高畑充希が挑む新境地のグルメドラマ。『忘却のサチコ』が伝える食の本質とは?

10月19日放送回はおにぎり(C)阿部潤・小学館/「忘却のサチコ」製作委員会

 2012年から最新7シーズンまで放送された『孤独のグルメ』は、「夜食テロ」と言われるほど食欲をそそるテレビ東京系の人気深夜ドラマだった。その後続として10月からグルメマンガ原作の新番組、『忘却のサチコ』が始まった。

 『孤独のグルメ』はタイトルの通り、井之頭五郎(松重豊)の一人飯の場面を中心に置く。独身を貫く五郎が、面倒な仕事相手に振り回された結果、強烈に空腹を覚えてストレス解消の食事に走る。誰にも邪魔されずに摂る食事が幸福感に満ちていることを訴えるドラマは、家族団らんなど人と食べる幸せが強調されがちな社会への批判を含んだ内容でもあった。料理と自分、そのストイックな向き合い方が男子的とも言える。

 一方、『忘却のサチコ』の物語は、食を中心にしたドラマでありながら、食事シーンに至るまでの物語が連続性を持って展開する。単純に分ければ、五郎と食事の一対一に集約させる男子的な『孤独のグルメ』に対し、『忘却のサチコ』は、ストーリー性を重視する女子的なドラマと言える。

 しかし、第二回まで幸子が食べるものは、懐かしさをそそる和食オンパレード。初回はすき焼き、二回目はおにぎりで、単発で正月に放送したときはサバの味噌煮、と男子ウケするラインナップだ。しかも幸子演じる編集者は男性作家に寄り添う理想的な編集者、と母性的な要素もある。肩ひじが張った危なっかしいところは、「守ってあげたい」キャラクターでもある。男子と女子の両方を取り込もうとするこのドラマ、『孤独のグルメ』バリに社会現象を巻き起こすのか――?

「何を食べる?」の前に「どこで笑えるのか?」展開への期待。

 グルメドラマとしての可能性を探る前に、まず『忘却のサチコ』の物語を簡単に紹介しておこう。

 主人公の佐々木幸子(高畑充希)は、中学館文芸編集部で「鉄の女」の異名を取る有能な編集者。しかし、担当作家に電話するときは椅子の上に正座し、切った後は深々とお辞儀するなど、作家を心から尊敬する不器用なしぐさはコミカルでもある。

 幸子は最近、結婚披露宴の最中に新郎、俊吾(早乙女太一)に逃げられる手痛い失恋をしている。おいしく食べるときだけはそのつらさを忘れることに気づいた幸子は、食べることで恋を忘れる道を探り始めた。それでも、ふとした場面で思い出がフラッシュバックしてしまう。痛々しさが丸見えの幸子を、同居する母も、編集部の仲間もそっと見守っている。

初回注目を集めたのは、こんなシーンだ。書店で担当作家の新刊サイン会が開催されるが、チケットが大幅に売れ残っていた。幸子は売りさばくために、ピンクの髪を二つ分けにしてさらに大きなリボンを乗せたドレス姿のコスプレで、街頭でチラシを配るという策を取る。必死な彼女は、やがてつけまつげが剥がれ落ち「化け子さん」と評される異様な造形に。その姿がSNSで話題となって人が集まり、サイン会は大成功。演技派の高畑充希がコメディエンヌぶりを発揮した。

 第二回は、ライトノベルでベストセラーを連発するオタクの作家、ジーニアス黒田(池田鉄洋)から原稿を取るために、アパートの前で彼の作中キャラクターのコスプレをして待ち続け、ジーニアス黒田本人に通報されて警察に捕まってしまう。しかし今回の山場はそこではない。

茶化しながら描かれる、食の本質。

 幸子が作家を説得するため次に取った手段は、彼が憧れつつ食べる機会がなかった「都内でも5本の指に入るおにぎり専門店『ぼんご』」のおにぎりを差し入れること。アパートの角部屋の玄関前で、二人のやり取りが繰り広げられる。

 機内誌に昔書き散らしたエッセイをもとに、おにぎり好きだと幸子に見抜かれたことに感動するジーニアス黒田。幸子のおなかがグウと鳴ったので、彼女におにぎりをすすめる。「そんなつもりじゃ」と断る幸子は、さらにすすめると「ほんとは今ものすごくおにぎりが食べたいです」と受け取って食べる。その姿に再び胸を打たれるジーニアス黒田。

 高畑充希は、その味を「この絶妙なにぎり具合。口の中でほどよくばらけていく感じ。その具の多さ。どこまで食べても具がとぎれない」と心の声で披露するが、その言葉に『孤独のグルメ』の松重豊ほどの説得力や言葉の面白さがあるわけでは、実はない。

幸子がおにぎりを食べたその後に、第二回放送回のクライマックスは訪れる。(C)阿部潤・小学館/「忘却のサチコ」製作委員会
幸子がおにぎりを食べたその後に、第二回放送回のクライマックスは訪れる。(C)阿部潤・小学館/「忘却のサチコ」製作委員会

 人生経験の浅い女性、という設定もあるのだろうが、幸子の食の表現力は物足りない。そこをカバーするのは、陶酔しきった表情とカリカチュアライズされた映像表現……でもない。今回の山場はその後幸子が、妄想世界の場面で美しい声で歌い踊るくだりだ。何しろ高畑充希はもともと、ミュージカル俳優でもある。本領を発揮し、視聴者が演技に引き込まれるという算段だ。

 初回の爆笑させるコスプレといい、二回目のミュージカル場面といい、もしかするとこのドラマは高畑充希ファンのスタッフが、俳優としての彼女の魅力を存分に引き出すために企画したのかもしれない。次はいったい何が出てくるのか、と興味をそそられる。

共に食べることで生まれる連帯感。

 ところで、先に紹介したおにぎりを巡るやり取りで、このドラマは重要なことを訴えていた。それは、共に食べることで生まれる連帯感だ。

 幸子を追い返すために警察まで呼んだジーニアス黒田は、幸子が七輪で焼く鮭の匂いにつられうっかりアパートのドアを開けると、憧れのおにぎりをもらって感動してしまう。その感動は、二人で一緒に最高においしいおにぎりを食べ、味噌汁をすすったときに連帯感に変化する。

 共に食べることは、絆を作る。食事をすすめて一緒に食べるという行為は、昔から人間が仲間を作るために選んできた手段である。そして近年は、バラバラになりがちな家族を結びつける行為と強調される。ある意味煩わしく、理想主義的な形で強調される「愛」と「連帯感」。しかし、『忘却のサチコ』は誰もが知っている本質的な食の役割を、笑いに包んで物語を進めるツールとして使う。

 そのうえで、どんな具材でも白いコメで包み込んでしまうおにぎりの包容力と、「おにぎりのような小説を書く」ジーニアス黒田の持ち味を引っ掛け、新境地を開かせるきっかけを作る。食べること、食べものの魅力を掘り下げ、仕事の成功と掛け合わせている。その複雑な構成は、グルメドラマとしてはかなり高度な技と言えるのではないだろうか?

『忘却のサチコ』に込められたメッセージとは?

 2006年公開の映画『かもめ食堂』あたりから、食が重要な役割を果たすドラマやマンガ、映画が一気に増え、今や定番ジャンルとなった。しかし、「料理は愛情」といった説教が混じったり、味の表現を語ることに終始し、ストーリーはほとんどないものも少なくない。

 その中で『孤独のグルメ』は、あえて主人公に味の表現を語らせつつ、人間関係の煩わしさを逃れられる一人飯の魅力を訴える内容に説得力があった。何より松重豊が食べる所作がよく、そのシンプルな味わい方に感情移入した人が、おなかをすかせる構造だった。お色気なしで男性の気持ちに寄り添った「男子ウケ」に振り切った内容が、同時に食べることが好きな女子にもウケるという結果をもたらした。

 要素をそぎ落とした『孤独のグルメ』に対し、『忘却のサチコ』は、食とは何かを掘り下げる本質的な問いに加え、恋愛あり仕事上の対人関係の煩わしさあり、とてんこ盛りのストーリー性が高い物語だ。そのうえ高畑充希の力量あってこその内容になっており、欲張りぶりが女子ウケする。そして、最初に述べた通り、キャラクター造形やフィーチャーされる食べものは男子ウケする内容だ。

 いや、女子だ男子だと分けて考えること自体が、現代においてナンセンスかもしれない。今やオタク女子は珍しくなく、料理の世界に興味を持つ男子も珍しくない。

 人間の営みに欠かせない食というテーマは、ともすれば社会の理想やしがらみも背負いがちである。しかし、同時に自分という人間の本能的な欲望の中心にあるのも食だ。食べることに興味がない人でも、食べなければ生きていけないからだ。周囲に振り回されることなく、自分の欲望に忠実でいよう。もしかすると、テレビ東京金曜0時台のグルメドラマの主張は、そのあたりにあるのかもしれない。