差し入れから見えてくる籠池夫妻の近況と接見禁止の実情

'17年7月12日、京都で保津川下りを楽しむ籠池夫妻(筆者撮影)

日々、ドラマが起こる大阪拘置所の窓口にて

 拘置所の窓口では悲喜こもごもの人生模様を垣間見る。 

 息子さんが突然逮捕されたようで、差し入れ方法がわからず窓口で途方に暮れる母親、学校を休んで父親に会いに来たらしい小学生のお嬢さん、兄貴分の激励のため訪れたと思しき入れ墨のおっさんなど、国家に身柄を拘束された近しい人たちを支えるため、老若男女が訪れる。

 基本的に未決拘禁者が一時的にとどめ置かれる拘置所。出入りが激しいので面会や差し入れのために訪問する人たちの顔ぶれは日々移ろっていく。そんななか、大阪拘置所には係員たちに「おはようございます」と挨拶をかわすなどベテランの風格を漂わせる一団が通っている。籠池夫妻の支援者たちだ。

 あれだけ世間の注目を浴びていたふたりは一体、どのように過ごしているのだろうか? 残念ながら接見禁止措置が講じられているので面会はおろか、手紙のやりとりや写真を送ることすら禁じられている。なかでの様子について伝え聞いていることはあるのだが、直接取材ではないのでここに書き連ねることは控えよう。今回は差し入れという行為を通じて見えてくる籠池夫妻の近況と、接見禁止措置の実情について触れることとする。

 未決拘禁者は受刑者と異なり、衣類・寝具は自弁のものを使用するのが一般的だ。ただし何でも入れられる訳ではない。ビーズのついた服、化粧水などの液体類、ヒモのついたズボンや内ポケットのついた服、ワイヤーの入っているブラジャーなどダメなものも多い。逮捕当初、みんなで手分けして衣類や日用品を差し入れた。しかし泰典氏は衣類について受け取りを拒むことも少なくなかった。冬になってから防寒具は使用していたようだが、極力、拘置所からの支給品だけで過ごすと決めているようである。検事の取り調べも囚人服で受けたらしい。

 本年の3月23日に野党の議員団が大阪拘置所を訪れた後の会見で、記者団から「泰典氏の服装は?」と尋ねられた希望の党の今井雅人議員は「緑? 水色だったかな。健康診断を受ける時に着るガウンみたいなのだった」と答えていた。泰典氏は野党議員との接見もあえて囚人服で臨み、闘う意思を伝えようとしたのだろうけれども、気づいてもらえなかったようである。

 飲み物や食べ物は大阪拘置所のそばにある「丸の家」という業者から差し入れることが可能。ただし、店内に陳列してあるスナック菓子やレトルト食品、パンや弁当などに限られる。泰典氏はカロリー過多になるのを防ぐため、あまり間食はしていないようだ。にんにくの味噌漬けは気に入ったらしく、何度か所望している。諄子さんは食欲旺盛。菓子類はなんでも喜んでいる。キムチは生まれて初めて口にしたようで、「恐る恐る食べたけどおいしかった」と新鮮な驚きが伝えられた。冬場に支援者が入れた豚の角煮だけはそのまま戻ってきた。寒さの厳しい拘置所内で脂肪分が凝固してしまっており、「気持ちが悪い」とのことだった。

 大阪拘置所では朝日新聞、讀賣新聞、産経新聞の三紙を自費で購読することができる。産経新聞がお気に入りだった泰典氏、’17年3月9日の記者会見で「朝日嫌いー!」と叫んでいた諄子さんともに、現在は朝日新聞を読んでいるようだ。森友学園事件について最も詳しく報道しているからだろう。ここ数ヵ月は支援者が外部より毎日新聞、京都新聞も届けている。ちなみに同一紙なら一度につき7部(朝夕刊セットで1部とカウント)まで入れることが可能だ。

差し入れ書籍から伝わってくる籠池泰典氏の胸のうち

 書籍については当初より制限がなかった。一回につき3冊という条件もほかの拘禁者と同様である。とはいうものの、手紙のやり取りを禁じられていることにより、本に書き込みがないかどうかは厳重にチェックされる。窓口で受け取ってもらえたとしても、もう一度念入りに中身を検査されるようで、突き返されることもある。

接見禁止措置がついているため、拘置所の窓口で差し入れた書籍が受取人に届かず、後ほど戻ってくる場合もある。
接見禁止措置がついているため、拘置所の窓口で差し入れた書籍が受取人に届かず、後ほど戻ってくる場合もある。

 逮捕直後、わたしは鈴木宗男「汚名」、堀江貴文「徹底抗戦」、大坪弘道「勾留百二十日 特捜部長はなぜ逮捕されたか」、田中森一「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」など、特捜部関連の書籍を差し入れた。特捜部に逮捕された人たちがどのような取り調べを受け、どのように感じたのかを知っておいて欲しかったのである。40日に及ぶ苛烈な事情聴取のなか、ふたりが何度も目を通したのは佐藤優「国家の罠」と村木厚子・江川紹子「私は負けない 『郵便不正事件』はこうして作られた」だ。この二冊だけはなかなか宅下げされてこなかったところを見ると、数多く届けた特捜関連書籍のなかでも別格だったようである。

 取り調べが終わった後も読書意欲は旺盛だ。

 ふたりとも読書の中心は家族が入れた生長の家の聖典「生命の實相」。40巻に及ぶ大著に繰り返し通読しているという。これほど長期間、独房に閉じ込められているにもかかわらず拘禁反応が出ていないのは、精神的にタフなことはもちろんだが、信仰を持っていることも大きいように感じている。

 泰典氏は社会的な書物に食指が動くようだ。なぜなら熱心に読んだものは線を引きまくってあり、興味の在りかがわかるからである。

 拘置所から戻ってきた本の傍線部を見てみると、泰典氏の気持ちがなんとなく伝わってくることもある。別冊宝島編集部「日本の『黒幕』100の明言」というオムニバス本の中では「詐欺という不名誉な罪で裁かれることは自らの矜持が許さない(許永中)」というところに太々と線が引かれていた。三島由紀夫「若きサムライのために」では「人間の自尊心や誇りを破壊することは、絶対に許せない」という文に、八田隆「勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか」では「国家権力は人ひとりを踏み潰すことなど造作ない」「検察は、公判で被告人を有罪にする調書を作成するためだけに取り調べをする」といった部分にチェックがあることを鑑みると、今回の逮捕勾留が不当なものであると感じているようだ。

 保守主義者であるという信念は揺らいでいないと推測される。保阪正康「三島由紀夫と楯の会事件」は「檄文」を中心に線だらけになって返ってきた。天皇についても拘置所から思いを馳せているようで、西尾幹二「保守の真贋」では「信仰心のない宮内庁官僚らによって、天皇の手で行われる祭祀の簡略化がどんどん進められている」「天皇の祈りこそが国民統合の中心であることが忘れられて久しい」といった部分に、NHKスペシャル取材班「日本人と象徴天皇」においては「象徴のある種の中立性っていうのは、やっぱり今の陛下ご夫妻が作り上げた」という箇所にラインが引かれていた。ただし安倍晋三氏については複雑な感情を隠さず、適菜収「安倍政権とは何だったのか」においては「安倍は皇室に対し正気の沙汰とは思えない嫌がらせを仕掛けてきた」「安倍は『保守』ではなく、きわめて危険な極左グローバリストである」といったところに蛍光ペンを走らせている。

 未来に対する希望は捨てていない。中島岳志「血盟団事件」では中曽根康弘元首相が四元義隆について語っている「牢獄に入って禅に打ち込み、世に対する贖罪の念を抱いたそうです。そして、これからは野にあって、国家のために奉仕しようと決意し、出獄後の人生を送っていたようです」というところに線があった。羽生善治「決断力」では「わたしは『あとはなるようになれ』という意識で指している。どんな場面でも、今の自分をさらけ出すことが大事なのだ。『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』だ」という文章に傍線が付けられていた。

 小学校の創設は諦めざるを得なかったが、教育に携わろうとする意思も失っていない。「フリースクールについての書物を探してくれ」と頼まれたり、「専門学校の設立基準を知りたい」と要望されたこともある。

 宅下げされてきた本には随所に書き込みの跡があった。しかし、接見禁止が続いているため、わたしの手許に戻ってくる時にはすべて黒塗りされている。

「さわやかな美しさが快い」という文言に蛍光ペンが引かれ、その横に泰典氏の書き込み跡が。黒塗りを透かしてみると「真美ちゃんのように」と書かれていた。真美とは諄子さんの本名。夫人への熱い想いがうかがえる。
「さわやかな美しさが快い」という文言に蛍光ペンが引かれ、その横に泰典氏の書き込み跡が。黒塗りを透かしてみると「真美ちゃんのように」と書かれていた。真美とは諄子さんの本名。夫人への熱い想いがうかがえる。

 最近、差し入れを依頼された書物は正岡子規「墨汁一滴」、宮本武蔵「五輪書」といった古典から、橋本健二「新・日本の階級社会」、塚田祐之「その情報、本当ですか?」といったものまでジャンルは幅広く、知識欲は衰えていないようである。

 

好みの本のストライクゾーンがわかりにくい籠池諄子さん

 泰典氏へ届ける本はすぐに決まるのだが、諄子さんに入れる書物を選ぶ際の悩みは深い。

 どんな本を差し入れても、「面白くない」「チョイスがいまいち」と本音の感想が戻ってくるからである。

 当初は田辺聖子「孤独な夜のココア」、高田郁「八朔の雪―みをつくし料理帖」、向田邦子「思い出トランプ」といった小説類を持って行っていたのだが、読んだ形跡なく戻ってくる。しばらく経ってから、「小説は要りません。感動できるノンフィクションが読みたい」とのメッセージが届いた。

 泣けるノンフィクションというと「病気で死んじゃう系」なのかと思ったのだが、そういうのもダメらしい。

 わたしにとって珠玉の文学ノンフィクションである辺見じゅん「ラーゲリから来た遺書」、米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、須賀敦子「コルシア書店の仲間たち」といった書物群を入れてみたのだが、反応はない。

 こういうのは好きなんじゃないかなと思っていた星野富弘「愛、深き淵より」、神渡良平「『人生二度なし』森信三の世界」といったタイトルについては「読んだことがある」という返答だった。

 そんななか、知人のテレビ朝日のディレクターが石川拓治「奇跡のリンゴ―『絶対不可能』を覆した農家 木村秋則の記録」を届けたところ、とてつもなく喜んでいる様子が伝わってきた。あまりにも気に入ったため本の表紙をなでているのだという。さらに「赤澤さんもこういう本を入れてください」との命が寄せられた。似たような書物を探して入れてみるのだが、やはりお気に召さないらしく、三球三振が続く。

 勾留から3ヵ月が経っても合格点はもらえず書店へ行って本を選ぶのが憂鬱になってきた。どんなものを入れても怒られるような気がしてくるのである。ふと店頭に山積みになっているベストセラー吉野源三郎(著) 羽賀翔一(イラスト)「君たちはどう生きるか」が目に入り、どんな書物なのか中身も確認せぬまま差し入れてみたところ、「ホームランです。ありがとう」とようやくお褒めの言葉を頂戴したのだった。

 その後は時々ヒットを打てるようになってきた。角幡唯介「空白の五マイル」、青木新門「納棺夫日記 増補改訂版」などは興味深く読まれたという。八杉康夫「戦艦大和 最後の乗務員の遺言」には感動したとの伝言があった。同じ日に入れた山口淑子・藤原作弥「李香蘭 私の半生」には反応がなかったけど……。

 ホームラン級の当たりだったのはオグ・マンディーノ「世界最強の商人」および「この世で一番の奇跡」。「多くの人に読んで欲しい」とのことだった。どうやら諄子さんはスピリチャル要素のある自己啓発っぽい本が好きなようなので、そういう作風のものを探すようにしている今日この頃だ。とはいえ自分の愛読書にも目を通してもらい、感動を共有したいという気持ちはいささかも失っていない。次回は堀川惠子「教誨師」にしようかな、なんて思いめぐらしている。

拡大解釈される接見禁止措置

 パンフレット類は差し入れることができることになっている。作家の菅野完氏が責任編集として制作販売している「ゲゼルシャフト」という冊子を窓口に持って行ったところ、かなり長時間待たされたうえ収受に難色を示された。係員は「接見禁止が付いているなかで、こういう内容のものはちょっと……。それに本人が出ているものは入れられない」と言う。

 籠池夫妻の写真とともに、激烈な検察批判の記事も載っていることで躊躇したのかもしれないが、引き下がるわけにもいかない。

「今までも、本人が出ている新聞雑誌類はすべて入っている」と抗弁したところ、

「これは新聞雑誌ではないので」と返してくる。

「この文章を書いている人は伊藤博敏さんと言ってとても有名なジャーナリストです。またこのエッセイは芥川賞作家の柳美里さんのもの。いい加減なパンフレットではなく市販もしています。ダメというのならばまた取りに来るので、いったん預かって欲しい」と言い返す。

「しばらく待ってくれ」と言われ、マニュアルらしきものを繰ったり、同僚の係員たちと協議をしたあと、

「この方が個人で発行しているもので、パンフレットとは見なされない」

と突き返されてしまう。

 大阪拘置所の窓口の方々はとても親切にしてくれるので、これ以上文句を言っても気の毒だと思い、この攻防は諦めた。

 自宅へ持ち帰り、「入れられない場合は法的根拠を示して欲しい」旨の文書を添えて再度、拘置所に郵送。すると籠池夫妻に届いたのである。

 裁判所の命ずる接見禁止措置が現場にて拡大解釈されている一事例といっていいだろう。

 先日、泰典氏より文部科学省初等中等教育局児童生徒課の作成した「平成28年度『児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査』について」という書類を読みたいという依頼があった。早速、PDFを印刷した上、製本したものを持ち込んだのだが、受け取りを拒否される。

 接見禁止がついていない場合、ホームページのコピーは受け入れてもらえるはずである。前回のパンフレットの件もあったので、

「これはお役所が税金で作った公的な書類である。接見禁止の理由は『逃亡の恐れ、および罪証隠滅の恐れがあるから』ということのはず。なぜ公的な報告書を入れることが、接見禁止理由に抵触するのか理解ができない」と抗議した。

 今回は窓口に領置係長さんが出て来てくれ、

「われわれは裁判所の発行する接見禁止決定書に基づいて実務を行っています。接見禁止には面会、書類の授受 その他様々な制限が課されているが、その除外項目として公刊物と書かれている。公刊物とは一般世間に頒布されているものという概念なので、役所のホームページをコピーし、それを印刷製本したものを公刊物であるとは判断できない。そのため、お受けできないんです」

と丁寧に説明してくれた。理屈が通っているので、頭を下げて書類を引き取る。確かに収受の実務においては外形的な基準がないと膨大な作業を効率的にさばくことができない。そういう意味では係長さんの言うことは理解できた。しかし運用において必要以上に過度な接見交通権の制限が課される日本の刑事司法の実態について納得したわけではない。

 

推定無罪が適応される籠池夫妻の勾留がなぜこれほど長引いているのか?

 籠池夫妻の長期勾留は「安倍政権による政治的な口封じだ」と論ずる識者もいるようであるが、いささか見当違いであるように思う。特捜部の扱う案件で被告人が否認しており、しかも共犯がいる場合、初公判の罪状認否まで保釈されないというケースも珍しいものではないのだ。

 もちろん、このような状況を是認しておいてよいわけというわけではない。'95年にNPO法人「監獄人権センター」を設立するなど日本の刑事拘禁の問題に詳しい海渡雄一弁護士は以下のサイトで籠池夫妻長期勾留の問題点について語っている。

「国策捜査アカン」インタビュー 海渡雄一弁護士

 罪証隠滅の恐れという勾留理由が拡大解釈されている実情、罪を認めたら出してもらえるが、否認することにより身柄の拘束が続く人質司法の実態についての指摘は重い。

 日本国憲法第31条には「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と書かれている。公判が始まっていない籠池夫妻は無罪と推定され、独立した公正な裁判の前に自由を制限されない権利を保障されているはずだ。裁判所は著しい人権の制約を伴う長期拘禁の妥当性をきっちりと吟味できているのだろうか? 

 拘置所にいる泰典氏も自らの置かれた状況について理解しているようだ。宅下げされてきた郷原信郎「青年市長は”司法の闇”と闘った」という書籍では以下の部分に線が引かれていた。

「否認事件では、身柄の拘束を継続して『人質司法』のプレッシャーで公判を有利に進めようとする検察官が、弁護人の請求に対して詳細に反対意見を書いてくる」

さらにその3ページ後の「裁判官は、検察への釈放嘆願の『取次窓口』」という小見出しにも蛍光ペンが塗られていた。

 

 籠池夫妻の勾留は280日を越えている。