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キーワードは「ボールパーク化」。新装なったメットライフドームをゆく

阿佐智ベースボールジャーナリスト
1997~98年にかけてのドーム化以来の大規模改装を行ったメットライフドーム

 埼玉西武ライオンズの本拠、メットライフドームが2017年オフから進めてきた大規模な改装工事を終え、「新装開店」した。既存の球場に屋根を被せたという構造上、壁面がないゆえ「夏暑く、春、秋は寒い」と酷評されることも多かった日本で5番目にできたドーム球場だったが、昨今の「生観戦ブーム」に乗って「あるじ」であるライオンズの観客動員数は右肩上がりで、近年はチケットもなかなか入手できないようになってきている。都心から40キロ、約1時間と決して交通の便がいい立地ではないことから、これまで新球場への移転もささやかれたこともあったが、球団の首都圏移転から40年を経過して球団を保有する西武ホールディングスが決定したのは、「創業地」であるメットライフドームのリニューアルだった。

黄金時代を見つめ続けてきた「西武ライオンズ球場」から「環境共存型ドーム」へ

 西武鉄道グループの娯楽施設が集まる狭山丘陵の地にあるメットライフドームだが、その前身は1963年に完成した西武園球場に遡ることができる。アマチュア野球用につくられたこの球場は、現在とはホームベースとバックスクリーンの位置が真逆だったといい、ファームのイースタンリーグ公式戦が行われたこともあった。

 この球場に代わって、西武鉄道が新球場を建設したのは、1978年のことである。旧球場のある丘陵地を掘り込み、その底にフィールドを配置する工法は、当時の最先端と言ってよく、それまでどこの球場にもあった出入り口のないスタンドは近未来を感じさせた。

 6月の起工時点では、西武グループはプロ野球チームを保有しておらず、プロ野球公式戦誘致のための建設だとしていたが、翌1979年4月の完成までに、西武鉄道グループの不動産会社、国土計画(現・コクド)が福岡を本拠としていたクラウンライター・ライオンズを買収し、その本拠「西武ライオンズ球場」として新球場は開場した。

 新生ライオンズは、当初低迷したものの、4年目の1982年にはリーグ制覇、その余勢を駆って中日との日本シリーズも制し、前身球団・西鉄時代以来24年ぶりの日本一に輝く。これ以降、1994年までの13年間でライオンズは実に11回のリーグ優勝を飾った。この時代、狭山丘陵に選手たちの長い影が落ちる日本シリーズの風景は、秋の風物詩と言えるものまでになった。

 その間、時代はドーム球場の時代へと移っていった。ライオンズの観客動員は埼玉移転当時から好調だったが、黄金時代の到来とともにその人気は確固たるものになったように思えた。しかし、1988年の東京ドーム開場後、パ・リーグ観客動員数ナンバーワンの座は、そこを本拠としていた日本ハムファイターズに奪われ、その後、ライオンズの故地、福岡にホークスが移転し、親会社ダイエーが日本初の開閉式ドーム球場を建設すると、ファンの目はそちらへ移っていった。そして1990年代半ば、イチロー擁するオリックス・ブルーウェーブが黄金時代を迎えると、ファンはグリーンスタジアム神戸(現・ほっともっとフィールド神戸)に殺到した。1990年代が終わりに差し掛かろうとするとき、「球界の盟主」の座は、西武ライオンズの手からこぼれ落ちていた。

 1997年から2年計画で、西武ライオンズ球場はドーム球場に生まれ変わった。1年目のオフに観客席を一周するステンレス製の銀傘を取り付けた後、2年目の1998年オフにテフロン樹脂製の膜屋根をフィールド上に設置した。西武球場は、建設当時、球団経営に失敗したことを想定して、球場取り壊し時に即、住宅地に転用できるように地盤を固められていたという。その一方、将来のドーム時代の到来を予測して、ドーム球場に改築できるようにも設計されていたのだが、西武グループは、球団をグループに必要不可欠なものと考え、ドーム化に舵を切ったのだ。西武ドームと名を変えた「ライオンズの家」は、その後、ネーミングライツを売りに出し、度々名を変え、2017年から現在のメットライフドームの名でファンを迎えている。

 しかし、一度手放した盟主の座は獅子のもとに戻っては来なかった。ドーム化工事を始めた1997年以降の10年で、ライオンズは4度のリーグ優勝を飾っているが、それが観客動員に反映されることはなかった。リーグ5位に終わった2007年、ライオンズの観客動員数はついに12球団最下位まで落ち込んだ。

 球団は、翌年からマーケティング改革に乗り出し、それが功を奏して動員数は右肩上がりとなり、現在では札止めも珍しくなくなってきている。

 そしてその改革の総仕上げとして行われたのが、本拠地の「ボールパーク化」だった。

内野ベンチ上にある「エルズテラス」。内野スタンドを削り、4層建てのレストラン、バースペースとなっている。
内野ベンチ上にある「エルズテラス」。内野スタンドを削り、4層建てのレストラン、バースペースとなっている。

 本拠地の改築は、球団改革と同時に始まった。2007年オフにフィールドを中心に再整備、翌2008年オフには、球場の構造上、スタンド最上段周囲にしか飲食などの売店がないという欠点を解消すべく、内野スタンドを開削してレストラン、売店を設置した。ここにはエレベーターも設置され、それまでは「特等席」であるはずのフィールド近くのシートに陣取った観客は、高いスタンドを延々と登らねばならなかったが、快適な移動ができるようになった。そして、西武球団40周年記念事業として、2017年オフからは、本球場だけでなく周囲のサブ球場、練習施設、選手寮を含めた「ライオン・タウン」というべきエリア全体に及ぶ大規模な改築工事が始まり、今年の開幕を前に完成。メットライフドームは「ボールパーク」として生まれ変わった。

昨今のスタジアムのトレンド、「ボールパーク」

 しかし、昨今よく耳にする「ボールパーク」とはどのようなものなのだろう。

 もともとは野球場の別称に過ぎない。ただ、この語はベースボール草創期によく使用され、のちプロ野球隆盛時に巨大なスタンドをもつ球場が現れると、それを「スタジアム」と呼ぶことが多くなったために、「ボールパーク」には、牧歌的な「古き良き時代」のベースボールを想起させるイメージがついて回るようになった。

 そして、1990年代のアメリカで、それまでのシンメトリックで巨大なフットボール兼用球場に代わって、3、4万人規模の不整形なスタンドをもち、町の景観に合わせたレンガ造りの外観をもつ新球場建設ラッシュが起こり、「ボールパーク」と名乗るようになると、復古調の概観と天然芝のフィールド、そしてスタンド周辺にレストラン、遊戯施設、ショップを備えた球場を人々は「ボールパーク」と呼ぶようになった。この新球場建設の効果は絶大で、「ボールパーク」への建て替え、移転は観客動員数を増加させた。

 アメリカで「ボールパーク」建設ブームが起こったとき、日本はドーム建設ブーム真っ只中だった。また、地価の高い日本では球場の建て替え話もなかなか起こらず、結局、2000年代に入り、ようやく数球団が、スタンド外のスペースを球場敷地内として取り込み、イベントスペースにするなど、「ボールパーク」のコンセプトだけを導入、実行するにとどまった。

 我が国において、単なる野球観戦にとどまらない、球場という場そのものを楽しむというコンセプトの下、建設された本格的な「ボールパーク」の出現は、広島のマツダスタジアム開場の2009年まで待たねばならなかった。また、2005年に発足した楽天イーグルスは、本拠、仙台宮城球場(楽天生命パーク)の増改築を繰り返し、「ボールパーク」への変貌を果たした。

日本初の本格的「ボールパーク」として誕生した広島・マツダスタジアム
日本初の本格的「ボールパーク」として誕生した広島・マツダスタジアム

「ボールパーク」への変貌を遂げたドーム球場

 今回のメットライフドームの「ボールパーク化」は、既存の球場を可能な限り「ボールパーク」に近づけようという試みであろう。それは、他の外部と完全に遮断された完全なドーム球場とは違う、外部空間とのつながりのあるこの球場だからこそなしえたことでもある。

 そのつながりゆえ、「春先、秋口は寒く、真夏は蒸し風呂」とも揶揄されることもあるが、正直なところ、寒さに関しては一部のメジャーリーグの球場や韓国プロ野球の球場の方がよほど寒い。

 西武球場前駅の改札を出てまず気づくのは、球場ゲートが近くなっていることだ。もちろん球場自体が移動したわけでも、駅が移動したわけでもない。それまで球場外だったスペースを球場の敷地として取り込み、ゲートを駅側へ移動したのだ。

メットライフドームは、駅から向かうと、外野中央、バックスクリーン裏から入場することになっている。ゲートはライト、レフト側に分かれてあり、この時点で観客は1、3塁側いずれかのスタンドに閉じ込められることになる。これを改め回遊性をもたせるため(但しネット裏は当該チケットのホルダー以外は通ることはできないが)、駅から球場への動線上に新たにゲートを設置したのだ。その端に白いライオン像を頂いたレンガ造りの外観のチケット売り場を備えたメインゲートは、メジャーリーグのボールパークを彷彿とさせる。

本場・アメリカを彷彿とさせるメインゲート横のチケットブース
本場・アメリカを彷彿とさせるメインゲート横のチケットブース

 本場・アメリカのボールパークの場合、球場を構成する建造物そのものが巨大である。また、球場建設予定地にあった既存の建物をスタンドの一部に取り込むような例もある。その巨大なスペースを利用して、娯楽施設、レストラン、ショッピングスペースを設置し、単に競技だけを見る場というだけでない消費空間を創り出している。

 しかし、日本の場合、地価の高さもあり、スタンドそのものをアメリカのボールパーク並みに大きくすることは難しいだろう。そもそも、建て替え、移転でもない限りは、現存の施設を改築するほかない。だから、現状においては、各球団は、基本、既存のホーム球場を「ボールパーク」的に利用するというかたちでリノベーションをはかることになる。

新たに「ボールパーク」の内側に取り込まれた敷地内に設置された西武電車
新たに「ボールパーク」の内側に取り込まれた敷地内に設置された西武電車

 メットライフドームでも、それまで「球場前」だったスペースを「ナカ」に取り込むことによって、「ボールパーク化」を進めている。その象徴とも言えるのが、ゲートを入って左奥に鎮座する西武電車だ。この電車とゲートの間には、グッズを扱うショップがあるのだが、入場後、ウィンドウショッピングを楽しみながら進むと、本物の電車のオブジェに辿りつくという仕掛けになっている。グループに電鉄会社をもつこの球団ならではの仕掛けだと言っていいだろう。ゲートからここまでたどり着く間に醸成される「ワクワク感」はそのままスタンドに持ち込まれ、席についてからの観戦をより楽しいものにすることは間違いない。

広々とした空間内には様々な楽しみがある。
広々とした空間内には様々な楽しみがある。

 そして、観戦に疲れたときには、電車、ショップと反対側にある「キッズフィールド」と名付けられた遊戯スペースがある。3時間にも及ぶプロ野球観戦は、子どもにとっては長すぎることが多いが、場内に遊戯施設を設置することで、観戦に飽きても「楽しみ」減ずることがないように工夫されている。「ボールパーク」は単なる観戦の場ではない。そこで遊び、食べ、飲み、買い、一日中楽しむことのできる娯楽・消費空間なのだ。

 また、屋根のない時代からのこの球場の「名物」であった外野「芝生」席は、今回の改築を期に、座席が設置された。すでにドーム化以降は、天然芝から人工芝に敷き替えられていたので、緑香る中での観戦というわけにはいかないようになっており、また、近年の観客動員数の急激な伸びにともなって席取りの問題なども出ていたというからこれも時代に流れとしか言いようがないだろう。

 ただ、球団にとってはうれしいはずの昨今の「生観戦」ブームも、チケットの転売の横行という別の問題を生んでいる。せっかくのリニューアルされた空間を皆が楽しめるような方策を球団、ファンとも考えていってほしいものである。

(写真はすべて筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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