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ノルウェーでは報道記事の掲載前に政治家による検閲が当たり前

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
ノルウェーの国会議事堂 Photo:Asaki Abumi

政治家「その記事、確認するから掲載前に全部翻訳して、送ってね」

先日、とあるノルウェーの政治家にインタビューを終えた後、秘書にこんなことを言われた。「記事を掲載する前に、内容を確認するから、日本語からノルウェー語に全部翻訳して、私にメールしてね」。

驚く私の反応を見て、秘書は、「私はあなたの言語がわからないから、コントロールできなくなってしまうでしょ?全部翻訳するのが大変なら、電話して内容を私に口頭で伝えて?でも、必ず掲載前に」。

ノルウェーでは、これは「引用チェック」と呼ばれている

これまでノルウェーの首相や大臣、各政党の党首からコメントをもらったり、インタビューしたことはあったのだが、引用チェックを言われたことがなく、この政治家が初のケースだった。

この会話の後、違和感がずっと残っていた。ノルウェーでは単独で仕事をしているので、問題は自分で考えて対応するしかないのだが、今回はモヤモヤした気持ちが消えなかったので、これまで知り合いになったノルウェーの政治家の秘書や政治顧問、ノルウェーのジャーナリストに引用チェックは日常茶飯事に行われているのか聞いてみた。

ほとんど意見が同じだったのだが、まとめると、

  • 政治家による記事掲載前の引用チェックは当たり前
  • 目的は、政治家が言ったことが正しく記載されているか確認すること
  • 必ずしも記事がそれで修正されるわけではなく、最終的には編集者が判断
  • 日常茶飯事のことなので、記者から、「じゃあ、掲載前に原稿を送りますね」と言うことも政治家から「チェックするから送ってね」ということもある

ネット記事では、例えばこういう記事がノルウェーではよく見られる。

記事本文

記事の文末

インタビュー後、政治家と秘書が原稿を確認したところ、そういう意図ではなかったと言っています。本人は~という意味だったそうです。

この編集側と政治家側との事前のやり取りが、読者が記事を読む前にすでに行われ、完了している。

この引用チェックというノルウェーならではの文化は、ノルウェーの共通プレス規約に明示されているからだ。そこで、ノルウェーのプレス連盟に、問い合わせた。

メールで長いやり取りになったのだが、要約すると、

  • 国際メディアはノルウェーのプレス規約を守る義務はないので、私(筆者)は引用チェックや翻訳に義務的に応じる必要はない
  • 文化と背景が異なるので、他国のメディアはノルウェーのこれらのルールを異なった目線で解釈するということは理解している
  • 引用チェックがあるのは、取材対象者が誤解を受けるように記事を書かれるのを防止するため

ノルウェーのプレス規約は、読んでいると、取材対象者を「守ってあげるべき者」として捉えているように見えるので、そこをさらに聞いてみた。「ノルウェーでは権力のある政治家もそこまで守ってあげるべき対象なのですか?」と。

もちろん、我々も政治家は権力者と捉えています。メディア対応ができる判断能力があるべきで、政治家は「シルクの手袋」で包んでもらえるような対応を報道陣に期待するべきではありません。

出典:ノルウェープレス連盟 Trude Hansen氏

この件に関して、他の日本人の記者や編集者に相談をした。

まとめると、やはり今回の件は日本人側からすると行き過ぎているということ。

  • 「編集権の独立」を侵している
  • 日本では「検閲」にあたり、取材対象者や第三者の事前チェックが入った記事は掲載できないこと

さて、ここで、ノルウェーの政治関係者と記者から話を聞いていると、全員が必ず言うことがある。

欧州他国と比較すると、ノルウェーの記者は、取材対象者が言ったことを、正確に明記しないで、記者本人の解釈で記事を書き上げてしまう。

例えば、政治家が言った内容から、一部の短いコメント部分だけをとり、そこをタイトルや記事概要に大きく掲載する。しかし、その一部分だけを取り上げるということは、全体的な意図が読者に伝わらず、政治家本人が人間的にも誤解されるような編集をされることがある。

このことは実は私も前から感じていた。政治の現場や記者会見での現地の様子と全体の内容が、必ずしも報道記事と一致しているわけではない。間違ってはいないのだが、「あれ、そういう解釈をした?」、「ほかの書き方もできたのでは」、「その人が言いたかったのはそこがポイントではなかったのでは」と感じることがよくある。

いずれにせよ、ノルウェーのメディアは左寄りで、中立的で客観的な記事など存在はしないのだが‥‥。

プレス連盟にこのことを電話して問い合わせたところ、即答で、

ああ、そうですよ。ノルウェーの記者は取材対象者が言ったことを明確には書きません。

出典:ノルウェープレス連盟 Trude Hansen氏

どうもノルウェーでは、記者が自己解釈で発言を料理することが、大幅に許されているようだ。

そして、どうも日本と比較すると、ノルウェーではメディアが政治家に対して圧倒的に力を握っている。これは前から感じていたことで、記者の能力が信用できないのであれば、政治家はインタビューを受けなければいいと思うのだが、ノルウェーの政治家にとっては、国民とコミュニケーションできる一番のチャンネルがメディアなので、一生懸命取り上げてもらおうとする。この関係については、また長文となってしまうので避けるが、政治家のほうがメディアに対して腰が低いのがノルウェーだ。そういう現場を何度も見てきた。だからこそ、引用チェックという手段がなければ、政治家はメディアによって好き勝手に調理されてしまう

引用チェックのやり取りでは、政治家(政党)と記者の間で、発言の解釈が異なり、ケンカになることも多いそうだ。私からすると、このコミュニケーションが読者抜きで、読者が記事を読む前に行われているのは不思議極まりないのだが。誰のための記事?

しかしながら、日本で育ち、日本のメディアに寄稿している私としては、政治関係者から、翻訳しろと言われたり、記事内容変更を求められるのは、圧力としか捉えられないのが本音だ。最終決定権は編集者にあるとは強調されるが、圧力の捉え方がノルウェーと日本では異なる。

日本のメディアで寄稿できなくなるのは意味がないので、引用チェックはこれからも断っていくが、ノルウェーの政治家はこれが当たり前だと思っているので、悩みの種になりそうだ。恐らく、私がオスロ大学と大学院でメディア学を専攻し、ノルウェー語が話せるという要素も影響して、国際プレスとしてよりも、ノルウェーのプレスと同レベルの常識が求められやすいことも裏目に出やすい。

ちなみに、私がこれまで引用チェックを言われなかった可能性として、ノルウェーの政治顧問の方々に言われたのが、「インタビュー中の雰囲気が和やかだったら、引用チェックはあまりしない。批判的な記者にはする」。確かに、私はノルウェーのメディアがよくやるような、罠にかけるような特殊な追い込みテクニックはしない‥‥。

最後に、ノルウェーのプレス連盟が「国際メディアにはルールを守る義務がない」としていること、日本の編集側からも「取材対象者や第三者による事前チェックが入った原稿は掲載できない」とお返事をいただいたので、冒頭に書いた政治家の秘書に電話で伝えた。「こういう事情なので、記事を翻訳して、テーマ以外に事前に内容を伝えることはできないけれど、よいですか?」と。

すると、「個人的には納得できない。日本のメディアに取り上げてもらえるのは嬉しいからぜひ掲載はしてほしいのだけれども、コントロールできなくなる。せめて、掲載前に内容をもっと伝えてほしい」。

電話を一度切った後に、数分考え、メールをした。「申し訳ありませんが、今回のインタビューは掲載を諦めます」。

ノルウェーの報道は丸のみにして信用しないほうがいいこと、ノルウェーの政治家とメディアの関係はやはり奇妙だと、今回改めて感じた。ここまで文化の違いを感じたのも久しぶりだった。

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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