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別府史之「自転車ロードレース選手としてのストーリーは書き終えた。新しい人生の物語へ」

宮本あさか自転車ロードレースジャーナリスト
photo: jeep.vidon

目の前に引かれているのは、単なるキャリアのフィニッシュラインではない。新しい夢へのスタートラインでもある。自転車ロードレース世界最高峰の舞台で、17年間、プロ選手として戦い続けてきた別府史之が、次のステージへと走り出していく。

プロトンを外側から眺めた日

自分が満足できた時こそが、そのタイミングだと決めていた。

2021年が締めくくりの年になるだろうという予感は、シーズンを走り出した時点で、すでに別府の心の中にあった。ただスケジュールは10月上旬まで組まれていたし、そこに向け、しっかり準備も練習も積んできた。

しかし9月18日のプリムス・クラシックが、結果的にプロ生活最後のレースとなった。

「全長200km近いレースを、3分の2ほどで途中棄権した後、最後の50kmくらいを自走で帰ってきたんです。僕がのんびり走っている脇で、まだまだレースを必死に走っている選手もいて。当然、僕を追い抜いていって。そんな選手たちの姿を見ていたら、なんだか別世界の光景を眺めているような気持ちになったんです。ほんのついさっきまで、僕もそこで走っていたはずなのに。まるで自分が外の人間であるかのように感じてしまった。同時に、この光景は、そういう意味なんじゃないかな……と」

その声は驚くほどに晴れやかだった。穏やかに、別府史之は、自転車選手としての章を綴り終えた。

「これで最後でいい。自然とそう思えたんです。やり切った!とか、達成した!というのとは違います。『ああ、僕は、満足できた』。そんな感覚でした」

立ち止まりたくない

身体的な衰えを感じたわけではない。自転車そのものに対する愛情が消えたわけでもなかった。ただ折り悪く訪れたコロナ禍が、別府に考える時間を与えた。

「そこまでゆっくり後ろを振り返る余裕なんてなかった。だって自転車選手というのは、プロになってからも、1年1年が勝負ですから。成績がでなければ、結果がでなければ、あっさり簡単に切られてしまう世界です。だからレースに出ても、レースを勝っても、そこで終わりではない。また明日には、レースがある」

ところが2020年3月半ばに、「明日はレースがない」日々が、突如として始まった。20年前から暮らすフランスでは、厳格なロックダウンが布かれ、しばらくは屋外トレーニングさえ許されなかった。ぽっかりと空いた時間に、別府は自分が一番熱かった時代を、何度も思い出した。

「それってプロになるまでの時間なんですよね。熱量がものすごく高かった。本当に苦労したし、身を削りながら頑張ってきた時間でもあります。たった3年間くらいですが、自分の中に色濃く残ってます。なんだろう、仕事としてではなく、純粋に自転車に情熱を注げられた時間だったのかな……」

シーズンが再開された後も、以前と同じリズムは戻ってこなかった。どれほどトレーニングに励んでも、度重なる中止や延期に翻弄された。レースや移動のたびに複数回のPCR検査が待ち受けた。大好きな自転車にただ打ち込みたいだけなのに、義務が増え、ハードルが上がった。

それでも時間は流れていく。別府はこの春、38歳になった。

「時間がもったいないと感じたんです。だって僕には、やりたいことが、まだまだたくさんある。でもいろんなことに振り回されて、思い通りにやれないというのは、やっぱりすごく苦痛ですし、ストレスでした」

17年のプロ生活で7チームに所属。1年1年が戦いだった。(2015年ジロ・デ・イタリア、photo: jeep.vidon)
17年のプロ生活で7チームに所属。1年1年が戦いだった。(2015年ジロ・デ・イタリア、photo: jeep.vidon)

戦いの記憶

高校卒業と同時にフランスに渡った別府は、2005年にディスカバリーチャンネルでプロ入りを果たした。2009年には新城幸也と共に、ツール・ド・フランスにも参戦し、日本人として史上初めてパリまでたどり着いた。3大ツールと5大モニュメントクラシックをすべて走破したのは、日本では唯一の快挙だ。夏季五輪にも2度出場。ロードレースと個人タイムトライアルを合わせて日本選手権で5つのタイトルを獲得し、アジア選手権でも金メダルを手にしている。

「プロ生活で一番の思い出ですか……。表向きには、ツール・ド・フランスの最後にシャンゼリゼで逃げたことです、って言ったらいいのかもしれないですけど」

こう苦笑する別府にとって、数々の記録は、単なる肩書に過ぎない。経験をどれほど積み重ねても、成果は常にリセットされるもの。あのレースに出たとか、勝ったとか負けたとかは、ほんの通過点なのだ。

「過去の栄光をいつまでも誇らしく抱き続けるなんて、ありえないですよ。僕は常に前を向いて戦ってきた。だからこうして1年1年を戦い抜いてきたことのほうを、自分としては評価してあげたい」

本当に忘れられない思い出は、ただ別府の胸の奥に、深く刻み込まれている。決して目には見えないもの。それは自転車の上で過ごしてきた長い時間であり、そこで味わってきた様々な感情だ。

「たとえば練習中に突然、なぜか涙が出てきたこと。難航していた契約が取れた時に、『ああ、自分は自転車に乗っていて良かったんだ』と再認識したこと。それまで元気に前を走っていた選手が、突然、落車で死んでしまったこともあります。ロンドン五輪は、直前に亡くなった自転車の恩師のために、死ぬ気で走りました。そして3年前の全日本選手権の時に、母親が亡くなったこと。母が見守りつづけてくれたおかげで、今までやってこられたのですから」

長く苦しい時間をたくさん乗り越えてきた。(2008年パリ~ニース、photo: jeep.vidon)
長く苦しい時間をたくさん乗り越えてきた。(2008年パリ~ニース、photo: jeep.vidon)

サヨナラではなく

ぐずぐずしていても、しょうがない。自らの手に、運命の主導権を取り戻そう。決して後ろ向きな選択ではなかった。前へ向かって、再び全速力で走り始めるために、別府は自転車競技の第一線から退く。

「後悔の気持ちは、もはや一切なかったです。今までのページはここで閉じよう。僕はもう子供じゃない。自分でやっていかなきゃならない時が来たんだ。そういう思いだけでした」

ただ、ひとつだけ、割り切れない感情があるとしたら、それは日本で最後にもう一度走れなかったこと。今まで応援してくれた日本のファンたちに、直接、現役を離れる報告をしたかった。しかし出場を予定していた春の日本選手権は延期され、秋のジャパンカップは2年連続で中止に追い込まれた。

「これだけ長い間、これほど厳しい競技を頑張ってこられたのは、やっぱり応援してくれたファンのおかげなんです。SNSが発達したことで、たとえ海外にいても、僕は決して独りぼっちではなかった。本当に心強かったですし、すごく幸せでした。……だから応援してくれた人々へ『お返し』ができないのは、ものすごく心残りです。帰国が自由にできるタイミングがきたら、ぜひ皆さんの前で最後に走る機会を作りたい」

引退の2文字を、別府はあえて口にしない。だって今回の決断は、「ジ・エンド」ではない。自転車人生が終わるわけではないし、ひとりの人間としての第2の人生は、今まさに始まったばかりなのだから。

「自分の中では、もはや後ろには目を向けていません。この間のレースで、僕の選手としてのストーリーは書き終えた。今はむしろ、新しい章を、もうすでに何ページか書き進めているような状態です」

クールな情熱家。素顔は人懐っこく礼儀正しい人物だ。photo: jeep.vidon
クールな情熱家。素顔は人懐っこく礼儀正しい人物だ。photo: jeep.vidon

我が道を突っ走る

これからは違う形で、大好きな自転車に関わって行くつもりだ。ヨーロッパで20年、トッププロとして17年過ごしてきた別府だからこそ、できることがあると考える。

「伝えられることはたくさんあります。ヨーロッパ自転車文化の普及や啓蒙をして、まずは自転車のイメージを上げていけたらと思っています。いわゆるプロモーション活動ですね。『サイクリングプロモーター』という肩書で、日本とフランスの架け橋になりたい」

ゆくゆくは自転車の枠をも超えたい。別府には夢がある。それが自分を大きく育んでくれたヨーロッパと、離れてみて改めて好きになった日本の、両方の良き文化を「マリアージュ」させること。

「僕にとってはまさにドリームプロジェクト。自転車とは全く関係ないことなんですが、ずっとやりたかったことなんですよ。内容は今後のお楽しみ。……それに関して話し出したらきっと止まらなくなるでしょうね。自転車の話題の10倍は行けますよ」

難しい道のりになるだろうことは覚悟している。だからこそ挑戦のし甲斐があるとも感じる。20年前にフランスへと渡り、自らの力で道を切り開いてきた自分に、乗り越えられない苦労なんてないのだとの確信もある。

「山道を登っている最中は、きつくて苦しい。果たしていつまで続くのだろうかと、絶望的な気持ちになることだってあります。でも、長い人生の中で見れば、登りはほんの一瞬に過ぎない。道は永遠に続くけれど、登りにはいつか終わりがある。ジロ・デ・イタリアを走りながら実感したことは、人生においても真実だと思っています」

日本の自転車界を長年牽引してきた第一人者として、別府はこの先も責任を持って生きていく。後輩たちのためにも、自分はセカンドキャリアを成功させなければならない。選手を終えたその先に、明るい道が延びていることを、証明するために。

「ジャンルは違えど、僕にはできる。不安はありません。でもね、自転車に乗るわけじゃないのに、なんだか自転車レースをしているみたいな感覚なんですよ。情報を集め、危険を回避し、感覚を研ぎ澄ます。まさにプロトン内での行動と同じ。多分この感覚は、一生失われないんじゃないかな」

別府史之はこれからも走り続ける。きっと。全力で。

別府史之

1983年4月10日生まれ

2005年にUCIプロツール(現UCIワールドツアー)登録のディスカバリーチャンネルにてプロ入り

   写真提供:別府史之
   写真提供:別府史之

日本選手権

ロードレース4勝:2002年(ジュニア)、2003年(アンダー23)、2006年、2011年

個人タイムトライアル4勝:2000年(ジュニア)、2006年、2011年、2014年

アジア選手権

ロードレース2勝:2002年(ジュニア)、2008年

チームタイムトライアル1勝:2018年

グランツール出場6回:

ツール・ド・フランス1回、ジロ・デ・イタリア4回、ブエルタ・ア・エスパーニャ1回

モニュメント出場20回:

ミラノ~サンレモ1回、ツール・デ・フランドル5回、パリ~ルーベ5回、リエージュ~バストーニュ~リエージュ7回、イル・ロンバルディア2回

UCI世界選手権出場8回

夏季五輪出場2回:ロンドン、北京

2007年に日本人として史上初めてパリ~ルーベ出場

2009年に日本人として史上初めてツール・ド・フランス完走、第21ステージ敢闘賞

2021年シーズンの時点で、3つのグランツール、5大モニュメント、世界選手権、夏季五輪ロードレースの世界10大ロードレース全てに出走・完走を果たしている現役選手は11人のみ

自転車ロードレースジャーナリスト

フランス・パリを拠点に、サイクルロードレース(自転車競技)を中心とした取材活動を行っている。「CICLISSIMO」「サイクルスポーツ」誌(八重洲出版)、サイクルスポーツ.jp、J SPORTSサイクルロードレースWeb等々にレースレポートやインタビュー記事を寄稿。

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