オウムに敗訴!警視庁の大失態はなぜ起きたか

警察庁長官銃撃事件で、警視庁が時効成立の直後に「オウム真理教の犯行」と断定する発表をした件で、東京地裁は「アレフ」と名称変更した同教団の訴えを認め、損害賠償100万円の支払いと謝罪文の交付を東京都に命じる判決を出した。事件を解明できなかったうえ、このような結果を招いた青木五郎公安部長(当時)ら警視庁関係者の責任は、厳しく問われなければならない。

東京・桜田門の警視庁本部
東京・桜田門の警視庁本部

オウムと結びつける証拠は見つからず

この事件は、地下鉄サリン事件が発生し、警察がオウムへの強制捜査を初めてまもなくの1995年3月30日朝に起きた。当時、オウムは捜査を撹乱するため、様々な事件を画策し、実際に宗教学者宅爆弾事件(3月19日)、教団本部火炎瓶自作自演事件(同日)、新宿駅地下での青酸ガス事件(4月30日、5月3日、5日)、都庁爆弾事件(5月16日)などを起こした。長官銃撃事件も、当初、犯人はオウムだという仮説の下に捜査を始めたのは分かる。私もこの事件の発生を知った直後は、警察のトップさえやられるのなら、どんなに警戒してもやられる時はやられるんだなと、妙に開き直った気持ちになった記憶がある。

だが、仮説はあくまで仮説。状況によって見直しが必要だ。

逮捕容疑以外でも自身が関与した事件について率直に語っていたような元信者でも、この件については、断固として関わりを否定した。そのうえ、他のオウム事件とは”芸風”が全く異なっていた。他のテロ事件では、オウムは必ず自作の凶器を使っていた。地下鉄・松本両サリン事件だけでなく、VX、爆弾、青酸ガス発生装置、さらに失敗に終わった生物兵器やレーザー銃、ホスゲン…。自動小銃も自作を試みた。”手作り志向”のオウムが、本件のように既成の武器を使った事件は、他にない。しかも、オウムがその拳銃を入手した形跡はまったく出てこなかった。事件とオウムを結びつける証拠が全くなかったのだ。

まさに仮説の見直しが必要な状況だった。

警察の違法行為を裁判所は厳しく断罪

ところが、警察はオウム犯行説にこだわり続けた。2004年には元信者ら4人を逮捕。法律で許されるめいっぱいの期間を勾留して取り調べたが、手がかりを得ることはできず、検察は不起訴とした。それでも、警察はオウム犯行説から離れることができないまま、2010年3月時効を迎えた。その直後、青木公安部長が記者会見を開いて「オウム真理教の信者グループが松本智津夫教祖の意思の下に、組織的・計画的に敢行したテロ」と断定。その内容を詳述した文書をネットで公開した。

今回の東京地裁の判決は、この発表を次のように厳しく断じている。

〈検察官が被疑者を不起訴処分としたにもかかわらず、警察官が当該被疑者を犯人であると断定、公表して、その者に事実上の不利益を及ぼすことは、無罪推定の原則に反するばかりでなく、被告人に防御権が保障された厳格な刑事手続きの下、検察官が起訴した公訴事実につき、公正中立な裁判所が判断を下すという我が国の刑事司法制度の基本原則を根底からゆるがすものと言わざるを得ない〉

けだし当然の内容だ(裁判所が常に「公正中立」なのか、という疑問はあるが、ここではさておく)。

問題は、こんな違法行為がどういう経緯で行われたのか、だ。

このような文書を公表すれば、権利意識の高い教団が訴えを起こすことは当然分かっていたはず。裁判となれば警察に勝ち目が薄く敗訴となれば、血税が教団に賠償金として支払われる。それだけではない。彼らが裁判結果を最大限に利用し、地下鉄サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件を含めた捜査全体にも疑問があるようにふるまい、被害者の心情をさらに傷つける事態になることも、十分予想したはずだ。そんな被害者にとっての利敵行為を、警察は組織を挙げてやったのである。

このような愚行が、なぜ、誰のどのような提案と判断によってなされたのか。なぜ、誰もこれを止められなかったのか。この点は、ぜひとも明らかにされなければならない。

きちんと検証を行うべし

裁判所にこれだけ厳しい認定をされた以上、東京都公安委員会や国家公安委員会は、これを放置してはならない。きちんと検証を行い、それを公表すべきだ。

また、当の公安委員会が警察を指導監督し、違法行為は改めさせる役割を果たしてこなかったことも、重大な問題だ。

当時の中井洽国家公安委員長は、「かつてない発言で、悔しさがにじみ出ている。確信があるのだろうが、犯人は特定できなかった。捜査の反省から、異例の発表になったと考えている」(2010年3月30日付朝日新聞夕刊より)と述べ、警察の発表を擁護したのだ。東京都公安委員会は、この問題について沈黙。このような対応について、さらには警察がオウム犯行説にこだわり過ぎた事情についても、都議会や国会が中心となって検証を行わなければならない。

大失態の原因と背景

ただ、これまでの例を考えれば、議会が迅速な対応をとる、という期待は裏切られそうだ。

なので、私なりに、これまでの取材や経験に基づいて、警察の一連の大失態の原因や背景を考えてみた。

1)本件では公安部が担当し、公安的手法で捜査を行った

オウム事件の多くは、刑事部で中心となって捜査が行われたが、この件は警視庁公安部が担当した。物証や証言を積み上げて犯人に迫る刑事部の捜査とは異なり、あらかじめ決めたターゲットを監視したり活動を制約するために事件を探し(作っ)たりする公安的手法を、事件捜査に持ち込んだのがそもそものまちがいではなかったか。

2)警察内部での組織の縄張り争い

警視庁という一つの組織にありながら、刑事部と公安部の間ではまったく連携がとれていなかった。少なくとも、オウム事件ではそうだった。私に対しても、刑事部と公安部の捜査員がまったく同じことを聞いてきたし、しかも公安部の中でも公安一課と公安総務課は、まったく別組織のように情報を隠し合っていた。当初、刑事部は多くのオウム事件を抱えて手一杯だったかもしれないが、主な事件が立件し終わった段階で、長官銃撃事件を刑事部中心の捜査に変えればよかった。一時期、刑事部の捜査員も加わったという話も伝え聞いたが、効果的な共同捜査にはならなかったようだ。

3)何より組織のメンツが優先した

メンツにこだわって事件を抱え込んだ公安部は、やはりメンツにこだわって自分たちの見立ての誤りを認められなかったのではないか。オウム犯行説では犯人を検挙できなかったにもかかわらず、敗北を認められず、「自分たちの見立てが正しかった」と強弁すべく、違法な発表を強行したのだろう。

4)上が決めたことには言わぬが花の風潮 

公安部内には、上司の判断に異論を唱えて自由闊達に議論する雰囲気もなかったに違いない。幹部の方針には逆らわない方が無難、という風潮が蔓延していたのではないか。時効までに犯人を特定できなかったにもかかわらず、オウムの犯行を断定するのはまずい、という判断を、誰もできなかったわけではあるまい。にもかかわらず、上司の愚考を止めなかった。捜査の過程でも、オウム犯行説にこだわる上司に仮説の見直しを真言できる状況ではなかったのかもしれない。 

5)都道府県の公安委員会は警察に完全に取り込まれている

事務局は警察本部の中にあり、事務局員は警察職員。本来は監督する立場でありながら、公安委員会は完全に警察に取り込まれている。おまけに委員の多くは名誉職。そのうえ、法律でも公安委員会に調査権限を与えておらず、事実を調べる能力もない。公安委員会が果たすべき機能を果たさないために、警察に対するチェックが行われていない。警察が何度不祥事を起こしても、結局外の目が入らず、身内の調査で終わっているために、改善すべきところが改善されないままになってしまう。

6)政治家はスキャンダルの暴露を恐れて警察には逆らわない

多くの情報を持ち、情報収集をする能力のある警察を敵に回せば、スキャンダルになりうる情報をマスコミなどに流すことを恐れて、国家公安委員長など権限を持った政治家も、問題をきちんと解明しようとしないのではないか。

このような状況がある限り、オウム事件に限らず、他にも問題を起こすことは必定だ。実際、青木公安部長時代には、外事部で国際テロ捜査資料(日本に在住するイスラム教信者の外国人の個人情報を含む)が流出するなどの問題も起きている。

では、どうすれば警察の現状を改善できるのか。

公安委員会の改革と責任ある個人の賠償責任

特効薬はみつからない。しかも、警察という閉鎖社会に治療のメスを入れることは、そう簡単なことではない。だが、とりあえず次の2点から、まず始めなければならない。

A)公安委員会をまともに機能させる

事務局を警察から切り離して、都道府県庁に置く。事務局のスタッフは都道府県の職員とする。警察法を改正して、公安委員会に調査権限を持たせる。都道府県知事は、名誉職ではなく、実際に警察を監督する意欲と能力のある人を任命する。公安委員会は定期的に記者会見を行って、現在の課題について積極的に広報する。

こうした対策を組み合わせて、公安委員会を強化しつつ、市民がそれを支える体制作りを地道にやっていく必要がある。

B)明らかな違法行為には警察官個人に賠償させる

国家賠償法1条第2項には次のような規定がある。

〈公務員に故意又は重大な過失があつたときは、国又は公共団体は、その公務員に対して求償権を有する。〉

今回の長官銃撃事件での警察の違法な発表は、まさにこれに当たる。都民の血税を1円たりともオウムに支払うような事態は、とうてい許されない。もし、損害賠償が確定したら、都は青木公安部長ら責任ある警察関係者からその金額を必ず取り立てるのが筋だ。

最後に、アレフ(オウム)に一言。

警察の反省を求めたり、自分たちの施設を購入したりするより、自分たちの教団が引き起こした事件を真摯に反省し、被害者への賠償を誠実に行うのが先だろう。もし、この事件で賠償金が支払われた場合、それは全額被害者に渡すべきだ。