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敗軍の将、兵を語る。元名リリーバー、廣田浩章監督(大分B-リングス)に聞く【九州アジアリーグ】

阿佐智ベースボールジャーナリスト
大分B-リングス・廣田浩章監督

 ドラフトも終わり、独立リーグも完全にシーズンが終わった。2球団でスタートしたヤマエ久野九州アジアリーグ(KAL)は、他リーグとの交流戦を含む「公式試合」67試合を挙行。火の国サラマンダーズ、大分B-リングス両球団によるペナントレースである「公式戦」は、23勝9敗という星でサラマンダーズが圧倒し、優勝を果たした。一方のB-リングスは、戦力差を見せつけられるかたちで惨敗となった。

 その勝率0.281に終わったチームを率いた廣田浩章監督に話を聞いた。廣田監督は、NTT中国から1985年ドラフトで巨人から2位指名を受けてNPB入りした。プロ2年目の1987年から社会人時代と同じリリーフ投手として一軍で活躍。平成に年号が変わって巨人が日本一に輝いた1989年には、抑えとして8勝11セーブを挙げた。その後、ダイエー、ヤクルト、近鉄と渡り歩き、2000年シーズンで引退。在籍していたホークスのスタッフとして野球に携わっていたが、九州に独立リーグが発足するに当たってB-リングスの監督として招聘された。

シーズンを振り返って

 1シーズン、初めて独立リーグの指導者として指揮をとってみて、選手の成長は感じたと廣田は振り返る。

「預かった時も今でもピッチャーに関しては、サラマンダーズさんとのレベルはものすごく差を感じますけどね。それは試合を見に来られているお客さんが一番感じると思います。野球をよく知っている人が見に来ると、やっぱりその差はわかるでしょうから。そこから始まりました。気持ちの部分ですよね。とくにリリーフは試合の流れを断つという強い気持ちじゃないと。だから、そういう投手を後ろの方で投げさせるようにしたんです。失敗したり良かったりというのの繰り返しでしたけれども」

 キャンプで選手たちを見た時、試合ではなくブルペンでさえストライクを取るのがままならない投手が複数いたという。そうして迎えた開幕。先発陣に関しては、四国アイランドリーグplusで最多勝投手にも輝き、社会人野球での経験もある岡部峻太を軸にリーグ戦とソフトバンクとの交流戦をまかない、その他の交流戦は他の投手で調子のいいものを立てて臨んだが、層の薄い投手陣ではリリーフがシーズンを通してネックとなった。相手より格下でも、調子が悪くとも、その中でも抑えることはできるということを、常々選手には伝えてシーズンを戦ってきたものの、現実は甘くはなかった。

「試合の日でもブルペンに、『誰々、使おうと思うけど、どう?』って聞いても、『今日はストレートでストライク取れませんよ』なんてことはしょっちゅうでした。それでもこっちは、もう使うつもりでいるからマウンドに上げるんですけど、もう高めにしか行かない。ストライクがひとつもとれない。それで、次のピッチャーを用意したりとか、そんなのをしながらシーズンを戦ってきたような感じです」

 独立リーグ球団が増える中、どのチームも選手集めには苦労しているのが現実だ。とくに後発のKALの場合、社会人実業団を母体にしていたサラマンダーズはともかく、ゼロから球団を立ち上げたB-リングスがスカウティングに苦労したことは察するに余りある。プロとして試合をつくることがなかなかできない投手陣に廣田がまず伝えたのは、技術的なことよりも精神的なことだった。

「コントロールに関しては、技術的なことももちろんあるんですが、最初はもう変な話、ど真ん中でもいいからとにかくカウントを整えなさいと。2球投げたら1-1のカウントを作れと。そこからまず始めました。結局、それでも、多分シーズン通すと、イニング数の半分以上のフォアボールを出していますから。その辺がまだまだ課題といえば課題です。そういう段階です」

 20代が中心の選手たちは、無論、廣田の現役時代を知らない。NPBを目指すという意気込みに技術、精神面が追い付いていない選手たちを見て、若き日の自分を重ね合わせようとしたこともあったと廣田は言う。しかし、それは詮無いことだと気付いた。

「年代のギャップというか、その辺がやっぱり難しいですね。僕はあまり、こうしろ、ああしろとは言わない。自分で考えて、自分で行動を起こさないと本当の進歩、成長はないと思うんです。だから中にはちょっと指示した方がいいだろうなと思えることも1年間やっていてあったんですけれど、やらされているような練習はしたくないしね。ただ、体力がないと困るんで、たまに走らせたり、トレーニングを指示してみたりはありましたけど」

 戦力不足の中で戦った今シーズンだったが、それでも何とかなった試合も多かったと廣田は振り返る。

「シーズン初めは接戦でずっと負けていたんです。でも、この小さな差がやっぱり大きいよということを常に選手には言っていたんです。1試合単位でもシーズン通してでも、投手というのは、バッターの目が慣れてくると、やっぱり打たれるんです。そういう点では、向こう(サラマンダーズ)のピッチャーのほうが速い球を投げるピッチャーは多いですし、そのレベルにうちがついて行けなかった。今日の試合も、向こうは優勝が決まってフルメンバーではなかった。その中で勝っていて先発の片山凌平の完投も考えたんです。結局、他に投げさせたいというピッチャーもいたんで7回で替えたんですけど。それでも6回終わったところで本人に7回まで行くかと聞いたら、ちょっとためらったような感じだったから、『ここで終わるつもりか』って尻を叩いてマウンドに送ったんです。そのあたり、うちはあまり気の強い子がそろっていなかったですね。最後に投げさせた江藤奨真は、打たれて追い上げられたんですけど、負けん気が強いから、マウンドに行って『3点差あるんだから2点で抑えたらいいんだよ』と言って落ち着かせました」

名将の教えを胸に

監督して初シーズンはほろ苦いものとなった
監督して初シーズンはほろ苦いものとなった

 廣田がプロ入りした時の監督は、あの王貞治。抑え役を任されたのは、投手力をバックに平成初めのジャイアンツ黄金時代を築いた藤田元司監督の下だった。その後、王の監督就任と時を同じくしてダイエーへ移籍。ヤクルトでは「野村再生工場」でチーム最多セーブを挙げるなど復活した。現役の最後は、梨田昌孝率いる近鉄でプレーした。彼が仕えた監督は、全員リーグ優勝を経験している。名将たちの下でプレーしてきた廣田だが、自らが指導者となった今、その指導を直接参考にすることはないと言う。

「プレーそのものを指導するという点においては、ほとんどないですね。僕が教えるのはピッチャーの方なんですけれども、自分が今まで経験したことを基にアドバイスしています。でも、野球に関してのものの考え方については、野村さんや王さんたち、昔の監督の下でやってきて参考にすることはいっぱいあります」

 とくにダイエーを自由契約になった自分をヤクルトでクローザーに「再生」してくれた野村克也の「常に問題意識をもって野球をやる」言葉は廣田の心に刻まれている。

「上手くなるのに自分がどうするのか、今何をすれば高いレベルまで行けるのかということを考えながらやらないと、成長はないぞということです。今ここで指導していると、中には、もう漠然と野球をやっている子もいます。でも、それを見ていて、こうやれ、と言うのは簡単ですが、自分で感じて、自分で動いて、その上で僕に、どう思いますか、というようなふうになってほしいんです」

 B-リングスは今シーズン、廣田がプロ入りした時の監督である王が会長を務めるソフトバンクの三軍と3試合の交流戦を行った。その場に恩師は姿を現したのだろうか。

「いや、それはないですね。僕の方も、監督している自分の姿を見てほしいとかは思いませんよね」

 廣田は照れ笑いを浮かべた。

シーズン後に待つ厳しい現実

 インタビューを行ったのは、シーズン最終盤の試合後のことだった。ライバルチーム、サラマンダーズに惨敗した結果を受け、チームは大きな変革を求められる。そもそも独立リーグとは、さらに上のNPBという場を目指す場。その夢が身の丈に合わないことを悟った者は、次のステップに進まねばならない。その現実を踏まえて、廣田は「自分もシーズンが終わればどうなるかわかりませんけど」と自嘲気味に笑いながら、「シーズン後」についてこう語った。

「球団社長とも話して決めることなんですけど、選手の選別は難しいですね。初めてのことなんで。もう野球を続けられなくて辞める子もいますしね。早めにセカンドキャリアへ進ませてあげた方がというのもありますから、早めに(戦力外を)言ってあげたほうがいいと思います。ピッチャーには、それとなく伝えてはいますが…」

 だからシーズン終盤の試合では「温情采配」も見せた。今シーズンで野球に見切りをつけた選手にはできるだけ出番を与えるようにしたと言う。

「今年でもう辞めるという子もいますし、どこかでテストを受けてでもまだやりたいという子もいます。そういう選手はできれば使いたいと思うんですけど、なかなかね。うちが大差で勝っているゲームなんてほとんどなかったんで、それも難しかったですね。今日(9月19日)も大差で勝っていたと思ったら、試合終盤に追い上げられましたから。野球はその辺が難しいです。終盤の6つぐらいのアウトというのが一番難しいというか」

 戦力補強は来シーズンに向けての絶対課題だ。来シーズンからは「ホリエモン球団」・福岡北九州フェニックスが参入するが、新参球団の後塵を拝するわけにはいかない。まずはバッテリーの整備が危急の課題だと廣田は投手陣に加えて捕手の獲得を目指すべきだとチームの方向性を示した。

「ポイントはピッチャー、キャッチャーですね。現状の戦力が全員が要るかどうかという部分もあるし、補強の重要ポイントはそこですね。外国人選手もね。今年も獲得するはずだったんですけど、コロナがあって、目をつけていた選手が、来日できなくなったんです。NPBも目をつけるぐらいのレベルの選手だったんですけどね。その後も、155キロぐらい放る元メジャーのピッチャーの話があったんですけど、これもコロナでどんどん遅れてあきらめたんです。今後、海外との行き来というのがスムーズにいって、いい外国人を連れてきたりして、その選手がNPBへ進むようないい意味でのパイプができれば、球団もいろんな意味で注目されると思います」

 B-リングスの拠点は大分市郊外の野津原(のつはる)地区にあるが、廣田は市街のホテル住まいだと言う。NPB畑を歩んできた身にとっては独立リーグでの生活はなにかと大変ではないかと話を振ると、廣田は笑ってこう答えた。

「もう大分に来て、ホテルに温泉もありますしね。毎日毎日温泉に入って、ぐっすり寝れて、そういう生活をずっとしてみたかったんです(笑)。それに、昔から野球を教えたいという気持ちはものすごくありましたから。それができて、あっという間の1年です。もっとも、こんなに負けるとは思いませんでしたが(笑)。充実感はありました」

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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