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ヒールから一夜でヒーローへ――21歳のズベレフがATPツアーファイナルズ制す

内田暁フリーランスライター
(写真:ロイター/アフロ)

 勝利の後に彼が客席から浴びたのは、本来ならあるべき称賛の拍手や歓声の代わりに、ブーイングと不服の成分を多分に含む口笛だった。

 ATPツアーファイナルズ準決勝の、対ロジャー・フェデラー戦。7-5, 7-6の快勝を手にしながらも、あまりに不条理な敵意を向けられたアレクサンダー・ズベレフは、端正な相貌をこわばらせ、震える声で「まずは、観客に誤りたい」と謝意を口にした。

 「あれは決して、誰かを怒らせたくてやった訳ではなかったんだ……」。

 物議をかもす事が起きたのは、第2セットのタイブレーク。4-3とフェデラーがリードした場面のラリーの途中で、ズベレフはプレーを止めて、フェデラーの後方を指さした。その理由は、後方に控えるボールパーソンが、ラリー中にボールを落としたため。主審はズベレフに理由を尋ね、さらにはボールパーソンにも事実関係を確認したうえで、「ボールパーソンがボールを落としたために、リプレイ(やりなおし)」とアナウンスした。その後、ズベレフは3ポイントを連取し、勝利へと邁進する。

このプレーの中断にはフェデラーも納得しており、実際には、一連の小休止が大勢に影響を及ぼしたとは思えない。ただ外形的にはこのリプレイが、タイブレークのターニングポイントのように見えたのも、また確かだろう。それだけに、37歳の“生きる伝説”フェデラーの勝利を切望するロンドンのファンの多くは、不服の意をあらわにした。あるいは単純に、望む結果が見られなかったことに対する、稚拙な不満の発露だったかもしれない。いずれにしても、“次代の王者”と期待を集めてきた21歳は、幾度も「申し訳ない」と観客に向け繰り返した。

 その翌日、ズベレフは世界1位のノバク・ジョコビッチと、優勝を掛けて対戦する。3日前のラウンドロビン(総当たり)でジョコビッチに完敗を喫していたズベレフは、その反省を踏まえ「もっとボールを早いタイミングで捕らえ、攻撃的に行くこと」を自身に言い聞かせていたという。

 果たして彼は、その信念をコート上で描いて見せる。目についたのは、ベースラインから下がらず、機を見てはボレーを決める姿。同時にそれ以上に際立ったのは、長い打ち合いでも攻め急がず、守勢にまわっても精度の高いショットを打ち返し続けたことだ。象徴的だったのは、第2セットの第1ゲームをズベレフがブレークした場面。攻守が激しく入れ替わる攻防のなかで、両者は26本のラリーを重ねた末に、最後はズベレフがフォアの強打を叩き込んだ。あの無尽蔵のスタミナを誇るジョコビッチが、ボールを追うのを諦め俯くその向こうで、ズベレフは声を上げ顔の横で拳を固める。この時、観客の反応を含めたアリーナ内の空気が、新王者の誕生を予感した。

 優勝を決めたのは、10本のラリーの末に焦れたようにネットに出るジョコビッチの横を、鮮やかに抜いたバックで抜いたパッシングショット。一瞬、ボールに手を伸ばそうとしたジョコビッチだが、届かないと観念したか、あるいはアウトになる可能性に一縷の望みを託したか……いずれにしてもボールは測ったように、ラインの内側を抉った。

 優勝スピーチでズベレフは、スポンサーや大会関係者、そしてコーチでもある父親をはじめとするチームスタッフに謝意を述べる。その感謝すべき対象があまりに多いためだろうか、スピーチがまだ終わらぬうちに、大団円を演出する音楽が流れるハプニングが起きた。思わぬ事態に目を丸くし、音楽の鳴るあいだ手渡された副賞のシャンペンを所在なさげに抱えていたズベレフは、「まだ終わってないんだけれどな。なにはともあれ、このシャンペンありがとう。酔っぱらった訳じゃないんだけれどね」と、まずは軽くおどけて笑いを誘う。そして「長いスピーチだけれど、まだ大切なことを言っていないから」と続け、ボールパーソンに、審判員に、そして……「毎日、素晴らしいサポートをしてくれたファン」に感謝を述べた。

「昨日は、ちょっとイザコザもあったけれどね……」、チャーミングに笑いながらこぼす小さな皮肉に、ファンも詫びるような拍手で応じる。

 笑顔と声援に包まれながら、この時確かに、観客に祝福され若きチャンピオンが誕生した。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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