自転車界全体がほっと胸をなでおろした。

4月15日、ツール・ド・フランスが、新たな日程を発表したからだ。開幕を約2ヶ月遅らせ、8月29日から9月20日までの3週間で、予定通りのコースを巡る。

世界最大の自転車レースであり、自転車界の経済の要が、「中止」ではなく「延期」を選んだ意味は大きい。3月からレース活動中断を余儀なくさせられてきた選手たちに、具体的な目標ができただけではない。おそらく多くのスポンサーが踏みとどまり、たくさんの人の職が救われた。

しかし、ほんの数日後には、かすかな希望を不安が覆い始めた。

感染学者は口々に「中止すべきだ」と声を上げた。過去8年で7回、ツール総合覇者を輩出したイネオスのGMデイヴ・ブレイルスフォードは、「適切な新型コロナウイルス予防策が取られていないと判断した場合は、チームを撤退させる」との強い意志を表明した。

移動クラスターになりえる

正直になろう。レース集団は潜在的な感染の巣だ。僕らはそこで息を吸い、体をぶつけ合い、汗をかく。チームバスの中も、僕らの日常も、何一つ感染を防げるようにはできてない。マッサージに、ホテルのレストラン……。あらゆる注意事項を守るなんてことは、断じて不可能だ。(ロマン・バルデ)

出典:2020年4月21日付、le monde

選手176人・チーム関係者450人を含む約4500人の巨大な一団が、3週間かけて、大都会から田舎まで駆け巡る。沿道には1200万人ものファンが詰めかける。

これがツール・ド・フランスである。

選手たちはセンチ単位の距離で密集し、ソーシャルディスタンスなんて守れるはずもない。飲み終えたボトルは観客の前に投げ捨て、ときにペダルを回しながら排泄さえ行う。

2020年ツールの中盤で通過するピレネー山脈や中央山塊は、人口密度が低く、フランス国内でも比較的感染が少い土地だ。人口300人ほどの小さな山村でのフィニッシュも、2回ある。あらゆる地にツールは容赦なく侵入する。

たとえスタート&フィニッシュを「無観客」としても――開催委員会は無観客で行う選択肢はないとしているが――、完全に隔離することは難しい。ましてや全長3500kmのコース上すべてにフェンスを設けることなど、現実的にあり得ない。

昨年は2度の休息日を含む通算23日間で、18回のホテル移動を行った。選手・チーム関係者だけでも、一都市あたり10〜15のホテルに散らばる。今年の大会途中には、飛行機と電車での移動も1度ずつある。

ツールは国の枠を越えた夏のお祭り。photo: jeep.vidon
ツールは国の枠を越えた夏のお祭り。photo: jeep.vidon

イベントか、健康か

たしかなことは、今現在、スポーツに優先権はない。たとえスポーツイベントが開催できなくとも、この世の終わりではない。(フランススポーツ大臣ロクサナ・マラシネアヌ)

出典:2020年4月22日 eurosport放送

感染対策に頭を悩ませる前に、そもそも国がゴーサインを出さねばならない。

ツールの新日程発表と同時に、UCI国際自転車競技連合は、自転車レースの再開日を7月1日に設定した。このスケジュール自体、しかし、すでに破綻している。

ドイツとベルギーは、人が集まるイベントの禁止を、8月31日まで延長した。また本来なら8月14日にブエルタ・ア・エスパーニャ開幕を祝うはずだったオランダでは、たとえ無観客だろうが、9月1日までスポーツイベントは開催できない。2021年の夏にツール開幕を迎えるデンマークも、9月1日まで「500人を超える集会」は許されない。

ツール開催国のフランスにおいては、「人が集まる大掛かりなフェスティバルやイベント」は、7月中旬まで禁じられている。スポーツ大臣は「少なくとも9月まで。もしくはワクチンができるまで」と、早くも延長を匂わせる。

実は8月25日から30日まで、パリでは欧州陸上選手権の開催が予定されていた。つまりツール開幕直前の大きな国際的スポーツイベントであり、2024年パリ五輪に向けて、大切なテストになるはずだった。

しかし4月23日の午後遅く、同大会の中止が発表された。

一方でツール・ド・フランスがパリに到着する日、つまり9月20日から、パリ郊外ではテニスの全仏オープンがスタートする。新しいセンターコートの開閉式屋根のお披露目も兼ねて10月4日まで執り行われる予定だ。

ただ本来ならば「パリの5月の風物詩」、いわゆるローランギャロスも、さらなる延期を検討しているという。

復活した国境の壁

願わくば、予定していた全22チームが、スタートラインに並んで欲しい。彼らの最高のメンバーを、最強の選手を、ツールの英雄たちを引き連れて。(ツール開催委員長クリスティアン・プリュドム)

出典:2020年4月16日付 L'EQUIPE

ツール・ド・フランスの開催可否には、いまや国境問題も避けては通れない。

欧州26カ国で構成されるシェンゲン圏内は、通常時であれば、パスポートコントロールなしで自由に移動できる。しかし現在、たとえ地続きの隣国からであろうとも、フランスへの国境線を勝手にまたぐことはできない。

入国が許されるのは、原則として、シェンゲン構成国(+英国)のパスポートか長期滞在許可の保有者のみ。入国の動機も限られる。フランスに自宅/職場があるか、母国に帰るためのトランジットか。もしくはCovid-19対応の医療関係者や商品輸送者、交通機関乗務員に政府関係者だけ。「スポーツをするための入国」は、今のところは許可されていない。

シェンゲン圏自体も5月15日まで閉鎖されている。しかも同施策は9月まで延長されるとの噂もある。

2019年ツールには30カ国から選手が集結したが、うち11カ国が、欧州連合にもシェンゲン圏にも属していなかった。

もちろんシェンゲン構成国の滞在許可書を保持していれば、たとえ一時的に他大陸の母国に帰っていたとしても、欧州への「帰宅」は許される。ただ必ずクラブ本拠地の近くで暮らすサッカー選手とは違い、レースや合宿の機会に集合するだけでいい自転車選手は、必ずしも全員が欧州に深く根を張っているわけではない。

2020年8月29日、果たしてツール・ド・フランスは、3週間の旅へと走り出せるだろうか。たとえスタートが切られたとしても、おそらく、いつも通りの「国民的お祭り」ではない。