Yahoo!ニュース

1000万ドルの覆面アーティスト・バンクシーが、自作のヴァレンタイン壁画破壊を「歓迎」した理由

2月13日、まだ無傷のバンクシー壁画(写真:ロイター/アフロ)

「愛にあふれた」あたたかい話題が、卑語の襲撃を受ける

 今日の世界で最も高名な英国の「覆面」アーティストであるバンクシーが制作した壁画作品が、去る2月14日のヴァレンタイン・デイの「贈り物」だとして街の人々から喜ばれた直後、速攻で何者かによって「破壊」されてしまうという事件が発生した。下手したら一点で1000万ドルの価値があるのがバンクシー作品。だからこれは、それほどの価値が「毀損されてしまった」かもしれない大事件だったのだが、なんと、現地時間20日夕刻に当のバンクシー本人が「破壊されてよかった」との意外なコメントを発表。その対応には「さすがはバンクシー」との賞賛の声が集まっている……のだが、この事件の全体像がなんとも「グラフィティ・アート」の本質を象徴していて興味ぶかかったので、ここで速報しつつ解説してみたい。

 まずは「事件」の経緯だ。バンクシー作のものと見なされる壁画が、彼の本拠地である英港町のブリストル、バートン・ヒル地区のマーシュ・レーンにて発見された。民家の白い外壁に、いつもの彼の作風で描かれたステンシル・アートの絵があった。花を弾にパチンコ(Slingshot)を射つ少女の姿だった。

 この絵が写真画像となって広まったのは、ヴァレンタインの1日前の13日。だから時期的に「これはバンクシーからの、ヴァレンタイン・ギフトではないか?」と、街は一瞬で色めきだった。これが「確信」へと変わったのが、14日、バンクシー本人のものと言われるインスタグラム・アカウントへの投稿だった。壁画全体をとらえた画像が無言でポストされていただけなのだが、この行為は「本人による無言の承認」を意味する。

バンクシーのインスタグラムより
バンクシーのインスタグラムより

 というわけで、ここで「本人のお墨付き」を得た同壁画は、さらに大きな話題を呼んで、イギリス内外のいろんなメディアの記事ともなった(そのうちのいくつかが邦訳もされた)。「ヴァレンタインのちょっといい話」といった感じで、ちょうど14日、このニュースが世界中を駆け巡った――ところ、なんと翌15日に、何者かによって早々にこの壁画が「破壊」されてしまう。写真画像によって作品が世間に広められてから48時間以内の早業、だったそうだ。

「伏せ字」で報道された落書きの悪意

 その破壊行為とは、バンクシーの少女の絵の上に、ピンク色のスプレーで手早く乱暴に文字を書き付ける、という方法でおこなわれていた(近くにはゆがんだハートの形もあった)。その文字とは「BCC W***ERS」だと報道されている。伏せ字のところには「ANK」が入る。この単語が伏せ字になる理由は、おもに英や豪で(近年では米でも)スラングとして、卑語や罵倒語として使用されるからだ。とくに男性に対して使われることが多く、日本語にするなら「マスかき野郎」とでもいったニュアンスだ。

 だからこの落書き者は「BCC(ブラインド・カーボン・コピー)、マス書き野郎どもへ」と記してわけで、あからさまな敵意と侮蔑の意思表示だった。作品やバンクシー本人への攻撃の意図はもちろんあったのだろうが、同時にまた、バンクシーの作品を「ありがたがる」人々、彼本人を崇拝する者たちに対しての揶揄ともとれるものだった。

破壊されたバンクシーの壁絵 ザ・サン電子版より
破壊されたバンクシーの壁絵 ザ・サン電子版より

 ゆえにこの破壊行為は、多くの人々を悲しませた。ヴァレンタインという「愛の日」のために寄贈された絵を卑語で毀損されたのだから、当然だ。なんてひどい行為をするのだ!と、憤る人も少なくなかった。絵が描かれた外壁の持ち主の家族は、もうそれ以上汚されないように、より厳重に壁面を保護する方策をとることとなった。また、ピンクのスプレーのみを除去して「そもそもの絵を蘇らせる」ことも検討している……と、ここまでのところが、英大衆紙ザ・サンを含む多くのメディアで「再報道」されたのが15日あたり。

なんと本人が「破壊を喜ぶ」?

 そして、ついに「バンクシー本人」が動いた!のが、前述の20日。「滅多にやらない」インスタグラム投稿のなかで、なんと!この「破壊行為」を彼が承認する。こんなコメントにて。

「バートン・ヒルの一作が破壊されたことが、僕はちょっと嬉しい。当初のスケッチのほうが、ずっと出来がよかったからさ……」

 このコメントは、同作のスケッチ各種を紹介した3枚の画像に添えられていた。だからまあ……ちょっと「負け惜しみ」ぽかったのではあるが、しかしそれでも、自作を破壊した行為をとがめだてしたり、怒ったり、嘆き悲しんだりせずに「よしとした」彼の男気には(投稿のコメント欄には)、賞賛の声が数多く集まった。

バンクシーのインスタグラムより
バンクシーのインスタグラムより
バンクシーのインスタグラムより
バンクシーのインスタグラムより
バンクシーのインスタグラムより
バンクシーのインスタグラムより

 さてここで本題だ。バンクシーはなぜここで、破壊者の行為を「よしとした」のか? そこにはグラフィティ・アートの本質にかかわる、一種哲学的な命題への、彼の意識的な関与があった。ここでバンクシーは(くやしさをこらえてでも)「よし」としなければ、ならなかった。僕の目には、ここの「こらえ」のところで数日間(ほぼ5日間)のタイムラグが生じてしまった、とも見えるのだが……それでもなお、バンクシーは、頑張って投稿した。「しなければならなかった」からだ。ここのところの説明をしよう。

グラフィティの根幹を成す「ヴァンダリズム」とはなにか?

 先の投稿のなかでバンクシーは、破壊行為を指して「Vandalised」と記していた(I'm kind of glad the piece in Barton Hill got vandalised)。これは「Vandalism」という名詞を動詞化したもので、芸術作品を破壊したり、汚損したりする行為を指す。だがそれだけではなく、この言葉は「ごく一般的には」公共物に対しての破壊や汚損行為をも、意味する。つまり公共の場所や他人の所有物への「落書き行為」などはその典型で――

 おわかりだろうか? 要するに、バンクシーというアーティストの芸術行為の「方法論」の、その根っ子の部分には「Vandalism(ヴァンダリズム)」があるのだ。彼が「街のいろんなところに、無許可で」絵を描きつけていく、という行為は「ヴァンダリズム」にほかならない。だから彼はずっと「覆面アーティスト」でいるわけだ。

 それなのに「自分がやられたときだけ、文句を言う」なんて、できるわけがない。作り手がこの「哲学」を失ったならば、バンクシーだろうが誰だろうが、そのグラフィティは「アート」としての矜持を、真の価値を失ってしまうことになる。その者はアーティストではなく「アートに似たもの」を切り売りするだけの作画職人となってしまう。

 なぜならば、言うまでもなく、70年代のニューヨークに端を発する、ヒップホップ文化の一部としての「グラフィティ」アートとは、たとえば地下鉄じゅうに勝手に落書きをするところから広まっていった。徹頭徹尾、問答無用の「ヴァンダリズム」だ。だから作品制作中に――他者から見れば「破壊行為中=ヴァンダリズム中」に――警官や一般人に追われたり、または撃たれたりして命を落としたグラフィティ・アーティストは、アメリカでは少なくはない。なにかを「破壊」するわけだから、他者からの「反撃」は、織り込み済みでなければ「おかしい」わけだ。

小池都知事の「二枚舌」はグラフィティからもアートからも遠い

 ここを履き違えると、日本の人ならよく記憶しているとおりの、あの小池都知事の珍騒動となる。バンクシーの作品と「思われる」ステンシル・アートが都内で発見された「だけ」のことを、おそらくは自身の人気取りのために大々的に報道させた、あの一件だ。あまつさえその絵を「保護」しようとして、多くの人々の失笑どころか、怒りすら呼んだ。なぜならば、バンクシーほどの「高名な」アーティストならばありがたがるくせに、「その他大勢の」あるいは無名のグラフィティ・アートは「落書き」と認定して、消すのはもちろん、行為者を処罰するのは「一体どういう了見なのか?」と……きわめて多数の心ある人々から、知事は叩かれた。

 彼女の「二枚舌」的な二重基準は、そもそもグラフィティのようなストリート・アートには絶対に馴染まない。シンプルな「行為」から生まれる、だいたいにおいては簡素な「絵や文字」を、その行為の「ヴァンダリズム性」をも込みで鑑賞するのが、グラフィティ・アートの基本だ。だから「絵だらけになった70年代NYの電車」は、何冊もの写真集の題材となっている。少なくとも小池都知事が東京の地下鉄がこうなることを望んでいないのだったら、軽々に「グラフィティを誉める」などしてはならない。それが「高名な(=高価な)」バンクシーの作(かもしれない)であったとしても。そんなことをする奴は、たぶん前記の「W***ER」呼ばわりされても然るべき「俗物」にほかならない。

 と、言うなればこの「小池騒動」のまったく逆の位相にて、(たぶん)やせ我慢をキメて見せたのが今回のバンクシーだった。ゆえに件のインスタグラム投稿には、グラフィック・アーティストのロースター「ILL COMMUNiCATION」とコメントを寄せていた。これは94年発表のビースティ・ボーイズのアルバム名『イル・コミュニケーション』をもじってはいるのだが、言葉どおりにとると「病んだコミュニケーション方法だね」という意味になる。

アーティストたちの「グラフィティ仁義」

 バンクシーは、グラフィティという大河のなかにいる。子供の遊び――というよりも、街の不良の軽犯罪――から始まったこのアートには、ヴァンダリズムという名の暴力性が「絶対につきもの」だ。ここに自覚的な者、つまり「この哲学のなかに生きる」者しか、大河のなかに留まれる資格はない。その意味では、今回の「破壊者」ですら「大河のなかにいる者」だとも言える。もちろん、ロースターだって近しい世界で、同じ渡世を生きる人だ。ゆえに構図を一瞬で理解して、このように言ってバンクシーを慰めたわけだ。

 と、そんなわけで「ヴァンダリズム」という、字面からして荒々しい、とげとげしい行為が引き金となったはなったのだが、最終的には逆に、なにやらほんのりと「グラフィティ仁義」のような小宇宙が浮かび上がってきたのが、僕の目に映ったこの事件の一部始終だった。

 ところで僕は、ロースターと幾度か仕事をしたことがある。それだけではなく、日本にも数人はいると思われる「バンクシーの正体を知っている」と自称している者のひとりが、なにを隠そうこの僕なのだ。なにしろ彼がまだ無名のころ、発注のため連絡と取り合っていたことがあるもので……という話の続きは、また稿をあらためて。

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

川崎大助の最近の記事