる。今までの労働概念と全く違った深さと発想で、「人が働くって何だろう」、「人が本当に豊かに生きるって何だろう」ということを考えていかざるを得なくなる。人間の心の奥底まで掘り下げて、本当の幸せを考えている企業しか存在し得ないのではないかなと。

藤井:

なるほど。それが沖縄で出来る可能性がある。人口も東京に次いで増えている県でもある。人口の流動性が高い。

樋口:

人がなぜその場所に住むのか、その場所で働くのか。いろいろな要素があるけれど、沖縄を「選択」しようとする人がたくさんいる。移住してきて上手くいかなくて本土に帰る人もいるけれど、沖縄がもっと価値を発揮するようになればもっと人が集まる可能性が残されている有利な場所だと思うのです。

藤井:

なるほど。潜在的な文化も含め、土地の持っている力があると見ているのですね。

樋口:

すごくあります。今までの世界はお金、マーケティング、資金力、経済力などが人の生き方を決めてきたけれど、これからは全然違った社会、つまり本当に人の事を考えている企業が物凄く伸びる。

藤井:

若い人にも大学教育を通じて、そういう事を伝えていきたいと。

樋口:

彼らが本当に活き活きとした人生を送るためにどういう手助けができるのか、どういう接し方をしたら彼らがインスピレーションを感じるのかという事を、毎日、試行錯誤しながら実証的に観察・研究しているのです。それが次世代社会の人間再生のモデルになり、将来、事業でも地域再生でも教育でも良いけれど応用していけばいいと思うのです。

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■若い人たちが夢を持てる沖縄に■

藤井:

あるインターネットのトーク番組で沖縄の予備校でかなり偏差値の高い子たちに「皆さんの夢は?」と質問すると、シーンとした後、沖縄電力などの大企業に入る事や、公務員になる事という答えしか返ってこなくて、困ったことがありました。ぼくとしてはもっと沖縄の独自性を見据えたような起業のアイディアなどを期待していたのですが、違ってた。そのほうが親が喜ぶし、周りが喜ぶからです。そういう人生の目標をもちろんあれこれ言えないけど、どこか自分を抑えているかんじがしたんですよ。

樋口:

やりたいことを皆の前ではっきり口にすると、不都合が生じる可能性がある。目立ってはいけないのですよ。言った瞬間にだれかに邪魔される可能性がある。沖縄の中でちょっと尖がっている人間、ちょっと個性のある人間はたたかれやすい傾向があると思います。この実態を知りたいと思って、学生にかなり細かくインタビューをしています。彼らが小学校から大学に至るまで、社会から、親から、兄弟から、友達からどんなプレッシャーを受けてきたか。本人が気付いていなかったものも含めて、どんな人生を送っているのかという事をいろいろ聞いていると、びっくりするくらいプレッシャーを受けている。がんじがらめで自分の人生を生きることが難しい。本心から意見をいいにくい。これを言ってしまったら関係が壊れるかもと思ってしまう。だから、ウチナンチュが人の心を読む力は抜群です。自分の居場所を作る為に、人の気持ちがどう変化したのか、鋭く捉える力が研ぎすまされている。自分の居場所を微妙に調整するために。だから学生に「何か質問は?」と言っても、誰も手を上げないのは何も考えていないというわけではなく、周りにどのような影響を与えるのかが気になるからです。

藤井:

沖縄で新しい仕事をつくるという発想ってすごく夢があると思うし、じっさいにうまく言っている個人や会社もあります。沖縄の人もいれば、内地や海外から来た人ふくめて、おもしろいことをやって、それは世界的に発信力を持っていますよね。

樋口:

沖縄社会を変える原動力となり得るのは、内需型ではなくて、自分独自に外貨(県外からの売上)を稼げる、しがらみが少なく経済的に独立出来る人間です。彼らが「自分」を生きられない大きな理由は経済なのです。本当に正直にものを言っても、自分の生活が保たれるくらいの、強力な経済エンジンがあったらいいのです。これは補助金ではだめです。実際、私の見るかぎり、外需型の事業家はこの沖縄社会にあってもずいぶん個性的な人が多い。やはり沖縄社会から経済的に自立しているからでしょう。そう考えると、人が自分らしく生きられるかどうかは、自分とお金との戦いのようなところがある。ですから、補助金の多い地域ほど自分を生きにくいのは当然。ぼくが経済にこだわるのはそういう理由もあります。

藤井:

沖縄ではとくに米軍基地の問題は賛成や反対が日常のなかで言えないじゃないですか。基地の賛成と反対で亀裂が入ってしまった親戚や友人関係もよくありますが、そうならないように触れないようにしている。辺野古だって取材で条件付きではあっても「賛成派」の人や誘致活動している議員に話を聞くと、同じ地域での住民の中で口に出さないだけで心の中の対立はすごいものがあると感じてしまいます。日本各地でも原発のある地域もそうですが、地域を二分するような「政治」問題があるとき、押し黙ることは処世術としてあるとも思います。

樋口:

相手を傷つけちゃうかもしれないという心のブレーキがすごくかかる。そういう文化的なものが、経済や政治、社会にも影響を与えていると思っていて、この事を理解せずには沖縄での新しい社会変革は成り立たないと思うのです。子どもの頃から言いたい事が言えない。親の為に諦めた事はごまんとある。ぼくがつきあいのある若いウチナンチュが言っていましたけれど、「僕達はともかく誰かと一緒にいるけれど、いなきゃいけないようなところもある。踏み込んだ深い話は出来ない。本当に自分の事を理解出来る友達は少なくて、ぼくたちは孤独なのです」って。

藤井:

樋口さんはほぼ毎夜、那覇の繁華街・松山のバーでハーブティーを飲んでおられる。客が一日7人としても、年間2000人を超える数の人となんらかの言葉を交わしておられることになるわけですよね。このインタビューもそのお店でやらせていただているわけですが、ここはウチナンチュの方もこれば、ナイチャーの方も来るし、いろいろな属性の方がくる。そうやって定点観測的に樋口さんは沖縄の内側を観察してこられたわけですが、そうやって膨大な人を通じて吸収、蓄積されてきた樋口さんのデータベースはすごいなと思います。大学では沖縄の子どもたちとも接点がある。それらを樋口さんのフィルターを通じて、今後も発信されていってください。今回はありがとうございました。

(終わり・本対談は2015年7月に有料メルマガ「The Interviews High (インタビューズハイ)」で配信したものを再掲しています)

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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