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ロシアがウクライナのヘルソン州併合を画策するなか、米国はシリアで「カネの力による現状変更」に踏み切る

青山弘之東京外国語大学 教授
The Arab Weekly、2022年5月12日

欧米諸国、そして日本のメディアでは、ウクライナ南部のヘルソン州でウクライナからの独立やロシアへの編入に向けた動きが進んでおり、ウクライナにおけるロシアの占領が既成事実化されようとしているとの報道が批判的に繰り返されている。

だが、こうしたなか、アメリカが「カネの力による現状変更」に踏み切った。

むろん、場所はウクライナではない。欧米諸国の制裁に苦しむシリアだ。

ヌーランド国務次官が制裁緩和を示唆

ビクトリア・ヌーランド米国務次官(政治担当)は5月11日、モロッコのマラケシュで開催されたイスラーム国に対する世界閣僚会合(Ministerial Meeting of the Global Coalition to Defeat ISIS)に、アントニー・ブリンケン国務長官(新型コロナウイルスのPCR検査で陽性反応)の代理として出席、そのなかで、シリア政府(バッシャール・アサド政権)の支配が及ばないシリア北東部に対する制裁を緩和し、外国による投資を許可すると述べた。

ヌーランド国務時間は「米国は数日中に、ISIS(イスラーム国)から解放され、体制が掌握していないシリア国内の地域での民間の経済投資活動を促進するための包括許可を出す」と述べた。

分断と占領に喘ぐシリア

2011年3月に「アラブの春」が波及して以降混乱が続くシリアは分断と占領に喘いでいる。

首都ダマスカス、最大の商業都市アレッポ、港湾都市ラタキア、中継都市ヒムスなど主要都市部および周辺の農村地域がシリア政府の支配下にある。だが、イドリブ県中北部を中心とする北西部では、シリアのアル=カーイダであるシャーム解放機構を主体とし、トルコの庇護を受ける反体制派が活動を続けている。

一方、シリア北東部では、トルコが「分離主義テロリスト」と位置づけるクルド民族主義勢力の民主統一党(PYD)が主導する自治政体の北・東シリア自治局、PYDの民兵である人民防衛隊(YPG)を主体とするシリア民主軍が統治を行っている。シリア民主軍は米国が主導する有志連合がイスラーム国に対する「テロとの戦い」の「協力部隊」と位置付けており、PYDは米国の全面支援を受けており、米国も英軍、フランス軍などとともに北・東シリア自治局の支配地各所に部隊を駐留させている。

有志連合によるシリアでの「テロとの戦い」と部隊駐留は、国連安保理決議に基づいておらず、シリアのいかなる政治主体の許可も得ておらず、国際法違反にあたる。

なお、有志連合(米英)は、イラク、ヨルダンとの国境に面するヒムス県国境通行所一帯地域(55キロ地帯)にも部隊を駐留させ、同地を占領している。

このほか、トルコもシリア北部の国境地帯を占領しており、イスラエルもゴラン高原を占領している。

筆者作成
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米財務省がシリアへの外国の投資を解禁

ヌーランド米国務次官の発言から1日が経った5月12日、米財務省はシリア政府の支配が及ばないシリア北部に対する外国の投資を認めた。

投資解禁は、この地域の経済の安定化を通じて、イスラーム国を根絶するための戦略の一環をなすという。

財務省が投資を解禁したのは、農業、建設、金融など12のセクター。

シーザー・シリア市民保護法(シーザー法)など米国による一連の経済制裁の対象となっているシリア政府支配への送金は引き続き認めないとしている。

米国によるシリアへの制裁

米国は、シリアに対して、過去数十年にわたって様々な制裁をかけてきた。1979年には、イラク、リビア、南イエメン(いずれも現在は指定解除)とともにシリアをテロ支援国家に指定し、武器・軍民両用製品の輸出・販売制限、貿易・投資制限といった制裁を科してきた。また、国連決議を経ずに行われたイラク戦争にシリアが反対すると、2003年12月には、レバノン実効支配、大量破壊兵器開発、混乱するイラク情勢への関与を続けているとして、シリア問責レバノン主権回復法を施行し、輸出規制などの制裁を強化した。2005年2月にレバノンでラフィーク・ハリーリー元首相が暗殺されると、これをシリアの犯行と断じ、国連安保理で追及を強めるとともに、元首相を含む要人らの暗殺に関与したとされる個人・団体に制裁対象を拡大した。

「アラブの春」がシリアに波及した2011年以降は、人権侵害などを理由にアサド大統領、弟のマーヒル・アサド准将、イラン・イスラーム革命防衛隊のゴドス軍団といった個人・団体の資産凍結、シリアへの投資と輸出の全面禁止、石油と石油製品の輸入・取引の禁止といった制裁を科していった。

これらの一連の制裁の集大成とでも言うべきかたちで施行されていたのが、2019年12月に施行されたシーザー法である。シリア政府・軍の高官とその協力者、政府を後援するロシア、イランなど諸外国の個人・団体に制裁を科すことを定めていたこの法律に基づき、2020年6月以降、アサド大統領だけでなく、アスマー・アフラス大統領夫人、息子のハーフィズ・バッシャール・アサドなど100以上の個人・団体に資産凍結などの制裁がかけられていった。

経済制裁は、シリア全土、つまり政府支配地だけでなく、反体制派や北・東シリア自治局の支配地も対象としていた。だが、ロシアがウクライナへの侵攻開始を受けるかたちで3月半ば頃から、米国がシリア北部で制裁を解除することを決めたと伝えられていた。

米国による経済制裁の部分解除に向けた動きが加速すれば、政府の支配地とそれ以外の地域との格差と分断は決定的なものになる。しかし、欧米諸国や日本で、こうした動きがウクライナでのロシアの侵攻や力による現状変更の試みと同列に批判的に報じられることはないだろう。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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