Yahoo!ニュース

福島からの証言・5

土井敏邦ジャーナリスト

(橋本あきさん/撮影・土井敏邦)
(橋本あきさん/撮影・土井敏邦)

【橋本あき】(2014年5月、郡山市で収録/郡山出身)

〈概要〉橋本あきさんの一人娘は、原発事故の直前に長男を出産。「大阪より西に避難を」という専門家の助言に従い、娘夫婦は福岡に避難した。しかし娘の夫は現地に馴染めず、独り郡山に帰り離婚、娘と幼い孫は福岡に残り避難を続けている。原発事故で家族が離散した一例である。

【大阪より西への避難】

 震災当日、私の姉と娘と孫の4人で家の中にいました「地震だ、ストーブ消して!」と叫んで、外へ飛び出しました。家も電線もぐあん、ぐあんと揺れていました。晴れの天気から、急に空が真っ暗になり横殴りの雪になりました。「これで世の中、終わりだ」と思いました。家中は食器棚が倒れ色んなものが散乱し足の踏み場もないくらいでした。

夜、テレビで津波のニュース見て、「もしかして、原発やばいのでは?」と、思いました。地震のときは、原発がどうなるかはわからなかったんです。原発が爆発したときに、 「すぐにここを出なければ」と咄嗟に思いました。

 私は放射能のことを少しは勉強していたから、子どもを放射線量の高い場所に置いてはいけない、生まれたばかりの赤ちゃんは一番感受性が高い「自分たちは危険な場所にいるんだ」と思いました。

 でも娘の夫は放射能のことは知らないし、その危険性もわからない。「山下俊一という専門家も福島に来て、『安全だ』と言っている。国も県も、『ただちに健康被害はない』と言っている。他の人もみんなが残っているから大丈夫」だと言う。

 私の夫は会社での健康診断で、2011年5月に血尿が出ました(過去約40年間そんなこと一度もなかったし、持病もなし)TSUTAYAで借りた放射線線量計で測ってみると庭で1・3マイクロシーベルト/時でした。

(橋本あきさんが暮らす郡山市郊外/撮影・土井敏邦)
(橋本あきさんが暮らす郡山市郊外/撮影・土井敏邦)

  5月ごろある作家の講演会がありました。「東日本は危険な状態だから、大阪より西へ避難したほうがいい」ということでした。私は娘に「大阪より西への避難を」と言ったんですが避難が延び延びになっていました。

 オーストラリアのシドニーにいる私の妹が「世界では、福島だけでなく日本全体が被曝していると言っている。早く逃げろ!」と毎日電話よこして言うんです。いろいろな事情で動けない状態だと説明しても理解してもらえず喧嘩にもなりましたが、11年の暮れに1ヶ月ほど私と娘と孫がシドニーへ行きました。現地の人たちは代わる代わる「もう日本へは帰るな」と言ってくれましたが、そんな訳にもいかず複雑な思いで帰ってきました。

【離婚】

 なんだかんだとありましたが2012年1月に娘たち親子3人は福岡へ避難しましたが、半年後、娘夫婦は嚙み合わない生活から別れました。私もそのほうが娘と孫を応援しやすいと思いました。

 来年で福島県の「借り上げ住宅」の支援がなくなってしまいます。しかし「放射能から子どもを守る権利がある」「いくら除染しても子どもが住めるような状態ではないのだから、移住する権利を認めろ」と思います。

 娘はいろいろなものを犠牲にしていると思います。福岡に行くことも、私が「西に行け」と言って娘たちが決めたことだったけど、福岡には知り合いもいないんです。

ただ、親子3人で行くことには自分たちでは納得して行ったので「子どもを守るためなら、周りに知り合いがいなくても大丈夫」という感じはあったのではないかなと思います。「自分の身に置き変えてみると、私はこんなことができたかな」と考えてしまいます。

 隠したり嘘をついて相手の考えに同意しているような、人を騙すような状態が長く続けるくらいなら、はじめから別れさせたほうがよかったです。私個人としては「よかった」と思っています。

 浜通りから郡山に移住している人もたくさんいます。そんな状況で郡山は「危険」とはあまり言えないかもしれませんけどね。

【放射能の危険を語れない】

(Q・娘さんは故郷について語りますか?)

 娘は郡山に帰ってくると、たくさんの友だちと会っています。

孫は外に出ると、「公園で遊びたい」と言い出しますが、私は「ここは虫がいるから、遊べないんだよ」と、一歩も歩かせません。「ちょっと異常なことやっている」と思ったりもしますけど。

 「郡山には室内遊び場があるから」と納得している親が多いことがショックです。「ここには住めないんだ」と声を上げればいいのにと思うのですが、小さな子を持っている親が騒がない。いや騒げない状態になっていると言うべきでしょう。それも悲しいことです。

(Q・娘さんは帰りたいとは言わないですか?)

こちらで友だちに放射能の話をしても、「まだそんな心配しているの?」「早く帰ってきな。なんでもないから」とか言われることも多いらしいです。しかし娘は真剣に原発に対する怒りを話せる友だちがいないと言うんです。だから「帰りたい」とは言わないですね。そういうことを話せる友だちが何人かいれば、心強いんだろうけど、同級会に行っても、そういうことを聞く耳を持つ人は誰もいなかったと言うんです。

(Q・2~3年で線量が下がったら、娘を戻す考えはありませんか?)

ないです。線量が下がるだろうと言っても、実際は、あるんですよね。みんなが「下がった、下がった」といっても、ここでも0・3マイクロシーベルト/時(東京の約10倍)はあります。それは、いてはいけない線量です。線量計がピッピとなっています。「ここから離れなさい」という警告音です。他の人は「何でもないじゃないか」と思うだろけど、私の中ではたいへんな数値です。

(橋本あきさん/撮影・土井敏邦)
(橋本あきさん/撮影・土井敏邦)

(Q・怒りはどこへ向かいますか?)

 東電ですよ。東電が責任を取らないことへの怒りです。でも東電に対する怒りがない人たちがあまりにも多いんです。

 郡山では抗議デモをやっても200人ぐらいしか集まりません。友だちを誘っても、「あんたたちはよくそんなことをやるね」と言われる。一方で、行政は、お祭り騒ぎの「復興イベント」をやる。それに対する怒りもあります。

 何か郡山でアクションをしなければとずっと考えていました。去年(2013年)の1月原発再稼働阻止ネットの集会で北海道の泊原発反対の人たちが、札幌で雪だるまに「再稼動反対」というのぼりを立てようと思っていると発言されていました。それを聞いて私は、「雪だるまに幟を持たせるのはいいかも。私が雪だるまをやればいいんだ、よしやってやる!」と決心しました。

 それで郡山駅前で独り、「私は見ない、聞かない、しゃべらない」と沈黙のアピールをやることにしました。「原発再稼動反対」と書いてドキドキしながら立ちました。初めてで、しかも独りでしたが「恥ずかしいなんて言っていられない!」とポスターをバシッと広げて、黙って立ちました。

 1時間ぐらい立っていると、みなチラッと見て、目線が合うと話しかけられると思うのか、奥さんたちは目線をそらしていくんです。中にはワザワザ近寄ってきて悪口を言っていく人もいました。お母さんに連れられた小さい子が、「ママ、あれはなんて書いてあるの?」と訊くと「子供は知らなくていいの。あんなのは読まなくていいの」と言うんです。「ばかやろう、ちゃんと教えろよ!」と思いましたが、黙っていました。

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

土井敏邦の最近の記事