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東レPPOテニス制した二宮真琴と加藤未唯 初の日本人優勝ペアが歩みだした「私たちの道」

内田暁フリーランスライター
東レPPO史上初の日本人ペア優勝者となった二宮真琴(左)と加藤未唯(写真:ロイター/アフロ)

■出会いは雪の日……小学生時代から知る同期■

 優勝へのカウントダウンをハイピッチで刻むかのようなネット際の攻防が、この小柄な日本人ペアの強みを、打球音で綴っていた。4選手が放つボレーがネットの僅か上を5度行き交い、そして相手が打った6本目は、ネットを超えずコートに落ちる――。

 その瞬間、満員の客席から弾ける歓声と同時に、加藤未唯と二宮真琴は、両手を突き上げ叫び声をあげると、飛び込むように抱擁を交わした。

 日本開催の女子テニス大会で最高のグレードを誇る、東レパンパシフィックオープン。その35年の歴史の中で、日本人がダブルスで頂点に立つのは、初の快挙であった。

       ◇ ◇ ◇

 加藤と二宮が初めて出会ったのは、雪舞う京都の寒い日だったと、10年以上経った今も互いの記憶にはっきり残っている。

 「未唯ちゃんは、毛のモコモコしたコートを羽織っていて……ちょーセレブな小学生がいるなって」

 二宮が笑顔で「すごいインパクトに残っています」と最近のことのように振り返れば、加藤は「真琴とは京都や関西の試合で、昔からよく会ってたからね」と八重歯をこぼした。

 広島出身の二宮と、京都で生まれ育った加藤。1994年生まれの二人はいずれも、西日本に住む“テニスの上手な女の子”として、小学生の頃から顔を合わせる間柄だった。もっとも当時、将来を嘱望された地元の天才少女たちは、彼女たちに限ったことではない。ただそれら少女の多くが、ふるいに掛けられるように一人、また一人と姿を消していくなかで、加藤と二宮は10代半ばで日本ジュニア強化選手に選ばれ、時にダブルスパートナーとしてネットの同じサイドに立った。とはいえ、両者ともに小柄で俊敏性を武器とする似たタイプのためか、ダブルスを組む機会は戦いのステージを上げるに伴い減少する。2人が最後にペアとして戦ったのは、2014年夏のことだった。

 その加藤と二宮が再びネットの同じサイドに立ったのは、今年2月の国別対抗戦フェドカップ。組むのは久しぶりながら、ダブルスの戦術理解と前衛での動きに長ける二人は、アジア/オセアニアゾーン予選の4試合、さらには英国との入れ替え戦の全試合で白星をつかみ、日本のワールドグループ返り咲きへの牽引力となった。

 もともと「緊張しやすい性格」という二宮は、日本の命運が掛かった試合で力を出せた事実が自信となり、5月の全仏オープンでは、やはり同期の穂積絵莉と組んで決勝の高みへ登る。

「これを機に、ダブルスを極めたいと思います」

 決勝戦で敗れた後、二宮は2年後の東京オリンピックメダルを見据え、当面のダブルス専念を宣言した。

■ダブルス専念後の不調と、加藤との再結成■

 ストロークの調子が良くない――ダブルス専念宣言後の二宮は、噛み合わぬ心技体にもどかしさを覚えていた。全仏後に海外選手と組み出場した2大会、さらにはウィンブルドンの女子ダブルスと混合ダブルスの全てで初戦敗退。その後は、8月のアジア大会に加藤と出ることが決まっていたため、北米のツアー2大会にはそのペアで挑んだ。

 今年、フェドカップなどで約4年ぶりに加藤と組むことになった時、二宮には多少の不安があったという。加藤がそれまで主に組んだ穂積とのペアは、ラリーが長い印象があった。

「私は(穂積)絵莉ちゃんほど後衛で打ち合えないし、未唯ちゃんを活かせるかな?」

 そんな思いに加え、加藤の広域の動きや独特のフェイントに、自分が引っかかるのではとの躊躇いもある。

 だが実際に二人でコートに立つと、加藤の型破りな動きにつられ、既存の殻を破るように自由になっていく自分が居た。

「時々、リズムがグチャグチャになることもあるけれど、二人とも走れるから嫌じゃないし」

 何より未唯ちゃんと組むと楽しいし……と恥ずかしそうに、二宮が言う。

 二人は7月のサンホセ大会でベスト4に勝ち進むと、アジア大会では銅メダルを獲得。最も良い時の感覚には遠いながらも、少しずつ結果は出始めた。

■良さを引き出すための、一つの試み■

 

 自分たちの良さを出し切れていない――一方の加藤は、どこか不完全燃焼な夏を戦いながら、そんな思いを抱えていた。歯車を噛み合わせるその鍵は、ポジションの入れ替えにあるのかもとの予感もある。両者が組む時は加藤がフォアサイド、二宮がバックサイドを担当したが、「真琴の良さを引き出すには、彼女がフォアサイドが良いんだろな」との思いは、常に加藤の頭のどこかにあった。とはいえ、実際に行動に移すには勇気がいる。練習する時間も必要だ。そこで、アジア大会直後の全米オープンで初戦敗退した時、この機に変えてみようと二宮に提案した。その約1週間後に控えた出場大会……それは、二宮の地元の広島で開催される、ジャパンウィメンズオープンだった。

 多くの親戚や友人が駆けつける地元開催の大会で、新たなサイドで戦うことに不安があったことを、二宮は隠さない。事実大会序盤では、動きや表情に硬さも見られた。

 そんな二宮の助けとなったのは、常に緊張とは無縁の体で、ピンチの時ほど笑う加藤だ。

 緊迫の場面を迎えると二宮は、隣の加藤に「こういう時、緊張する?」と尋ねる。

 「いや、しない」

 そっけなく返ってくる答えに、「これでちょうど、私とバランス取れてるのかな」と二宮の心は軽くなった。

 大会序盤の苦境を切り抜け、試合を重ねるごとに呼吸と動きの同調を高めた二人は、観客の声援にも背を押されながら決勝まで勝ち上がる。だが、決勝の相手の一人が良く知る穂積だった時、加藤と二宮は、雑駁に言うなら、ムキになった。「お互いの動きが分かっている中で、相手に読まれたくない」(二宮)との過剰な意識が、不慣れな動きを二人に強いる。ストロークの良い相手に揃って後方から打ち合い、自ら相手を楽にさせた。

 準優勝に終わり、冷静さを取り戻した時にこみ上げたのは「もっと二人で、前で動くべきだった」との悔恨。

「真琴に、広島で勝たせたかったな……」

 ポツリとこぼしたその悔いをモチベーションに変え、加藤は、翌週の東レパンパシフィックオープンに向かっていた。

■噛み合いだした歯車■

 広島から試し始めたサイドを入れ替えての連携は、東レPPOでさらに深く噛み合いはじめる。慣れないバックサイドを担う加藤にしても、「リターンはむしろ、やりやすい」という新たな利点を発見していた。

 その二人の連携が存分に発揮されたのが、大会第2シードと当たった準決勝だ。第1セットをタイブレークの末に奪うと、第2セット第1ゲームのブレークポイントは、加藤の鋭いリターンで仕掛け、途中「グチャグチャになる」ストローク戦の末に、最後は二宮がボレーで仕留めた。

 サイドを変えたことで開花した加藤のリターン力。

 「楽しい」ことが生まれる予感を二宮が抱いた、混沌の中で即興的に作るラリー戦。

 そして二宮の最大の強みである俊敏性を生かした、前衛での決定力。

 両者の魅力を全て詰め込んだこのブレークをトリガーとし、二人は6ゲーム連取で決勝へと駆け上がる。双肩に掛かるは、日本人初の同大会ダブルス優勝への期待だが、「過去の記録は見ない」両者には大した意味を持たない。

「記録は知りませんでした。私たちは、私たちの道を行きます!」

 幾分芝居がかった口調で加藤が宣言すると、二宮も明るい笑顔で応じた。

「ま、加藤さんがそう言っているので、気にせずがんばります」。

■第1シードを破り手にした、二人での初タイトル■

 「相手がどうというより、自分たちの良さを引き出して、決勝の舞台を楽しもう」

 2週連続で最終決戦へと勝ち進んだ加藤と二宮は、そう話し合い試合のコートへ向かった。前日から「フィーリングが良い」と公言していた加藤のリターンとサーブは、この日も好調を誇る。これまではサービスゲームで苦しんできた両者だが、決勝ではピンチの時でも二人で笑い、第1セットは6度、第2セットでも3度あったブレークの危機を全て凌いだ。

 優勝を決めるラストボールには、二宮と加藤の二人が揃って手を伸ばす。ラケットで捕らえ殊勲のボレーを決めたのは、半歩前に居た二宮だった。

 

 表彰式のスピーチで二宮は、大会関係者や観客への感謝を述べると、こう続けた。

「いつも笑顔で一緒に戦ってくれる未唯ちゃん。これからも一緒に上を目指して行きたいので……よろしくお願いします」

 表彰式後、永遠に続くかと思われたファンへのサインや写真撮影の後に行われた会見では、二宮の言葉を受けて加藤が言った。

「私も彼女の気持ちと一緒で、これからも二人で上を目指したい。東京五輪だけでなく、グランドスラムでも優勝したいと思っています」

 

 10歳の正月に京都の大会で出会った加藤と二宮は、その後は時に歩みを重ね、時に離れながら今、二人で新たな歴史を切り開こうとしている。

 ペアとして、初めて東京で手にしたツアータイトル――それはここから始まる、「私たちの道」のスタートラインとなる。 

 

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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