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新型コロナウイルスと季節性インフルエンザ〜比べて良いのか

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
WHOは新型コロナウイルスによる肺炎に対し緊急事態宣言(写真:ロイター/アフロ)

緊急事態宣言

 新型コロナウイルスの感染が拡大している。世界保健機関(WHO)はついに、新型コロナウイルスによる肺炎を「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(PHEIC)に該当すると宣言した。

 私は医師(病理医)だが感染症の専門家ではないうえ、刻一刻と事態が変化しているので、このウイルスに関する詳しい解説等は他の専門家に任せる。

 Yahoo!ニュース個人でも、感染症専門医の忽那賢志先生が詳しい解説をしているし、旧知の病理医である峰宗太郎先生も、詳しい記事を書かれている。

 その他感染症界のエースと呼ばれる岩田健太郎先生も、YouTubeなどで発信されている。

 こうした専門家の正しい情報をフォローし、過剰反応せず、かつ侮らず冷静に対処してほしいと願う。

インフルエンザのほうが死んでる

 というわけで、一介の病理医の私の出番などないわけだが、少し気になることがあって記事を書くことにした。

 それは季節性インフルエンザと新型コロナウイルスを比較した報道が増えてきたことだ。

 アメリカでは年間1万2千人がインフルエンザが原因で亡くなっており、2017年から2018年にかけての流行期には、45万人がかかり、6万1千人が死亡した。

 それに比べれば、新型コロナウイルスによる肺炎などまだまだ大したことはないだろう、と言うわけだ。

 それはその通りだ。インフルエンザが死にどの程度影響を与えたか推定するのは難しいが、日本では大体年間1万人程度が亡くなっているという。

Q10.通常の季節性インフルエンザでは、感染者数と死亡者数はどのくらいですか。

例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。

国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。

また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。

出典:厚生労働省 新型インフルエンザに関するQ&A

 コロナウイルスはまだ日本国内で死者が出てはいない。インフルエンザのほうがよっぽど生命に影響を与えるので、インフルエンザに対する対策をしっかりすべきであるというのは当然だ。

 感染症の専門家である岡部信彦氏は以下のように述べる。

新興感染症の報道は常にセンセーショナルですからね。毎日報道されるのは、SARSやMERSの時と同じですが、それに惑わされて、足元にあるリスクを忘れてはいけません。

今、日本で普通に歩いている人は、新型コロナウイルスにかかる心配よりも、インフルエンザにかかって会社を休む可能性の方がずっと高いわけです。それでもワクチンをうたない人はいます。

出典:新型コロナウイルス どれぐらい警戒したらいいの? 感染症のスペシャリストに聞きました

比べて良いのか

 ただ、新型コロナウイルスとインフルエンザを単純にかかった人の数や死者数だけで比べて良いのだろうか。

 共にウイルスによる感染症であり、比較は容易いと思われるが、新型コロナウイルスはいまだ明確な治療法がなく、しかも次々と新しい情報が発信されているという、いわば「クライシス」(緊急事態)の状態にある。こうした「クライシス」の時には、コミュニケーションの仕方に注意が必要とされる。

クライシス・コミュニケーションとは、

不測の事態を未然に防止するため

万一、不測の事態が発生した場合にその影響やダメージを最小限にとどめるための

「情報開示」を基本にした

内外の必要と考えられるさまざまな対象に対する

迅速かつ適切なコミュニケーション活動

のことです。

出典:クライシス・コミュニケーションとは

 こうしたクライシスの状態では、安易なリスク比較は危険だとされている。

 新型コロナウイルスはインフルエンザよりも死者は少ないので、大したことない、全然怖がる必要ないと言い切ってはいけないということだ。

感染症の広がりや死亡率のリスクは様々な要素に左右され、過去の感染症とは人の動きなども著しく変わっているので、現時点では今後どうなるか、まだ見通しがつかないというのが正直なところです。

出典:新型コロナウイルス どれぐらい警戒したらいいの? 感染症のスペシャリストに聞きました

 インフルエンザの感染が大きな問題であるのは事実だが、新型コロナウイルスと比較して強調するのではなく、それはそれとしてきちんと啓蒙し対策を立てていくことが重要だ。

 新型コロナウイルスに関しては、WHOや中国政府、そして日本政府は、分かっていること、分かっていないことを包み隠さず公開していくことが、「クライシス・コミュニケーション」として求められていると言えるだろう。そして、それを受けて、メディアも冷静な情報発信を続けてほしい。

追記

 クライシス・コミュニケーションに関しては以下のページが参考になる。

追記(2020年2月14日)

 次第に新型コロナウイルス(SARS-CoV2)とその感染症(COVID-19)と季節性インフルエンザの違いが見えてきた。東北大学の押谷仁教授は以下のように述べる。少々長いが引用させていただく。

 我々は今、非常に厄介なウイルスを相手に戦っている。「過度に恐れずにインフルエンザと同じような対応を」というメッセージを伝えるだけでこのウイルスにたち向かうことができるとは私は考えていない。そもそも、このウイルスは明らかに季節性インフルエンザと同じではない。日本でも、毎年高齢者を中心に多くの人が季節性インフルエンザで亡くなっている。しかしその死亡のほとんどはインフルエンザ感染の後に起こる細菌性肺炎やインフルエンザ感染をきっかけに寝たきりの高齢者などが心筋梗塞など別の原因で亡くなるインフルエンザ関連死と呼ばれる死亡を含んだものである。このため、インフルエンザは高齢者の最後の命の灯を消す病気と言われている。

 しかし、この新型コロナウイルスはまったく違う。重症化する人の割合は低いが、重症化した人ではウイルスそのものが肺の中で増えるウイルス性肺炎を起こす。重症のウイルス性肺炎は治療が困難で、日本でも救命できない例が出てくる可能性は十分に考えられる。寝たきりの高齢者などにとってもこのウイルスはもちろん危険なウイルスであるが、中国では50-60代の人も多く亡くなっており、30-40代の人の死亡も報告されている。多くの人にとっては、季節性インフルエンザと同じ程度の病気しか起こさないウイルスだからといって、決して侮ってはいけないウイルスである。

出典:新型コロナウイルスに我々はどう対峙したらいいのか(No.2)

追記2(2020年3月15日)

 1月に書いたこの記事がいまだ多くの方々に読まれているので、追記する。

 WHOもパンデミックを宣言した。生活にもおおきな影響が出てきている。それでもいまだ「まだ10人くらいしか死んでいない」「他のことの方がもっと影響ある」「騒ぎすぎ」という声が聞かれる。季節性インフルエンザとの比較は減った印象だが、他のリスクとも比較が行われている。

 繰り返すが、不明なことがまだ多い現在進行形のクライシスの中で、数字だけを比較してはならない。数字は未確定であり、これから増えていく。

 死亡率が低くとも、今年中に例えば日本人の半数、6000万人が感染すれば、死亡率が1%で60万人、0.1%で6万人が亡くなることになる。

 このように見れば、確定した他のリスクの数値と比較するのは適切ではないことはお分かり頂けるだろう。こうしたミスリードは、対策を遅らせることにもつながる。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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