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地球温暖化問題と社会の意思決定

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

昨夏の猛暑や豪雨といった異常気象の頻発や,国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書の発表によって,地球温暖化問題が久しぶりに世間の話題に上るようになった。筆者は気象学的な観点から地球温暖化の将来予測の研究を行う専門家であり,政策論争からは距離を置いてきた。しかし,東日本大震災以降の脱原発論争や低線量被ばく論争を眺めるにつけ,自分が観察してきた地球温暖化の政策論争について,それらの論争と類似な「リスク問題における科学と社会の関係性」の観点から語らざるを得ない気持ちになった。詳しくは昨年9月に上梓した『異常気象と人類の選択』(角川SSC 新書)で論じたが,ここにその要点を含めた小論をご紹介する機会をいただいた。なお,本稿は筆者個人の考えにもとづいており,所属する組織を代表するものではない。

温暖化問題の切迫した現状認識

国連気候変動枠組条約における国際交渉では,温暖化対策の長期目標として「産業化前を基準に世界の平均気温上昇を2℃以内に抑える観点から対策を行う必要がある」という認識が合意されている。昨年9月に発表されたIPCC第1作業部会の第5 次評価報告書によれば,この目標を50%の可能性で達成するためには,人類が今から将来にわたって排出する二酸化炭素の総量を300 GtC(炭素換算300 ギガトン)程度に抑える必要がある。現在の世界の排出量は年間10 GtC 程度であるので,仮に現在の排出量が毎年続くとした場合,わずか30年でこの制限に達してしまう。「2℃ 以内」の目標を本気で目指すのであれば,世界の二酸化炭素排出量をできるだけ速やかに減少に転じさせ,今世紀末を目途にゼロに近づけていかねばならない。

この切迫した状況を多くの市民や政策決定者はおそらく理解していない。一方,この状況を理解した人の意見は大きく二極化する傾向があるようにみえる。「2℃ 以内」を目指すために今から徹底的に対策を行うべきだという立場をとる「対策積極派」と,「2℃ 以内」などという無理な目標は早々に諦めて対策はほどほどにすべきという立場をとる「対策慎重派」である。あえてわかりやすくステレオタイプにいえば,前者は環境省,環境NGO,環境寄りの学者のイメージであり,後者は経済産業省,産業界,産業寄りの学者のイメージである(ただし,実際にはこの構図を超えて考えている人も多くいるし,誰がどちら側というレッテル貼りをする意図もないことをお断りしておく)。

二極化する温暖化政策論

対策積極派は典型的には次のように主張する。「温暖化の影響は将来の人類のみならず今生きているわれわれにも莫大な損失を与えるものである一方,大規模な対策は実現可能であって,対策の経済的コストはそれほど大きくないどころか,対策を推進することで新たなビジネスチャンスも生まれる。」一方,対策慎重派の主張は以下のようなものである。「積極派が言うような大規模な対策は,膨大な経済的コストがかかる上に,コスト以外にもさまざまな問題があるので現実的ではない。一方で温暖化の影響にはいいことだってあるし,悪い影響もそれほど深刻なものであるか疑わしい。」

温暖化の影響についても対策についても多くの研究があるが,それらの全体像には大きな不確実性がある。世界平均気温で「2℃」を超える温暖化が人間社会や生態系にどんなリスクをもたらすかも,徹底的な排出削減対策が社会経済にどんなリスクをもたらすのかも,現時点で正確に把握できる人はいない。また,そのようなリスクの発現の仕方は国,地域,世代やさまざまな社会属性によって異なり,温暖化を放置したとしても,徹底的に対策をしたとしても,それぞれの場合で「得をする」人と「損をする」人が生じるだろう。さらに,温暖化の影響をどう捉えるかは単なる損得の問題ではなく,生態系や途上国や将来世代に押し付けられたリスクにどの程度心を痛めるかといった,人によって異なる価値判断が関わってくる。

実際にはこのような不確実で複雑で曖昧なリスク構造がある中で,「対策積極派」の人々のリスク認知においては,温暖化の悪影響リスクが強く心配されている一方で,対策に伴うリスクは軽視されている印象を受ける。逆に,「対策慎重派」の人々のリスク認知においては,過度な対策による経済的リスクなどが強く心配されている一方で,温暖化の悪影響リスクは軽視されているようにみえる。言い換えれば,「積極派」は典型的には「2℃ 以内」といった目標を所与とする論法により,温暖化の悪影響リスクを中心に置く形で問題をフレーミングしており,「慎重派」は「経済価値の最大化」といった論法により,過剰対策の経済的リスクを中心に置く形で問題をフレーミングしているように観察される。お互いに,一方の中心的な関心事は他方のフレームの外側に位置しており,このようなフレーミングのギャップを自覚せずに両者の間で議論をしても,話はかみ合わない。

価値観の対立

このような二極化が生じる背景には,社会や文明のあり方に対する大きな価値観の対立があるように思われる。「対策積極派」の人たちに共通するようにみえるのは,行き過ぎた現代文明を見直すべきという感覚である。現代文明が持続可能であるためには,人々のマインドセット,ライフスタイルを含めた社会経済が,大きな構造転換を起こさなければならないとする考え方につながる。一方,「対策慎重派」に典型的と感じるのは,社会経済の構造については現状追認的,ないしはその構造転換などを夢想するのは非現実的だという感覚である。こちらは,構造的な問題を認識したとしても,それは経済発展や技術革新によって乗り越えられていくべきという考え方につながるようである。

地球温暖化問題は,突き詰めるとそのような社会観や文明観の問題に至るように思われる。しかし,少なくとも日本では,そのような議論を大真面目にしているのを聞くことはまずない。聞くことがあるのは,地球温暖化の科学の真偽,影響被害の見積もり,対策技術の可能性やコスト,対策制度導入の日本経済への影響や,国際交渉の駆け引きといった専門性の高い各論である。このような各論における論戦は,往々にして「対策積極派」と「対策慎重派」の両陣営がそれぞれにバイアスのかかった主張を戦わせる形になりがちだ。そのような論戦は一見すると客観的な「正解」を目指した議論のようにみえながら,実は両陣営の背後にある価値観の対立の表現形態の一つに過ぎないのではないかと思えてくる。

誰がどう判断を行うのか

地球温暖化論争の本質が上述のような価値観の対立なのだとしたら,既に一方の立場に意見が固まった論者に意見変容を迫ることは容易でないだろうし,両陣営の意見を単純に足して2で割ればよいというものでもないだろう。このような問題を処理するのは,本質的な意味で「政治」の役割だと思われる。ここでの「政治」は,市民が意見を表明したり世論を形成する過程も,市民が選挙で政治家を選ぶ過程も,政治家が政治的責任において意思決定をする過程も,すべて含むものと考えたい。

しかし,ここで問題となるのは,意思決定の際に必要となる高度な専門知識の調達である。先ほど述べたように,この問題は専門知識を集積することによって客観的に「正解」が導かれるものであると筆者は考えていない。そうはいっても,価値判断を伴う意思決定を行う際に,判断の前提条件を与える質の高い専門知識は必要不可欠だ。政治に参加する市民や政治家がそのような専門知識をすべて理解することはまず不可能であるため,個別分野の高度な専門知識を有する専門家や,ある程度の専門知識を包括的にもち,それを政策論と接続して考えられる立場にある官僚の存在が大きな意味をもつことになる。

ここで,専門家がもつ専門知識を社会の価値判断と接続することにより,科学的な合理性が高いと同時に社会における納得感も高いような意思決定を導く作業を丁寧に行う必要があると筆者は考えるが,現実社会においてそのような仕組みがうまく機能しているとはあまり思えない。特に,専門家や官僚の一部は「市民の声は感情的で非合理的なのであまり判断に反映させたくない」と思っている節があるし,逆に市民の一部は「専門家や官僚は利権やメンツを優先するので判断を任せたくない」と感じているのではないか。このような相互不信の構造は納得感の高い社会的意思決定にとっての大きな障害であり,これを少しずつでも解消する努力がまず必要だろう。

最近の動きから

話が抽象的になったので,最後に,この分野での最近の具体的な出来事についていくつかコメントしたい。昨年11月にワルシャワで行われた国連の交渉会議COP19において,日本は温室効果ガスの排出量を2020年までに2005年を基準に3.8%削減(1990 年を基準に3.1% 増加)するという新目標を発表した。一方で,日本は技術と資金によって国外の排出削減に協力し,2050年までに世界の排出量を半減する目標(安倍首相が2007 年の前政権時に表明した「クールアース50」)に向けて努力するという「攻めの地球温暖化外交戦略」を表明している。

この時点でエネルギー基本計画が定まっておらず,2020年までという短期では基本的に既存技術の積み上げで考えるしかないという状況の中で,達成可能な目標を設定したということであろうから,筆者はこの数字の合理性には一定の理解を示す。しかし,この一連の発表には,現在の日本政府が地球温暖化問題への対応を経済と技術の力で進めようとしており,国内の社会経済構造の大転換のようなものを夢想する気はないという,明確な姿勢が現れているように筆者の目には映る。前述したように,これは大きく対立する価値観の一方の極にある立場である。日本政府は政治的選択としてこの立場をとったのであろうから,筆者にはそれも理解できる。残念なのは,これらの目標や戦略を発表するまでの過程で,この重要な価値選択を国民に問う場面があったようには思われないことである。また,価値観において対極にある環境NGOやEUが,日本の立場を理解してくれないのは当然のことのように感じる(ただし,EU の理想主義的なポジションのどのくらいが本音で,どのくらいが交渉戦術であるのか,筆者には判断できない)。

エネルギー基本計画に関しては,2013年12月の時点で総合エネルギー調査会基本政策分科会の意見とりまとめが行われた。パブリックコメントの募集はあったが,一昨年に行われたような国民への選択肢の提示も,意見聴取会も討論型世論調査もない。実は,基本政策分科会の意見の最後には,国民各層との「双方向的コミュニケーションの充実」がうたわれている。政府がこの意見に本気で応えることができるのかどうかを,今後注視していきたい。

初出:『科学』 2014年2月号(岩波書店発行)

東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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