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自分は被害者だと周囲にアピールする人には関わらないほうがよいという研究

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 3月2日、GIGAZINEに「被害者だとアピールしがちな人は「他人からいい人に見られたがる傾向」があるという指摘」と題する記事が掲載された。

 記事によれば、自分は被害者だと頻繁にアピールし、他者の同情を得ようとする人は、他者からよく見られたがり、他者への共感能力にも乏しい、ナルシストの傾向がある可能性が高いことが、ブリティッシュコロンビア大学のEkin Okらの調査によって分かった。人間は、他者の苦しみに共感し、またそれを取り除こうとする傾向がある。そのため彼らは、自分の苦しみを訴えることで注意を引き、共感や経済的支援を受け取る戦略をとるのである。

 しかも、被害者になることで自身の報復を正当化することができ、ときには被害者が働いた不正行為に対する非難を、最小限に抑えることも可能となる。彼らは、物的利益を求めて嘘をつき、周りを騙す手段として、他者を中傷する可能性が高いという。厄介なことに、自分の苦しみを頻繁にアピールする人は「いい人に見られる」ことばかり気にかけ、「実際にいい人になる」ことには、興味を示さないようである。

 このような傾向は、すでに心理学において主張されてきた。しかし多くの人は、彼らのアピールに共感し、支援をしてしまう。記事にあるように、われわれは虚偽の被害者と本物の被害者を見分け、本当の被害者のほうを支援するよう意識すべきである。

くれくれさんの見分け方

 過去の記事で述べたが、ペンシルベニア大学のアダム・グラントは、世の中の人をギバー、テイカー、マッチャーの三種類に分けている。ひとまず、以下のとおり振り返っておきたい。

 ギバーは、ただその人のために与えようとし、見返りを求めようとはしない。反対にテイカーは、与えれば大きな見返りが返ってくる場合に限って、与えようとする。最後にマッチャーは、自分と相手との利益・不利益のバランスを考え、帳尻を合わせようとする。最近の言葉を用いれば、テイカーとは「くれくれさん」のことだと考えて、差し支えない。

 グラントによれば、テイカーは、手柄を自分のものにする。色々と頼みごとをしてくる。自分が一番目立つように写真を撮る。自分の取り分は一番大きいに決まっていると思い込む。人を助けるのではなく、操作しようとする。成功は自分のおかげであり、失敗は誰かのせいだ。ひとが何も与えなくなると、うらみ、足をひっぱろうとする。さらには、報復のためには手段を選ばず、ときに人に嘘をつくことまである。

 このようなテイカーは、レックしているかどうかによって、見抜くことができる。レックとは、複数の鳥が一か所に集まり、集団で求愛する行為だ。同じようにテイカーは、大人数の集まりのなかで、どうすれば自分をよく見せられるかを考えて、行動するのである。例えばFacebookなどでは、実物以上によく見える自分の写真を投稿している。また、露出度が高く、慎み深さに欠けている。言葉も押しつけがましく、自己中心的で、傲慢だ。自分をよく見せようと、うわべだけのコネクションをつくることに躍起になる。頼みごとができるようにと、連絡を保つのである。

 以上のようなテイカーの特徴を踏まえれば、実のところテイカーには、ナルシストがなりやすいといえる。カリフォルニア大学のロバート・エモンズによれば、恩知らずな人たちは、自分に酔う傾向を表している。過度の自尊心や傲慢さ、虚栄心、称賛と承認への飽くなき欲求がみられるのである。これらはいずれも、テイカーの特徴を示している。

 エモンズは、ナルシストとは、自分に深く没頭する人であるという。彼らには深く、満足を与えてくれて、互いに高めあう対人関係に必要な「共感」が欠けている。そのため、贈りものを贈る人の精神状態を特定せず、感謝することができないのだと、エモンズはいう。

 ナルシストの特徴は、自分には何かを手にする資格があるという気持ちである。したがって、贈りものは自分が当然もらえるものだと思い込んでいる。他者から何かを受け取っても、感謝する気持ちがないのだから、お返しをしようとは思わない。だから彼らは、自分への「借り」を集めるために、他者に「投資」することを、与える行為だと考えるのである。

 したがってナルシスト=テイカーは、他者から奪っている自覚に乏しい。だからこそ、当然受け取るべき(と思い込む)ものが与えられないときには、自分は被害者だと訴えるのである。かくして唯一の対処方法は、できるだけテイカーには関わらないこととなる。自覚のないテイカーに諭しても、時間と労力の無駄であるし、ますます被害を受けることになるからだ。

孤独な人にならないために

 ところで筆者は、どうしたら可哀そうなテイカーを救うことができるのかについて、模索してきた。答えの一端を、エモンズは示している。結論からいえば、本人が変わるしか方法はない。

 重要なのは、日々のささいな事柄に感謝する習慣を身に着けることだ。エモンズによれば、自己陶酔は「感謝範囲」と関係がある。「感謝範囲」とは、一定期間にひとりの人が感謝を感じる生活環境の数のことである。この数が、テイカーは少ないのであるから、意識して感謝を覚えるための仕組みを、実生活の中でつくっておくとよい。例えば、感謝したことを日記に書いて読み返すことや、感謝の手紙を届けることなどが効果的である。

 また、見返りを求めず率先して他者に与える習慣も、有意義であろう。もともと人は、他者を助ける心の働きを備えている。テイカーは、何らかの事情によってそれを失ってしまったのだから、ただ取り戻すだけでよい。自分の支援によって、誰かが喜ぶ顔をみてみよう。心の底から湧き上がるその感情は、本来の自分が備えていたものだ。

 人には、相手の努力よりも、自分の貢献のほうを強く覚えている傾向がある。これを心理学では、責任のバイアスという。つまり人は、多かれ少なかれナルシストなのだ。そのため、公平な見返りを求めていると、自分のほうが多くを受け取ることになる。他者から受けた恩恵よりも、ずっと多くを与えるとよい。そうすることで、ようやく帳尻が合うようになる。

 エモンズは、感謝とは自分が自由に選べる暮らし方だと述べている。つまり感謝は、健康や富、美醜のような条件に左右されず、人生において自分の意思で選択できる反応なのである。感謝のプロセスを通して、かつては当然と思われていたことが、特別なものに見えるようになることを、希少性の法則という。まさしく「有難い」とは、あることが難しいことなのである。

 キケロの言葉で締めよう。「感謝は最大の美徳のみならず、すべての美徳の両親である」。幸せな人生を歩むためには、感謝の気持ちから始めることである。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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