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西村大輝インタビュー「こうして復帰できたからには、いつかは日本代表を背負うような選手になりたい」

宮本あさか自転車ロードレースジャーナリスト
西村大輝 (photo: jeep.vidon)

2018年のNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニに所属する日本人選手7人全員にインタビューを行った。第6弾は西村大輝。ジュニア時代から将来を大いに嘱望されてきた逸材ながら、腰の問題で2年半を棒に振った。幸いにも痛みからは解き放たれた。ここから先はわき目もふらず、真っ直ぐに目標へと突き進む。もっと強くなって、日本を背負う選手になるために。

どのような経緯でNIPPO入団が決まったのですか?

去年の全日本選手権では、途中で逃げたりしつつ、最終的に5位でフィニッシュしました。そしたら大門さん(大門宏、NIPPO日本側代表)からメッセージをいただいたんです。「全日本では頑張ったな、体の調子はどうだい」と。ずいぶん後になってから聞かされたことなんですけど、実は春にタイ遠征(ツアー・オブ・タイランド)に行った時に、福島さん(福島晋一、NIPPO監督)が大門さんに言ってくださったそうなんですよ。「西村がぼちぼち走れるようになってきてます」って。おかげで全日本で、大門さんが僕の走りに注目してくださった。メッセージをいただいて、すぐに返信しました。「もう腰は万全になっています。ヨーロッパに挑戦したいので、チームに加入させていただけないですか」と。お願いしたというか……、もはや懇願に近かったです(笑)。その返信がきっかけで、昨夏にトレーニーとして採用していただきました。

高校卒業の年(2013年)にシマノレーシングに入団して、そのシーズン中に腰に問題が発生したんですよね?

はい、10月でした。問題が起こる2週間くらい前から軽い違和感みたいなものはあったんですけど、いわきクリテリウムの時に、腰が爆発するような感覚を抱いて。検査の結果、ヘルニアと椎間板性疼痛でした。しかも2ヶ所に併発していました。そこから2年半は自転車に乗れませんでした。ためしに乗ってみても、やっぱり痛くて無理……みたいな状態で、2年半を棒に振りました。

アンダー23最初のシーズンでもあり、自分で思い描いていたキャリア計画というものがあったと思うのですが?

ずっとヨーロッパで走りたいと考えていました。入団した当時のシマノレーシングは海外遠征を行っていたんですよね。春に1ヶ月、さらには7月と8月にも。日本代表のアンダー23も春夏に1ヶ月ずつ遠征がありました。それ以外に代表遠征が入った場合でも、シマノ側からは「行ってもいい」との了解をもらえていました。つまりシーズンほとんどの時期を海外で走れる見通しだったんです。その上でツアー・オブ・ジャパンやツール・ド・熊野、ツール・ド・北海道といった日本の主要レースにも出場できるのですから、スケジュール的には申し分ないと思っていました。そして将来的には海外のチームへ行けたら、とも。

ワールドツアーも、グランツールも、五輪も走りたい!と、痛みから開放された西村大輝は大志を抱く。(photo: jeep.vidon)
ワールドツアーも、グランツールも、五輪も走りたい!と、痛みから開放された西村大輝は大志を抱く。(photo: jeep.vidon)

ところがキャリアさえ続けられるかどうかわからない状況に追い込まれて、一時はやめようとも考えたそうですね?

本当に不安で辛かったです。やめようかな……と正直、思ったこともあります。あれは3回目の手術を受けた時ですね。だって3回も手術をしたにも関わらず、やっぱり腰は痛かった。自転車に乗っても、痛くて、痛くて。ああ、もう無理だ、と。だから泣きながら、野寺さん(野寺秀徳、シマノレーシング監督)に、「もうやめます」と言いに行った。そしたら「まだ決断を下すのは早いと思うぞ」と言い返されました。2年半もまともにチームに貢献もできず、ただ「いるだけ」という状態だった僕を、野寺さんが励ましてくださった。だから、もうちょっとがんばろう、って気持ちを切り替えました。ただし2016年の1月末までに自転車に乗ることができなかったら、今度こそやめよう、ってマジで決めたんです。そのことも野寺さんには宣言したんですよ。でも、ちょうど1月に入ったら、あれ、乗れるぞ……って。まだまだサイクリング程度でしたけど。その後は徐々に調子を取り戻していきました。

そこからは生まれ変わったように、新しいキャリアへと走り始めたわけですね?

こうして復帰できたからには、自分の目標としている「海外」を本気で目指そう、と覚悟を決めました。走れない僕を気長に世話してくれたシマノも、ありがたいことに、「頑張ってこいよ」って快く送り出してくれました。「復帰したい」という強い気持ちを保ち続けられたのは、本当に、シマノレーシングが辛抱強く面倒を見てくれたおかげです。それでも「もはや復帰なんてできないんじゃないか」っていう不安のほうがはるかに大きかったですし、復帰できてからも「でも2年半もろくに自転車乗ってないのに、すぐに体力も戻らんやろ」って心配してたんですけど、まさか復帰して2年後に、こうしてNIPPOに入れてもらえるなんて。想像さえしていなかったですね。

自転車に乗れなかった2年半で、自分の中でなにか変わったことはありましたか?

他では経験できないほどの辛さを味わってきました。だから……人間として少しは成長できたかなと思ってます。たとえ腰を痛めても、アンダー時代を棒に振っても、ずっと「悪あがき」みたいな感じで自転車にしがみついてきました。「アンダー終了時点にプロになれなかったら終わり」とか、「何歳までに」とか、僕にとってそんなことは関係なかったんです。どうしてもヨーロッパで走るという目標を叶えたかった。何歳になっても、なにがあろうとも、っていう気持ちは大きいです。だから今年NIPPOに入れてなかったとしても、僕はきっと諦めずに目標を追いかけ続けていたはずです。

ヨーロッパで走るという目標の、さらにその先にある目標はなんでしょうか?

目標はあるんですけど……うっかり公言したら自分の首を絞めることになりそうです(笑)。「なにをでかいこと言ってるねん」って。でもNIPPOに入ったからには、ワールドツアーのレースに出場したい。走るだけでなく、チームにちゃんと貢献もしたい。与えられた役割をちゃんと果たして、「ヨーロッパのプロ」としての走りをしっかり見せたい。そしていつかは……ますます「なにでかいこと言ってるん」って怒られそうですが、やっぱりグランツールに出たいですね。

その目標を叶えるためには、なにをしなければならないのですか?

まずは監督に与えられた役割をしっかり遂行すること。そして「ああ、こいつは役割を果たせる選手なんだ」と認められること。これが第一歩だと思ってます。他の日本の選手と比べて、僕には実績がありません。単に去年の全日本選手権で5位に入っただけです。「え、なんでこいつがNIPPO?」みたいに思っている人も多いはずです。だからこそ、与えられた役割をしっかり遂行して、「こいつはちゃんと走れる選手なんだ」ってチームに認めてもらうことが重要だと考えています。

チームにいち早く溶け込むため、辞書を肌身離さず持ち歩き、イタリア語学習にも熱心に取り組む。(photo: jeep.vidon)
チームにいち早く溶け込むため、辞書を肌身離さず持ち歩き、イタリア語学習にも熱心に取り組む。(photo: jeep.vidon)

自分の成績を追い求められるようになるのは、どのくらい先だと考えていますか?

そりゃあ僕だって選手なので、いつかは自分の成績も出したい、という気持ちがあります。でも現時点ではレベルの差がすごくある。とにかく今は、与えられたことをひとつひとつこなして、ステップを一段ずつ上がっていかなければならないんです。ただNIPPOとは2年契約ですが、2年目があるなんて考えずに、1年目からしっかり走るつもりです。たとえばアジアツアーのレースでは、チーム側から、日本人選手にUCIポイントを獲らせようという指示も出るんですよ。去年のツアー・オブ・チャイナでも実際に、僕も総合でUCIポイントを……たったちょっとだけなんですけど獲ることができました。だからまずはアジアで着を狙っていきます。今シーズンから狙っていきたいですね。成績は残せる時に残しておきたいですから。

日本代表に入りたい、東京オリンピックに出たい、とは思いますか?

思います。すごく思います。代表に入りたいですし、東京オリンピックに出たいと強く思います。東京オリンピックを目指すためには、ヨーロッパでしっかり仕事しつつ、アジアのレースできっちりポイントを獲っていかなければならないでしょう。UCIポイントを持っていなければ、やはり代表には選んでもらえないでしょうから。

ジュニア時代には別府史之、新城幸也の後に続く選手として大いに期待されていました。今でもその期待に応えられるような選手になれると考えていますか?

はい。こうして復帰してきたからには、将来的には日本代表を背負うような選手になりたい、別府さんや新城さんのような立場の選手になりたい、と強く思います。自分には「なれる」と思っています。まだ実績がないので、なにを言ってもな……、っていう状態なのは分かっています。それでも、2年半棒に振っちゃいましたけど、この先はもっといい走りができるって信じているんです。すでにトップコンディションを取り戻せたと実感しています。それどころか、むしろ、力はどんどん伸びています。レースの成績は右肩上がりに推移してます。練習してても「あれ、また前よりもいい数値が出た、また新しい記録が出た」という驚きの連続です。能力の天井に達してしまった、という感触はまるでありません。今の自分よりも、おそらく来月の自分の方が強いですし、再来月のほうがもっともっと強くなってます。自分の中でもすごく楽しいです。まるで高校生の頃に戻ったような感覚ですね。しかも、NIPPOで、さらに強くなるための環境とチャンスをいただいた。本当にこれからが楽しみです。

(2018年1月15日、スペイン・カルペにてインタビュー)

NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニ 2018年日本人インタビュー

初山翔中根英登内間康平伊藤雅和吉田隼人

自転車ロードレースジャーナリスト

フランス・パリを拠点に、サイクルロードレース(自転車競技)を中心とした取材活動を行っている。「CICLISSIMO」「サイクルスポーツ」誌(八重洲出版)、サイクルスポーツ.jp、J SPORTSサイクルロードレースWeb等々にレースレポートやインタビュー記事を寄稿。

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