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巨人、ドーム開場試合のため来台。台北の球場の歴史を振りかえる【TOYOTA巨人軍90周年記念試合】

阿佐智ベースボールジャーナリスト
ながらく台湾野球の中心地であった台北市立球場(勁力行銷股份有限公司提供)

 昨日29日、阿部監督以下巨人ナインが台湾での記念試合のため、桃園国際空港に到着した。巨人は、レジェンド選手のひとり、「世界のホームラン王」・王貞治が台湾籍であったり、いわゆるV9真っただ中の1968年、春季キャンプを台中で実施したりするなど、台湾とは縁が深い。台湾プロ野球が発足した1990年には、当時「アジアの大砲」と呼ばれた呂明賜が在籍していた縁もあり、二軍が遠征試合を行った。さらに2016年に三軍が創設されると、3年連続で台湾遠征を行っている。

 今回の試合は、巨人の球団創設90周年と台北ドームの完成祝いを兼ねて行われる。台北ドームは、雨の多い台湾にあって長らく求められてきた全天候型球場を具現化したもので、2012年に工事が始まったものの、その工事を巡る市当局と施工者との間の意見対立などから長期間にわたって工事がストップし、昨年11月、着工から実に11年半かかって完成した台湾初のドーム球場である。完成後、アジア選手権がここで行われているため、今回の巨人戦が初めての野球の試合というわけではないが、観客席をフルオープンするのは初めてで、この2試合シリーズが「こけら落とし」の意味合いをもっていることは間違いない。

 今回、巨人と相まみえるのは、中信ブラザーズと楽天モンキーズである。台湾プロ野球発足当初の「オリジナル4」のひとつである兄弟エレファンツの系譜をひく名門球団と、前身のラミゴ以来、台湾きっての人気球団に成長した新興球団の組み合わせで、チームを率いるのは、元近鉄の古久保健二、元オリックス・阪神の平野恵一と共に日本人の新監督である。

新しい台北のランドマーク、台北ドーム

その大きさが際立つ台北ドーム(筆者撮影)
その大きさが際立つ台北ドーム(筆者撮影)

 台北の新市街の中心にある台北ドームは現地では臺北大巨蛋と表記される。最大収容人数6万人、野球界開催時でも4万人とアジアトップレベルのキャパシティを誇るこの球場は、今後はWBCなどの大きな国際大会の会場となっていくだろう。一方で平均すればいまだ数千規模の動員しかできていない台湾プロ野球の主球場としては大きすぎ、そのためか、いまだ台湾プロ野球のフランチャイズ球場にはなっていない。今月に開催される韓国初のMLB公式戦は、その会場であるコチョクドームのキャパシティの小ささがとかくマイナス面として取り上げられているが、この収容数の大きさを考えると、近い将来ここでMLB公式戦が開催されることも十分に考えられる。

 ショッピングモールが入るビルも併設しているその姿は、とにかくその大きさが目立つ。巨人の本拠、東京ドームより高い天井をもち、日本のドーム球場を凌ぐだろうその大きさを実感するには、これまた台北のランドマーク、2004年完成の台北101から望むのがいい。

台北101から臨む風景。奥に見えるのが松山空港の滑走路。ドームの左上に台北アリーナが見える。(筆者撮影)
台北101から臨む風景。奥に見えるのが松山空港の滑走路。ドームの左上に台北アリーナが見える。(筆者撮影)

 地上382メートルの高さにある展望階から北方を望めば、その威容に手が届きそうだが、実際は1.6キロ、歩けば20分以上かかる。ドームのその向こうには松山空港が見渡せるが、その手前に台北ドームよりふた回り以上小さいドーム型施設が見える。こちらは地元では台北小巨蛋と呼ばれる台北アリーナである。ちょうど今、フィギュアスケートのジュニア国際大会が行われているこの施設だが、実はこの場所には、かつて台湾野球の聖地とでもいうべき台北市立球場があった。そもそも台湾にドーム球場を建設しようという気運が高まったのは、ここでの台湾プロ野球2年目の台湾シリーズが雨にたたられたことがきっかけであった。

台北市立球場跡に建つ台北アリーナ(筆者撮影)
台北市立球場跡に建つ台北アリーナ(筆者撮影)

台湾プロ野球揺籃の地、台北市立球場

 戦前は日本の統治下にあって野球が盛んであった台湾最大の都市、台北の市立球場ができたのは、日本の支配下から脱した後の1958年のことである。スタンド正面に中華風の屋根をかたどった装飾がなされるなど、台湾ならではの球場として市民に親しまれた。

 ながらく台湾野球の中心として機能したこの球場がプロ野球の使用するところになったのは、1990年。この年発足した台湾プロ野球の記念すべき開幕戦は、3月17日に兄弟エレファンツと統一ライオンズによって行われた。

記念すべき台湾プロ野球第一戦の試合の様子(勁力行銷股份有限公司提供)
記念すべき台湾プロ野球第一戦の試合の様子(勁力行銷股份有限公司提供)

 発足当初の台湾プロ野球は、フランチャイズ制を採用せず、各球団が島内各地の球場を巡って試合を開催していたが、集客力のある台北のこの球場では他球場に比べて多くの試合が催された。リーグ発足3年目の1993年に私もここを訪ねたが、チケットを買い求める観衆が球場を半周するその様に台湾の野球熱を感じたものだった。満員の観衆で埋まったスタンドには、太鼓や銅鑼の大音響がこだまし、現在のスピーカーを使ったものとはまた違った熱狂的な応援合戦が繰りひろげられていた。

 発足後、台湾プロ野球においても次第にフランチャイズという考え方が根付いていき、各球団ともメイン球場を定めるようになった。台北市立球場は、後続の台湾大聯盟のチームを含めると実に4球団が主球場として使用するようになり。シーズン中は毎日のように試合が催されるようになった。

 しかし、プロ発足時すでに築30年を経過していたこの球場は、そのプロの使用に耐えうるものではなくなっていた。1997年、近隣の新荘(現新北市)に新球場が完成したこともあり、プロ発足11年目の2000年シーズン限りでこの球場は閉鎖。最後の試合は、奇しくもプロ野球初戦と同じ兄弟対統一の一戦だった。

 閉鎖後、球場は取り壊され、2005年、跡地には先述したように台湾アリーナが完成した。ショッピングモールやダンススタジオも併設されているこの施設に集まる若者たちは、自分たちが生まれた頃、そこに野球場があったことなど心に留めることなく闊歩している。

アジア野球の新たな中心地を目指して

 アジアでもっとも新しい球場、台北ドームの収容4万人は、旧台北市立球場の倍以上である。これまで最大2万人規模だった台湾の球場の中でも断トツのキャパシティだ。日本のNPB12球団の本拠地と比べても、それは多い部類に入る。大阪の京セラドームやナゴヤドームを凌ぎ、福岡のヤフオクドームとほぼ変わらないキャパシティは、日本最大の甲子園、そして巨人の本拠、東京ドームに次ぐ大きさである。

 この大きな器を活用していくことは今後の台湾プロ野球の使命であるといえるだろう。今後、このドーム球場の活用方法については、サッカーにおける国立競技場のように各球団が持ち回りで主催ゲームを開催するのと、特定の球団が本拠地にするという2つが考えられる。

 現在台北大都市圏には、台北北郊の天母球場を主球場としている味全ドラゴンズ、台北の西郊、新北市新荘球場を使用する富邦ガーディアンズ、国際空港のある桃園市をフランチャイズとする楽天が活動している。しかし、ながらく台北を本拠を置いてきたのは、中信ブラザーズの前身、兄弟エレファンツであった。現在は、WBCでも使用される台中のインターコンチネンタル球場を主球場としているこの名門球団が台北ドームの新たな主ではないかとも現地では噂されている。その意味で、今回のシリーズでどれだけの中信ブラザースファンがやってくるのかが、フランチャイズへの試金石となろう。

 いずれにしても、今回のシリーズで台湾プロ野球の1試合観客動員の新記録が生まれるのは間違いない。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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