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災害出動でも武器を使ってきた自衛隊

dragonerWebライター(石動竜仁)
数々の破壊行為を謝罪するゴジラ(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

国内では12年ぶりとなるゴジラ映画、「シン・ゴジラ」が好調のようですね。

東宝は17日、2017年2月期連結決算の純利益が前期比27.7%増の330億円(従来予想223億円)と、過去最高になる見通しだと発表した。主力の映画事業が好調で、夏公開した「シン・ゴジラ」と「君の名は。」の大ヒットが利益を押し上げる。

出典:今期、最高益に=「ゴジラ」「君の名は。」貢献―東宝

シン・ゴジラがこれまでのゴジラ映画と比べて異質なのは、非常時における日本政府の対応を細かに描いたことで、多くの政治家や官僚と言った人たちが映画に言及していることです。特に石破茂・元防衛相は、自身のブログや雑誌、テレビなど、多くの媒体でシン・ゴジラについて言及しています。その中でも繰り返し述べているのが、「ゴジラに対して防衛出動は必要ない」という指摘です。

シン・ゴジラ劇中、上陸した巨大不明生物による被害が拡大する中、政府は戦後初の自衛隊の防衛出動を決定し、巨大不明生物に対する武力行使命令を発令します。これに対し、石破・元防衛相は防衛出動しなくても災害派遣で対処出来る、と次のように述べています。

お勧め下さる方があって、「シン・ゴジラ」も映画館で観る機会があったのですが、何故ゴジラの襲来に対して自衛隊に防衛出動が下令されるのか、どうにも理解が出来ませんでした。いくらゴジラが圧倒的な破壊力を有していても、あくまで天変地異的な現象なのであって、「国または国に準ずる組織による我が国に対する急迫不正の武力攻撃」ではないのですから、害獣駆除として災害派遣で対処するのが法的には妥当なはずなのですが、「災害派遣では武器の使用も武力の行使も出来ない」というのが主な反論の論拠のようです。

出典:石破茂オフィシャルブログ「お初盆ご挨拶など」

結論から言いますと、石破氏の指摘の通りであり、過去にも自衛隊が防衛出動によらず武器使用を行った例は多々あります。今回は、その中でも特筆すべき例について、ご紹介したいと思います。

谷川岳宙吊り遺体収容での銃撃

1960年9月19日に群馬県谷川岳の一ノ倉沢において、地上130メートルで宙吊りになった登山者2人が発見されました。現場は衝立岩(ついたていわ)と呼ばれる難所で、2人は衝立岩正面の岸壁を登っている最中に落下し、そのまま登山用のロープ(ザイル)で宙吊りになったものと見られました。発見時に2人の反応はなく、既に亡くなっていると見られたため、遺体を収容するため、所属する山岳会のメンバーがザイルを焼き切って落下させようとしましたが、あまりに難所だったため近づくことが出来ず、遺族から警察を通じて自衛隊に出動が要請されました。

事件のあった谷川岳一ノ倉沢(撮影:Maulits)
事件のあった谷川岳一ノ倉沢(撮影:Maulits)

要請を受け、相馬原駐屯地の特車(戦車)大隊から、射撃に優れた12名の隊員が選抜され、ザイルを銃撃で切断して遺体を収容することになりました。なお、当初は戦車でザイルと岩を接続するハーケンを射撃する事も想定されましたが、地形の問題から戦車投入は無理と判断されています。しかし、場合によっては隊員が携行する無反動砲での射撃も考慮されており、銃器のみならず、重火器の使用も想定の内でした。

24日午前には跳弾の危険がある場所に警官を配置し、登山者が入らないよう安全措置を行った上で、遺体収容のための射撃が行われました。小銃、カービン銃、機関銃により1000発以上射撃されましたが、直径12ミリのザイルには命中しないまま、午前の射撃は終了します。午後は作戦を変更し、ハーケンを狙撃銃で射撃することで切断に成功しました。しかし、地面に落下した2人の遺体は300メートルは斜面を転げ落ち、収容には成功したものの、その痛ましさから後味の悪い事件となってしまいました。

機関砲、戦闘機によるトドに対する射撃

1950年代から60年代にかけて、北海道沿岸に出没して漁業被害をもたらすトドに対し、自衛隊が射撃で追い出すこともありました。このトド駆除は名目上は射撃訓練でしたが、目標をトドが生息する岩礁に設定し、沿岸から陸上自衛隊の機関銃、37ミリまたは40ミリ高射機関砲による射撃、上空からは航空自衛隊のF-86戦闘機による機銃射撃が行われています。

この射撃では、トド2頭の死体が確認された例もありますが、あくまで射撃目標は岩のため、トドが逃げた後も射撃は何時間も続行されています。聴覚の鋭敏な海棲哺乳類は爆発音を嫌ったために、後の調査で射撃後数年は岩礁にトドが現れなかったという証言もあり、漁業被害防止の効果はあったようです。

当時の様子はニュース映像でも記録されており、映画ニュースを配信していた中日映画社が、You Tube上で公開している低解像度サンプルを見ることができます。

第十雄洋丸沈没処分

恐らく、問題解決のために、自衛隊で最も強力な武器が使用された事件としては、1974年に炎上したタンカーを、海上自衛隊が艦船、航空機、潜水艦で撃沈処分した第十雄洋丸事件が挙げられるでしょう。

1974年11月9日、東京湾で燃料を積載したタンカー第十雄洋丸と、貨物船パシフィック・アレスが衝突する事故が発生し、2隻とも炎上、死者33名を出す大惨事となりました。パシフィック・アレス号は鎮火に成功したもの、第十雄洋丸は炎上・爆発を続け、消火の目処が立たない状況でした。一旦は木更津沖に座礁させて燃料が燃え尽きるのを待つ作戦に出ましたが、海苔への汚染を恐れた地元漁師からの反対を受け、第十雄洋丸は東京湾外に曳航され、沖合で燃料を燃え尽くす作戦に切り替えられました。

炎上する第十雄洋丸(海上保安庁資料より)
炎上する第十雄洋丸(海上保安庁資料より)

ところが、積載していたナフサタンクが爆発して危険な状態になったため、曳航を断念して第十雄洋丸を切り離したところ、黒潮に乗って漂流を始めました。爆発炎上を続けたまま数ヶ月太平洋を漂流するのは危険と判断した海上保安庁は、22日に自衛隊の災害出動を要請し、前代未聞の海上自衛隊によるタンカー撃沈処分が行われることになります。

要請を受け、海上自衛隊は護衛艦4隻、潜水艦1隻、対潜哨戒機など14機を出動させ、撃沈処分に乗り出します。ところが、第十雄洋丸の船体は二重底な上、タンクは三重構造で守られているなど、極めて堅牢な作りであることが判明し、また積載されているナフサは水よりも軽いため、タンクに穴を開けてナフサを流出・燃焼させなければ、浮力となって第十雄洋丸が沈まないことが考えられました。

このため、射撃は複数回に分けて段階的に行われることになりました。射撃は11月27日に開始され、まずは護衛艦4隻による艦砲射撃により、船体やタンクに多数の穴を開けて燃料の流出や炎上・浸水を促し、翌28日にはP-2J対潜哨戒機4機によるロケット弾・爆弾攻撃、潜水艦による魚雷攻撃が行われました。第十雄洋丸には魚雷2発が命中し、炎の高さ250メートルに及ぶ大火災を引き起こしました。

しかし、魚雷命中後も第十雄洋丸は健在で、このため再び護衛艦による射撃が日没まで行われました。それでも沈没に至らないため、呉から新たな潜水艦が出航するなどの措置が取られましたが、日没過ぎの午後6時少し前に大爆発が発生し、第十雄洋丸が水没を始めました。この際に高さ300メートルにまで達する大火災を引き起こした後、午後6時47分に完全に水没し、水深6000メートルの海に姿を消しました。

ゴジラ駆除に防衛出動は必要?

話をシン・ゴジラに戻しましょう。これまでの事例を見る限り、自衛隊は防衛出動がなくても、小銃といった小火器に留まらず、機関砲や艦砲、爆弾、魚雷といった高威力の重火器までも使用しており、石破氏の指摘の通り、防衛出動でなくてもゴジラに対する武器使用は問題ないようです。

とすると、何故シン・ゴジラでは防衛出動が行われたのでしょうか。第十雄洋丸の沈没処分は、前代未聞の出来事なこともあってか、当時大きく報道されていました。シン・ゴジラの庵野秀明総監督は1960年生まれ。テレビで第十雄洋丸の沈没処分を固唾を呑んで見ていた直撃世代で、この事を知っていても不思議ではありません。

恐らく、シン・ゴジラで防衛出動が行われたのは作劇上の理由からで、災害出動より防衛出動の方が事態の深刻さを表せるためと思われます。同じく劇中では防衛出動の他に、東日本大震災でも出なかった災害緊急事態の布告も宣言されています。布告が宣言された段階では、被害は大田区・品川区の一部に留まっており、進行中の災害とは言え、布告が必要かと言われるとこれも疑問で、同様に作劇上の理由からではないでしょうか。

庵野総監督のこれまでの作品でも、作品の画作りを他の要素に優先させる事が少なからず見られ、創作・商業作品である以上、それはむしろ重要な点でもあります。現実の政治家である石破氏が違和感を持ったのはまさにこの点で、ある意味でシン・ゴジラのキャッチ・コピー「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」が、「現実(イシバ)対虚構(アンノ)」となって現れたのが、この一連の現象かもしれません。

Webライター(石動竜仁)

dragoner、あるいは石動竜仁と名乗る。新旧の防衛・軍事ネタを中心に、ネットやサブカルチャーといった分野でも記事を執筆中。最近は自然問題にも興味を持ち、見習い猟師中。

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