セカンドキャリアは二刀流!? 兵庫ブルーサンダーズ監督と整骨院院長、2つの顔を持つ元阪神・橋本大祐

元阪神タイガース投手・橋本大祐(写真提供:兵庫BS)

阪神タイガース時代の橋本大祐投手(写真提供:本人)
阪神タイガース時代の橋本大祐投手(写真提供:本人)

 今季、関西独立リーグ兵庫ブルーサンダーズの監督に就任した橋本大祐氏は、元阪神タイガースの投手だ。

 「引退してもプロ野球には関わりたいとは思っていたけど、1軍での実績もないから指導者なんて概念はまったくなかった」。

 元々セカンドキャリアに選んだのは、トレーナーの道だった。自身も腰を痛めて現役を退いた。野球に関わるならと、当時のトレーナーからも勧められたのだった。

 しかし人生は思わぬ展開を見せることになる。そんな橋本大祐氏の来し方を振り返ろう。

■ドラフト3位で阪神タイガースに入団

新人選手入団発表会(写真提供:本人)
新人選手入団発表会(写真提供:本人)

 富士大学3年春のリーグ戦でノーヒットノーランを達成、4年時には大学選手権で完封勝利を挙げるなど活躍し、日米野球の大学日本代表にも選ばれた。

 その年、1997年にタイガースからドラフト3位指名を受けた。ほかにも高い評価をしてくれていた球団もあったが、子どものころからの憧れの球団に入団が決まった。

 同期には1位に中谷仁(現 智辯和歌山高校監督)、2位に井川慶、4位以下に坪井智哉(現 横浜DeNAベイスターズ打撃コーチ)、山岡洋之(現 オリックス・バファローズ打撃投手)、奥村武博(現 公認会計士)と錚々たる顔ぶれが並ぶ。

鳴尾浜球場で投げる橋本投手(写真提供:本人)
鳴尾浜球場で投げる橋本投手(写真提供:本人)

 2年目にチャンスが訪れた。8月、急遽1軍に呼ばれたのだ。

 神宮でのヤクルトスワローズ戦。いきなりブルペンで「次の回、行くぞ」と告げられた。打者が1人出塁すると投手に回って代打が出る。その裏の登板予定だった。

 当時の正捕手、矢野燿大選手(現 阪神タイガース監督)がブルペンにまで受けにきて、「なに投げたい?打たれても俺のせいでいいから、好きな球を投げていいよ」と優しく話しかけてくれたことに感激した。

ヒーローインタビューのシーンは額に入れて(写真提供:本人)
ヒーローインタビューのシーンは額に入れて(写真提供:本人)

 しかし1人出塁したものの、前の打者が併殺で投手の打順にまで回らなかったため、投手はそのまま続投となってしまった。その次の回に向けて準備を続けたが、チームが逆転したことによって橋本投手の出番はなくなった。

 「その前々日にファームで完投していて、肩がめっちゃ張っていたから、むしろ投げなくてよかった。まぁすぐにチャンスはあるかな、逆に雰囲気も味わえたしって思ってて」。

 そんな肩の状態でもあったから、前向きに切り替えられた。

■不思議な勝ち運

上原浩治投手とともに大学日本代表に選ばれた(写真提供:本人)
上原浩治投手とともに大学日本代表に選ばれた(写真提供:本人)

 その後、ナゴヤドーム、大阪ドーム(現 京セラドーム)と3カード9試合、1軍に登録されたまま転戦した。

 未経験の若手投手であるから、当然ビハインドの展開が出番となる。何度も「次、行くぞ」と言われて準備をするのだが、そうすると不思議なことにチームが打ちだして逆転してしまう。つまり、登板は消えるわけだ。

 そういったことが5試合も続いた。

富士大時代(写真提供:本人)
富士大時代(写真提供:本人)

 1軍に登録されて9試合目。その日は好投しても悪くても、いや、登板してもしなくても翌日に抹消が決まっていた。先発投手が入れ替わりで登録されるためだった。

 そんな事情もあってか、同点ではあるが「九回、行くぞ」と告げられ、ブルペンで肩を作った。

 「同点…」。

 思ってもみなかった緊迫の場面に、心臓が高鳴った。これまでで一番の緊張だ。

 すると、まただ。なぜかチームは打つのだ。そして勝ち越した。セーブシチュエーションとなったので、クローザー・福原忍投手の出番である。またしても登板のチャンスは流れた。

阪神タイガース時代(写真提供:本人)
阪神タイガース時代(写真提供:本人)

 「おまえがブルペンにいるだけで勝つな(笑)」と先輩には揶揄された。喜ぶべきなのか、いや、投げられなくて悔しいのか…なんともいえない複雑な心境だった。

 結局、記録には何一つ刻まれないまま登録抹消となった。さすがに気の毒に思ったのか、野村克也監督が珍しく監督室に呼んで、「今回申し訳なかったけど、次またチャンスが来るからファームでしっかり放っとけ」と直々に声をかけてくれた。

 きっとすぐにまたチャンスは訪れるだろう。そこに向けて頑張ろうと気合いを入れ直した。

タイガース時代のチームメイトー右が舩木聖士さん、左が田中秀太さん(写真提供:本人)
タイガース時代のチームメイトー右が舩木聖士さん、左が田中秀太さん(写真提供:本人)

 翌年のキャンプは1軍スタートだったが、途中で腰を痛めてしまった。軽度のヘルニアだったが、焦りがあった。

 大丈夫だろうと無理して投げては痛みがぶり返し、治りかけてまた投げては…と、完治しないまま同じことを繰り返した。

 「黒潮リーグ(秋の教育リーグ)までに治さんかったらクビになるぞ」―。周囲の声が焦りに拍車をかけたのだ。

 結局その年のシーズン後、引退を余儀なくされた。わずか3年のプロ野球人生だった。

■引退後、国家資格を取得

だいすけ鍼灸整骨院(写真提供:本人)
だいすけ鍼灸整骨院(写真提供:本人)

 そういった事情から、トレーナー室にはいやというほど通った。トレーナーさんたちにもお世話になりっぱなしだった。「辞めてもプロ野球に関わりたい」と話すと、トレーナーになることを勧められた。

 今でこそ各球団には、得意分野や所持資格の違う様々なトレーナーがいるが、当時のトレーナーは総じて鍼灸師の資格を持っていた。知人からも「国家資格を持っていたほうがいい」と助言されたこともあり、まずは鍼灸師の学校に3年、続いて柔道整復師の学校にも3年、都合6年通っていずれも国家資格を取得した。

 そして2007年4月、大阪市鶴見区に開業した。子どもから年配者まで親しみを持ってもらえるよう、名称を平仮名で「だいすけ鍼灸整骨院」とした。

■他競技やメジャーリーガー・斎藤隆さんの個人トレーナーも経験

人の縁に恵まれている(撮影:筆者)
人の縁に恵まれている(撮影:筆者)

 さまざまな縁に恵まれた。

 学校に通いながらアルバイトをしていた整骨院での仲間の紹介で、三洋電機の女子バレーボールチーム「レッドソア」のトレーナーを任せてもらった。

 野球とは畑違いではあるが、同じスポーツの現場であり、トレーナーとしての経験を積むことができた。これは7年続いた。

(写真提供:兵庫BS)
(写真提供:兵庫BS)

 それと並行して、知人を介して斎藤隆投手(現 東京ヤクルトスワローズ投手コーチ)の個人トレーナーをすることになった。

 当時ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約した斎藤投手は、スプリングトレーニングの招待選手として海を渡っていた。そのキャンプ前の1月から2月にかけて、現地で個人トレーナーをさせてもらった。

 そこで見込まれたのか、翌年7月、オールスター出場時にも声がかかり、渡米した。さらにオフにも、日本国内での自主トレのときに呼ばれた。

(写真提供:兵庫BS)
(写真提供:兵庫BS)

 「野球に対する考え方が、一流選手はすごいと思った。キャッチボールの相手もしたけど、ボールがちょっと逸れたときに動いて正面で捕ろうとすると、『動かないでくれ』と。『自分が投げた感覚と狙ったところがどれくらいズレがあるのかを見たいから』って。そんなにもキャッチボールから1球1球大事にしてるんやなと思った」。

 また、一流選手の道具へのこだわりにも舌を巻いた。

 「大塚晶文)さんとスパイクの話をされていて、それが角度がどうとかミリ単位の話で。そこでも一流選手はそんなところまで考えてやってるんやなと。自分はいただけるものを履いてた(笑)。そこまでこだわっているんだって知った」。

(写真提供:兵庫BS)
(写真提供:兵庫BS)

 さらに驚かされたことがある。

 「鍼を刺したときに『そこでストップ!』、『はい、抜いて!』って自分から指示をする。普通は施術者任せだけど。斎藤さんはケガが多かったからか、自分の体にめちゃくちゃ敏感。体にすごく気を遣っている」。

 自身の体を隅々まで熟知し、体の声を聞くことができるのだ。

 超一流選手と間近で接したことは、貴重な引き出しとなった。

■角界、ドミニカと幅広く

(撮影:筆者)
(撮影:筆者)

 また、同じく知人の紹介で大相撲の白鵬関のトレーナーも引き受けることになった。依頼された業務内容は朝稽古のあとの治療と宮城野親方の運転手だった。

 ところが2日間はトレーナー業を務めたが、白鵬関が風邪をひいて朝稽古には出なくなった。よって3日目からは「ずっと運転手だけだった(笑)」と、トレーナーの仕事はできなかった。

 しかしその状態でも白鵬関はその場所、優勝したというから恐れ入る。いや、ここでもまた“勝ち運”が発揮されたのか。

(撮影:筆者)
(撮影:筆者)

 その後、今度はドミニカからお呼びがかかった。前川勝彦投手のトレーナーだ。

 「3週間くらいだったけど、ドミニカの野球はおもしろかった。とにかくみんな楽しんで野球をしていた。現役選手はドミニカには一度、行ったほうがいい。野球観が変わる」。

 メジャーで活躍している若手選手も大勢集まるウィンターリーグだ。選手の身体能力が高く、球場全体がノリノリで野球を楽しんでいる。

 「ベンチの顔色を窺ったり、結果だけを考えたりがない。あぁ、野球を楽しまなあかんなと感じた」。

 大きな刺激を受けて帰国した。

■正しいフォームでの投げ方を追究

2017年(写真提供:本人)
2017年(写真提供:本人)

 その間もずっと「だいすけ鍼灸整骨院」の経営は続けていた。7人もの人を雇い、かなりの繁盛だった。

 患者さんの中には野球少年も多くいた。数多くの事例を見ていると、故障する原因がフォームにあることが少なくないと気づいた。治療して故障個所を治しても、また以前の悪いフォームで投げると再発する。正しいフォームを教えることも重要だと悟った。

(撮影:筆者)
(撮影:筆者)

 そこで改めて一からフォームを勉強することにした。現役時代の自分の引き出しだけではなく、そこに鍼灸と柔整の知識が加わった。

 「“いい投げ方”というのを研究した。力学的なものとか力の伝え方、体の使い方、筋肉の作用とか神経とか…これまで勉強してきた鍼灸や柔整の知識が役に立った。この知識が現役のときにあったらなぁって何回も思った(笑)」。

(撮影:筆者)
(撮影:筆者)

 そういえば…と、そのとき思い出したことがあった。

 「恵壹)さんとか、よくトレーナーと筋肉の話とかしていた。そのときは自分に知識がないから全然わからなかったけど、やっぱり藪さんら一流選手は筋肉のこととか現役のときから勉強してたんやなって」。

 自身が気づいたのは引退後になったが、だからこそ、後に続く選手たちには正しく伝えたいと思っている。

 そしてこの思いがまた、次の縁を引き寄せることになる。

(⇒続く)