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元日本ハム中村勝、メキシコへ。メキシカンリーグでプレーした日本人選手の系譜

阿佐智ベースボールジャーナリスト
日本ハム退団後、豪州リーグでプレーした中村 (写真 hiroki chiba)

 北海道日本ハムファイターズで2019年までプレーしていた中村勝投手が、メキシコのトップリーグ、メキシカンリーグの新球団、グアダラハラ・マリアッチスと契約した旨報道された。これまでメキシカンリーグで実際にプレーした日本人選手は12人。日本のトッププロリーグ、NPBからは10人が現役継続のためこのラテンアメリカのトップリーグに新天地を求めている。

 中村は埼玉の名門・春日部共栄高校から2009年のドラフトで日本ハムから1位指名を受け入団。ルーキーイヤーの2010年には早くも一軍の先発マウンドに立ち、早速初勝利を飾るなど将来を嘱望された投手だった。しかし、2014年の8勝がキャリアハイで、NPB10シーズンで通算15勝17敗に終わると、未勝利に終わった2019年シーズン限りで自由契約となる。そのオフの12球団合同トライアウトに参加するが、獲得球団はなく、このまま引退かと思われたが、その後、オーストラリアへ渡り、現地の名門クラブ、サーファーズパラダイスでプレーした。そしてこの冬は、現地プロ野球ウィンターリーグ・ABLのブリスベンバンディッツと契約。ウィンターリーグのシーズン後、メキシカンリーグとの契約がまとまった。

中米の野球大国・メキシコのトップリーグ、メキシカンリーグ

 一昨年2019年の春にメキシカンリーグの選手主体の代表チームが侍ジャパンのテストマッチのために来日し、その秋のプレミア12では、3位決定戦でメジャー予備軍の精鋭を集めたアメリカ代表を破り東京五輪の出場権を手にするなど、日本のファンにもなじみ深くなってきたメキシコ野球だが、この国のトッププロリーグがメキシカンリーグである。創立は1925年で、日本のプロ野球・NPBよりその歴史は古い。カラーバリアがなかったため、キューバ人選手やアメリカのニグロリーグの選手が集まり、1940年代には、メジャーリーグ(MLB)から選手の引き抜きを行うなど、高いレベルを誇ったが、1952年にMLB傘下のマイナーリーグ組織に組み入れられ、最初は2A、1967年からは3Aのランキングが与えられている。

前回プレミア12でアメリカを破り3位になったメキシコ代表(写真提供WBSC)
前回プレミア12でアメリカを破り3位になったメキシコ代表(写真提供WBSC)

 そのため、日本では「スーパー3A」などという表現がなされることもあるが、実際は、北米内のマイナーリーグとは違い、メキシカンリーグ各球団は、MLB球団と業務提携を結び、その契約選手を受け入れることはあるが、球団そのものはMLB球団のファームチームではなく、リーグ運営もMLBから独立して行われている。平たく言えば、NPBがMLB傘下のマイナーリーグ組織に加盟し、3Aにランキングされるようなものだ。

 そのため、メキシカンリーグに与えられている3Aのランキングもあくまで便宜的なもので、実際には選手の力量の差は大きく、総じて言えば、「2A以上3A未満」と言ったところだろう。そう考えると、NPBの一軍で活躍できないレベルの選手がすんなり通用するリーグではないことが推察できる。

最初の日本人選手

 メキシカンリーグで最初にプレーした日本人選手は、巨人、広島でプレーした小川邦和投手だ。彼がメキシカンリーグのアグアスカリエンテス・リエレロスというチームに入団したのは、1984年。もう40年近く前のことになる。

 1973年から巨人でプレー。2年目には2ケタ勝利を挙げるなど活躍したが、1977年シーズン限りで退団すると、当時としては珍しく、アメリカに新天地を求め、マイナーで2シーズンを送った。その後、日本に帰り、広島に入団するが、3シーズンで3勝に終わると自由契約となり、再びアメリカでの現役続行を模索しているところにアグアスカリエンテスからのオファーがあり、リーグ初の日本人選手として、開幕投手にも抜擢されている。前年、広島で未勝利に終わった彼のこの年の成績は、防御率は5.72ながら10勝11敗。オフにはウィンターリーグでもプレーし、引退している。

世紀が変わって以降激増した日本からメキシコへの選手の流れ

 その後、メキシカンリーグでの日本人選手のプレーは2002年まで30年近くなかった。この年、根鈴雄次がプエブラ・ペリーコスで開幕を迎えている。NPBでのプレー経験なく渡米し、マイナーの最高峰3Aでもプレーした根鈴だったが、契約先を求めてメキシコにやってきたものの、隠していた手首の故障が再発し、4試合に出場しただけでリリースされてしまった。

根鈴雄次(四国九州アイランドリーグ・長崎セインツ時代、筆者撮影)
根鈴雄次(四国九州アイランドリーグ・長崎セインツ時代、筆者撮影)

 またこの年、近鉄時代、薄毛を生かした?「ピッカリ投法」などそのキャラクターで野球ファンを楽しませた佐野重樹(現・慈紀)が、ドジャーズのマイナー契約を解除された後、メキシコシティ・ティグレス(タイガース)と契約し、先発3試合を含む5試合に登板したものの、勝ち星には恵まれなかった。佐野はメキシコでのシーズンの後、アメリカの独立リーグを経て、NPBに復帰、2003年にオリックスで現役最後のシーズンを送っている。

 2006年にはティファナ・ポトロスに藪恵壹(元阪神、アスレチックス)、マック鈴木(元マリナーズ、オリックスなど)のふたりのメジャーリーガーが在籍していた。

 2009年には、メキシカンリーグナンバーワンの人気チーム、モンテレイ・スルタネスで山村路直投手がプレーした。2000年ドラフトでダイエーから1位指名を受け鳴り物入りで入団。ホークスには8年間在籍し、一軍ではソフトバンクに親会社が代わった後の2007年の2勝のみ、前年の2008年はファームだけの出場で0勝1敗1セーブ、防御率4.05という成績では、メキシコでも通用せず、9試合で勝ち星なしの3敗、防御率8.22で1年限りの在籍となった。  

 また、同年には、近鉄いてまえ打線の中軸打者として活躍した吉岡雄二が、ヌエボラレド・テコロテスでプレー。サードのレギュラーとして82試合に出場し、打率.280、ホームラン5本を放っている。

 翌2010年には、前年までDeNAでプレーしていた岡本直也がメキシコ球界入りした。彼は2001年ドラフトで横浜ベイスターズから4位指名を受け、高卒でプロ入りしたものの、8年間の在籍で一軍では勝ち負けなしの10試合の登板に留まり、2009年シーズン限りで戦力外通告を受けた。その後、合同トライアウトに参加するも、NPB球団からはオファーはなく、メキシコでの現役続行の道を選んだ。

 このシーズン、彼はリリーフ投手としてオアハカ・ゲレーロスで1勝2敗の星を挙げ、その後、カンペチェ・ピラタスに移籍するが、シーズン途中にリリースされてしまう。それでも、その後もメキシコにとどまり、メキシカンリーグのマイナーでシーズンを過ごした。翌2011年にはヤンキースとのマイナー契約を勝ち取り、傘下の2Aトレントンを経て、ヤクルトと契約し、NPB復帰を果たした。

メキシカンリーグ挑戦の後、ベイスターズに復帰。その後は独立リーグでもプレーした大家友和(筆者撮影)
メキシカンリーグ挑戦の後、ベイスターズに復帰。その後は独立リーグでもプレーした大家友和(筆者撮影)

 また、同じ2010年には、前年までメジャーリーグでプレーしていた大家友和・現DeNA二軍投手コーチがキンタナロー・ティグレスと契約を結ぶが、登板の機会なく、開幕早々に自由契約となり、DeNAで日本球界に復帰している。

日本人選手の有望な移籍先になってきたメキシカンリーグ

 2010年代後半になると、先駆者のおかげもあり、日本人選手のキャリアの視界にメキシカンリーグが入って来るようになった。

BCリーグで長らく主力打者として活躍した島袋(筆者撮影)
BCリーグで長らく主力打者として活躍した島袋(筆者撮影)

 2017年シーズン途中、この年に復活したレオン・ブラボスに、先述の根鈴同様NPBでのプレー経験のない島袋涼平が入団した。しかしながら、3試合で2塁打を含む2安打を放ったが、早々にリリースされている。彼は高校中退後、2006年に日本人選手として史上最年少でアトランタ・ブレーブスと契約。オーストラリアのアカデミーでプレーした後、2007年から3シーズンマイナーでプレーした内野手だった。マイナーではルーキー級どまりだったが、2011年から6シーズンプレーした日本の独立リーグ、ルートインBCリーグでは主力打者として活躍した。

 そして2019年には、大量4人の選手がメキシカンリーグに新天地を求めた。中でも、久保康友荒波翔の2人はNPBでも主力を張った「大物」だった。

 NPB3球団で計97勝を挙げた久保は2017年にDeNAから戦力外通告を受けると、翌年はアメリカ独立リーグでプレー。2019年にはメキシコに活躍の舞台を移し、島袋が在籍したレオンでシーズンを過ごし、先発投手として8勝を挙げた。

 久保のDeNAでの同僚、荒波はモンテレイでプレー。センターの準レギュラーとして打率.293を残した。

 元DeNAのふたりはメキシコでのシーズンをもって現役を引退したが、楽天で2014年からの5シーズンを過ごした横山貴明は、名門、メキシコシティ・ディアブロスロッホスでプレーした後も、2シーズンを日本の独立リーグで過ごしている。

 この2019年シーズンには、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツでプレーしていた片山悠がかつて根鈴が在籍したプエブラと契約を結んだが、公式戦もマウンドには立つことがなかった。

 そして昨年、2020年には元巨人の高木勇人がユカタン・レオーネスと契約を結び話題を呼んだが、新型コロナのため、メキシカンリーグはシーズンをキャンセル。結局高木はBCリーグの新球団・神奈川フューチャードリームズでプレーし、今シーズンに捲土重来を期したが、シーズン前にあえなくリリースされてしまった。 

 グローバル化が進む中、MLBに次ぐ世界第2位のプロリーグNPBではもはやプレーできずとも、プロとしてのプレー継続の場は、選手にとって増えている。メキシコ球界も今後の発展には国外からの刺激が必要なことは自覚している。そういう潮流の中、今後も日本人選手のキャリアパスにおけるメキシカンリーグの存在は大きくなっていくだろう。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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