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島津全日本室内テニス選手権注目選手紹介(3):6年前の覇者、加藤未唯。地元京都で踏み出す再始動の旅

内田暁フリーランスライター
画像提供:京都府テニス協会

 あのとき、彼女は19歳だった――。

 全日本室内選手権は、プロ転向から僅か4ヶ月の当時の彼女が、プロテニスプレーヤーとして勝ち取った初のタイトル。

 ただそれ以上に嬉しかったのは、祖母をはじめとする親族たちが、その瞬間を見守り喜んでくれたことだ。優勝後にコーチから、「この集中力でプレーすれば、これからも勝っていける」と言ってもらえたことも、未来を信じる根拠となる。

 京都に生まれ育った加藤未唯にとり、地元開催の大会での優勝は、新たなキャリアの門出を祝う花道だった。

 それから、6年。

 彼女が島津アリーナで試合をするのは、優勝したあのとき以来のことである。この5年間、地元で得たタイトルを足掛かりに世界に飛び出した彼女は、全豪オープン・ダブルスベスト4や、ジャパンウィメンズオープン準優勝などの成果を掴み取ってきた。

 その加藤が久々に京都に帰ってきたのは、同大会がITF(国際テニス連盟)主催の国際大会へと変容したため。そして“シングルス・プレーヤー”としての、再スタートを切るためでもあった。

 昨シーズンの大半を、彼女は、ダブルス・プレーヤーとして過ごしてきた。2017年に単複でベストシーズンを送った加藤だが、翌2018年はシングルスで、高いステージに身を置いたがゆえの苦しみに直面する。同年を終えた時のランキングは、シングルスが392位で、ダブルスは45位。ならばダブルスに専念するというのは、合理的な判断だっただろう。

 だが、ダブルスで頂点を目指し走り出した新シーズンが、微かな暗影を纏いながらのスタートだったことを知る者は少ない。皮肉にも……というべきか、その影を生んだのは、誰もが祝福した栄光だった。

 2018年9月の、東レパンパシフィックオープン・ダブルス優勝――。

 それは大会の格付け的にも、加藤が手にしたキャリア最大のタイトルでもあったはず。

 ただ……表彰式を終え、シャワーを浴びている時にふと、さほど喜んでいない自分に気づく。

 「シングルスで勝った時は、自然と笑いがこみ上げて、水を浴びながら勝利を噛み締めていたのにな……」

 シングルスでの快勝後を思い返すと、そのときと大きく異る心模様に、少なからず驚きを覚えもした。

 それでも、自分を支えてくれる人たちの喜ぶ姿を見ると、胸に浮かんだ疑念は祝福の華やぎにかき消された。2年後に迫った東京オリンピックという目標も、一層輪郭を明瞭にする。微かな暗影を希望で覆い、彼女はダブルス専念の道を選んだ。

 あくまで結果論ではあるが、もし2019年の初頭に一定以上の成果を得れば、その判断は正しかったと思えたのかもしれない。だが、1月の全豪オープン初戦で破れ、その後も思うように勝利がついてこないと、暗影が希望を侵食し始める。「テニスが楽しくない」の迷いは、彼女の魅力である奔放な躍動感にも影を落とした。

 「やっぱり、シングルスがやりたい。一人で相手をいかに崩すかを考え、自分より遥かに大きな選手を倒した時の、あの充実感や楽しさをもう一度感じたい」

 同年の終盤には、心はシングルスに傾きだしていた。

■思い出の地で対峙した、過去の自分の幻影■

 6年ぶりに帰ってきた地元の大会で、今年初のシングルスを戦ったとき、彼女が覚えたのは懐かしさや郷愁ではなく、驚きと焦りだったという。

 まずはこの大会のコートは、ボールが弾まず球足が速い。彼女の武器である、スライスやボレーなど多彩な球種を用いる創造性や、フットワークが活かしにくい戦いの場である。

 「6年前は、どうやって勝ったんだろう?」

 そんな疑問と同時に、苦手意識が心に染み付いた。

 さらに彼女を混乱させたのが、良かった時の自分のイメージと、現実との乖離である。

 さほど難しくないボールを打ち損ない、「前の私、こんなんでミスらなかったのに」とショックを覚えた。ボールを打つことに必死になりすぎ、どの場面でどう仕掛けるかや、相手を崩す策を考える余裕がない。

 駆け引きができていない。集中力がフッと途切れる瞬間もある。

 「いい時のテニスとは、かけ離れすぎている……」

 彼女が戦っていたのは対戦相手ではなく、自身の幻影と、胸を絞める焦燥だった。

 6年前には、このコートでどうやって勝っていたのだろう――?

 試合後に改めて考えた時、思い当たる一つの解は、若かった自分は細かいことに頓着せず、「速いコートなら自分も速く打てばええやん」くらいにしか考えていなかったということだった。

 もしかしたらそれは、19歳の時にしか持ち得なかった、言わば幼さゆえの強さだったのかもしれない。

 だからといって今の彼女は、あの頃の自分を羨むこともない。

 「どう相手を崩すか考え、それを実行することの方が、より楽しいと分かったので」。

 その楽しみを知ったからこそ、今の焦りと歯がゆさがある。それは若い日では知ることすらなかった、高次で深みある悩みでもあるはずだ。

 キャリアの原点である6年前に今を照射することで、浮かび上がる足跡と成長の轍がある。

 「楽しさ」と表裏の葛藤を抱えたこの場所から、かつての自分を取り戻す、新たな原点回帰の旅が始まる。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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