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宇宙旅行の相次ぐ成功でも搭乗者は命がけ。業界は「安全」を模索しながら進んでいる

秋山文野サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)
Credit: Virgin Galactic

米国では、新興宇宙企業「ニュー・スペース」が主導する商業宇宙旅行の実現に向けて、スペースXやヴァージン・ギャラクティック、ブルー・オリジンなどによる飛行の成功例が続いている。2021年後半以降は、弾道飛行に加えて民間開発の宇宙船でISSに滞在する宇宙旅行や、ISS以上の高高度を目指す多様な宇宙旅行サービスが実現する計画だ。だが、宇宙旅行分野でリードするアメリカでも旅行向けの安全を審査する基準はまだなく、宇宙飛行に参加する人々は現在でも命がけだ。「誰でも宇宙旅行」の前夜といえる現在、法的に宇宙旅行はどのような段階にあるのだろうか。

ヴァージン・ギャラクティックでは、宇宙旅行の参加者を「プライベート・アストロノーツ」と呼んでいる。Credit: Virgin Galactic
ヴァージン・ギャラクティックでは、宇宙旅行の参加者を「プライベート・アストロノーツ」と呼んでいる。Credit: Virgin Galactic

2021年7月20日にはジェフ・ベゾス氏が自身の設立した宇宙開発企業のBlue Originの宇宙船「ニュー・シェパード」で高度107キロメートルへの有人初飛行成功、7月11日にはリチャード・ブランソン氏が自らミッション・スペシャリストとして搭乗したヴァージン・ギャラクティックの宇宙船「USS ユニティ」での飛行に成功と、7月は弾道飛行型宇宙旅行の成功例が続いた。2021年後半にはスペースXによるISS滞在宇宙旅行が計画され、また高高度気球で成層圏を飛行するスペース・パースペクティブが6月に無人の試験飛行を行うなど、宇宙旅行の種類やサービスも多様化しつつある。

宇宙旅行の安全審査は搭乗者ではなく地上を巻き込まないため

米国には現在、宇宙船とそれを打ち上げるロケットの安全を審査する認証手続きはまだない。スペースXのクルー・ドラゴン宇宙船のようにNASAの宇宙飛行士を輸送する民間の宇宙船には認証プロセスがあるものの、これは訓練を受けた宇宙飛行士が搭乗することを前提としている。連邦航空局(FAA)は、2004年に民間による宇宙飛行の際の規則を定め、宇宙船に搭乗して宇宙へ赴く人を「 スペースフライト・パティシパンツ(宇宙飛行参加者)」とした。搭乗費用を支払った顧客であっても生硬でわかりにくい「パティシパンツ」という言葉で呼ばれるのは、宇宙旅行の搭乗者を「パッセンジャーズ(乗客)」と呼ぶにはまだ早いからだ。

パッセンジャーとは、旅客機や鉄道などの交通機関を利用する乗客を指す。旅客機や鉄道はすでに安全基準の確立された乗り物で、旅客機や列車に搭乗する際に特別な訓練は必要ない。また万が一事故の場合、機体を管理する運行会社だけでなく、行政の安全基準や審査に問題があれば、その責任を問うこともできる。

しかしFAAが2020年に発表した文書によると、アメリカであっても宇宙旅行産業は揺籃期にあり、「ビジネスモデルを開発、安全基準を確立し、法的根拠のある規制のもとで宇宙旅行用の機体を設計開発する段階ではない」としている。安全基準などに関する厳しい規制を設けることができるようになるのは2024年以降とされる。

宇宙旅行の場合であっても、個別の飛行ミッションの前にはもちろんFAAによる審査がある。だが、「機体の安全性を審査する」手順が法的に定まっているわけではないため、搭乗者よりも機体の墜落などによって地上で無関係の人々を巻き込んで被害を出すようなことがないよう、飛行経路や飛行の目的を審査するということに主眼が置かれている。

参加者は、事前に宇宙旅行を実施する企業からリスクに関する説明を十分に受け、「審査手順に問題があったから事故が起きたという理由で米国政府機関を訴えない」という権利放棄に同意しなくてはならない。実施企業を訴えることもできないのだが、法的にはまだあいまいな部分が存在する。宇宙旅行参加者の家族はインフォームド・コンセントと権利放棄を求められるわけではないため、裁判によって保障を求めることができない、とまではまだ言えないのだとFAAは説明している。

「宇宙飛行インストラクター」の実現に向けて

FAAの規則では、宇宙旅行参加者は、飛行で起き得る既知の医学的なリスクについては十分説明される必要がある。ただし、宇宙酔いから酸素欠乏、意識障害、心血管障害まで個人にとって何が起きるかは個別の飛行ミッションによって異なる部分があるため、全て説明できる保証はない。

ジェフ・ベゾス氏、ウォリー・ファンクさんらが初有人飛行に成功したブルー・オリジンでは、宇宙旅行の参加者を「コマーシャル・アストロノーツ」と呼んでいる。出典:ブルー・オリジン中継より
ジェフ・ベゾス氏、ウォリー・ファンクさんらが初有人飛行に成功したブルー・オリジンでは、宇宙旅行の参加者を「コマーシャル・アストロノーツ」と呼んでいる。出典:ブルー・オリジン中継より

7月20日のブルー・オリジンの有人初飛行では、1960年代に女性として宇宙飛行士候補となる訓練を受けたものの、選抜機会を与えられなかった女性パイロットのウォリー・ファンクさんが82歳という史上最高齢での宇宙飛行を達成した。ファンクさんも当然こうしたリスクと同意について承知の上で飛行に参加している。帰還後、「アストロノート、ウォリー・ファンク」と紹介されたときの誇らしげな表情は、文字通り命がけの飛行を成し遂げたゆえなのだ。

リスクの説明と参加者の同意があるとはいえ、宇宙旅行企業が医学的なケアもなく顧客を宇宙船に乗せてよいということではない。FAAは企業が既知の身体的リスクを元に参加者の健康状態をチェックし、できる限り安全に搭乗できるよう訓練プログラムを作ることを求めている。宇宙旅行の発展のために必要なプロセスであり、スポーツのインストラクターや登山ガイドが職業として成立しているのと同じように、宇宙旅行の関連産業として訓練の実施がビジネスになる可能性もある。

事故の際には? 保険はかけられる?

もしも宇宙旅行で事故が起きたら、宇宙旅行業界の存続のためにもその原因や技術的問題について徹底的な調査が必要だ。調査を担当するのは航空機事故と同様にFAAと国家運輸安全委員会(NTSB)となる。2014年、ヴァージン・ギャラクティックによるスペースシップ2の試験飛行中にパイロット1名が負傷、1名が亡くなるという墜落事故があり、このときにもFAAとNTSBが調査を行っている。スペースシップ2の事故ではAIG損害保険による4000万~5000万ドルの保険が掛けられていたことから、NTSBの事故調査権限を法制化しようという議論もある。

宇宙旅行は、比較的手ごろなヴァージン・ギャラクティックの飛行であっても25万ドル(約2800万円)と高額の費用がかかる。FAAも認めるように「非常に裕福な、限られた人を対象に」している面は否定できず、批判もある。とはいえ、その裕福な参加者も、自身の安全という大きなリスクを引き受けて新しい産業を開拓しようとしている挑戦者という側面もまた事実だ。

サイエンスライター/翻訳者(宇宙開発)

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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