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「やりがい搾取」の場なのか「原石が花開く場所」なのか?仕掛け人が語るアメリカ独立リーグ(前編)

阿佐智ベースボールジャーナリスト
独立リーガーからアメリカ独立リーグの運営スタッフに転身した松坂賢氏(筆者撮影)

 現在、アメリカには独立リーグという「もうひとつのプロ野球」がある。これはメジャーリーグ(MLB)を頂点とするファーム組織に属さないプロリーグで、安定的な運営をしているものはわずかだ。それでも30年を超えるその歴史の中、地域スポーツとして確固たる地位を占め、メジャーリーグへ選手を送り出すリーグも出現している。その一方、シーズン半ば、ときには開幕前に経営に行き詰まり消滅してしまうようなリーグもある。そういうリーグに「プロ」という夢を託して集う選手は、プロとして十分な技量をもたず、それゆえリーグ側も無報酬で選手を迎えたり、それどころか有料で出場機会を与えたりというような、「プロ野球」の言葉とはかけ離れたリーグさえある。それでも、そこに集う選手たちは、それまでの自分から抜け出し殻を破ることを夢見て、若き日の夏をフィールドで過ごす。その姿は、冷徹な目で見れば、一種の「やりがい搾取」にも見えるのだが、彼らはその実態はどうであれ、「プロ」としてプレーする自分に陶酔し、アメリカの大地で「夢追求」を続ける。そういう彼らがプレーするリーグをアペンディックス(付録)リーグとひとは呼ぶ。

 

 私はこれまで、そのような若者の姿を2度にわたり連載し、紹介してきた。

「Bチーム」から目指す「プロ野球選手」:「トライアウトリーグ」という若者の夢の巣箱(前編)

https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20190630-00132247/

「Bチーム」から目指す「プロ野球選手」:「トライアウトリーグ」という若者の夢の巣箱(後編)

https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20190704-00132424/

修士号を取りながらも見果てぬ夢を追い世界中を旅する「野球放浪人(ベースボール・トロッター)」(前編)

https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20190725-00135280/

修士号を取りながらも見果てぬ夢を追い世界中を旅する「野球放浪人(ベースボールトロッター)」(後編)

https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20190728-00135655/

 彼らはともに、エンパイアリーグという新興独立リーグに所属していた。

 「シーズン期間3か月以内」、「有料トライアウトに有料キャンプ」、「低報酬または無報酬」というアペンディックスリーグにありがちな条件をすべて満たしているこのリーグだが、他のリーグと違い、運営者はその条件を堂々と公言し、それを、選手をより上位のリーグに選手を送るという自らの使命を果たすための方法論だと割り切っている。このリーグはこの夏も3人の日本人選手を受け入れプレーさせたのだが、今年4シーズン目を終えたこのリーグ初年度に参加した日本人が現在リーグの国際スカウトとして日本でスカウティングを行っている。

 今回は、独立リーグという若者の「夢追求」の装置を駆動させている側の論理を探るべく、その国際スカウトに話を聞いた。

 その男、松坂賢氏に話を聞いたのは、昨年秋、名門大学で修士号までとりながら30歳を超えた今でも野球をしながら世界中を回っている「野球放浪人」の話を聞いた翌日のことだった。東京・渋谷のスクランブル交差点を望むフルーツパーラーに現れた彼の体躯は堂々としていて、これまで会ったふたりの選手よりよほどプロ野球選手らしく見えた。その外見通り、彼の「球歴」はふたりの現役選手をはるかにしのぐものだった。

「もちろんまだやりたいんですよ。でも、ノービザで何年もやれませんから」

 アペンディックスリーグのシーズンは短い。その期間が短いのは、アメリカのビザなし入国期間の90日に合わせているからである。こうすることによって、リーグは国外からの選手という「顧客」を受け入れることができるのだ。外国人である彼らが「プロリーグ」でプレーするのに、ノーギャラや必要経費としてのミールマネーだけの支給は、問題になることはないという。現実には、リーグによっては、見えないところで「とっぱらい」の現金支給をしているところもあった。しかし、ノービザだと、仮に上位リーグのスカウトのお眼鏡にかなったとしても、そこへ移籍することはできない。大学卒業後、アメリカ独立リーグで3シーズンを過ごし、手ごたえを感じた松坂だったが、4年目の夏を前にして、ビザを取得できなかったことでユニフォームを脱ぐ決心をした。

 「高校くらいまでいくと、伸びる限度がわかるんですよ。センスというか、身体能力とかを考えると、もう僕はメジャーが無理というのは分かったんです。でもアメリカに来て、途中で3Aまでは行けるという確信ができたんです。でも26歳でビザが取れないと、それももう駄目だなと思って引退したんです。ただ、3Aまで行けるなんて、日本では1ミリも思ったことなかったので、そういう意味では、アメリカでやって良かったですね」

 埼玉の県立高校から特待生としてスポーツの強豪、山梨学院大に進み、プレーした松坂は、4年時にはキャプテンも務めた。在学中は新興の強豪校が集う関甲新学生野球連盟で頂点に立つことは叶わなかったものの、常に優勝争いを演じていた。最後のシーズンが終わり、就活をし、企業からの内定も複数もらっていたが、松坂は卒業後アメリカに渡る道を選んだ。

 「実は、就職はまったく考えていなかったんです。就活はひとつの経験だと思ってやりました。もともと通常のキャリアパスに従うことはないと思っていましたし、もともとアメリカにすごく憧れがありまして。それでやってみようと。僕の場合、野球をやっているから、野球で行こうと。20代前半しかこういうことはできませんから」

 友人から、テキサスで「ウィンターリーグ」が開催されると聞いた松坂は、自分でリーグの運営会社にアクセスし、直接申し込んだ。2014年の年明けのことである。

 この「ウィンターリーグ」は、日本でもよく知られている中南米のプロリーグとは違い、参加有料のトライアウトリーグである。プロ入りの夢かなわなかった若者がその夢を昇華すべく、野球シーズンが始まる前の二月ごろに1か月ほど数チームに分かれてリーグ戦を行うのだが、事実上独立リーグのトライアウトも兼ねており、ここでプレーした多くの者が4月以降順次実施される独立リーグのキャンプに「招待」される。これが日本の若者には、「野球の本場、アメリカプロ野球への登竜門」と映り、現在では毎年多くの選手が、「エージェント」を通してこれら「ウィンターリーグ」に参加している。

 松坂がこれに要した費用は、参加費2000ドルに加え、渡航費1500ドル。日本円にしてざっと40万円弱といったところだ。旅行業も営む日本の「エージェント」のホームページを調べると、参加費だけで約40万円。これに航空券代が上乗せされる。直接申し込む場合との差額はエージェントの懐に入る。可視化されない「搾取」の構図がここにも浮かんでくる。

 「ウィンターリーグ」に参加した選手たちには、基本的に平等に出場機会が与えられる。その様を独立リーグのスタッフや、ときにはMLBのスカウトが視察し、そのお眼鏡にかなったものが順次各プロリーグと契約を結んでいく。ただしそのほとんどはMLB球団ではなく、独立リーグ球団だ。この契約もシーズン前のキャンプ参加に対するもので、開幕を「プロ野球選手」として迎えることを保証したものではないのだが、MLBドラフトにかからなかった選手たちの目には、これが最後の「蜘蛛の糸」に映るのである。松坂もまたその蜘蛛の糸をつかもうとしていたひとりであった。

「大学のときは全然大したことなかったんですけれども、日本の環境もあまり、合っていなかったですね」

と学生時代を振り返る松坂は、アリゾナの空の下、自分が伸びていくのを実感した。その実感が決してひとりよがりなものではないことは、120人の参加者の中で、いの一番に契約を勝ち取ったことが証明していた。

「まさかプロ契約を結べるとは思っていませんでした。最初はリーグが終わったら、カナダの大学に留学するつもりだったんです。英語を習得したかったので。プロ契約を結んでしまうと、北米の大学ではもう野球はできなくなるのですが、独立リーグで野球を続けることにしました」

 結局、ビザの取得が叶わず、プロ野球選手として開幕を迎えることはできなかったが、松坂は引き続きアメリカにとどまることにした。

「今思えば、ビザの問題ではなくて、多分リリースされただけなんですけど、僕自身は、少しの間だけど、プロ契約できたし、すごい人生観の変わった1か月でした。自分が成長できたんで、ウィンターリーグにはすごく感謝しています」

 松坂は、引き続きトライアウトを受け続けた。数百のプロ野球チームのあるアメリカ。シーズン開幕後にいつかどこかで穴の開くはずのロースターに滑り込むべく、全米のあちらこちらでトライアウトリーグが行われる。もちろんこれらには参加費がかかる。松坂は「ウィンターリーグ」と同じ運営者のもと行われていた「サマーリーグ」に参加し、同じテキサスに地盤を置く、ユナイテッドリーグという独立リーグで「プロデビュー」を飾る。

 「サマーリーグからはユナイテッドリーグにピックアップされる選手が多かったんです。このリーグのブラウンズビル・チャロスというチームの監督が、あのホセ・カンセコ(MLB通算462本塁打のスラッガー)の弟で日本でもプレーしていたオジー・カンセコ(元近鉄)で、僕のことをすごく気に入ってくれていたんです。ウィンターリーグのときからもう、うちでやろうと言ってくれていたんですが、僕の方も、サマーリーグが終わって、ユナイテッドリーグも残り2週間ほどだったので、もうノーサラリーでいいからプレーさせてくれってお願いしたんです」

 とりあえず、ノーギャラの「見習い」としてロースターに入れてもらうことは、アメリカ独立リーグでは珍しいことではない。ユナイテッドリーグは、いわゆるアペンディックスリーグのひとつで、1994年にテキサス・ルイジアナリーグとして発足し、2005年に幕を閉じたセントラルリーグを受け継ぐかたちで、翌2006年に発足したリーグである。リーグの財政が苦しくなると、リーグ運営会社を清算し、所属球団はほぼそのままで別リーグとして再出発するようなこともアメリカでは日常茶飯事である。

 松坂はシーズン終盤の7試合に出場、3試合では本職の捕手としてマスクも被ったものの、20打数無安打で、出塁したのは四球の2回だけという結果に終わった。しかし、自分なりの手ごたえを感じ、アメリカでのシーズンが終わると、オーストラリアへ渡った。知人に食費込み月100ドル(約9万円)のホームステイを紹介してもらい、クラブチームで野球を続けた。この後、2017年に引退を決意するまで、日本で働き渡航費を稼ぎ、夏はアメリカ、冬はオーストラリアで夢に挑戦するという生活を送った。

 

 アメリカ2シーズン目の2015年は、北西部にシアトル周辺にできた新リーグ、マウントレーニアリーグに居場所を見つけた。彼以外にも日本人が2人いたが、いずれも「ウィンターリーグ」からピックアップされた者だった。アメリカ人選手は少ないながらも悠久の契約を結んでいたが、松坂は前年と同じく、無給を申し出、ロースター入りを認められた。おそらく他2人の日本人も同じだろう。彼らは、「ウィンターリーグ」にも多額の参加費を払った上、このリーグでプレーする際にも費用を支払った。このリーグのシーズン前のキャンプは、最終トライアウトを兼ねており、入団希望者は参加費を支払ってこれに参加せねばならなかった。このキャンプには、シーズンロースターの数倍の人数が集まってくる。この頃から、アペンディックスリーグのビジネスモデルは、興行収入ではなく、フィールドの選手から徴収する育成料収入を柱とするものに移行していた。

 松坂ら選手にとってはそのスタートラインに立つまでに多額の「投資」をせねばならなかったこのリーグだが、開幕後、たった9試合で消滅してしまった。こういうこともアメリカ独立リーグの世界では珍しいことではない。

 「直前からヤバイという予感はしていたんです。遠征先のホテルに行ったら、部屋がないって言われて。監督、コーチに聞きに行っても、俺らの責任じゃないからって出てこない。ゼネラルマネージャーとも連絡が取れないので、その時点で、逃げたなって思いました。そのうち、ほかのチームでもゼネラルマネージャーが逃げ出したって情報が入っきて。次の日に全員集められて、解散でした」

 日本では信じられないことだが、松坂ももう慣れっこになっていた。プレー先がなくなれば探すまでと、前の年と同じように、テキサスに移動し、「サマーリーグ」でプレー、ここでコーチから翌シーズンの誘いを受けた。

「来シーズン始まるリーグに俺は参加するんだけど、お前も来ないか?」

 2016年夏、松坂はこの年創設されたエンパイアリーグにプレー先を移した。ここで過ごした25歳のシーズン、彼は初めて「プロリーグ」でフルシーズンプレーし、145打席で117打数32安打の.274という打率を残し、5本塁打30打点を記録した。

しかし、彼はここでも報酬を受け取ることはなかった。

(続く)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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