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日仏合同プロ自転車ロードレースチームを襲った不運。運営陣の内紛とコロナ禍が、日本側との確執を生んだ

宮本あさか自転車ロードレースジャーナリスト
photo:jeep.vidon

ことが公になったきっかけは、11月5日付cyclingnews.comの記事「UCI initiates bank guarantee proceedings against Nippo Delko One Provence after riders complain(選手たちの不服申し立てにより、NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスに対しUCI国際自転車競技連合が銀行保証金訴訟を開始)」だった。

そこにはチームやチームマネージャーのフィリップ・ランヌ氏に対して、選手や関係者が複数の申し立てを行っていることが示唆されていた。

続けてチームが本拠地を置く南フランスの日刊紙La Provenceが、11月23日付記事「Nippo Delko, l'implosion(NIPPO・デルコ、内部爆発)」にて、さらに顛末を深く掘り下げた。

日本企業NIPPOが2020年にスポンサードし、別府史之、中根英登、岡篤志、石上優大の日本人選手4人が所属するチームの憂慮すべき事態。

UCIプロチーム、NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスに果たしてなにが起こったのか、なにが起こっているのか。

上記2記事他とNIPPO側関係者の証言を参考に、以下に経緯をまとめた。

<政権交代>

2019年12月10日、2020シーズンのUCI登録チームが確定した。こうしてNIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスはフランス籍UCIプロチームとして、正式に活動に乗り出した。

この時点のチームマネージャーはフレデリック・ロスタン氏。前身のアマチュアクラブVCラ・ポム時代から25年間チームを率いてきた人物であり、チームの運営母体である略式株式会社レインボープロサイクリング(以下RPC)のオーナー経営者でもあった(注:略式株式会社=SASとは日本の合同会社に類似・該当する形態)。NIPPOのチーム責任者である大門宏氏とは旧知の仲であり、両者は半年近くかけて話し合った上で、最終的な合意に至る。スポンサーとしての契約期間は1年だった。

ところが年明けからわずか2ヶ月あまりで、RPCの経営者が交代する。新たにトップについたのは、チームスポンサーのひとつであるデルコの社長、ランヌ氏だ。

11月23日付La Provence紙を参考に、チームマネージャー交代劇の大まかな経緯を追ってみよう。

RPCにはロスタン氏の他に共同株主が2人存在したが、昨年10月の時点でランヌ氏が他の2人の持株を買い上げた。スポンサー料を2倍にする交換条件として、自身を運営母体の株主にするよう要求したのだ。

続けて12月13日には、新たな200株の発行で資本金を13000ユーロ増資し(注:民事商事公告公報の発行は2020年1月30日)、その全株をランヌ氏が取得。この結果、ロスタン氏とランヌ氏の持株比率は50%ずつで並んだ。これに関してランヌ氏は「TOB(株式公開買付け)ではない。純粋なる譲渡である。そのためには必ず売り手と買い手の2者が存在していなければならないし、両者の合意が必須だ」と主張している。

さらに2020年2月13日にはランヌ氏にRPCの経営権が移り、自動的にチームマネージャーに就任。ロスタン氏が株主のひとりである事実は変わらないものの、以降はRPCの社員として、監督職が与えられた。しかし3月中旬パリ〜ニース終了後にロスタン氏は病気休職に入り、6月19日に除名された。

<コロナ禍>

チームマネージャー交代がNIPPOに通知されたのは、2月24日のこと。財政面をランヌ氏が担当し、レース活動の指揮やスポンサー関連のマネージメントは引き続きロスタン氏が行うとの説明がなされたが、「こんな大切なことがなぜ事後報告なのか」と日本側はかすかな不信感を抱いた。

大門氏は3月にフランスへ飛んだ。そこまで単純に「スポンサー企業の社長」として数ヶ月の交流しかなかったランヌ氏と、2日前までパリ〜ニースを率いていたロスタン氏とで、三者会議を持つためだ。

3人が顔を合わせたのは3月16日の午前中。この日はチームとNIPPOとの取り決めや方針の引き継ぎを取り急ぎ確認するに留まった。ところが同日夜にはフランス共和国大統領がフランス全土のロックダウンを宣言。大門氏は翌日早々に帰国を余儀なくされてしまう。

次に大門氏がフランスでランヌ氏と面会するためには、シェンゲン加盟国への渡航制限が緩和される7月を待たねばならなかった。自ずと6月のロスタン氏の除名処分もまた、事後報告。「彼の離脱はNIPPOにとっては大問題だ」と主張するも、すでに手続きは終わった後だった。

<金銭問題>

cyclingnewsやLa Provence紙によると、複数の選手がサラリーの一部未払や遅延をUCIへ報告している。これもまた新型コロナウイルスが、引き金となった。

ランヌ氏の主張によれば、支払い額が契約よりも少ないのは、2ヶ月間のロックダウン中にRPCが一時的失業措置を適応したせいであり、正しく法に則ったものであるという(注:一時的失業措置とは、文字通り被雇用者が一時的な失業状態に置かれること。雇用契約は継続され、一定期間後に必ず復職措置が取られる。フランスでは給与の額面84%、手取り70%を最低限保障しなくてはならない)。

11月7日付La Provence紙でランヌ氏は「1ヶ月目は最大で手取り3000ユーロまで、2ヶ月目は4000ユーロまでは支払った」と回答。ただ同紙には、チームで最もサラリーの高いジョゼ・ゴンサルヴェスは月の手取り12000ユーロとも記されている。

11月10日には「2020年10月31日時点で全選手・全スタッフへの全支払いは済んでいる」というランヌ氏のコメントと共に、RPC経理担当によるサイン入り証明書がメディア宛に送付された。ちなみに11月23日付La Provence紙によれば、この数週間前に、前任の経理担当者は辞職した。

一部選手からは給与支払い明細書の未発行や、支払い遅延利息(CPAプロサイクリスト協会により年率5%と規定)の不払いを指摘する声も上がる。

<ロスタン派の排斥>

ロックダウン解除後の初めてのチーム合宿は、6月8日から行われた。その際のミーティングで、ランヌ氏は「ロスタン派のベテランたちを標的にした」(11月23日付La Provence紙)。

以来ロスタン派への冷遇は止まらなかった。その筆頭がVCラ・ポム時代から通算9年間も同チームに貢献してきたジュリアン・エルファレス。1月のチームプレゼンテーション時には「チームキャプテン」として紹介されるも、8月30日を最後に一切レースへ出場していない。10月中旬のシクロクロス大会への参戦さえ、前日にチームから禁じられた。

2013年から2年間同チームで過ごし、カチューシャで走った後、今季2年契約で古巣へ帰還したゴンサルヴェスも、やはり8月30日が最後のレースだった。cyclingnewsによるとランヌ氏は、「成績と練習態度に不満足」を理由に、ゴンサルヴェスと「契約の途中解除を話し合っている」とのこと。選手側は労働裁判所へ申し立てを行っている。

別府史之もまた、こんな「ロスタン派のベテラン」のひとりである。アマチュア時代にはVCラ・ポムで研鑽を積み、ワールドツアーを渡り歩いた後、プロ生活16年目にして恩師の元へと帰ってきたばかり。だからこそ37歳の別府のレース起用を、ランヌ氏は渋った。

ロックダウン中から本人に対する嫌がらせは始まった。NIPPO側にさえその態度を隠そうとしなかった。「別府はレースに出さない」「来年は別府とは契約しない」とランヌ氏は躊躇なく言い放ったという。もちろん日本側関係者は「NIPPOは別府のキャリアや功績を大いに評価しているし、メディアやファンに対するネームバリューも高い。日本のスター選手だ。あなたの発言はNIPPOとして絶対に納得できない」とランヌ氏に繰り返し告げた。

「別府をレースに出すように」とのやり取りは無数に行われた。しかしエルファレスやゴンサルヴェスが完全にレース会場から姿を消した8月末以降は、別府もわずか2度しか参戦を許されなかった。

<日本人を人質に>

本来の協力者であるロスタン氏の除名処分に、別府への嫌がらせ。さらには契約時の公約である「五輪選考レースに残る中根、別府、石上に対する有効なレーススケジュール編成」「日本人スタッフの活用」や、「日本の若手選手を育てたい」というNIPPOの信念を、ランヌ氏は尊重もしなければ、理解しようともしなかった。

それどころか夏以降は日本人所属選手のレースエントリーを盾に、NIPPOに対して2021年の契約を迫り始めた。NIPPOが来年も続けるなら日本人をレースに出す、続けないならレースに出さない、というのだ。

日本人を出せ、いや出さない、とレースのたびに必死の交渉が繰り返されたという。選手たちにとっては、予定レースに、ぎりぎり直前まで本当に出場できるかどうか分からない状態だった。「突然PCR検査に行くように、と電話がかかってきて、ああ、レースに出られるんだな……とようやく判明する」と関係者は振り返る。

8月の時点で、NIPPO側の意向はほぼ固まっていた。ただランヌ氏が再契約に向け説得を試みてきたこともあり、対外的にはあくまで「保留」の態度を貫いた。なにより打ち切りを告げた途端に、日本人のレース出場がすべて取り消される事態を恐れた。

それでも7月上旬の高地合宿中にオートバイとの接触事故で大怪我を負い、9月の復帰を目指し治療・調整に励んできた石上が、結果的に出場できたのは10月のたった1レースのみ。ランヌ氏自らが選んだトレーニーの出走が優先された。マッサーの坂本拓也とメカニックの南野求に至っては、シーズン再開後に渡仏したものの、1レースたりとも帯同させてもらえなかった。NIPPOから繰り返し警告は発したが、COVID-19対策プロトコルをはじめとした様々な理由を口実に、ことごとく無視された。

そして日本人選手の今季最終レースが終了した翌日、10月15日、大門氏は「(スポンサーを来季も続行して欲しいという)申し出をお断りする」とランヌ氏に伝えた。ひずみは徐々に大きくなり、ついには決裂へとつながった。

今季限りでRPCとの契約を解消するのは、なにもNIPPOだけではない。長年チームと二人三脚を続けてきた地元自治体のうち、マルセイユ(都市)とPACA(プロヴァンス・アルプ・コートダジュール地方)も離脱する。これ以外にも大小のスポンサーを失った。もちろんランヌ氏が社長を務めるデルコは、2022年までスポンサーを続ける予定だ。

<契約の残る2人>

NIPPOの契約辞退宣言のさらに翌日、10月16日のフランス時間夜22時過ぎに、中根のEFプロサイクリング移籍が発表された。

そして17日。ランヌ氏が突然チームハウスを訪れ、岡に対して退去をうながした。日本人チーム監督の水谷壮宏による電話通訳を通じて、ランヌ氏は「もしも2021年もチームに残るのなら、一切のサポートは受けられないし、年間4回しかレースに出さない」(cyclingnews)と伝えたという。

「すごくショックだった。あの日までフィリップを信じていたから。日本人を制裁するのは、NIPPO離脱の仕返しだ、と言われた」(11月23日付La Provence紙)と語った岡は、当日すぐにランヌ氏所有のチームハウスを離れ、チーム側が用意したチケットで5日後に帰国した。

岡と、さらには石上について、ランヌ氏は11月7日付La Provence紙で「惨めったらしく生きるより、他のチームを見つけたほうがいいのではないか?」とさえ言い放つ。

ただしネオプロ(注:加入時に25歳以下で、初めてUCIプロチーム以上のチームと契約した選手のこと)の契約は、UCI・CPA・AIGCP国際プロ自転車チーム協会による共同合意により、「契約年の翌年12月末まで」と決められている。すなわち2020年にNIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスにネオプロとして入団した岡と石上には、2021年末まで同チームとの契約が残っている。

NIPPOのチーム責任者・大門氏や石上のUCI公式代理人である山崎健一氏のサポートにより、岡や石上は現在、マルセイユ在の弁護士を通してRPCと折衝中。詳しい進行状況や今後について大門氏に問い合わせたところ、現時点では「調査や交渉に影響を与えるような発言は慎むよう弁護士から指示されているため、説明を控えさせていただきたい」とのこと。

もちろん脅し文句に屈して、泣き寝入りさせるつもりはない。選手たちに契約の放棄をさせるつもりもない。

「契約の遵守とは、任意ではない。法で守られた『義務』である。選手にとって最優先されるべきは、恐喝行為等の懸念材料が払拭されること。さらには来季の活動が契約通り保証されること。レインボープロサイクリングは、これら選手たちの有する『権利』を尊重した上で、弁護士を通した交渉に臨まねばならない」と大門氏。

<終わりに>

NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスの選手や関係者たちは、やり場のない想いを胸に山ほど抱えながら、2020シーズンを過ごしてきた。あちこちのメディアで書かれていることや、この場を借りてまとめたことなど、おそらく本当に起こったことのほんの一部にすぎないのだ。

「コロナの影響だけではなく、今年はこういった事情もあり、理不尽な状況下での活動を余儀なくされてしまいました。もちろん日本人選手やスタッフだけの問題ではありません。所属するすべての選手、スタッフ、さらにはチームに関わる多くのスポンサーにとっても、重苦しい雰囲気に包まれたシーズンでした。

『根本的な原因』が果たしてなんだったのかを、今もなお探し求めています。ただ、たとえ何年後かに『真実』が解明できたとしても、時計の針を戻せるわけではない。決して『解決』したことにはならないでしょう。それでも、少なくとも、今シーズンを共にした日本人選手の動向は来季も引き続き見守っていきます。それは僕の責務でもありますから」

大門宏はこう約束する。明るい2021年を待ちたい。

自転車ロードレースジャーナリスト

フランス・パリを拠点に、サイクルロードレース(自転車競技)を中心とした取材活動を行っている。「CICLISSIMO」「サイクルスポーツ」誌(八重洲出版)、サイクルスポーツ.jp、J SPORTSサイクルロードレースWeb等々にレースレポートやインタビュー記事を寄稿。

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