■「JFK」の「K」が打撃投手に・・・!

JFK」―野球ファンなら誰でも、その呼称は知っているだろう。2005年、タイガースの優勝を支えた勝利の方程式だ。一世を風靡したJFKも、ジェフ・ウィリアムス投手が引退し、藤川球児投手が海を渡り、そして昨年、久保田智之投手もユニフォームを脱いだ。一抹の淋しさを感じるとともに、衝撃だったのは久保田氏の去就だった。

球団から発表されたその進路はなんと「打撃投手」。あのJFKが!胴上げ投手が!!90試合登板の日本プロ野球記録保持者が!!!

一説によると、虎打線が苦手とされる速球への対策として、久保田氏のあの速くて重い球に期待がかかっているという。直接、本人に訊いてみると、「それ、困りますよね。こっちは全力で投げることができないから身を引いたのに(笑)。現役時代みたいなボールを投げてくれって言われたら、困りますけどね。それやったら、現役でやるっちゅう話ですよね」と苦笑した。

それにしても、あれだけチームの中心選手として名を馳せた選手でありながら、よく裏方の仕事を引き受けたと驚いた。これまでは打たれないよう、点を取られないよう、“最後の砦”を守ってきた男だ。それが一転、「打たせる」ことが仕事になるのだ。これには久保田氏、まずは「打たれるのは慣れてるんで」と自虐ネタにした。そして表情を引き締めてこう続けた。「辞めても野球に関わりたかったっていうのもあるし、基本的に投げるのは好きだから。投げ続けられるならいいかなと思って」。

■ずっと先発がしたかった…

本当に投げることが好きなのだ。野球を始め、小学5年生からキャッチャーに就いても、ずっとずっとピッチャーがやりたかったという。高校時代も正捕手であったが、投手をしたいと直訴した。甲子園には「4番・キャッチャー」として先発出場し、リリーフとしてマウンドにも上がった。そして大学からは本格的に投手となった。「野球の中で一番重要だし、一番目立つ場所だと思っていました」。とことんピッチャーにこだわった。

プロでは最初は先発だったが、2004年途中からクローザーを務め、翌年、「JFK」を形成してリーグ優勝に大きく貢献した。優勝を決めた試合では、胴上げ投手にもなった。

2006年、シーズン途中に右手の骨折で離脱したこともあり、クローザーのポジションを藤川投手に譲る形となった。セットアッパーに転向してからは、2007年に日本プロ野球の最多登板となる90試合に登板し、46ホールド、55ホールドポイントという記録を樹立した。最優秀中継ぎ投手に輝き、翌年も2年連続で獲得している。

抑え、中継ぎで記録にも記憶にも名を刻みながら、しかし本人は「ずーっと先発がしたかった。思い続けていましたね」と言う。やっと念願が叶うと思われた2009年は春季キャンプ中に右肩を故障し、シーズンの登板は1試合に終わってしまった。その後はまた中継ぎに戻り一時は輝きを取り戻したが、右肘の手術などもあり、昨年は1軍での登板がなく、引退を決意した。

後悔がないわけではない。まだできるんじゃないかという思いもあった。しかし「ただ単にやるだけなら、やれる。でも1軍の一線でやるとしたら厳しいんじゃないか。そんなんじゃチームに迷惑だし、ボク自身、そんなんでは納得はできない」。様々な思いが駆け巡り、葛藤した。「痛みさえなければ、もっと長くできていたのかなぁと思う。思ったほど頑丈じゃなかったかな」。笑顔で話す姿に、胸が痛んだ。

■プレッシャーとの戦い、痛みとの戦い

現役時代を振り返り、語ってくれた久保田氏
現役時代を振り返り、語ってくれた久保田氏

現役時代を振り返り、明かしたのは「ずっと苦しかったですね。プレッシャーもあるし、自分の力を発揮できなかった苦しさもあった。2005年はいい思い出だけど、その間もずっとプレッシャーを感じながらやっていました」という胸中。人気球団であるが故のプレッシャーは、凄まじいものだったのであろうと察する。それは、スタンドからのヤジからも伺える。いや時に、ヤジというよりブーイングともとれる酷いものもあった。

しかし久保田氏は「それだけ応援してくれているってことなんで、それに応えなきゃいけないという思いでプラスに受け取るようにしていました。重く思っていたところもあったけど、でもそれがプロ野球選手なんだというように思ってやっていました」と、痛々しいまでの強靭なハートを作り上げて対抗していた。

また「プロは、多少の痛みがあっても頑張らないといけない。それができなくなったら身を引くしかない」というのが、久保田氏の「プロ哲学」だった。だから、相当な痛みにも耐えて戦ってきた。

そんな久保田氏を支えてくれた一人が、亡くなった島野育夫氏だ。ルーキー時代、打たれてヘコんでいる時に、当時ヘッドコーチだった島野氏からこう声を掛けられた。「対戦は1回で終わりじゃないぞ。ずっと続いていくんや。打たれても、その1試合で自分を判断せず、次に生かせ」。当たり前のようだが、島野氏のこの言葉に救われ、これまでも支えになっていたという。

■新人クンたちへ・・・

鳴尾浜球場でランニング中の久保田氏
鳴尾浜球場でランニング中の久保田氏

現在は鳴尾浜球場で、キャンプに向けて自身のトレーニングをしたり、現役選手の手伝いをしたりの毎日だが、グラウンドで汗を流す新人選手たちを見て懐かしそうに目を細める。「ボクの新人の頃なんて、全く動けなかった。減量のノルマを達成できなくて罰金を課せられたり、長距離走でも周回遅れになったり…(笑)。それに比べて最近の新人はみんな、しっかり体ができていてスゴイと思いますね」。

そんな新人クンたちへ何かアドバイスを送るとすれば…と水を向けると、「焦らず、焦れ!」という言葉をくれた。「無理するのはよくないけど、『必ず1軍でやるんだ!』という強い気持ちを持ってやってほしい」と語る。

JFKが活躍した2005年以来、タイガースは優勝から遠ざかっている。今年は縁の下の“超力持ち”が、優勝へ向けてバックアップする。