18歳の病めるカリスマに主題歌を託した、007新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の大バクチとは?

Billie Eilish - 07 Dec 2019(写真:REX/アフロ)

いきなりビリー・アイリッシュ

 最初に本人のインスタグラムで騒ぎを起こす、というところも、いかにもイマドキだ。弱冠18歳(とまだ1カ月ほど)の米アーティスト、ビリー・アイリッシュが、いま世界のエンタメ・ウォッチャーのあいだに旋風を巻き起こしている。4月に公開される、007シリーズ第25作目となる新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の主題歌を担当していることを、昨日(日本時間の15日深夜1時ごろ)、アイリッシュおよび007オフィシャルが相次いでSNS投稿にて発表したからだ。

 この情報に血が騒ぐ人続出、「すごい!」と盛り上がる人多数――なのだが、日本においてはまだ、いまひとつ震撼度が低いような気がしたので、僕はこの稿の筆をとった。

 だって「いきなりビリー・アイリッシュ」が007主題歌というのは、これは、かなり、とてつもなく大胆な「賭け」にほかならないからだ。映画本編への期待そのものすら高まるほどだ。少なくとも僕は、トレーラーを最初に観たときよりも「激しく」反応してしまった。声にするなら「おおおっ」と。

 反応したポイントは、彼女の「若さ」ではない。なによりビリー・アイリッシュの「特異性」だ。米英で文字どおり「ティーンのカリスマ」と化して大ヒットを連発した理由、その最重要ポイントとは、若さを武器とした「同世代感」だけではない。「同世代の『つらい気持ち』」にこそシンクロして、痛みを痛みとして表現し得たからだ。ゆえに端的に言うと、「変だから」受けた。「暗い」し「気持ち悪い」から、彼女は受けた。

暗い未来像と閉塞感を背負った「歌うグレタ・トゥーンベリ」

 つねに妙な髪色(緑とか)。上目づかいの「変な」表情。オーヴァー・サイズの、フード付きの服――とにかくユニセックスで、まずは「男の目なんか、気にするかよ」という態度全開。つまりアメリカ的に言うと「学園の逆チアリーダー」的な立場を凝縮したようなキャラクターを基本型として、そこに鼻血すりむけた膝小僧の傷を誇示する短パン、背中じゅうに打たれた注射器……といった陰惨なイメージが、つねにMVで強調されているのが「ビリー・アイリッシュ・ワールド」なのだ。「いい子ちゃんはみんな地獄に墜ちろ(All the Good Girls Go to Hell)」なんて題した曲もある。

 彼女の存在とは、言うなれば「歌うグレタ・トゥーンベリ」なのだ。(喧嘩を吹っかける、という意味での)オヤジ殺し。旧世代との対決どころか、いまあるこの世界全体への違和感、「若いころはなにもかもが輝いているよね、とか、適当に勝手なことほざいてんじゃねえよ!」的な意志を具現化したもの――と言っても過言ではない。

 

 つまり、若い世代ほど敏感にならざるを得ない「暗い未来像」やら「閉塞感」やらを、まさに「一身に背負った」かのようにしてシーンに登場してきたからこそ、ビリー・アイリッシュは、受けた。米英を始め、世界中の10代を中心とした若い世代に。

 こんな規模で、彼女は受けている。アルバムはまだ昨年発表の1枚だけながら、すでにアメリカだけで8つのゴールドと4つのプラチナム認定シングルを保持。グラミー賞では、いままさに主要6部門ノミネート中!――という「すさまじい」と言うほかない快進撃を繰り広げている、まるで昇竜のごとき、驚異のアーティストなのだ。

 また、アイリッシュがファーストEPを発表したのが17年の8月だから、なんと「デビューからたった32カ月後」に007の主題歌を任されたわけで、快挙と言うほかない。この記録に並ぶのは、第15作の『リビング・デイライツ』(87年)で起用されたa-ha(アハ)しかいない(……が、彼らは一発屋に近い存在だったから、このころは半ば「過去の人」と化していた。ゆえに、勢い的には現在のアイリッシュと比ぶべくもない)。

ジェームズ・ボンドの価値観が変わる?

 といったビリー・アイリッシュなのだから、彼女の起用は大胆きわまりない。だってジェームズ・ボンドとは、肥大しきった手前勝手な男の願望・欲望・美意識の集約とも呼ぶべきアイコンの極大サイズとして、世に長く君臨する存在だからだ。「ボンド・ガール」という言い方そのものが問題視されるほどの(ボンド・ウーマンに変わりましたよね)、旧態依然とした男根主義的(あるいは、古式ゆかしいメンズ・マガジン調価値観)が最大特徴となっているのがこのシリーズだったからだ。つまりこれほどまでに「一見そぐわない」ように見える主題歌スターは、かつていなかった。

 ゆえに、僕は期待するのだ。なぜならば、ほぼ毎回、主題歌が話題となる007シリーズではあるのだが、当たりのときばかりではない。しかし逆に言うと「主題歌がよかったとき」に本編がいまいちなこと、これは「ほとんど」ない――このテーゼを、僕は信じているからだ。この起用が「当たる」ならば、きっと本編のほうも、大胆にして切れ味のいい一作となるのではないか。ダニエル・クレイグの見事なる花道となるのでは……と。

 あとはたとえば単純に、(あのメンズ・マガジン的にエロティックなのが常道の)タイトル・バックが今回どうなるのか?といった点も、じつに楽しみだ。

主題歌の暗黒期もあった

 ところで、歴代の007の主題歌歌手を振り返ってみると、その起用法に「保守と革新」のあいだを揺れ動く傾向があることがわかる(言うまでもなく今回は、革新も革新、ラディカルな大ギャンブルだ)。しかし長い歴史を持つ同シリーズのなかで、ここまでではないにせよ、しかし、きっちりとサイコロが振られた回もあった。

 73年の第8作『死ぬのは奴らだ』におけるポール・マッカートニー&ウィングスの起用がこれにあたる。元ビートルズにして当時も大人気、まぎれもないロック界のトップスターの登板は、大きな話題となった。そして、マッカートニーの代表曲のひとつともなる、畢生の名曲が誕生した。

 しかし、まったくもって「うまく行かない」ときもある。革新のつもりが(遅れた)流行への盲従となったり、保守回帰したつもりがたんなる懐古趣味に、とか……こうした罠にはまったと僕が見るのが、第14作『美しき獲物たち』(85年)から第20作『ダイ・アナザー・デイ』(02年)までの期間だ。順番に書き出すと、デュラン・デュラン、a-ha、グラディス・ナイト、ティナ・ターナー、シェリル・クロウ、ガービッジ(!)、マドンナ(?)――と、明らかなる迷走を示していた。ここを僕は「007主題歌暗黒期」と呼んでいる。

ダニエル・クレイグの花道に

 この「期」を抜けたあと、ダニエル・クレイグ主演によってシリーズそのものの大刷新が計られてからは、ぐっとよくなった。06年の『カジノ・ロワイヤル』から順に、クリス・コーネル、アリシア・キーズ&ジャック・ホワイトと「攻め」の姿勢が続いて、そしてなんと言っても『スカイフォール』(12年)のアデル起用は、はまった。

 

 UKで記録的なヒットを連発する、若き(といっても24歳だったが)「本格派」アデルが堂々たる歌唱にて披露したテーマ・ソングは、かつてシャーリー・バッシーが担当した名主題歌群(「ゴールドフィンガー」「ダイヤモンドは永遠に」、あとまあ一応「ムーンレイカー」)もかくや、という大スケールの名演。だから見事アカデミー歌曲賞を獲得し、荒れ地のなか、ジェームズ・ボンドの生い立ち(実家)まで鳥瞰してみる同作ストーリーの、叙事詩的な広がりを下支えする一助を、確実に果たしていた。

 続く第24作、つまり前作の『スペクター』(15年)のサム・スミスもすごく売れたし、受賞もしたのだが、正直僕はぴんと来なかった(本編のほうも同様に)。ゆえに、今回の大バクチ的な「賭け」に、いまは引き寄せられているという次第だ。

 しかも監督のキャリー・フクナガは、伝説と化したTVドラマ『トゥルー・ディティクティヴ』第1シーズン(14年)をモノにした人でもある。ビーンボールを投げるのは元来得意なはずなので、この「賭け」が当たるのではないか、と僕は踏んでいるのだが。

 もっとも個人的には、じつは今回は(いや、今回「こそ」は)主題歌をレゲエ・アーティストに担当してもらいたい!という願望が僕にはあった、のだが……この話は、また稿をあらためて書こう。