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iPodのもたらした音楽生活の変化〜スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(4)

榎本幹朗作家/音楽産業を専門とするコンサルタント
iPodのプレゼンを用意するジョブズたち(2005)。ティム・クックもいる(写真:ロイター/アフロ)

スティーブ・ジョブズが没して6年が経過した。人類の生活を変えた彼の足跡を讃え、ジョブズが音楽産業に残した影響を先月から全7回に渡って振り返っている。第4回は、iPodが音楽生活にもたらした変革についてだ。

■はじめ、iPodは理解されなかった

 禅の世界では、悟りは智慧をもたらし、智慧は苦しみの連鎖から自他を救うと云う。ジョブズは乙川弘文禅師に私淑し、永平寺に出家しようとすらしていたが師に止められ、起業家となった。癇癪持ちだった彼が心の平安をマスターしていたようには思えない。だが、会社追放から自身を復活へ導いた英知が、倒産寸前だったAppleをイノベーションのジレンマから救い出したことは間違い無かった。

 やがてその英知は、Napster(音楽ファイル共有サービス。違法ダウンロードを定着させた)の興した嵐に漂流するメジャーレーベルにとっても、一条の光明を示す灯台となっていく。

 歴史の石版には、iPodの名がすでに刻み込まれている。だがジョブズがAppleキャンパスでiPodを発表した時、人びとの反応は決してよいものとは呼べなかった。壇上のジョブズがポケットからiPodを取り出した時、あまりに予想外だったmp3プレイヤーの登場に講堂は静まり返った。当時、mp3プレイヤーといえばRioだったが、mp3プレイヤーには微妙な印象しかなかった。

 Appleコンピュータが音楽に乗り出す? 唐突過ぎてよくわからない。記者たちは訝った。壇上のジョブズは、好きなことをやるのが一番だからだと言った。音楽は彼にとっていつも支えだったのだ。ビジネス上の理由もこう添えた。

「もっと重要なのは、音楽はみんなの生活の一部になっている点だ。みんなのだよ」

 記者たちの脳裏には、Appleが失敗したPDA(持ち運べる携帯情報端末、Newton)やデジカメ(QuickTake)が過っていただろう。PlayStation以前、Sonyがコンピュータ関連で上手くいった試しがなかったように、デジタルガジェットの世界でAppleがうまくいった試しが無かった。その挑戦は社内的にも掟破りだったのだ。

「最高にクールな点は、音楽ライブラリをポケットに持ち運べることだね。これは本当の本当に、大きなブレイクスルーなんだ」

 プレゼンテーションするジョブズの映像が残っているが、報道陣がポカンとした顔を並べている(※1)。自慢のおもちゃを見せびらかすように、ジョブズは嬉しそうにデモを進めていく。サラ・マクラクランの『Building A Mystery』が、iPodが公で初めて鳴らした音楽だった。

「世界中の文字に対応している」

 液晶パネルに「宇多田ヒカル」などの日本語が並ぶ。

「日本の曲をかけてみよう」

 スクロール後、サザンオールスターズの「忘れられたBig Wave」がAppleキャンパスの講堂にゆったりと広がった。その選曲は、世界で初めてヘッドフォン文化の生まれた日本へのラブコールでもあった。

「5GBのハードディスク、Firewire、10時間持つバッテリー、1000曲がポケットに入る。これで$399(約4万円)だ」

 他社製品の倍近い値段だった。決め台詞に拍手は起こらなかった。CMのパイロット版がお披露目されると、ようやく気持ちの入った拍手が起こった。イメージがやっとできたのだろう。記者たちを責めることはできない。「音楽を全部持ち歩ける」ということが、どういうことなのか。人類はまだ体験したことがなかった。

 Walkmanが登場した時もそうだった。

 Walkman製品発表の会場からバスに乗せられ、代々木公園に到着した記者たちは、ヘッドフォンを付けてローラースケートを乗り回す学生たちに唖然とした。ヘッドフォンで好きな音楽をいつでも、どこでも、好きな場所で聴く。人類の新しい生活スタイルを描いたその風景は、あまりに新しすぎた。

 Walkman発表の翌日。メディアは話題にしなかった。

 Sonyの広報は、とにかく街中で使ってもらえる人を創ることにした。やがてヘッドフォンをつけるアイドルを雑誌で見たり、街中で黒いケーブルを耳から垂らすおしゃれな若者を見たりして、「あれはなんのなのか」と感じる人たちが口コミを起こし始めた。

 iPodの場合、メディアは無視しなかったが、反応が微妙だった。

「オートシンクやスクロールホイールといったiPodならではの特徴は、携帯型音楽プレイヤーに対するマスコミの先入観にかき消されてしまった。『デザインに凝ったmp3プレイヤー』というのが、大方の見方だった」

日経エレクトロニクスのシリコンバレー駐在員だったフィル・キーズは、上記のように回顧している(※2)。

「何事でも完全に咀嚼するには、情熱を持って傾倒する必要があるんだ。ざっと眺めるだけではダメだ。でも、それだけの時間をかけない人が多いのさ」

 ジョブズはそう語ったことがある(※3)。仕事に追われる記者だけに限った話ではない。読者の多数派は今なら短いつぶやき、短いまとめ記事を頼りにしているし、企業の取締役たちも1枚のエグゼクティブサマリーでトレンドを把握しようとする。

 皮肉なことに、新しい現実を即座に理解できるのは、惜しみない情熱をもって世界を理解しようとする人間だけらしい。少数派の彼らだけが、新しい現実を創造する資格を手に入れている。

 iPodの発売時期は、景気的にも最悪の時期だった。この年、ITバブルは崩壊した。音楽の無料ダウンロードで社会現象を起こしたNapsterが著作権法違反で敗訴して、学生層に横溢していたデジタル音楽革命の熱も急速にしぼみこんでいた。発売の前月にはアメリカで同時多発テロが発生。大恐慌以来の重苦しい雰囲気に、アメリカは包まれた。

 こんな時期に、だれがメディアに不評な新製品を買うのだろうか。

 幸運なことにAppleには、熱狂的なMacファンがいた。ジョブズの作品がどうやって「世界を変える」のか。Think Differentキャンペーンの号令で再集結した彼らは、割高感のあるこの不思議なmp3プレイヤーを購入し、体験して理解しようとしてくれた。

 iPodはその年の残り2ヶ月で12万5000台、売れた(※4)。iMacの登場に比べれば慎ましやかなスタートだった。しかしこの12万5千人が、かけがえのないインフルエンサーとなってくれた。

 街中でおしゃれな人たちが、白いケーブルを耳から垂らしている。いったいあれは何?

 Macのコアユーザーは学生のほかに音楽、デザイン、映像を生業とする人たちだ。ファッションを愛する層とも重なっていた。

 その後、ユニバーサル・レコード傘下のインタースコープ社がこれを踏襲している。同社が起業したビーツ社のことだ。ヒップなファッションの若者が、赤いケーブルを耳から垂らして街を闊歩し、ビーツのヘッドフォンは同市場の先駆者にして王者だったSonyに並んだ。

 ビル・ゲイツは決してファッショナブルな人ではないが、ジョブズの製品を全的に理解する情熱を持っていた。Windowsを企画したときから最大の好敵手だったからだ。テックジャーナリストの重鎮スティーブン・レヴィが、ゲイツと食事をしたときのことだ。「これはもうご覧になりましたか」と新製品のiPodをゲイツの前に置いた。

「ゲイツはこの時点で、自分だけの境地に入り込んでしまった」とレヴィは書き残している(※5)。そのまま何分間も無言でiPodを触り倒した。かなり経ってから、「素晴らしいプロダクトだ」とゲイツはひとりごちたという。

 iPod誕生から2ヶ月後。クリスマスの頃だ。ミュージシャン、レコーディングエンジニア、プロデューサーで構成された米レコーディングアカデミーはAppleにグラミー賞を送ることを決めた。ある理由で人はすぐ忘れてしまうが、音楽の世界でコンテンツとハードは両輪だ。ミュージシャンたちは、Walkman以来の革命的ハードとiPodを見做したのだ。

 海を超えた先でもiPodはミュージシャンに賞賛された。「どれほどの情熱と時間、そして愛がこれに注がれたか、よくわかる」と、過去にグラミー賞で3部門受賞したソウルミュージシャンのシールは語っている(※6)。テクノロジー好きのミュージシャンは少なくない。概してテクノロジーは音楽に貢献してくれるものだ。

 印刷が普及するとベートーベンたち職業作曲家が誕生し、ジャズ時代には、エジソンのレコード発明が音楽の産業化を進めた。その後もテクノロジーは音楽コンテンツに変革をもたらした。エレキギターとロック。ドラムマシンとクラブミュージック。サンプラーとヒップホップ。これからも新しい技術が新しい音楽を創るだろう。

 テクノロジーが音楽に初めて猛威を振るったのは、ラジオだった。ラジオがもたらした「無料で音楽が聴き放題」のインパクトは巨大で、普及時、米レコード産業の売上は25分の1に。壊滅に追いやった。

 それから70年。ファイル共有技術の席巻で、ふたたびテクノロジーは音楽産業に牙を向いていた。新しい音楽生活のスタイルを提示したiPodは、音楽産業にとって久々の明るい話題だった。

■セレンディピティ。iPodのもたらした音楽生活の変化

初代iPod。音楽の聴き方を変えた(2012 flickr. Some rights reserved by Matthew Pearce)
初代iPod。音楽の聴き方を変えた(2012 flickr. Some rights reserved by Matthew Pearce)

「こんなに音楽に夢中になったのは17歳のとき以来だよ!」

 映画『Harry Potter』(ハリー・ポッター)のシリーズに出演したデヴィッド・シューリスは、撮影現場でインタビューを受けた際、映画の話題はそっちのけでiPodについてまくしたてた(※7)。

「次に何がかかるのか予想もつかないんだ。午後はずっと、ここで音楽を聴いていたよ。21世紀最高の発明だと思うね」

 iPodはその後、社会現象になっていくが、シューリスの台詞はiPodが創り出した熱狂の本質を表現していた。Napsterは音楽の流通を破壊したが、iPodが破壊をもたらしたのは音楽の聴き方だった。

「私は未来を見た。その未来とはシャッフルだ」

 『New Yorker』誌の音楽欄を担当していたアレックス・ロスは、記事の冒頭でそう切り出した(※8)。iPodにお気に入りの音楽を何千曲も詰め込んだ後は、シャッフルを押す。何がかかるか、予想もつかない。これが、CDプレイヤーでは実現できない驚きと感動を創っていた。

 予定調和が、これまでの音楽生活だった。

 お気に入りのアルバムやミックスであっても、いずれ倦んでくる。CDアルバムを聴くか、ミックステープを楽しむか。いずれも次に何がかかるか、リスナーは承知済みだった。CDのシャッフルがほとんど使われなかったのは、次に何がかかるのか予想の範囲内だったからだ。iPodは、予定調和の世界を破壊していた。

セレンディピティということばがある。

 偶然、新しい感動を発見する能力を指す。FacebookとTwitterが普及して以降、セレンディピティの演出はウェブプロモーションの大切な指針となった。

Walkmanの後継者、iPodの功績は音楽の世界でセレンディピティを広げたことだ。

「これは、音楽と出会う方法として革新的で比類ないものだ」

 “iPod教授”のマイケル・ブル博士は、調査結果をWired誌にそう語った。博士の調査では、大多数のユーザーがシャッフルを利用していた。4人に1人は、アルバムやプレイリストではなく、シャッフル機能をメインにして音楽を聴いていた(※9)。

「一直線の音楽体験はもう過去のものになった。僕らは、飛ばし聴き時代のまっただ中にいるんだ」

 初代iPodのヘビーユーザーとなったジョン・メイヤーはそう語った(※10)。メイヤーはジョブズのお気に入りの新人ミュージシャンで、家庭に度々招待されていた。Appleイベントでも繰り返しゲストアクトに呼ばれている。若き才能に、プロデューサー魂が抑えられなかったのだろう。

 インターネットの普及は音楽コレクションを管理不能な楽曲数にしつつあった。Napsterの登場で、学生たちも1000曲以上を持っているのが当たり前となっていた。

「音楽コレクションは、喜びの種があちこちに隠れている宝の山になった。iPodの魔法のような力が、宝の存在をユーザーに気付かせてくれるからだ」

 忘れ去られた情報は死んだに等しい。ネットのもたらした情報の氾濫は、「アクセスされない情報をいかに復活させるか」というテーマをもたらした。その答えがGoogleの検索エンジンや、Amazonのレコメンデーションだった。音楽ではiPodのオートシンクとシャッフル機能がその嚆矢となった。

 もうひとりの専門家、マルクス・ギースラー助教授は語る(※11)。

「シャッフルモードはもともと斬新な仕掛けに過ぎなかった。それが今では、そうしなければ失われかねない情報にアクセスするための最も有効な方法になっている。消費の複雑さを軽減するサイボーグ消費の戦略だ」

 どのアルバムを聴いたらいいか、どういうプレイリストをつくればいいか。ふつうの音楽ファンには収拾がつかなくなったとき、登場したのがiPodだった。

 パソコンに繋げば、iTunesが適度にiPodの中身を入れ変えてくれる。あとはシャッフルで聴くだけ。ジョブズの考案したシンプルなオートシンク機能は、音楽生活を自動化して、人びとの音楽生活が抱えていた問題をエレガントに解決してみせたのだ。

 iPodはもはや「最高のマイラジオ」でもあった。

 なにせ自分の買った好きな音楽だけが数千曲、詰まっているのだ。ペットのようにiPodに愛着するファンが続出した。ウェブサイト『iLounge』には世界中からiPodのおでかけ写真が集まった(※12)。

 シャッフルはいわばじぶんだけのDJだった。時を待たず、それはやがて、GeniusやPandoraのような人工知能によるDJの登場に連なってゆく。音楽での人工知能の利用は、昨今のブームより10年は早かったのだ。

 iPodの登場から3年後、音楽放送に革命が起きる。PandoraやLast.fmのようなパーソナライズド放送の誕生だ。iPodのもたらした音楽生活は、新しい放送の原型にもなった訳である。

「iPodは流行りものじゃない。音楽の聴き方を革命的に変えたんだ」

 ジョブズは製品発表時に報道陣にそう宣言したが、真実だった。

■音楽配信の時代へ。iTunes Music Storeプロジェクト始動

 年が明けて2002年の1月。

「アホばっかりだな」

 ジョブズが言い放った先には、音楽業界について相談があると来訪してきたワーナー・ミュージックの副社長ポール・ヴィディックがいた。

 違法ダウンロードが猛威をふるう中、レコード産業は団結して、コピー防止規格を制定しようとしていた。iPodで音楽の世界に参入したAppleに賛同を貰いにきたが、ジョブズは音楽業界の取り組みをばっさりと切り捨てたのだ。

 その切っ先には、先月メジャーレーベルが鳴り物入りで始めた定額制ストリーミングのことも含まれていた。

 音楽産業はふたつの陣営に分裂し、たがいに音楽カタログを融通しあうことはなかった。CDの売上が減るからと大物アーティストたちも協力しようとしないので、ビルボードチャートの新譜もほとんどない。加えてサービスの使い勝手は最悪で、何から何までジョブズの美意識を逆撫でする出来だった。

「そのとおりだ。なにをどうしたらいいのかわからない。だから手伝ってほしい」

風邪をひいていたヴィディックは喉から絞り出すように嘆願した。相手を怒らせて本音を引き出すのはジョブズのよくやる手だったが、この時は逆に驚いたという。

 そして、こういう時の彼は誠実になるのだった。ジョブズはレコード産業の提案に賛同を与えた上、心中に秘したビジョンを開陳した(※13)。

 シンプルでエレガント。禅だ。それがジョブズにとっての正解であり、あるべきサービスの姿だった。

 もともと音楽配信をやるつもりはなかったジョブズだが、できそこないだらけの音楽配信を触るうちに、創作欲が抑えがたくなっていたらしい。じぶんならこう創る。いや、これからの音楽ビジネスはこうあるべきだ。創作欲はいつしか使命感に変わっていった。

 彼はみずから大物アーティストと交渉することにした(続く)。

■本稿は「音楽が未来を連れてくる(DU BOOKS刊)」の一部をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。

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iPhoneを予感していた29歳のジョブズ〜iPhone誕生物語(1)

iPod誕生の裏側~スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの(1)

※1 http://youtu.be/AAU5lY4oxeU

※2 日経エレクトロニクス『iPadの開発』第7話 http://tech-on.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080710/154604/?P=3&ST=nedpc

※3 Wired特別保存号『WIRED X STEVE』 p.107

※4 Discovery Channel 『アップル再生 iPodの挑戦』 21:30

※5 『iPodは何を変えたのか』第3章

※6 『iCon』第11章

※7 Stephen Levy "The Perfect Thing" chapter : Identity

※8 http://www.therestisnoise.com/2004/05/more_to_come_6.html

※9 Stephen Levy "The Perfect Thing" chapter : Download

※10 Wired 2004年8月10日 http://bit.ly/1lwamVz

※11 Wired 2005年2月2日 http://bit.ly/1dlP2Ir

※12 http://www.ilounge.com/index.php/gallery/iatw/

※13 アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』第30章

作家/音楽産業を専門とするコンサルタント

寄稿先はNewsPicks、Wired、文藝春秋、新潮、プレジデント。取材協力は朝日新聞、ブルームバーグ、ダイヤモンド。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビ等。1974年東京都生まれ。2017年まで京都精華大学非常勤講師。上智大学英文科中退。在学中から制作活動を続け2000年、音楽TV局のライブ配信部門に所属するディレクターに。草創期からストリーミングの専門家となる。2003年、チケット会社ぴあに移籍後独立。音楽配信・音楽ハード等の専門コンサルタントに。著書「音楽が未来を連れてくる」「THE NEXT BIG THING スティーブ・ジョブズと日本の環太平洋創作戦記」(DU BOOKS)

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