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連敗スタートから一気に息を吹き返したキューバ。日本で「赤い稲妻」を待つ「もうひとりの侍」【WBC】

阿佐智ベースボールジャーナリスト
キューバ代表メンバーと写真に写るトレーナーの吉岡航さん(左から2人目)

 WBC第1ラウンドプールAは今日最終日を迎えている。キューバ代表は地元台湾と東京行きの切符を争っているが、大混戦のこのプールはナイトゲームの最終戦終了までどうなるかわからない。

 キューバ代表チームは、WBCに向けて万全の準備を整えるべく先月来日し、沖縄で日本のチームと練習試合の日々を送っていたが、そこには慣れない異国での連戦の日々を裏方として支える日本人の姿があった。スペイン語を操るその姿を見ると、通訳かなと勘違いしてしまうが、吉岡航さんはトレーナーとしてキューバチームを支えている。

「夢はメジャーリーグ」。裏方で世界の頂点を目指した元高校球児

 奈良で生まれ育ったという吉岡さんは、高校時代、甲子園を目指して白球を追いかけていたが、大学では裏方としてアスリートを支える道を目指した。

「理学療法士になろうと思って。大学時代は、週末にソフトボールは続けていましたけど」

 大学で資格を取るべく勉強しているうちに、裏方としての夢はかたちとなって目の前に現れるようになった。

「メジャーリーグのトレーナーになろう」

 世界最高の舞台でメジャーリーガーを支えたい。それが吉岡さんの夢となった。

 大学卒業後、吉岡さんはスポーツクリニックに職を得た。そこで2年ほど勤めた後、独立して治療院を開業し、その傍ら高校や大学、社会人野球チームでのトレーナーとしての活動も始める。

 そんな中、メキシコで通訳をしている日本人から連絡があった。「こっちでやらないか?」

 給料なし、渡航費自弁、職住だけが提供されるという条件に、迷いはしたが、ひと月以内に返事をくれという言葉に背中を押された。

 行き先は、メキシコ太平洋岸のリゾート地、マサトラン。この国の最高峰リーグであるウィンターリーグのメキシカンパシフィックリーグのチームもある「野球処」だった。ここにある夏の全国リーグ、メキシカンリーグの人気チーム、ユカタン・レオーネスの選手養成施設、「Academia de Béisbol del Pacifico」が吉岡さんの新しい職場となった。

 選手と共に寮生活をしながらの半ばボランティアワークだったが、ここでの働きが認められ、アカデミーの責任者から球団オーナーの言葉を伝えられた。

「トップリーグのチームで働かないか。もちろん給料は出す」

「見習い」だった吉岡さんは、「一軍」のトレーナーとして採用されることになった。

「一軍」が本拠を置く、アカデミーのあったマサトランとは反対側のメキシコ湾側の町、メリダに吉岡さんは飛んだ。

多文化の中に身を置いたメキシコでの経験

 メキシカンリーグのチームは多国籍軍団だ。7人の登録枠は一応あるのだが、アメリカ生まれのメキシカンは「外国人枠」には入らず、ラテンアメリカ各国から帰化した者も多い。レオーネスを見渡しても、アメリカ人6人、キューバ人7人にベネズエラ人が3人、それにドミニカンもひとりいた。

 レオーネスは強豪に属するので、シーズン中に上位チームに選手を引き抜かれることはほとんどなかったが、弱小チームでは、シーズンに見切りをつけると、有力選手はつぎつぎと「売り」に出される。チームを見渡すと開幕時とシーズン終盤ではメンバーががらっと入れ替わることなど当たり前だ。それに外国人選手は、他国からより良いオファーをもらうとさっさとチームを去ってゆく。

 そんなバラバラになりがちなチームをまとめるのはメキシコ人のベテラン選手だ。「よそ者」にポジションを奪われがちの彼らだが、チームの優勝のため、チームのまとめ役を買って出ている。その姿に、自分たちで集まりがちなアメリカ人選手も心を開いていく。メキシコのリーグで「よそ者」が大手を振ってプレーしていることに苦々しい思いを抱いている選手がいるのも確かだが、そんな選手をなだめながら、チームをまとめるベテランの姿に吉岡さんは感銘を受けた。

「まだまだ言葉も拙い中でチームに帯同していたのですが、一トレーナーとしてだけでなく、日本人として選手スタッフ皆さんに優しく接してもらったのは、彼らのおかげです」

 時には、盛り上げ役としてベンチでの応援を促されたり、クラブハウスで踊らさせられたり、ピエロ役を任せられたが、それによってチームがまとまるのを肌で感じた時間はまさに至福の時だった。

 やがて、選手たちも吉岡さんに全幅の信頼を寄せるようになった。そして、吉岡さんは、トレーナーという仕事が、体だけでなく、選手のメンタルも癒すことのできる仕事であると気付き始める。

「仕事柄、僕は、選手の体を触りながらコミュニケーションをとっているので、その分選手のことがよく把握できます。ポストシーズンに入ってからは、選手たちのコンディション不良やメンタルの上がり下がりをひしひしと感じましたね。やっぱりすごい重圧の中でプレーしているんだなというのがよく分かります。プレッシャーに押し潰されずに戦う彼らには尊敬しかありません。そんな彼らにかかわって、感謝や褒めの言葉をもらうのはトレーナー冥利に尽きますね。ほんの少しでも勝利に貢献できている実感を得る。こんなに幸せなことはありません」

 レオーネスは、レギュラーシーズンを9チーム中4位で終えたが、6チームが出場できるポストシーズンに進出した。チャンピオンシップまで4段階あるメキシカンリーグのポストシーズンには、先にホームゲームを開催できるという以外、上位チームへのアドバンテージはない。それだけ「下剋上」が起こりやすいのだが、レオーネスも4位から地区優勝に上り詰め、優勝決定シリーズ、「セリエ・デル・レイ」でも優勝10回の名門、モンテレイ・スルタネスを4勝3敗で破り、見事5度目の優勝を果たした。満員の敵地で優勝が決まった瞬間、吉岡さんも選手と共にマウンドへ走り、歓喜の輪に加わった。

メキシカンリーグチャンピオンシップ・「セリエ・デル・レイ」を制したチームの一員として歓喜の輪に加わった。
メキシカンリーグチャンピオンシップ・「セリエ・デル・レイ」を制したチームの一員として歓喜の輪に加わった。

「僕はシーズン途中からの加入だったんですが、シーズン終盤、プレーオフを勝ち進む中でチームの一員として絆が深まっていく中、チームに入って間もないということは忘れていました。微力ではあると思いますが、選手からお前のおかげだとたくさん言ってもらえて、トレーナー冥利につきました。日本だったら多分、選手と一トレーナーがこれだけ一緒に喜びを分かち合える関係になれるっていうことはないと思うんですよね。メキシコに来て本当に良かったと思いました」

縁が縁を呼んでキューバ代表のトレーナーに

 メキシコでの夏のシーズンが終わると、日本には帰ることなくそのままウィンターリーグに合流した。

「レオーネスのGMがウィンターリーグも掛け持ちしていたんです。それでそのままメキシコで仕事を続けることになりました」

 メキシカンリーグ優勝の熱も冷めやらないうちに、メキシコの南端から北端に移動。新たな職場は、アメリカ国境も近いメヒカリにあるアギラスというチームだった。

 アギラスは、ポストシーズンには進んだものの、プレーオフは第1ラウンドで敗退。吉岡さんの長いメキシコでのシーズンもここで終わった。帰国することになったのだが、ここでまたもや声がかかる。

「レオーネスのキューバ人たちがWBCの代表に選ばれたんです。それで沖縄でキャンプをするからトレーナーとしてやってくれないかって」

モイネロ(ソフトバンク)、デスパイネ(元ソフトバンク)らと練習のミーティングに参加する吉岡さん
モイネロ(ソフトバンク)、デスパイネ(元ソフトバンク)らと練習のミーティングに参加する吉岡さん

 沖縄で合流したチームメイトは温かく迎えてくれたが、チームの雰囲気はリーグ戦とは大きく異なっていた。

「メキシコにいた時は、選手は違う国から集まっていましたが、やっぱり国をかけて戦うっていうのは違いますね。みんな誇りをもってプレーしていることがひしひしと伝わってきます」

 代表チームは、日本各地を転戦した後、決戦の地、台湾へと旅立っていったが、吉岡さんは日本で準々決勝のために戻ってくるチームを待っている。

日本でのNPBチームとの練習試合では、1勝4敗と負け越したが、吉岡さんは心配していない。

「チームの雰囲気としては試合の結果よりも、体にどれだけ負担をかけていられるのかという能力を上げるための調整をそれぞれにできているようです。まだトレーニング期間という印象ですね」

 とは言え、台湾で迎えた本番では、開幕戦でいきなりオランダに惜敗。続くイタリア戦も落とし、1次ラウンド敗退の声も大きくなったが、10日のパナマ戦で13得点の圧勝で息を吹き返して、ホスト国台湾との最終戦に臨む。ここで勝利を収め、ナイトゲームでオランダがイタリアを下せば、2勝2敗で並ぶことになる台湾、パナマとの対戦成績により東京での準々決勝進出が決まる。

 吉岡さんは、当然のごとく「チームメイト」との再会を疑わない。上記のようなパターンになれば、東京での対戦相手は、侍ジャパンになる可能性大だ。どちらを応援するのかという問いには、「キューバ」と即答された。

「ずっと野球人気の高い日本にいて、強い日本を応援してきて、この強い日本を倒すことができたら楽しいだろうと思っています。僕は日本人ですが、キューバ代表に帯同してるチームの一員として勝利のために一緒に戦いたいです。そして勝ちを大好きな選手みんなと分かち合いたいです」

東京での大一番、侍の向こう側には、「もうひとりの侍」が待ち受けていることだろう。

(写真は吉岡航氏提供)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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