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“錦織二世”とも呼ばれた未完の大器が、初のウインブルドン出場へ! 自分を信じ戦い続けた内山靖崇

内田暁フリーランスライター
予選決勝の死闘を制しテレビ取材を受ける内山靖崇

○内山靖崇[6-3 4-6 5-7 6-3 6-3]J・キューブラ●

 目に見える結果や事象だけが、必ずしも真実を映しているとは言えないでしょう。

 今季のグランドスラム予選の成績は、全豪、全仏ともにストレートでの初戦敗退。ツアーでも、6大会連続敗戦と、勝ち星に恵まれない時期もありました。

 それでも内山が得ていた実感は、「今年のグランドスラム予選は、良い準備ができて迎えられていた」という手応え。今季のここまでを振り返っても、「今日はダメだったなという試合が、ほとんどない」という、ある種の充実感を覚えていたと言います。

 「何か良い結果を出せるのでは?」

 そんな予感を抱きながら、迎えたウインブルドン予選でした。

 それら心の充実は、キャリア初のシングルスでのフルセットを戦った予選決勝の、試合の趨勢を決する場面で実を結びます。第3セットで、ブレークで先行し5-4でサービスゲームを迎えた内山ですが、相手のブレークポイントで放ったショットが、アウトと判定されてしまいます。その後も「自分的には入っていた」との思いは拭いきれず、4ゲーム連続で失い落とした第3セット。主導権は、明らかに相手に渡ったかに思われました。

 それでもこの時、内山はまず、「審判も一生懸命やっているんだし」とジャッジへの疑念を自分の中で消化。そして現状を、「1セットオールとなった時点から普段の3セットマッチが始まったと思えば、今はまだ第1セットを落としただけ。ここから追いつけば相手はもっと苦しくなる」と捉えたと言います。

 果たして第4セットの終盤、疲れの見えはじめた相手のゲームを破り追いつくと、最終セットでは相手のダブルフォールトに乗じて第8ゲームをブレーク。最後は、絶妙なドロップショットを鎮める心憎いまでの落ち着きを見せ、ラブゲームでシングルスの5セットマッチ初勝利を掴みとります。それは15度目のグランドスラム予選挑戦で、初めて本戦への扉をこじ開けた瞬間でもありました。

 13歳時に、盛田正明テニスファンドの支援を受け渡米した内山を、周囲は時に「錦織二世」と呼び、プロ転向後のなかなか結果の出ない時期には、「未完の大器」とも称しました。しかし内山本人が感じていたのは、「他の日本人選手たちの方が遥かに上手。自分はオール5タイプではなく、5もあれば1もある」という微かな劣等感。同時に、「僕は性格的にも、コツコツ積み上げていくタイプ」という自己認識でもありました。

 目に見える結果や事象だけが、必ずしも真実を映しているとは言えないでしょう。周囲の期待と“自分の中の真実”との乖離をコツコツと埋めながら、重なり始めた評価と実像。その末にたどり着いた、グランドスラム本戦の舞台です。

※テニス専門誌『スマッシュ』のFacebookより転載

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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