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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第51回 8章 追悼 不意の訪問者

藤井誠二ノンフィクションライター

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8章 追悼 不意の訪問者

その日は朝からよく晴れた。夕刻になると、生暖かくはあるが風か吹きはじめた。

一九九七年七月二十七日。知美の三回忌から十日が経った日のことである。

陣内元春はこの日の午前中、それまで自宅に安置していた知美の遺骨を代々の菩提寺である正遠寺に納骨した。納骨法要では、知美へのデマを打ち消すために檀家を回った桃崎英継住職がお経をあげた。そして家族、知美の友人ら十数人が見守った。

事件から丸二年が経過したが、元春ら遺族の気持ちに整理がついたわけではない。そのころ、元春は私に、「連れ合いと長男がいなかったら自殺していただろう」と語ったことがある。生きがいを失ってしまったから生きていても仕方がない、と。元春は辛くてたまらなくなると自家用車の中でひとり閉じこもる。そして知美の好きだったシャ乱Qのテープを聴く。目を閉じて聴いていると涙が溢れ出してくる。それに、学校や加害者らの誠意を感じられない状況での納骨にはためらいもあった。しかし、そろそろ知美をゆっくりと休ませてやりたいという気持ちがまさった。

知美の友人二人は法要のあともそのまま残り、陣内家までついてきた。午後六時半から七時ぐらいの間に、陣内家には佐田正信か訪ねてくることになっていたから、元春は友人二人と家族、そして佐田といっしょにどこかで夕食をとろうと考えていた。

夕日が西の空を染めかかったころだった。時刻は六時を少しまわっていた。

「お父さん、お客さん来たよ」

明美の声が玄関のほうから聞こえた。陣内家では客にはまず元春が応対することになっている。だからか、明美は相手が誰かを確認しないで元春を呼んだ。佐田があらわれるにはまだ早い。「誰だろか」と元春は思った。スーツを着た人が二人来たから、と明美は付け加えた。

玄関に出た元春は度肝をぬかれた。そこに立っていたのは、宮本煌とその保護司だったのである。保護司は以前に二度、陣内家を挨拶のために訪れていたから顔を覚えていた。

「出所しましたから、お詫びにきました」

まず保護司が口を開いた。

「えらい、早いですねえ……」

元春は突然の来訪に混乱状態におちいった。言葉に詰まり、最初に口に出した言葉はこれだった。

「……」

「いつ出てきたんですか……」

「先週の木曜日、七月十七日です」

保護司が答えた。

すると、宮本が立ったままで言葉を発した。

「申し訳ありませんでした……」

いつかはこの日がくるだろうと元春は思っていた。二年間たまりにたまった憤懣や哀しみを吐きだしたい、ああ言いたい、こう言いたいと思っていた。しかし、突然のことになにを言っていいのかわからなくなった。ただ、元春は「ああ、法廷で聞いたあのしゃがれ声だ」と思うと、胸の奥底で煮立ったような怒りの感情が喉をせりあがるように逆流してくるのがわかった。

「な、なんだ、その詫び方は!」

元春は怒鳴った。

すると保護司が宮本に「座ってあやまんなさい」と促した。宮本は無言でその言葉に従い、玄関の三和土で膝を折り、あたまを三和土にすりつけた。じきに頭をかすかに上げた姿勢をとったが、顔はうつむいたままだ。

元春の怒鳴り声で、明美、長男そして知美の友だち二人がびっくりして出てきた。

元春はすでに泣いていた。そして叫んだ。

「ともちんを返せ!」

明美たちも一気に溜まっていた怒りを吐きだす。

知美の友人は、

「たったスカートの短いことで叩いてから!」

「知美を返せ!」

「あんたいっつも叩きよったろうが!」

と、かつての教師に言葉を投げつけた。生徒時代、宮本たちの恐怖支配によって抑圧されてきた怒りが爆発したのである。

明美は「知美を殺されて私たちはどんなひどいめにあったんね!」と泣き叫んだ。

長男は殺気立っていた。「お前は知美を殴って殺したんだ、だからお前も殴ってやろうか!」と叫び、いまにも宮本に殴りかからんとする勢いだった。元春が自分より大きな長男の身体を押さえつけたため、長男のこぶしは勢い余って壁を殴った。拳から血が滲み出た。長男は殴りかかりたい衝動を呑み込み、そのまま壁を殴り続けた。元春とて気持ちは息子と同じだった。宮本を思い切り殴りつけたかった。

保護司が言った。

「言うてください。気持ちはそのとおりなんですから」

そして、こう頭を下げた。

「今日はお参りだけさせてもらえないでしょうか」

元春は答えた。

「宮本!あんたは裁判の中で、仏門に入って供養したいとか、家土地を売ってでも償いをしたいと言うたでしょう。どうするんだ!それから、あんたを支援した連中が署名をとるために一三○人もがいろいろ動きまわって、その中で噂やデマがどんどん拡大されてどんなひどい目にあったか。それに、奥さんがお参りに来たときに言うたことだが、息子さんや娘さんがちょうどうちと同じ歳ぐらいだそうだがな。その娘が亡くなったときにどうするかと、逆の立場で考えたら、お父さんがやってしまったことに詫びようという気持ちがあるんだったら線香の一本でもあげに来んのか。裁判で申し訳ないと言ってることとちがうじゃないか!控訴の趣意書で『母親の放任していることが原因』と言っているが、なんちゅうことか!“申し訳ない”と言うことと、全く違うじゃないか!どう思っているんだ!」

宮本は押し黙り、土下座の姿勢からわずかに頭を上げていた。元春の詰問に宮本は、

「詫びても詫びてもすまないことをしてしまいました」

と消え入るような声で答えた。他にも何か言ったようだが、元春には聞き取ることができなかった。表情はわからなかったが、泣いていないことはわかった。宮本が言葉を発したのはそれが最後だった。

保護司が代わって、「いままでそういうことを考える余裕がありませんでした」と言い、

「(宮本も)明日から仕事をしなければなりませんから」と続けると、明美や友人らが一斉に

「仕事なんか、そんなことは関係ないでしょうか!」と言い返した。

明美がさらに叫んだ。

「一三○人もの卒業生が嘆願集めまわって、裁判で、『自分が(宮本先生と)共犯になってもいい』というような証言までした人がいるのだから、そういう人たちにしっかり支援してもらえばいいじゃないですか!」

「いえ、あの人たちがお金をくれるわけじゃありませんから……」

こう保護司は言い訳をした。

「じゃあ、自分の子が同じ目にあったら、相手に同じこと言えますか!」

明美は怒りがおさまらなかった。

陣内家の玄関で互いが対時したまま、どれほどの時間が経過しただろう。元春が口をひらいた。

「このままおられたら、もう私も子どももどういうことをしでかすかわからんから、出直してくれ」

保護司が「わかりました」と答え、うずくまっている宮本の背中にこう声をかけた。

「じゃあ、今日はここでお参りをして帰りましょう」

二人は三和土で手を合わせた。そして立ち上がろうとした宮本は、ふらふらとよろけた。

ずっと土下座のようなかっこうだったから、足がしびれていたのだろう。

「今日は先生、帰りましょう」と、再度保護司か言った。

元春は宮本のことを「先生」と呼ぶ保護司に腹が立ち、「もう、先生じゃないでしょう!」と怒鳴った。保護司は、「そうですね」と訂正した。明美と長男も「先生じゃないでしょ、殺人犯でしょうが」と怒りを浴びせた。

明美は台所へ行き、手にしてきたのは塩であった。

二人が玄関を出ると、長男が追いかけようとしたため、元春がはがいじめにして止めた。しかし、友人二人は明美から塩を奪い取るようにして手にすると、玄関を裸足のまま飛びだし駆けていった。そして、クルマに乗り込もうとしている二人に何か大声で言いながら、塩をぶちまけた。明美が止めに走った。

その光景を遠くで目撃した男性がいた。六時四五分、約束どおり陣内家にやって来た佐田だった。

元春は語気を強め、その日のことをこう振り返る。

「あたーっと思いましたよ。急にやから。いつ来るという知らせがあれば、だいたい頭の中でまとめて、言うことを整理しておくのだけど……。言いたいことは言ったと思いますけど、宮本に最初に会ったときに言いたかったことを、やっと、言った。早ければ、盆すぎに出てくるかもしれませんよ、と保護司から聞いていたので、そのつもりでいたのですが、盆すぎどころか……。あとで考えたら腹が立ってきて、突然来るくせに、どうしてすぐに来んのやろか。納骨の日は知らせとらんから、向こうにはわからん。偶然です。十七日に刑務所を出てきたら、十八日が祥月命日だとわかっているのだから、せめて、それに来なきゃいかん。自分が苦しめてしまった人間にお参りをしようと思うのだったら……。宮本は口で言うだけで、心からお参りしたんじゃないと思う」

明美は、「心の準備がない」ところに宮本が来たので、血圧が上がってしまい、三日間寝込んだ。しばらく病院通いも続けた。それほどの衝撃だったのである。

元春は翌日、保護司に電話をかけ、抗議をした。

「突然来られたからびっくりしたではないですか。前にあなたが来られたとき、また連絡するからということだったじゃないですか。今度みえるときは事前に知らせてください。そうせんと、それなりの対処の仕方があるのに、私はどうしようもなかった」

元春は、突然の来訪の二週間ほど後のお盆に、宮本がもう一度来ることを望んでいた。そのときは、少しは落ちついて言葉を交わしたい、そう思っていた。しかし電話はかかってこなかった。元春はしびれをきらして保護司にもう一度電話をかけた。

「彼岸も来るというのに、お参りする気はないのですか。そもそも、私から来いというのはおかしいじゃないですか。供養する気持ちがあるのなら、そちらから来るのが当然でしょう」

保護司の言い訳は、七月二十七日に陣内家でさんざん罵られたことが、宮本にとってショックだったようだ、というものだった。保護司もそんな状況に宮本を置いてしまったことに責任を感じているようだった。だから、しばらく冷却期間をおいてからまたお参りを促そうと思っています、と保護司。

しかし、いつになっても宮本はあらわれなかった。保護司に連絡をしても、保護司は板挟みになり辛そうな雰囲気だった。保護司は、宮本は弔う気持ちは持っている、と言う。だから、説得していると。が、宮本が応じないらしい。以来、一本の電話連絡もない。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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