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新しい時代のリーダー像、常に期待を裏切り続けたフィンランドのサンナ・マリン元首相

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
総選挙の夜に記者会見するマリン首相 筆者撮影

「選挙で私に投票してくださった皆さんに大変感謝しています。簡単な決断ではありませんでしたが、正しい決断だと信じています」

史上最年少の若き女性首相として世界をあっと驚かせたサンナ・マリンの退場劇は突然訪れた。今年4月、フィンランド総選挙の結果は政権交代となり、中道左派のマリン首相率いる社会民主党は、中道右派の国民連合党に政権の座を譲ることになった。

2019年に首相として任命された当時は34歳という若さに加え、連立政権5党の党首が全員女性という光景は世界をさらに驚かせたものだ。日本でも「一体どうしてそのようなことが可能なのか」と、マリン政権時代はフィンランド特集のニュースが増えた。

コロナ禍での対応やNATO加盟など、政治手腕を発してきたマリン元首相だったが、経済が悪化する中で財政再建の必要性を説き、もともとNATO加盟という安全保障対策を掲げていた中道右派に僅差で敗れることとなった。

総選挙に敗れ、政界から退く

それからマリン氏から次々と「お別れ」の知らせが届く。首相として辞任するだけではなく、選挙で敗れてから半年もしないうちに、社会民主党の党首を辞任すること、国会議員を辞任することが発表される。

新しい転職先は、戦略的政策と政策実施について政府や政治指導者に助言を行う国際団体トニー・ブレア研究所となった。マリン氏は戦略顧問として政治指導者の改革課題などに取り組む。

また長年連れ添ったパートナーと離婚することも発表し、新しい恋人の存在も報道されるが、「もう首相ではないのだから」とプライバシーを尊重するようにメディアに苦言を呈した。

これらの変化は短い期間の間に次々と訪れた。「人々は分かってくれると思います」とマリン氏は記者会見で話したが、議会が始まってすぐに議員辞職を求めたことに落胆する人など、市民やメディアの反応は分かれた。

1997年から2007年まで英国首相だったトニー・ブレア氏とは「首相だった」という共通点に尽きるのみで、同研究所はサウジアラビアから資金援助を受けていることも指摘されており、「労働党右派の代表」のもとでマリン氏が働くという右傾化の選択には落胆や批判の声が目立った。

「もっと上の地位や有名な国際機関に転職できただろう」という驚きの声も出た。

ヘルシンキ大学の政治学者ヨハンナ・ヴオレルマン氏は、マリン氏の辞任「キャリア政治家」のイメージを植え付けるものであり、国会でも活躍を続けられたことをふまえると、民主主義の観点からは残念なことだとも公共局YLEの取材で指摘。

「私はフィンランドのために他の仕事もできます。この仕事はフィンランド全体に利益をもたらすでしょう。政府の中で、私は変化を求めて戦いました。私は、次世代のリーダーたちが同じことを行えるよう、研究所の仲間入りをします」

「私にとっては、人生の新たな1ページが開かれるのです。新しいことをするためには、古いものを捨てなければならないこともあります。でも、私は完全に姿を消すわけではなく、皆さんの隣に戻ってきます」

マリン氏の辞任が発表された記者会見での言葉

なぜマリン氏は政界を離れたかったのか

「人々は分かってくれると思います」というマリン氏の言葉をもう一度ここで引用したい。日本でマリン政権のニュースを見ていた日本の皆さんは、一体どういうことを想像して、マリン氏が政権から急速に姿を消したと思うだろうか。

世界中の注目を浴びた小国の首相としての激務や、メディアからの絶え間ない報道だけが彼女の理由ではないだろう。彼女が何かに「疲れていた」としたら、「若い女性」だからこそ浴びたミソジニーや嫉妬の嵐が関係している。

「首相としてふさわしい恰好や行動」とは

サンナ・マリンはこれまでのフィンランド首相とは異なる人物像だった。胸の谷間が見える、素肌にスーツ姿で現地雑誌のページに登場した時は、賛否両論を呼んだ。「首相としてふさわしくない」という批判が先に来たが、フィンランドの女性たちが次々とマリン元首相に連帯し、同じような恰好の写真をSNSに投稿。「男性首相だったら、これほど批判されただろうか」ということが問われた。

さらなる賛否両論を呼んだのはダンス動画の流出だった。友人たちと楽しそうに踊るプライベート動画では、現場で薬物が使用されているのではという疑惑も生じ、マリン氏は薬物検査の結果は陰性だったと発表。そもそも首相が薬物検査を受けて結果を公表しなければいけないことが異常だ。

その後は官邸でのパーティーで友人たちが「FINLAND」と書かれたプレートで乳首を露出してキスする写真が流出したり、結婚しているマリン氏が他の男性と密着してクラブで踊っている動画など、プライベートシーンの流出が相次ぐ。

問われた判断能力

全体を通してメディアが厳しく批判したのは、首相の「判断能力」だ。ダンス動画はSNSで「公開してもいい」とマリン本人が友人に許可を出していたり、官邸でどのような行動が許される範囲かを友人と共有できていなかったりと、当時はロシアとの緊張関係もあったことから、「もし緊急事態が起きた時に、この人は首相として正しい判断をできるのか」とメディアは批判の声をやめなかった。

終わらない動画流出と批判に対して涙で謝罪をしたマリン氏だったが、一連の騒動をまるで「メディアのいじめだ」と感じたフィンランド市民も多かったことだろう。北欧の記者と普段から時間を過ごすこともある筆者からすると、首相の判断能力に「権力の番犬」とも自称する報道陣がメスを入れることはさほど意外でもないのだが、そのことが市民とメディアで共有できているようではなかった。

カメラ目線で踊り、自分を派手に表現する首相に衝撃を受けた市民

そもそも、お酒を飲んで友人とプライベートを楽しみ、音楽を聞きながら踊る首相というのは、絶対に過去にもフィンランドにはいたはずだ。では、なぜマリン氏が初めてここまでバッシングされたかというと、SNSがまだ流通していなかった過去に、首相のプライベートなダンス動画はこれまで市民の目にさらされることはなかったからだ。

マリン氏自身もインスタグラムを積極的に更新する人で、自らのプライベートな生活は毎日ストーリーに掲載していた。だから彼女や彼女の友人たちも、スマホで撮影しSNSに掲載することのリスクを、お酒を飲みながら楽しんでいる最中に深く考慮しなかったのだろう。

ただ一方で、ダンス動画の件で筆者が気になっていたことがある。フィンランドの現地メディアや批判する市民はマリン氏が「カメラ目線で」踊っていることを強調し続けていた。北欧他国や国際メディアではダンス動画流出は話題になっても、「カメラ目線」であることは気にしていなかった。

ノリノリのダンス動画やカメラ目線が批判の的となった背景には、フィンランドが質素を美徳とするキリスト教(福音ルーテル派)に関係している可能性もある。北欧諸国の中でもフィンランド人はとびぬけて「笑わない静かな国民性」という特徴をもつ。そんなフィンランドの人からすると、筆者が住むノルウェーの市民は「米国人みたいなパーティーピーポー」だ。

周囲に自分の感情や欲を露わにしない生活で、モノを求め過ぎずに、おごそかに、質素に暮らせよというフィンランド社会で、「いえーい!」と自由奔放で楽しさを全開にして、「私を見てくれ、撮ってくれ」といわんばかりの「カメラ目線」で自己主張するマリン首相は、ショッキングな時代の変化の象徴だった。普段のニュースで見る真面目な政治家の姿とは違い、SNSやスマホを通して映るマリンは「禁欲」とは対照的である。古い価値観の世代の中に根強く残る「首相としてのイメージ」がなんたるかを破壊する力をもっていた。ここで、ダンスやパーティーに慣れている若い世代と、保守的な価値観を持つ世代とで、マリン氏に対する印象と評価は大きく分かれたのだろう。

エンタメと政治の境界線を曖昧にしたマリン

マリン氏はとにかく常にSNSを巡って批判されていた。彼女は間違いなくインタスタグラムを愛しており、ストーリーの更新を欠かす日はない。毎日、セルフィー写真を投稿するその姿こそが、若い世代に「身近な存在だ」と親しまれるきっかけにもなる。同時に、首相でありながら、友人の商品をインスタグラムで宣伝することに疑問の声があがったり、首相自身が顔写真にフィルターをかけて画像加工をしていることはルッキズム増長につながり、他者と外見を比べる若者のメンタルヘルスを強化させるものだとも指摘される。

とにかく国内・国際メディアから注目を浴び続けるマリン氏は報道を自粛するように要請することもあったが、そもそも本人がフォロワーがたくさんいるアカウントを一般公開にして更新し続けているのだから、「注目も批判もされるのは当然だ」とメディアには反論された。

フィンランド国内よりも国際社会で光るカリスマ性

マリン氏はフィンランド国内よりも国際社会でのほうがさらに実力を発揮できる人物だろう。どうしても謙虚な物腰を求められやすいフィンランドでは、自由に生きるマリン氏は批判もされやすい対象だった。実際、フィンランド国内よりも国際社会のほうが常にマリン氏を高く評価していた。それは日本も同じだ。

ジェンダー平等が進んだフィンランドでは、若い女性の政治家や首相はもう珍しいものではない。だから冷静に、淡々と評価された結果が今年の総選挙だった。ちなみにマリン氏が辞任した後も社会民主党の支持率が激減することはなかったので、市民はマリン本人よりも党の政策を冷静に評価していたのだろう。

マリン政権とミソジニー

マリン氏に向けられてきた批判の中には、「それは男性だったら同じように批判されていたのだろうか」と、フィンランドも国際社会もふと立ち止まり、自らの内にひそむ偏見を内省する機会も与えていた。

マリン氏個人だけではなく、女性リーダーばかりのマリン「政権」は国際社会でミソジニーの対象ともなった。ラトビアに拠点を置くNATO戦略コミュニケーション・センター・オブ・エクセレンスは、マリン首相が率いるフィンランド政府は、圧倒的に女性差別的なオンライン・ハラスメントの標的になっているという報告書を2021年に発表。女性政治家が受ける差別構造がここでも明らかとなった。

若い女性リーダーばかりのフィンランド政権が世界に与えた衝撃はそれほど大きく、インスピレーションにしようと讃える者もいれば、これまでとは違う政治家リーダーの姿に厳しい評価の目を注いでしまう者、足をつかんで引きずり降ろそうとする者など、多くの類の反応を生むこととなった。

これまでとは全く違うリーダー像

マリン氏やマリン政権が国際社会に提示したのは、「これまでとは全く違うリーダー像」だ。今まで私たちが見てきたリーダーの姿とかけ離れているからこそ、その言動に共感し応援する人もいれば、慣れない変化に拒否反応を起こす人もいた。マリン氏がスキャンダルで叩かれる度に、「男性だったら同じように批判されていただろうか?」「自分の中に巻き起こる、もやもやとした感情はなんなのだろうか」と立ち止まるきっかけを、フィンランドは国際社会に何度も与えた。

さて、世界各地で批評されるマリン氏だが、当の本人は元気よくインスタグラムのストーリーを毎日更新している。「今日は何キロ歩いて、ジムにも通って最高!」とエクササイズの日課を笑顔で報告している。「マリン元首相の優秀さには、ウォーキングも関係しているので」はとこちらが思うくらいだ。

最近ではパリのファッションウィークに突然登場し「何をしているのだろう」と感心を集めたり、講演でプーチン批判を展開したり、先日はフィンランドのスタートアップの祭典「スラッシュ」でも登壇し、12月6日のフィンランド独立記念日には大統領のレセプションにゲストとして参加し、その様子は生放送で国民に届けられた。

サンマ・マリンという現象

サンナ・マリンはもはや「現象」といえる。スウェーデン出身の気候活動家であるグレタ・トゥーンベリさんが世界的な運動を起こしているように、北欧フィンランドはサンナ・マリンという強力な女性リーダーを生み出した。

マリン氏は今でもフィンランド国内でも国際的にも注目を集める存在であり続け、現代の若い世代を代表するアイコンでありながら、北欧の民主主義とジェンダー平等といった価値観が結びついた、極めて稀な存在だ。若さと美しさだけで、彼女のような影響力になることはできない。

これまでのリーダー像を次々と破壊し、常に期待を裏切り続けたマリン。家父長的なリーダー像に慣れていた人々にとって、彼女の登場はまさに劇薬だ。マリンが歩いてきた道は、次の世代にとってより歩きやすい道しるべとなるだろう。

フィンランドのメディアによると、マリン著書の本が出版される噂もあるという。マリン旋風は来年も世界を駆け巡りそうだ。

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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