半分は不安、もう半分はリベンジ精神――欧州再挑戦の岡篤志、シーズン再開を待ちながら

photo:jeep.vidon

長い空白を破る日が、近づいている。NIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスの一員として、今季プロ入りを果たした岡篤志にとっても、再び飛び出すべき時期がやってきた。

2020年の前半3ヶ月半は、ネオプロの岡にとってひどく忙しい日々だった。

1月末のトロピカル・アミッサ・ボンゴ(ガボン)からスタートし、2月序盤エトワール・ド・べセージュ(フランス)、2月中旬にトロフェオ・ライグエリア(イタリア)からツール・デ・ザルプ・マリティム・エ・デュ・ヴァール(フランス)、そして3月1日からツール・ド・台湾……。国を4つ、大陸を3つ移動し、レース日数はトータル20日間にも及んだ。

決して簡単ではなかった。むしろ「自分史上最大」に苦しんだ。チームに思うような貢献ができず、レース後のチームバスでは、「気まずさ」でいっぱいになったこともある。なにより身体がボロボロに疲弊した。新型コロナウイルス感染拡大によるシーズン中断に、正直に言うと、ちょっとほっとした気持も抱いた。

シーズン再開を前に、だから不安な気持ちもある。もちろんだ。

でも不安は半分だけ。残り半分は、やってやる、というリベンジ精神。中断期間にしっかり基礎から身体を作り直し、改めて岡篤志は、強い気持ちでヨーロッパへの挑戦へと乗り出していく。

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――シーズン開幕から中断までで出走20日。チームの日本人の中では、出番が最多でした。

経験をたくさん積ませたいから、忙しいスケジュールを組むよ、とシーズン前から言われてました。かなり厳しいレースが多かったんですけど、たくさん走らせてもらえたというのは、チャンスをもらえたのだと思ってます。

1月末からシーズンが始まって、しかもステージレースが多かったですね。身体的にちょっと準備不足だったのもあり、落車も多かったので……実はすごくキツイ日々でもありました。体が回復しないまま、次のレース、また次のレースへと追い立てられてしまった。

ツール・ド・台湾の頃は正直、かなり調子が悪くて、もはやズタボロでした。だからフランスに戻って(新型コロナウイルスの影響で)レースが中止になったときは……ちょっとほっとしてしまったのが正直な気持ちです。それほど身体的にきつかった。体を休ませられるから、ありがたいな、みたいな感じでした。まさかこれほど長く中断されるとは当時は思ってもいなかったので。

――しかも欧州ではかなりハイレベルなレースが続きました。

出ているチームの半分近くがワールドツアーみたいな状態でしたからね。本当にレベルが高くて、なんていうか……自分史上最大に苦しみました。べセージュはまだコース的になんとかなったんですけど、ツール・デ・ザルプは登りがきつかった。いわゆる全ステージが山岳ステージで。とにかくめちゃくちゃ苦しかったです。もちろん完走できなかったこともすごく悔しいんですけど、そもそも登りのたびに集団から脱落してしまうというのは、なかなかに辛い経験でした。

すごく高いモチベーションを抱いてシーズンに入って、やる気に満ち溢れていたのに、それが空回りしてしまった。ああ、国内チームに残っていたらもっと楽だったのかもしれない、なんてさえ思いました。

環境の変化だったり、疲労や落車だったり、色々な要素が絡み合ったせいか、身体のコンディションそのものがよくなかった。これが一番きつかったですね。練習してても数値がどんどん悪くなっていって、当然ながらレース内容もどんどん悪くなって。きっとそのうち上がるはず……とだましだまし走ってきて。結局そのまま中断期間に突入してしまった。心残りというか、すごく悔しいです。

――本当はどんな走りをしたかったんですか?

自分の成績を狙って走る段階ではない、まだまだ実力が足りない、ってことは最初から分かっていたんです。だから、まずはちゃんと集団内に残る。ただ残るだけじゃなくて、ボトルを運んだり、時には風除けになるくらいの仕事をした上で、集団に残る。まあ、最終盤でリードアウトを務めるには、まだもう少し実力が足りないだろうな、って思ってました。だけど、最低限の仕事なら、もうちょっとできるだろうと考えていたんです。

それでもアフリカのレースやツール・ド・台湾では、なんとかチームの歯車になれたように感じてます。ただ、ヨーロッパの、ワールドツアーが出ているようなレースになると、もう走ってるだけでいっぱいいっぱいでした。

なんというか……自分の存在意義とは一体なんなのか、と悩みました。レースをただ走っているだけ、自分の完走のために走っているだけ、でしたから。情けないです。

――一度は諦めたヨーロッパへの再挑戦でした。自分の中では、選手としても、人間としても、挑戦する「自信」が備わっていた?

そうではあったんですけどね。……最初の3ヶ月でかなり叩きのめされた感じです。

元々ジュニアの頃からヨーロッパを目指していて。あの頃は、とりあえずヨーロッパが本場だからチャレンジしたい、という単なる憧れに近かったんですけど。でもここ数年は、国内のレースで、何回も優勝して。去年はUCIレースでも、ツアー・オブ・ジャパンではステージ優勝しましたし(第1ステージ)、ツール・ド・熊野でも日本人の中では最高位で入賞できました(総合2位)。こうして成績を重ねるうちに、これまでと同じように日本だけで走るのではなく、ヨーロッパへ挑戦してもいいんじゃないか、もう一段階ステップアップを目指せるだけの実力がついたのではないか、との思いが強まったんです。

自分にとって一番重要なのは、やっぱり、自分自身が成長するということ。今までできなかったことができるようになる。これが大切なんですよね。でも、このまま日本にいたら、頭打ちになってしまう、って感じたんです。だからこそステップアップを目指しました。もっと上のレベルで、自分の力を試す機会が欲しかったんです。

――新型コロナウイルス感染拡大による思わぬシーズン中断でしたが、すると体と心をリセットする良い機会になった?

正直あのまま遠征が続いてたら、僕の体は壊れていたかもしれません……。1回休んで、こうしてリセットできたのは、正直ありがたかったです。コーチからもベーストレーニングのメニューを組んでもらい、こうして基礎的な体力を鍛え直す時間を得られたというのは、ある意味、自分にとってはポジティブな時間になったととらえています。

ネオプロなので一応、契約は2年あります。でも今年後半と来年をちゃんと走れなかったら、再来年はない。だからシーズンが再開するまでに、きちんと身体を作り直して、いい走りを見せたいです。

――たとえば昨年末に漠然と描いていたプロの世界とは違って、今は実状が把握できているわけですよね。そこで感じた「自分に足りないもの」とは、つまり基礎体力ということ?

言ってしまえば全部が足りないんですけど……やっぱりヨーロッパのレースは距離が長い。プロトンの中でただ走っているだけでも、どんどん足がなくなっていく。そんな中でレース後半にさしかかると、たとえ前半に比べていきなり強度が上がったわけじゃなくても、登りに入った途端に遅れてしまう。ここが違いですね。距離に対する耐性が大切なのだと、改めて認識しました。だから日本で走っていたときよりもはるかに、しっかり乗り込む必要を感じてます。

――再開後はどういう走りを目指しますか?

まずはちゃんと自分をベストコンディションに持って行くこと。そもそもそれができないと、ただ苦しむだけなので。今は「このレースを走りたい」とか、「このレースにかける」とか、そういうことを考えられる状況ではないです。今はただ、自分が少しでも成長できるような、そんな走りを心がけます。

再開後も、もちろん、レースが次々と詰め込まれて大変になってしまう可能性もあります。ただ中根(英登)さんも、NIPPO入団の1年目はそんな感じでレースをたくさん走って、「一回身体が終わったことあるよ~」て言ってました。それを乗り越えて、中根さんが強くなったのだとしたら……僕もそれを糧にして成長していきたいです。

あとはきちんと目に見える成果を出したいです。

――目に見える成果とは、具体的にはなんでしょうか?

チームメイトに認めてもらうこと。それが一番です。シーズンの序盤戦、自分がチームのためにできた事って、ほとんどなかったんです。……全くなかったわけではないかもしれないですけれど、それでも、誰にでもできるようなことしかできなかった。だから、まずは、ちゃんと僕にも力があるんだってところを見せたいです。

レースで何位という数字ではなく、内容です。レースや状況によって「内容」も変わってきますけど、とにかく他の人から「良かった」と評価される走りです。

前半戦は、レース後にチームバスに戻った時に、気まずさしかなかった。まだ自分はチームの一員になれていない、プロレベルにふさわしい選手にはなっていないのだ、そう感じてました。後半戦はどうにか頑張らないと。

――レース再開は待ち遠しい?

レースをするために生きているようなものですから、やっぱり早く走りたいです。

でも、正直に言えば、半々です。最初の頃の苦しみをまた味わうのか……という不安はあります。ただ同時に、リベンジするぞ、っていう気持ちだって半分あります。

頭であれこれ考えて悩んでいても、しょうがないんですよね。ビビってないで、ダメだったらダメなんだ、という覚悟で行かないと。これからも挑戦していくしかないです。

(オンラインインタビューにて)