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米国によって孤立させられたシリア難民への人権侵害を側方支援するイスラーム国

青山弘之東京外国語大学 教授
Syria TV、2018年9月17日

英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団は2月8日、シリア南東部にあるルクバーン・キャンプで生活に必要な基本物資の価格が高騰していると発表した。理由はイスラーム国による攻撃だという。

ルクバーン・キャンプとは?

ルクバーン・キャンプは2014年に設置された。

イスラーム国がイラク領内やシリアのヒムス県、ラッカ県、ダイル・ザウル県に勢力を拡大したこの年、多くの住民がヨルダンに向けて避難した。だが、この時すでに60万人以上のシリア人を難民として受け入れていたヨルダンは、さらなる難民の受け入れを拒否した。そのため避難民はヨルダン・シリア国境の緩衝地帯に留め置かれることになった。こうしたなか、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などの支援を受けて、緩衝地帯に設営されたのがこのキャンプだった。

キャンプには、最大時で50,000人が身を寄せるとともに、革命特殊任務軍、殉教者アフマド・アブドゥー軍団といった反体制派武装集団(いわゆる自由シリア軍)が拠点を置いた。

米国が主導する有志連合は2016年3月、ルクバーン・キャンプの20キロほど北東に位置するタンフ国境通行所を制圧し(通行所は2015年3月にイスラーム国がシリア政府から奪取していた)、ここに基地を建設した。同地には米軍が200人規模の部隊を、英軍が50人規模の部隊を駐留させるとともに、革命特殊任務軍や殉教者アフマド・アブドゥー軍団が拠点を設置し、米軍がこれらの組織に対する教練を行った。

シリア政府は同地の奪還を試みた。だが、米軍はタンフ国境通行所から半径55キロの地域が、領空でのロシアとの偶発的衝突を回避するために2015年10月に両国が設置に合意した「非紛争地帯」に含まれると主張、占領を続けた。タンフ国境通行所一帯地域は以降、「55キロ地帯」(55km zone)と呼ばれるようになった。

キャンプを孤立させる米国

ルクバーン・キャンプはこの「55キロ地帯」のただ中に置かれることになった。だが、米国をはじめとする有志連合諸国はその支援には非協力的だった。ヨルダンもキャンプにイスラーム国のスリーパー・セルが浸透していると主張し、支援に否定的な姿勢を示した。シリア政府支配地からの支援も届かず、難民は深刻な人道危機に苦しむことになった。

シリア軍が反体制派支配地を包囲し、人道支援を妨害し、人々を飢餓に追い込んでいるように見えた。だが、事実は逆だった。シリア政府とロシアは、UNHCRとともに、人道支援に向けた努力を重ねたが、キャンプへの接近を禁じる米国と反体制武装集団がこうした試みを阻止し続けた。

シリア政府はその後、2019年2月、ロシアとともにルクバーン・キャンプにいたる「人道回廊」(ジュライギーム通行所)を設置し、政府支配地への難民の帰還を支援した。キャンプの劣悪な生活に耐えかねて多くの難民が帰還したが、反体制武装集団戦闘員らを含む約11,000人は今もキャンプに留まっている。

なぜイスラーム国が頻繁に攻撃するようになったのか?

シリア人権監視団によると、基本物資の物価高騰は、イスラーム国がシリア政府の管理下にあるジュライギーム通行所一帯のシリア軍の拠点や陣地を頻繁に攻撃するようになったためだという。

最近になって攻撃が激しさを増した理由を断定することはできない。

だが1月20日、イスラーム国のスリーパー・セルがハサカ県のハサカ市にあるグワイラーン刑務所を襲撃し、収容されていたメンバー多数を脱獄させた事件が発生したばかりだ。その数は数百人に及ぶと見られる。

これに関して、シリア人権監視団は2月6日、彼らがトルコ領内、トルコ占領下のアレッポ県北部、クルド民族主義組織の民主統一党(PYD)が主導する自治政体の北・東シリア自治局が支配するハサカ県、ラッカ県、ダイル・ザウル県、シリア政府と北・東シリア自治局が共同統治(分割統治)するアレッポ県マンビジュ市一帯などに逃亡したと発表した。

また、ロシアのスプートニクは1月29日、刑務所に収容されていたメンバーが米軍によって誘導され、55キロ地帯へと通じるダイル・ザウル県の砂漠地帯へと導かれていったと伝えた。

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医療危機にも見舞われているキャンプ

ルクバーン・キャンプが苛まれているのは物価高騰だけではない。医療危機も深刻だ。

反体制系のスーリーユーン・バイナナー(2020年4月15日)やシリア・テレビ(2018年9月17日)などによると、キャンプには、UNICEF(国際連合児童基金)やヨルダンが診療所を設置、また難民自身がヌール診察拠点やシャーム診察拠点の名で知られる診察所を運営し、辛うじて医療活動を行っていた。だが、UNICEFの診療所は2018年9月に閉鎖、また応急処置や難産への対応を行っていたヨルダンの診察所もコロナ禍を受けて2020年3月に閉鎖された。

こうした事態に関して、ヨルダンのアイマン・サファディー外務大臣は2020年4月20日にツイッターで以下のように述べた。

ゲイル・ペデルセン(シリア問題担当)国連特別代表との電話会談で、シリア人が受け入れることのできる政治的解決をもたらし、苦難を終わらせるための国連の努力を指示していることを確認した。ルクバーン・キャンプはヨルダンの責任ではない。シリア国内からそのニーズに対応することができる。我々の優先課題は国民の健康だ。我々はコロナと戦っている。キャンプからの入国を許すことは危険だ。

この発言は、ヨルダンがシリア政府との関係を改善したことを受けたものだ。だが、前述の通り、シリア政府支配地からの支援は、55キロ地帯を占領する米国、そしてその支援を受ける反体制武装集団によって阻まれたままだ。

医療を人質にとるのは誰か?

無論、こうした事態を打開しようとする動きがない訳ではないという。

反体制系のイナブ・バラディー(2月2日)によると、キャンプを活動拠点とする革命特殊任務軍は2月2日の1日だけに限り医療センターを開設した。取材に応じたキャンプの住民によると、医療センターはキャンプにある革命特殊任務軍の本部に設置され、医師らが約50人を診察、処方したという。

これに関して、革命特殊任務軍広報局のアフマド・ハドル代表は次のように自賛した。

革命特殊任務軍は常にキャンプ住民に尊厳のある生活を保障しようとしており、常設の医療センターを設置することを検討している。

革命特殊任務軍は経験豊富な医療チームを有しているが、医学的な専門性が重要だと考えているため、常に米国人医師がチームに同行してキャンプを訪れている。

しかし、パン・アラブ系のアラビー・ジャディード(2月8日)によると、キャンプで医療活動を続けてきたタドムル・シリア砂漠諸部族評議会は2月7日に次のような声明を出し、革命特殊任務軍の嫌がらせを受け、医療拠点の閉鎖を余儀なくされたことを暴露した。

評議会は医療拠点閉鎖への悲しみ、そして遺憾の意を表明する。これは革命特殊任務軍が行う嫌がらせから医療スタッフの身の安全を守るためである。革命特殊任務軍の民兵はこの数週間に何度も医療センターを包囲し、医療チーム、そしてセンターに近づこうとする民間人を脅迫した。診察所とその周辺の地域はこの民兵に、力で脅され、無理やり引き渡された。

医療チームのメンバーは引き続きキャンプ一帯で出産する女性を支援する。いかなる困難に直面し、国際社会の支援が不足しようと、ルクバーンの民間人の福祉と安全は我々の最優先課題である。

ルクバーン・キャンプの医療は同地に拠点を構える反体制武装集団、そして彼らを支援する米国が事実上独占している。彼らが難民を支援したいと考えるのであれば、いつでも可能であるにもかかわらず、人道に基づいてキャンプ内で活動する組織を排除し、外からの支援を妨げ、難民がキャンプを去り政府支配下の自宅に帰ることも認めていない。

ジュライギーム通行所一帯のシリア軍の陣地や拠点への攻撃を頻発化させているイスラーム国は、反体制武装集団や米国による人権蹂躙を側方支援している。そして、シリア内戦の惨状を人道という立場に基づいて憂慮、非難してきた日本をはじめとする西側諸国の人々が、この現実について知らないふりをするのであれば、彼らもまた同罪なのである。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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