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元 阪神・高野圭佑がツイッターのアカウント名を「12/7 トライアウト受ける高野圭佑」にしたわけとは

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
高野圭佑投手のツイッター、トップ画像より

■ツイッターのアカウント名が・・・!

「12/7 トライアウト受ける高野圭佑」

 ツイッターのタイムラインにこんなアカウント名で流れてきたのは11月5日だった。それまではフルネームの「高野圭佑」だった。元阪神タイガースの高野投手だ。

西勇輝投手の1500投球回記念Tシャツを着てトレーニング
西勇輝投手の1500投球回記念Tシャツを着てトレーニング

 昨年シーズン途中に千葉ロッテマリーンズからトレード移籍し、1軍で4試合に登板した。しかし今年は昇格できないまま、前日の4日、球団から来季の契約を結ばないことを告げられていた。

 そこからすぐに切り替えられたのは、覚悟していたということもあるが、高野投手にはまだまだやれる自信があったからだ。

 今季途中、コンディショニング不良によって落としてしまったパフォーマンスも、体さえ万全まではいかずともそれに近づければ、本来の球速、球質のボールに戻せるという確信があった。

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 そこで、12月7日に開かれる「12球団合同トライアウト」に挑む決意をし、ツイッターのアカウント名にそれを付記した。

 「シーズン後半、ファームで投げさせてもらっていても、あまりいいものを出せていなかった。10月には投げ方を変えてサイドにしたけど、トライアウトを受けるにあたって、また上に戻している。そうやってトライしているのを、なんらかの形で見てもらいたいと思って。情報社会だし、ファンにっていう意味もあるけど、球団関係者だったり、野球に関連してやってる人の目に留まればいいなと思って」。

 たしかにインパクトは絶大だ。単に名前だけより、注目度はぐんと上がる。シーズン最後の1カ月、横手投げの姿を記憶に残している他球団の編成担当者にも、フォームを戻して本来のストレートが投げられていることが、ネットを通して伝わればという願いも込めている。

■昨秋、先発転向を告げられた

 これまでずっとリリーフを持ち場としてきた高野投手に転機が訪れたのは、昨年秋だった。金村曉投手コーチから「来年は先発を考えているから」と言われ、そのつもりで準備に入った。

 オフも納会翌日から無休でトレーニングし、春のキャンプでも先発を頭に入れて仕上げていった。

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 ファームの教育リーグで徐々にイニング数を増やしていきつつあった3月半ば、1軍からお呼びがかかった。しかし起用は先発ではなく中継ぎだった。

 チーム事情から一旦はリリーフとなったが、それでもまた6月の開幕前には「先発でやってもらいたい。ファームで準備をしてくれ」と言われた。

 しかし開幕当初は1軍の投手が調整でファームに投げにくる。さらには雨にも邪魔をされ、なかなか先発で登板できない。ほかの先発候補とイニングを分け合う形で、中継ぎで複数回を投げ続けることとなった。

鳴尾浜のトレーニングルームにて
鳴尾浜のトレーニングルームにて

 8月に入ってようやく先発ローテーションで回りだした。しかし4回68球、5回87球、5回103球、5回119球…と投げていくごとに、段々とパフォーマンスが下がってきた。明らかなコンディショニング不良だったという。

 「毎試合、平均球速も落ちていった。マックス150キロ、平均148キロだったのが、平均145、143…で、最終的に140くらいまで落ちた、夏場に。これまで6~7年、リリーフでやってきて、1試合に100球投げるというのに肩が慣れていなかった」。

 昨秋から準備に入ったとはいえ、途中、中継ぎになったりコロナ禍の自粛もあったりで、積み上げたものが逆戻りしたのが響いた。

鳴尾浜のブルペンにて
鳴尾浜のブルペンにて

 体のダメージは大きく、足の痛みも抱えショートダッシュもできなくなった。しかし「痛い」とは言えなかった。絶対に言いたくなかった。

 1軍は9月に13試合、9試合と大型連戦を控えていた。先発ローテにも谷間ができる。そこでの昇格を狙っていたのだ。

 「ここで離脱しちゃうと目標としていた谷間を取ることができなくなるから、けっこう無理をした」。

 しかし結果的に、それがさらにコンディションを悪化させることになってしまった。

■サイドスローの原点

鳴尾浜のトレーニングルームにて
鳴尾浜のトレーニングルームにて

 そこでファームで話し合いが持たれた。平田勝男監督と香田勲男高橋建の両投手コーチとともに今後のポジションをどうするかという話だった。平田監督は「希望に任せる」と言ってくれ、香田コーチにはリリーフを勧められた。

 そのころ、1軍のローテはほぼ固まり、リリーフがやや手薄になっていた。1軍の戦力になるためにと、リリーフに照準を定めることに転換した。

 しかし、リリーフで2試合結果を残したが、3試合目に大量失点してしまった。このままでは来季の契約すら危ういなと考え、そこで出した答えが「サイドスロー」だった。1軍のブルペンにいないタイプであるサイドスローに転向することで、活路を見出そうとした。

撮影:東沙弥香氏
撮影:東沙弥香氏

150キロのストレート縦に落ちるフォークで勝負してきた上手投げのピッチャーが、なんという発想の転換なのだろう。しかし「サイドスロー」には実は“布石”があった。

 「苦肉の策ではあるけど、もともと自分の中でずっとサイドでやりたいなっていう気持ちがあった」と、回顧したのが高校時代だ。当時の印牧隆監督から「お前の体はサイドスローのほうが合っている」と言われ、練習試合でサイドスローで投げたことがあるのだ。

撮影:東沙弥香氏
撮影:東沙弥香氏

 「めちゃくちゃハマッた。合っていたんだと思う。めちゃくちゃ抑えられた」。

 監督の目は正しかった。しかし、当時の高野投手には受け入れ難かった。

 「だって僕の目標としているプロ野球選手は上原浩治さんだったから。このまま成績を出し続けるとサイドにさせられるから、わざと四球を連発して炎上した。マウンドで首かしげてみたりして(笑)」。

 すると、「もういい。上に戻せ」と監督も諦めてくれた。

 今もなお尊敬している監督の言葉がずっと耳に残っており、プロ5年目の窮地でそれにすがることにしたのだ。

■サイドスローを試した結果

鳴尾浜のトレーニングルームにて
鳴尾浜のトレーニングルームにて

 ずっと頭の片隅にあった。「やっぱあのときサイドにしてれば、もしかしたら違う未来があったんじゃないかな」。そう思いながらプロ生活を歩んできた。

 なにより今後、「やっぱりサイドにしてれば成功したのかな」と後悔することは絶対に嫌だった。

 「まだプロのバッターと対戦できるうちに試したかった。これまで積み上げてきたものがあるわけじゃないし、高校のときのバチバチに抑えた記憶もあった。もしかしたら電流が走ったかのように劇的に変わるかもしれないと思った」。

撮影:東沙弥香氏
撮影:東沙弥香氏

 球速はサイドで145キロまで上がり、中継ぎで9試合(公式戦8、練習試合1)に投げて2失点(最後は6試合連続無失点)だった。

 「良くもなく悪くもなく、めちゃくちゃインパクトを残すわけでもなかったんで、この程度のピッチャーだったら要らないなと、客観的に見て思った。自分に期待し過ぎた」。

 さらに耳に入ってきた編成担当者たちの評判も、思わしいものではなかった。

 もしこのまま来季もタイガースでやるのならば、サイドの道を究めるという選択肢もあった。が、そうはならなかったことで高野投手の腹は決まった。再びオーバースローに戻して勝負しよう、と。

■求めるのは力強いストレート

鳴尾浜のブルペンにて
鳴尾浜のブルペンにて

 翌日から即、戦いは始まった。上手からの150キロを取り戻す、己との戦いだ。

 コンディショニングを回復するためにもっとも必要なことは休養だが、そんな時間はない。この3週間、体の状態とすり合わせながら、ストレートの強さを戻すために無休で取り組んできた。追い込み過ぎて、すり減らしたりケガをしたりもできない。うまく均衡を保ちながら、なおかつコンディショニングを上げているところだ。

鳴尾浜のトレーニングルームにて
鳴尾浜のトレーニングルームにて

 「自分の感覚的には段階を踏めてやってるかなって感じはする」。

 現在、ブルペンで142キロを計測するが、もともとブルペンでは数字が出ないのだという。

 「ブルペンで140、マウンドに上がって投球練習の5球で145~6になって、バッターが立つと150」

 真剣勝負になるとスイッチが入るのだ。だから当日の“一発勝負”は期待できる。

鳴尾浜球場にて
鳴尾浜球場にて

 これまでずっと、貫いてきたことがある。

 「後悔しないスタイル。先発の打診を受け入れたことも、またリリーフに戻ったことも、サイドスローにしたことも。全部、自分が後悔ないようにやった結果。失敗したというのはまったくなくて、先発やったことも経験値になるし、プロのバッター相手にサイドでどれくらい試せるのかも投げて感じ取れた」。

 これまで選んだ道に後悔はない。あとから振り返っても「ああしとけばよかったな」は、いっさいないと言いきれる。

 だから今も、決して後悔しないよう、やれることはすべてやってトライアウトに挑む。

■今も手に残っている東出輝裕選手のボールの感覚

チームメイトが野球ノートにサインの寄せ書きをしてくれた
チームメイトが野球ノートにサインの寄せ書きをしてくれた

 そんな高野投手には、今も忘れられない原体験がある。小学1~2年生ごろのことだ。当時“カープ少年”だった高野投手は、お父さんに連れられて広島市民球場で観戦していた。

 するとイニング間、ライトとのキャッチボールを終えた控え選手がベンチに引き上げるときに「いくぞー」と、圭佑少年が手にしたグラブを目がけてボールを投げてくれたのだ。

 まだ駆け出しだったその選手のことは知らなかったが、お父さんが「東出選手だよ」と教えてくれた。

 「僕に向かってシューッと投げてくれて、パンとグラブに収まった。すごくすごく嬉しくて、それで僕、東出さんの大ファンになった」。

 そのときのボールの感触は今でも手に残っていると、少年に戻ったかのような笑顔で興奮ぎみに語る。

ドラえもん?ハマチ?
ドラえもん?ハマチ?

 だから自身がプロ野球選手になって、その感触や感動を一人でも多くの人に共有してもらいたいという思いを持ってきたという。自分が嬉しかったから、人にも嬉しくなるようなことをしたい。サインを求められたら絶対に断らないし、「あとで」と約束したら必ず守る。

 「ちょっとでもそういう思い出とか、楽しかったこととか、幼少期の僕が感じたようなことを、ひとりでも多くの人が感じてくれたらいいなと思って」。

 選手がこういう思いでいてくれることは、ファンにとっても嬉しいことである。

■感謝の気持ちを持ち続ける

SNSでのプレゼント企画の告知
SNSでのプレゼント企画の告知

 そして、そのファンサービスの一環として、SNSでプレゼント企画も始めた。ユニフォームとグラブのプレゼントである。

 これまでSNSには、お礼であったり応援であったり、ファンから多くのメッセージが寄せられてきた。

 「そういうのが本当に嬉しいなと思って。じゃあ、こういうプレゼントをすることで、当たった人の人生がちょっとでも豊かにじゃないけど、記憶の一つとして僕のことで楽しんでいただけるのであれば…っていう思いです」。

 応募の際につけるハッシュタグの「#トライアウト受ける高野圭佑」は、ツイッターのトレンド入りするくらい注目を集めている。

プレゼントする愛用のグラブ
プレゼントする愛用のグラブ

 「一線級で活躍されている選手にファンが多いのはもちろんだけど、僕はそこまでしっかりと成績を挙げていないにもかかわらず、球場だったり練習中だったり、いい声をかけていだたける。それは本当にありがたい。SNSでも『今年はコロナで球場に行けなくて残念です』というメッセージも多かった。例年に比べたら楽しい思いをした人が少ないと思うんで、こういうことでちょっとでも楽しんでいただけたらなという思いがある」。

 プレゼント企画には、今月末まで応募可能だ。《高野圭佑Twitter》《プレゼント企画

福留孝介選手と
福留孝介選手と
福永春吾投手と
福永春吾投手と

 いつも自然に「ありがとう」の言葉が出る。年下の選手に対しても、ちょっとしたときにも素直に言える。当たり前に思えるようなことにも感謝できる。

 「いろんな人に支えられてここまで来れた。これまで携わってくれた人たちが一人でも欠けていたらここまでなっていない。そういう人たちに感謝の気持ちを伝えていたら、こうなったのかな」。

 ファンも含め、支えてくれた人たちにまだまだ恩返しがしたい。来季また、新しいユニフォームを着て感謝の気持ちを伝えたい―。

 高野圭佑は12月7日、トライアウトを受ける。

トライアウトに懸ける(撮影:東沙弥香氏)
トライアウトに懸ける(撮影:東沙弥香氏)

(写真はすべて高野圭佑投手 本人提供)

フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

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